巻の七、九曜
――しっかりしろ、蒼月! 蒼月!
俺を呼び、叱咤する声。
それは悲痛な叫びでもあり、それは暖かな励ましでも、泣き声でもあった。
うるさいな。放っておいてくれよ。
言いたい。
俺はもう、疲れたんだ。
襲ってきたゴロツキ。
得物は持っていても、所詮はゴロツキ。三流。
酒場で吠えかかって来る酔っ払いと同じ。
一人ひとりは、俺の相手じゃない。
だが。数が多すぎた。
倒してもたおしても、屋根の上から、路地の影から奴らはうじゃうじゃ湧いてきた。
そしてこちらは、守るべき存在が引っ付いている。
多勢に無勢。孤立無援。
ひどい騒ぎになっても、家から誰も現れない。街の治安を守る衛士も現れない。
(クッソ。全部仕組まれてたってことか)
公主を狙う黒幕は、公主がよく俺だけを連れて出歩いていることを知っていた。宦官一人なら、なんとかなる。
そう考えたんだろう。
(甘いぜ)
俺は宦官でもなければ、そう簡単にくたばる男でもないんだっての。
堕とす対象を守る。
おかしな気がしたが、それでも何とかやり遂げた。
俺の任は、コイツを堕とすことであって、むざむざ殺させることじゃねえからな。
宦官らしく携帯していた剣は、さすがに限界。
刃はこぼれ、打ち合えば鍔のあたりでカタカタと異音がする。
剣だけじゃない。俺の体も限界が近い。
ゴロツキの攻撃はすべてかわした――といいたいころだが、避けきれなかったものもあった。
右脇腹の傷と、左腕の傷。
脇腹はかすった程度だが、左腕は、出血がひどい。流れ続けて、腕を上げるのも辛い。手まで真っ赤に染まり、指から流れた血が滴り落ち続けている。
傷ついたのが利き手でなくてよかった。その程度。
だから。
(助かった)
公主を連れて逃げてきた先。皇宮の壮大な門。
ここまでくれば。ここを超えたら、衛士がいる。兵士がいる。
公主をやろうって奴らは、ここに入ってこれない。門が奴らを阻んでくれる。兵が守ってくれる。
現に今も衛士たちがこちらに駆け寄って来る。
「蒼月!」
あー、ダメだ。
大丈夫って思ったら、力が入らねえ。
血もいっぱい流れてるしな。暑さと疲れもあってか、目の前クラクラする。
立っていられなくて石畳の上に崩れるように座り込むと、同じように公主も青い顔して座り込んだ。
(ハハッ。なんでアンタまで座り込んだよ)
アンタは衛士に守ってもらって、自分の宮に戻れよ。ここはもう安全なんだから、俺から離れても問題ないって。
俺なんかに近づいたら。アンタまで汚れちまうっての。
「俺は大丈夫、ですから」
乱れた息のまま告げる。
ほら、アンタのお迎え、来たぜ?
向こうから、大勢の臣下、兵を従えてやってきた人物。
若い、頭上に冕冠を乗せた、龍袍をまとった人物。
(皇帝か?)
その姿は、皇帝陛下の装束。
姉公主の危機を聴いて、慌ててすっ飛んできたってところか?
やけに準備がいいな。誰が報告を入れたんだ?
まるで帰ってくるのを見計らって、出てきたみたいじゃねえか。
頭の片隅でそう思うけど、それ以上の思考が働かない。
(でもまあ、弟なら、公主を守ってくれるだろ)
血で汚れた宦官に寄り添う姉をどう思うか知らねえけど。
自分に代わって政務を担ってくれる、頼れる姉だ。無事でよかったと喜ぶんじゃねえ――。
「――捕えろ」
は?
もうあと数歩。
そんな位置で足を止めた皇帝。
出た言葉はとても短く、そして冷ややかだった。
「姉上。いや、瑶佳公主。貴様を姦通の罪で召し取る!」
なっ!
「かっ、姦通っ⁉」
「そこの宦官と、街で戯れていたことは周知の事実」
はあ?
街で? 戯れて?
この姿を見て、どうやったら「戯れてきたこと」になるんだよ! 街で悪漢どもに「襲われてきた」後だっての!
「後宮で男を貪っているだけなら、大目に見てやったのだが」
だからそれも間違ってるって。
夜毎、男は招き入れていたけど、それは政のためで――。
「それで納得せぬなら、謀反、謀大逆、謀叛、悪逆、不道、大不敬、不孝、不睦、不義、内乱。どれがよい? 十悪のなかから好きなものを選ばせてやろう」
――は?
選ばせてやる?
