巻の一、任務
――女を篭絡してほしい。
俺に来た依頼。
とある女を誑かし、女を俺に夢中にさせる。俺ナシじゃ生きられないほど惚れさせる。
よくある。よくある依頼だ。
殺しよりマシか。
殺しは、その手法、片付けなど面倒が多いが、篭絡させるぐらいならわけなく行える。
(かわいそうな女)
ぐらいの感想しかない。
女を篭絡させる。
そういうのは、妻の不貞を理由に離婚したい夫などから依頼されることが多い。身持ちの堅い嫁のまま離婚すると、世間体が悪い。
だからわざと俺を使って、不貞な妻を仕立て上げる。夫は妻を愛していたのに、妻が男に走った。だから離婚を選んだ。
最悪だとは思うが、それも仕事だ。
上から依頼だ、仕事だと命じられれば、よぎった感想すら捨てて、女を惚れさせ堕落させることだけを考える。
――仕事は簡単だ。
ん? 簡単?
バカ言っちゃいけねえ。身持ち硬く貞淑な女を篭絡させるには、それなりの手練手管が必要なんだぞ?
――その女は、元々堕落しているからな。
じゃあ、俺は必要ないんじゃね?
堕落している女なら、それを理由に離婚すればいいじゃん。
俺の出番なし。
――決定的な証拠が欲しい。
なるほど?
理解できるようなできないような。
――お前が骨抜きにして、不貞の証拠を露見させてほしい。
なるほど。
俺とその女の不貞の現場に夫が現れて……とか、修羅場を演じたい。そういうことか。
他の間男でもよさそうだが、下手に間男に地位とかあると面倒だしってことでの依頼か。
で。その罠に嵌められる女は誰なんだよ。どこにいるんだよ。
――後宮にいる。
官女か? 後宮にいるなら、後宮で働いてる官女?
――瑶佳公主だ。
よっ、瑶佳公主っ⁉
瑶佳公主って言ったら、今の皇帝の実姉で! 今年で確か二十だったか二十一だったかの行き遅れで!
後宮奥深くで暮らしてるっていう、公主さまかよ!
いくらなんでも。
そんな身分の高い女を、俺に篭絡せよと?
――できぬのか?
できる、できないの話じゃない。
相手がデカすぎる。そして、後宮という男子禁制の場所だぞ?
市井の夫人を篭絡するのとはわけが違うぞ?
――お前には新しい宦官として、後宮に入ってもらう。そこで公主に近づき、篭絡させてほしい。
依頼に「否」はない。
無理だ。出来ない。
などと言えば、それで俺の命は終わりになる。
依頼内容を知っている俺が、うっかり口を滑らせたりしたら。その危険を避けるために、聞いてしまった以上、俺は「否」を唱えられない。
唱えたら、その時点で俺は殺される。まあ、素直に殺されるつもりはないが。
――公主は、夜な夜な男を己の宮に侍らせている。それも複数。
うわ。
ーー夜が白むまで男を離さず。朝も起きられずって話だ。
うげげ。
――そんな公主を篭絡させるなど、お前ならわけないと思うが?
そりゃあ、そうだが。
身持ちの堅い女を篭絡させるより、すでに堕落している女を落とすほうが楽。
堅い女の股を開かせるのも、それなりにやりがいがあるが、開き切った女の股は、仕事が楽でいい。
その仕事、乗った!
内容を聞いてしまっている以上、乗るしかないのだが、それでも「乗る」と意思表明。
後宮という、女だけの空間ってのもおもしれえし。堕落した女ってのも、それも公主さまってのもおもしろそうだ。
――公主が堕落しているという、確たる証拠がほしい。
声は言う。
――公主がお前一人に依存するように仕向けてくれ。
わかった。
公主の不貞を「誰が」「どうして」暴きたいのか知らないが。
他の男たちを巻き込むことだけは避けたいという意向なのだろう。
公主と不貞を働いたとなれば、相手の男は処刑される。だが俺なら、公主とともに連座で捕まっても、処刑の前に逃げることぐらいできる。
(公主かあ……)
いろいろとおもしろそうじゃん。
身持ち硬く正道を行く女を堕落させるのは、少し気が引けるところもあるが、元々堕落していれば、気に病むこともない。
散々啼かせて喘がせて。理性を失くすほど、俺がいなけりゃ日も夜も明けないぐらい、俺の虜にしてやる。
(おかわいそうになあ、公主さま)
でも、普段から男を複数咥えこんでるなら、問題ないだろ。むしろ俺に抱かれて満足できるんじゃね?
今までそうして堕としてきた女は、夫や家族に露見したことよりも、露見したことで俺と離れることを嫌がる。性に依存するようになり、狂ったように俺を求めて亡き縋る。
俺ナシじゃ生きられない。
後宮で、嫁ぐことなく枯れていくしかない公主さま。俺みたいな男相手でも、最後に女の喜びを味わえたなら本望じゃねえか?
