第10話
アペイロン石の蒼い光は、そのままであった。ケントは一人、保管庫の中にいた。すでに人払いは済ませておいた。深夜のことである。
ケントが石をじっと見つめていると、石の声が響いた。紛れもない、自分自身以外の声である。その声は脳裏に送り込まれるため、どんなことがあっても、ケント以外には聞こえないのだった。したがって、保管庫の中はケント自身の劇であった。
「汝は何者か」
確かにこのように、石は言ったのである。
「僕はアラン・アーヴィングの子、ケント・アーヴィングだ。ギルバート王の騎士団に属している」
「余を死の眠りから覚ましたのは、汝であるか」
「眠り? すでに君は目覚めていたのではなかったか。東方の採掘場でも、暁の大塔でも、膨大なエネルギーが出ていたのだ」
すると、石からは笑い声が聞こえた。
「そんなものは、余韻に過ぎない。ただの影にひとしい。余の本質は、そのようなものではない」
「では、ほんとうに目覚めると、どうなるのか。眠っていたということは、かつては起きていたのだろう」
「二度目の目覚めは、愉快である」
「では、一度目があったのか」
「まさに。神代の頃、余は創世を司っていたものだ」
「創世? ずいぶんと大きな話だな。しかし、あれほど無尽蔵のエネルギーがあるからには、そんなことに関与していたとしても、おかしくはない」
「時の流れは早いものだ。一万年も、たったの一日に同じである」
「先ほど、神代の頃と言ったが、第一紀の様子はどうだったのか? 我々の伝承では、理想郷が築かれていたと聞いたが」
「あながちそれは誤りではない。その文明の中心は、余という永久機関にあった。しかし、破局が訪れたのは必然だっただろう」
「なぜだ?」
「神々といえども、天地開闢から数えて、長命を得ているとはいえ、老いを免れるものではない。ゆっくりと、しかし確実に、天使の衰えは進んで行く。そのことに、彼らは恐怖した。それが原因で、不老不死を求めて、奪い合いを始めたのだ」
「なるほど、そういうことか」
「察しが早い。余を奪い合い、そのために楽園は荒廃した土地となったのだ。それが第一紀から、二紀への移り行きだ。しかし、第二紀においても、ずる賢い掟ばかりが細かくなるだけで、さまざまな争いは止まなかった。そこで、ある知恵者が一計を案じて、大きな冒険の末、余を東方の果ての海に捨てた。それが第二紀の終わりだ」
「それが、今になって発掘されたのか」
「そうだ。もっとも、第二紀と現在の陸海は異なっている。なぜなら、第三紀において、全被造物の合意の上で、『万物の仕切り直し』が行われたからだ。そして、その『建設の時代』に生まれた民は、新しくされた大地に、めいめいの国に分かれて住んだ。それがイール、ソルヴァル、エルノールの始まりである、ただし、ソルヴァルの民だけは、今でも自分自身を第一紀の神々の直系と信じている。いずれにせよ、第四紀、すなわち現在の人間は、その末裔なのだ」
「眠りに就いていた割には、よく色々なことを知っているものだ」
「大海の底でも、鉱脈の闇の中でも、知ろうと思えば、何でも知ることができる」
「では、先ほど聞けなかったことを聞こう。君がほんとうに目覚めると、どうなるのか」
「余は器にすぎない。そして、器の中に何を盛り込むかは、持ち主次第である。しかし、どんな場合であっても、この世界の王になるくらいは、たやすいことだ」
この言葉を聞くと、ケントには強い感情が湧き起こった。
「ほんとうに、なれるのか」
「そうだ。ただし、邪念があったとしたら別問題だが」
「その心配は万に一つもない。僕に協力してくれるか」
「何に対して、協力せよと言うのか」
「第四紀を統一し、真に平和な世界を作りたい。僕の願いはそれだ」
「人間の意向など、余の与り知らないことである。人間は善を標榜して悪をなす。ただそれだけのことに、余の力は不要である」
「いや、必要なのだ。だからこそ、君を目覚めさせた」
「契約を結ぶも、あるいは捨て去るも、自由にするが良い」
「では、どうすれば良いのか。契約書か。血のサインか。それとも別のものか」
「難しいことではない。ただ、血を一滴だけ、滴らせれば良いのだ」
「そうか。ならば、始めよう」
「しかし、忘れてはならない。引き返せるのは今だということを」
「引き返す?」
「世界の摂理は等価交換が原則だ。したがって、余の力を引き出す者は、相応の代償を支払うことになるだろう」
「代償? かまわない。まさか、永遠の地獄に落されるわけではないだろう?」
「すべては持ち主の器次第だ」
「あるいは、生命を奪われ、有限の地獄に落ちることになったとしても、僕は本望だ。今なお、この世界では苦しんでいる民がたくさんいる。その人々を救えるならば、僕はいかなる存在者にでもなろう」
「余は承知した」
保管庫の中は静まっており、塵一つ動かない。ケントは、首筋に汗が流れる音さえ聞いた。
懐から小刀を取り出し、腕を傷つけた。少し深く切ってしまったので、血は思った以上に、滲み出ている。ケントが舌で舐めると、鋼の味がした。そして、安置されているアペイロン石に向かって、一滴の血を滴らせた。
その血の滴りは、一つの歴史であった。
それは、ケント・アーヴィングを不可避の冒険へと駆り立てるものだったのである。