というか、なんだよその罪ありきの選択肢は。どれもろくな罪じゃねえか。
「――そう。貴方の中では、もう決まっていることなのね」
重く息を吐きだして公主が立ち上がる。
「わたしが不要。そういうことでしょ」
姉の言葉に、弟がニヤッと口角をゆがませた。
肯定。
そういうことらしい。
(クソだな、コイツ)
幼い弟が皇帝位についた。
相次いで亡くなった両親は、幼い弟を心配して、聡明な姉を後見人とした。
姉も若かっただろうに、それでも亡き両親の期待にこたえ、弟の治世を守った。
けれど。
弟は、いつまでも守られているだけの存在ではない。今年で十七だったか。成人まであと一歩となって、この皇帝は姉の存在が邪魔になった。
皇帝なのだから、自分の手で国を動かしたい。
理想に燃えることは悪いことじゃない。だが、そのために邪魔になった姉を排除しようとするなど。ありもしない罪をでっちあげるなど。
(不要と思ったら、普通に引退願ったらいいだろ)
今までありがとうございましたで、嫁ぎ先を見つけてやっても。
公主が結婚せずにいたのは、弟を守るためだったのだとしたら。こんな残酷な突き放し方、許せねえ。
「公主……」
全身に残った力をふり絞り、ガクガク揺れる膝を叱咤しながら、なんとか立ち上がる。
「ここは、俺が食い止める。だから、アンタは逃げな」
刀身がボロボロになった剣。俺の体と同じで、心もとない得物だが、それでも、アンタを守り逃がすぐらいのことはできるはずだ。
「蒼月、なにを……」
「逃げろ」
アンタはこの国になくてはならない人だ。こんなところでやられていい奴じゃねえ。この国の平和を、民の幸せを作り守ってきたのはこの公主だ。ヒョロヒョロの皇帝じゃねえ。アンタだ。
「ここは俺が食い止める。だから……」
公主を、皇帝と周囲を取り囲む凶刃から守るように腕を伸ばす。
アンタは生きてくれ。生き延びてこの国を守り続けてくれ。
俺みたいな、孤児が生まれねえように。
戦で家族を失って。細作になるしかなかった、汚れ仕事をしなくちゃいけなかった俺みたいな奴が出来ねえように。
そして、アンタに死んでほしくねえ俺のために。生きてくれ。
「やれ」
短い命令。
多勢に無勢。
それでなくても、こちらは手負い。
正規の訓練を受けた丈夫な兵に敵うわけがない。
命じた皇帝の顔に、残酷な愉悦が浮かぶ。
(これまでか)
諦念に近い感情がよぎるが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
公主を守って。彼女が逃げられる隙を作れるまで。
斬って、斬って、斬り続ける!
――って。
「お、おい! 余は『やれ』と命じたはずだっ! やれ!」
抜刀したものの、微動だにしない兵たち。
俺と対峙して、相手の出方を警戒している? ――いや。
「無駄ですよ、陛下」
兵の後ろから聞いたことある声がした。
「丞相っ⁉」
声に驚いた皇帝がふり返る。
「賢明なる我が国の兵たちよ。この慮外者を捕らえよ!」
慮外者?
誰のことだ?
思うより早く、兵が動く。兵の持つ剣の切っ先は、こちらではなく、一斉に皇帝に向けられる。
それだけじゃない。皇帝を引きずり倒し、石畳に押し付けるように捕えた。
(どういうことだ?)
謀反? 造反? 何が起きている?
「あーあ。見限られてやんの」
「――計都っ⁉」
丞相の後ろから現れた、この場に相応しくないのんびりした声の主。
「だーれが、アンタなんかの命令きくかっての」
ヨッと、軽くこちらに手で挨拶して、押さえつけられた皇帝をあざける。
「よく公主殿をお守りしたな」
「――鎮星?」
「お前なら、公主を守り抜ける。そう信じていたがな」
「歳星?」
「俺としちゃあ、もっと危機に陥ってくれてもよかったんだがな。そのほうがおもしれえし」
「螢惑まで?」
「ダメよ。これ以上月亮が傷ついたら。あたしが楽しめなくなるじゃない」
「た、太白っ⁉」
計都だけじゃない。
鎮星、歳星、螢惑、太白。
俺たち九曜と呼ばれる細作の仲間が、次々と姿を現す。
(どういうことだ? これは)
俺たち九曜は、個々に動く。
命令によっては、共闘することもあるが、基本別行動を常とする。
それが、こんなに集まって来るなんて。
「太陽からの命でな。俺たちも集められたんだ」
代表するように、最年長の歳星が説明を始める。
「ああ。この国を守るため、瑶佳公主をお助けし、皇帝の悪行を暴けとな」
「太陽が?」
俺には、「公主を篭絡して堕とせ」としか命じなかったのに?
太陽は、俺たちの要となる人物。人に暗殺だなんだのさせておいて、国を守れとは。そんな殊勝な忠誠心持っていたのかよ。
「あたしは、後宮に入って、皇帝を堕とせって言われてたの。皇帝を堕として、考えてること全部吐き出させるためにね」
次いで、太白がシナを作りながら言う。
「お前が、皇帝の寵姫だったのか」
あの時。俺が忍び込もうとした時。あれは計都に阻まれて断念したが。
あそこにいたのは、お前だったのか?
