第20話
その建物の天井は荘厳な様式であった。
そこには神代の理想郷の情景が描かれている。天地開闢は、隠れた全能の指の一突きでもたらされた。それ以来、神々は衰えを知らず、柱として四大の元素の役割を果たし、空間を動き回っていた。そして、互いに和合しながら、世界に結実した大地の精華を分け合っていた。津々浦々に至るまで、それは自由で平等な世界であって、そこには権力も税金もなく、ましてや土地の区画もなかった。そのため、あえて劇しい光を求める必然性もないほどである。
しかし、万物は自由意志により堕落した。そのことが前提となって、終着点である無垢の光が復帰の目的となるのである。要するに、傷がなければ、回復もないのであった。無傷な心に、いかなる回復があるだろうか?
威厳に満ちた天井画を見上げながら、ケントは至福がどのようにして手に入るのか、といった答えのないことを思い浮かべていた。アリシアは共に佇みながら、窓から入ってくる光の方角を見つめていた。
教主領の「天光大聖堂」に二人はいたのである。その聖堂ドームは、領土の小高い場所に建っており、そのため離れた所からでも見渡すことができる。隣接する神殿建築には天井のスペースがある。そこには、威徳を残した人々の彫像が一列に並んでいる。それが聖堂とおごそかな調和をなしているのが、歴史の重みを感じさせる。ドームの頂点は青空を尖鋭に突き刺しており、そこには「光明教団」のシンボルである光輪が高みを示している。
聖堂の内部は、壁画と天井画に満たされていた。歴代の教主がそれらを描かせたのである。二人は堂宇の内部を歩き回って、その美しさに時を忘れていた。特に、ケントは自分自身の呪いすら、まるでなかったことのように感じていた。
「凄まじいものだね」
「ええ」
ケントとアリシアは、そのように口々に言いながら、自分自身の心の中にも一つの絵を感じていた。
すると、背後で扉がゆっくりと開いた。教主ジュリアンである。
「ご満足いただけたようだね、ケントとアリシアよ」
そう言うと、教主は首から下げた小さな光輪の位置を直した。
「何だか、見とれてしまって言葉にならないです」とケント。
「見とれるだけではもったいないな。この冒険が終わったら、ぜひ絵を描いてみることだ。そうすれば、君でも立派に描くことができるだろう」
「今はそういう実力がないので」
「古今の名匠でも、最初は実力のないところから始めたのだ。たとえまずくとも、堂々と押し出すことをためらってはならないよ。絵の名人とは、もっとも多くまずい絵を描いた人の別名でもある」
「はい。わかりました。しかし、それはともかく、まずは欠片を見つけなくてはなりません」
「そうだな。だからこそ、私も協力を惜しむつもりはない」
「先日の一件は、本当にありがとうございました。あのペンダントがなければ、今ごろ僕たちは、立ち往生していたに違いありません」
「症状はどうなのか」
「欠片を見つけるくらいなら、無理をしなければ、当面は大丈夫かと思います」
「腰を据えて取りかかるしかないね。このペンダントは症状を遅らせるだけで、完治させるものではない。私もよく研究しておくから、君も世界を探究し尽くしなさい。世界は広い。北や東には果てしなく大陸が続いているし、西や南の方角にも海が続いている。そのどこかには、『存在剥離症候群』を治療する特効薬があるかもしれない」
「そのつもりで探索を続行します」
「しかしながら、気がかりな情報がいくつか入っている」
「それは何ですか」
「言える範囲で君たちにも伝えるが、世界の危機が訪れているのだ」
「イール国がさらに軍備を増強したことでしょうか」とアリシアは言った。「もし我が国が三年戦争に打ち負かされれば、世界は暗黒になってしまいます。だからこそ、私たちはこれまで尽力してきたのです」
「それも危機の一つであるが、世界の奥はまだまだ深く、謎に満ちている。私が言いたいのは、アペイロンの欠片と、『存在剥離』についてなのだ」
教主がそのように言うと、ケントは話を注意深く聞いた。
「やはり、アペイロン石は恐るべきものだ。それはパンドラの箱を開けたにひとしい。だからこそ、君は契約の結果、呪いを身に受けることになった。しかも、そのために世界のエネルギー収支が乱れてしまったようだ。そこから、未確定であるがさまざまな異変が報告されている」
「どんな異変でしょうか」とケント。
「まだ裏取りをしている最中だから、言えることは少ないよ。しかし、私は光明教団の教主として、常に最悪のケースに備えておかなければならない」
「最悪のケースですか」
「結論から言おう。世界そのものが、『存在剥離症候群』に罹患している可能性がある」
ケントは、沈黙した。アペイロン石は永久機関である。したがって、それを誤った形で活用しようとしたならば、それくらいの代償があって当たり前である。しかし、仮にその情報が確かならば、ケント自身には重大な責任があることになる。契約者一個人が死亡するくらいならば、ある意味では何ら問題はない。自分自身が受忍すればよいだけの話である。しかし、アペイロン石の濫用が、世界の存在崩壊の引き金を引きかねないとすると——ケントはそのシナリオを悪夢と感じた。
「今おっしゃったことが、もし本当ならば、あれは決して福音などではありません」
とケントは言うのが精一杯であった。
「繰り返し述べるように、状況はまだ流動的なのだよ。全ての可能性はテーブルの上にある。したがって、自分自身を責めることはない。仮に責めたところで、コップからひっくり返った水が元通りに戻ることはないのだからね。そして、私は常に楽天的で、魂が重力に屈することはない。なお、剥離の異変については、裏取りを急ぐことにしよう。あるいは、この共通の危機を鍵として、三つの国々の協力が進むかもしれないからね」
「つまりそれは」とアリシアは言った。「世界の剥離という危機があるなら、いがみ合ってはいられないということですね」
「昨日の敵は今日の友、ということわざは正しい。その際には、私も三国間の仲介役を担おう。それにしても、ギルバート王は、難しいが価値のある道を選んだね」
「どういうことですか」とケント。
「まさに、君自身のことだよ。王はケント・アーヴィングを生かしておいただろう?」
「確かに、死んではいないようですね」
「権力の栄光の論理は、一度は弓を引いた相手にも重要な利用価値を見出すことがある。王の思考は、そのような世界戦略のレールを走っているからこそ、私の立場と軌を一にしたのだ。慈悲というのは、ただ単に『慈悲』と唱えるだけではない。剣を研ぎ澄まし、金銀財宝を積み上げるため、己れの魂を尽くすことから、結果として同じ道に至ることもあるのだ」