誰に狙われ、そんな罠に落ちるのか知らねえけど。
(悪く思わないでくれ、公主さま)
これも、仕事なんだよ。
*
「崔 蒼月と申します」
宦官になりすました俺は、早速、公主にお目通りが叶った。
依頼主が、そのあたりの差配も行ったのだろう。後宮を預かる太監は、特に何も言わずに俺を公主のいる宮、黒曜宮に連れて行った。
「お前が、新しい宦官か」
「はい。この蒼月、この身をもって、誠心誠意公主さまにお仕えさせていただきます」
壇上に座る公主。
それまで顔を見せないようにとっていた拱手を下げ、少し緊張を含んだ笑みを公主に見せる。
すると、俺の脇に並んでいた官女たちから「ほぅ」と色めく声が上がった。
俺に見惚れている。
官女たちを見なくても、その視線に含まれる意味ぐらいわかっている。
若く美麗な宦官。
自分で言うことではないが、自分の容姿が女から惚れられるに値するものだということは理解している。
この顔も、この身体も、この声も、この仕草も。
すべてが、俺の武器だ。
拱手で顔を隠し、それから顔を晒す。緊張した面持ちと、そこから生まれる笑み。
あとは――
「どうした、崔?」
「いえ。公主さまがあまりにお美しくて。愚才、身もわきまえず見惚れてしまいました。お許しください」
再び拱手。
見惚れた――は演技。
綺麗な女だな。それぐらいの所感は持ったが、それだけ。
獰猛な獣が獲物を「旨そうだ」と思っても、それ以上何も思わないのと同じ。
どれだけつややかな黒髪だろうと、ぬけるように白くきめの細かい肌だろうと。赤く潤った唇も、抱けば折れそうな腰も。
すべてが獲物としての評価で。男として魅入られる部分は一つもない。
「太監。この者は使えるのだろうな」
公主が俺の隣にいる太監に尋ねる。
使える? それは男としてか?
男子禁制の後宮。そこに従事する者は、妃や女官との不義密通が起きないように男性機能を切り落とし、去勢した、男であって男でない宦官が用いられる。
俺をここに連れてきた太監。中年の域にあるこの男も、つるりとした髭のない肌、女のような高い声と、宦官の特徴を備えている。
後宮に入る男は、皇宮と女として結婚し奉仕するという「婚書」を記し、去勢されている証として、自ら切り落とした男性器を「宝」として提出する慣わしになっているが。
まあ、そこは蛇の道は蛇――である。
婚書なんていくらでも書けるし、宝だって偽造できる。
後宮三千人。皇帝ただ一人に寵愛されるように集められた女たち。うまく皇帝に愛されればいいが、そうでなければ、欲求だけがつのる寂しい閨を囲うことになる。
多くは、張り子を使って、または男ではない宦官に慰めてもらって欲を発散させるが、時折、それで我慢できない女のために「男として使える」宦官が用意される。
この場合、俺がその「使える」宦官、ということになる。
(やはり、淫乱か)
わずがだが、身を前に乗り出させた公主。
太監が「はい」と答えると、満足そうに鼻息を荒くしたのを見逃さない。
この公主、性は淫乱、欲はとどまるところを知らない貪欲。
(二十すぎても嫁ぎもせずにいたら、こうなるのか)
欲を持て余し、日々男と閨を楽しむように。
どれだけ公主らしく美しく着飾っても、その中身は市井の女と変わらない。
普通なら、嫁して子の二人ぐらいいてもおかしくない年ごろ。子を産めば少しは性欲も落ちるものを、それを許されない立場だから、欲を持て余す。
(哀れだな)
宦官は、去勢されても男としての欲が残るという。
ならば、去勢もされず嫁ぎもせず、後宮の奥で腐っていくしかない女は、どれほどの欲を持て余しているのだろう。
「――ならば、吾についてこい」
壇上の椅子から立ち上がった公主。
驚く間もなく、スタスタと歩き、俺の隣を通り過ぎる。
(早速かよ)
どれだけ欲求不満なんだ。まだ真っ昼間だぞ?
「お、お待ちください、公主さま!」
先に回廊に出た公主を追いかける。ついでに、公主がポイポイ捨てていく、簪、団扇、領巾。それらを拾いながら後をついて行く。
脱ぐ気満々。やる気満々。
(そんなに我慢がならないのかよ)
さすがに落としやすすぎるだろ。
どれだけ盛ってるんだよ。どれだけ欲求不満なんだよ。
驚きついて行くのは俺だけで、太監も侍女も後を追ってこない。つまり、奴らにとってこれが日常ってことだ。
(爛れてるな)
そんなにやりたきゃ、俺が満足させてやるよ。
明日の朝には、俺を手離せなるぐらい、俺以外の男なんて必要なくなるぐらい、俺にドップリ溺れさせてみせる。
声が嗄れて、足が立たなくなる覚悟、しておけよ?