「そおよぉ~。この坊ちゃんったら、あたしが言い寄ったら、コロッと絆されて、なんでも喋ってくれるんだもの。簡単だったわよぉ」
押さえつけられた状態の皇帝に近づくと、その細く白い指で、煽るように砂で汚れた皇帝の頬をなぞる。
「こんな堕としがいのない男なんて、初めてだったわぁ」
それは。
太白は、仲間も俺から見ても、とても色香にあふれた肢体を持っている。男を誘惑することにかけては、右に出る者はいない。
女慣れしてないだろう若い皇帝なら、簡単に堕とされる。
俺は公主を堕とせなかったってのに。
「太陽は、お前には公主の護衛を任せたが」
え?
護衛?
「よくぞ、やり切ったな。素晴らしいぞ」
褒める歳星。
年上の歳星のねぎらいは、素直に喜んでいいところだが。
(――誰が命を違えて伝えた?)
護衛なんて聞いてないぞ?
堕とせと言われてたぞ?
ピッピピ~。
そこに場違いなほど陽気な口笛が響く。
後頭部で組まれた腕。明後日を見る顔。尖らせた口。
(――計都、お前か)
堕とすも守るもよく似たもんだろ? どうせなら、面白おかしくやったらいいじゃん。
突然現れて人を惑わし喜ぶ星、計都。その名にふさわしい惑わし方だ。
「――届いたようだな」
何が?
思うより早く、風が動いた。
いや。動いたのは俺たちの仲間、辰星。
どこから現れたのか、懐に忍ばせてあった書を素早く丞相に手渡す。
「――ふむ。姉公主の暗殺、奸臣からの賄賂、横領。陛下、これは言い逃れのできない悪行でございますな。おやおや。今いる有能な臣下を断罪罷免して、佞臣と国を動かすつもりでございましたか」
その書をざっと盗み見た歳星が、顎に手を当て言う。
「うるさい! 余も大人になったのだ! 姉上などいなくても、国を治めるぐらいできるっ!」
押さえつけられても意気軒高な皇帝。いや、虚勢か?
「大人になったぐらいで、政はできねえよ。坊ちゃん」
ニヤニヤと笑いながら、螢惑が近づく。コイツの笑いは、碌なことがない。
「それで? 天下の丞相さまは、これからどうするつもりなんだ?」
俺たちを使って。
皇帝の悪行を暴いて。
螢惑の笑いを遮るように、わざと話題を変える。
「――公主さまに、皇帝にご即位いただきとう存じます」
「吾に?」
「はい。亡き先帝の御遺言でございました。英明なる貴女さまに、皇帝として国を治めてほしいと。ですが――」
拱手をもって、跪いた丞相と、文武百官、兵たち。ちらりと、捕らえられた無様な皇帝に視線をやる。
「貴女さまは帝位を固辞され、あの男を推す一派に押し切られ。我々は御遺言に背くこととなりました」
「それは……」
普通、帝位は男子に継承される。
女帝なんて、前代未聞すぎる。
世継ぎの男子がいなければ別だが、基本男子相続される。この公主が固辞するのも、当然とも言える。
「どうか、公主さま。われらの主とお成りくださいませ。主となり、この国を善き方へとお導きください」
その場にいたすべての者が、拱手で公主に願う。それは、九曜の仲間も同じで。ナマイキな計都ですら、神妙な面持ちで拱手で公主を敬う。
「――承知、した」
軽く瞑目し、それから真っすぐ揺るぎない声で決意を表した公主。
「浅学菲才な身なれど。父帝のご遺志、継がせていただこう。これを天命として帝位に就く」
「ははっ」
そろって下げられていた首が、さらに深く下げられる。
感動的な場面? なんだけど。
「――ってことで、元皇帝さんよ。アンタには刑罰が与えられることになるんだが」
いち早く拱手を解いて立ち上がった螢惑。
そばにいた皇帝に、再び意地の悪い笑み。
「笞、杖、徒、流、死。どれがいい? 選ばせてやるよ」
なんだその、最悪な選択肢は。
「肉刑も捨てがたいが……。皇帝僭称、皇帝暗殺未遂ってことで、死罪がふさわしいんだろうけどな。俺のお勧めは杖だな。肉が裂けるまで叩いてやるよ」
待て待て待て。
「巨漢のお前が打ったら、死んでしまうぞ」
常識人? 歳星が止めにかかる。
「死んだ方がマシってぐらいに打つんだよ」
それが面白い。螢惑がうれしそうに目を輝かせる。
「んでもって、絶対死なせねえ。絶妙な所でやめておく。まあ、肉が裂けて骨が見える程度だな」
「で、肉が戻ったらまた打つんだろ?」
計都が混ぜっ返すと、ニシシと笑って応じた螢惑。
こいつら、やっぱ普通じゃねえな。
「お前ら、今は皇帝陛下の御前だぞ。そういうのは他所でやれ」
嗜虐極まってる二人を、鎮星がたしなめるが。
(否定はしないんだな)
傷の痛みと安堵で。薄れていく意識のなか、そんなことを思った。




