巻の二、敵に沿わす
「なんだ。これぐらいで、音を上げるのか? 情けないな」
フヒー、フヒー、フヒー。
「使える男というのは、誇大評価だったか。太監も見る目がないな」
な、なんだとっ⁉
ヒイヒイゼイゼイ。
燭台の灯りに照らされた公主の顔を睨みつける。
こんなに。こんなに夜遅くになっても、公主の顔は、端麗なまま。疲れの一つも見えやしない。
(なにがっ、「使える男」だっ!)
俺を紹介した太監と公主の会話。
俺を使えるか訊いた公主。使えると太鼓判を押した太監。
後宮には男はいない。後宮では女の欲を発散させることができない。
だから「使える」かどうか尋ねた。だから「使える」と推した。
男として「使えない」はずの宦官が、「使える」のは驚かれるだろうが。それを所望する淫乱貪欲な公主なんだと思ったのだが。
「使える」違い。
俺に「来い」と命じて、自室に戻った公主。
昼間っから。早速男の試し食いか?
それならそれで応じてやるだけだ。
そう思った俺と違って、公主は寝台ではなく、大きな卓へと向かった。
およそ公主の部屋に相応しくないほど大きな、どっしりとした存在感ある卓。
その上には、溶け落ちた短い蝋燭の立つ燭台と、山積みになった書、竹簡。
「では、さっそくだが、そこの奏上書の要件をまとめてくれ」
ドカッと椅子に座った公主。命じるなり、手近にあった竹簡をジャラッと広げ読み始める。
(って、――え?)
「こ、公主さま?」
「なんだ?」
「あの。これは、いったい……」
何が起きているんだ?
俺は、そこの寝台で、男として使えるかどうか試されるんじゃないのか?
そのために呼ばれた。一刻も早く試すために、途中で簪とかポイポイ投げ捨ててたんじゃないのか?
「お前、書も読めない、使えない奴だったのか?」
「いえ、書は、読めますが……」
細作として。
何者かになりすまして潜入するためにも。一応の教養として書ぐらい読めるように訓練している。書を読むのはもちろん、即興で詩作をすることだってできる。
「だったら、その礼部から上がってきた奏上を要約してくれ。あそこの奏上は、言葉に装飾が多すぎて、的を得ない」
簪を外し、背中一面に広がった髪を、器用に一つにまとめ上げながら公主が言う。
「紙と墨ならそこにある。好きに使ってくれて構わないぞ」
いや、そういうことを言ってるのではなく。
「あの、なぜ、ここに奏上書が?」
ザッと見た限り、卓の上にあるのは、礼部からの奏上書だけじゃない。稟議書、嘆願書。形は違えど、九寺五監、あらゆる部署からの書がうず高く積み上げられている。
中には、丞相、禁軍からのってヤツもあるようで。
「みなが持ってくるのだ」
「――は?」
なぜ?
そういうのは、皇帝のもとに持っていくもんじゃねえのか?
政に、それほど精通しているわけじゃないが、こういうのを決裁するのは、皇帝か、丞相なんか、地位の高い男の仕事なんじゃねえの?
「お前、何も知らずにここに入ったのか?」
「申し訳ありません」
アンタを堕とす。
それしか知らされてません。
それ以外の情報は、下手に何か知ると情が湧いて、仕事の妨げになるから、あえて素人しなかった。仕事の依頼主も、そこまで詳しく教えると厄介と、詳しい説明を避けていた。
「吾の弟が皇帝だということは知っているな?」
「はい。公主さまが今上帝の御姉君だということは存じております」
たしか、五つ違いの弟皇帝。今年で十七だったか十八だったか。
「両親が相次ぎ亡くなって。あの子は七年前、十歳の時に即位した」
それは知っている。
先帝は、この公主たちの母親、皇后を深く愛していて。皇后の死に打ちのめされ、その数が月後に亡くなった。
抱いた女が死んだぐらいで。情けない。女なら、他にもたくさんいるだろ。
当時の俺の所感。
「吾は、亡き父上から弟の後見を任されていてな。今もこうして吾のもとに書が集う」
なるほど。
弟皇帝の後見人だから。弟皇帝に代わって政を取り仕切る立場だから。
だから、まるで大臣か宰相の部屋のように、書が集まると。
「集まる」と言った言葉で済ませてよい量じゃない。集まりすぎている。
「吾が太監に求めたのは、書を読み、要約できる者だったのだが」
「ええっ!?」
「女官たちでは、書を読めてもそれ以上のことはできぬからな」
そりゃあそうでしょうよ。
女官ってのは、後宮の妃嬪や公主の身の回りの世話をするためにいるのであって。皇帝の寵愛を得るためにいるのであって。
奏上書の要約なんて仕事は、女官の管轄外だと思う。
(それで、新しい宦官を求めてたのかよ)
己の性欲を満たすためじゃなく。仕事のできる宦官を求めていた。
「使える」は、男として使えるのではなく、己の侍従として「使える」かどうかだったと。
「どうする? 荷の重い仕事なら、他の者を推挙するように申し伝えるが」
「いえ。愚才でよろしければ、是非、お手伝いさせてください」
驚いたからって、辞めさせられてたまるか。
俺は、アンタを堕とすという密命を受けている。
実際が違ったからって、はいそうですかと引き下がれるかってんだ。
「愚才は、公主殿下のために、非凡非才な身ではありますが、全力尽くしたい、そう思っております」
ニコリ。
どうだ!
想像と違ったからって、仕事をあきらめたりしないんだぜ。
甘く柔らかい笑みと、揺るぎない真摯な忠誠。
見た目の佳い男にかしずかれて、悪い気になる女はいない。
今だって、公主は忠義に厚い俺を見て、見惚れて――
「なら、早くそれを要約しておいてくれ」
軽く鼻から息を吐きだして、手元の竹簡に目を移した公主。
(あ、このヤロ、俺様を無視したな?)
そっちがその気なら、こっちもそれに倣って作戦変更。
政だの、商いだの。
女の身でそういうものに熱心なヤツは、その道で大成している男と同じで、性欲も激しいと聞く。男と同じだけのことができるということは、男と同じだけの性欲を持っているということ。
なら、今こうして俺になびかなくても、その身の内に性欲は発露を求めて渦巻いているはず。真面目な男が仕事の合間に自慰に走るように、女だってそういうのを求めている。
ならば。
男の色香でダメなら、忠義に厚い男で堕とす!
淫乱でなかったことに驚きはしたが、それならそれで別の方法で堕としてみせる。
仕事の補佐をすることで、この公主の信頼を勝ち得て、それから「ずっとお慕いしておりました」とかなんとかで、雄の目で真摯に訴える。信頼している男の熱意ある告白なら、女だって無碍にはすまい。
(やってやろうじゃねえか)
いつもと違う方法だが、できないわけじゃない。
女を自分に合わせるんじゃない。自分が女に合わせる。
淫蕩な女には、放埓な男に。身持ちの堅い女には、信頼できる堅実な男に。
相手の好む男になる。なりすます。
まぐわいと同じだ。
自分の剛直なイチモツ沿うように、女の穴を作り変えるという男がいるが、あれはただの傲慢でしかない。女が一番喜ぶのは、女の気持ちいいところを的確に突き上げる男だ。女の良いところを的確に突いてこそ、女は享楽に溺れる。その男から抜け出せなくなるほど溺れるようになる。
(見てろよ、公主)
お前を絶対、何が何でも俺に溺れさせてやる!




