第3話 探しものは何ですか
王都からの馬車が着いたのは、初雪の前の日だった。
降りてきたのは二人。若い司書のトマスと、毛皮の外套を着たヴァルター館長だった。
「エリオ・ベルン」
館長は図書館の中を見回し、隠しもせずに顔をしかめた。
「戻れ。給金は前の倍にしてやる」
カウンターの向こうで、ミアさんが息をのむのがわかった。
「何があったんですか」
「何も。少し、蔵書の整理に手が要るだけだ」
館長の後ろで、トマスがうつむいた。
「……結界の更新に必要な魔導書が、七冊とも見つからないんです。更新まで、あと十日しかなくて。魔導師団は、王宮の書庫も全部ひっくり返しました」
「トマス、余計なことを言うな」
僕は館長を見た。
「引き継ぎ書は、読まれましたか」
館長は答えなかった。代わりに、トマスが小さな声で言った。
「館長が……先週、焼却炉に」
「誰でもできる仕事の引き継ぎなど、読む価値はないと思っただけだ」
館長は顎を上げた。
「だが、おまえの頭には全部入っているのだろう。だから迎えに来てやった。光栄に思え」
図書館の中が静まり返った。閲覧席にいた老婦人が、読みかけの本から顔を上げている。
僕はカウンターの引き出しから紙を取り出し、ペンを取った。
『園芸の棚 上から三段目 左から十一冊目 「庭園の手入れ」(青い革装・背に染みあり)』
「防壁術式は、この本です。偽の題名がついています」
続けて六枚の紙に、それぞれ別の書名と棚の位置を書いた。
『子守歌集』。
『王都水路改修記録』。
『古代王国の食卓』。
魔導書というものは、本当に紛らわしい題名がついている。
七枚の紙を、トマスに渡した。
「これで全部です。もし棚の位置が変わっていたら、装丁や著者名で探してください」
トマスの目が大きくなった。
「……いいんですか」
「結界がなくなって困るのは、この町の人も同じですから」
館長が紙をひったくり、読んで、それから僕を見た。
「よし。ならば話は早い。すぐに支度をしろ」
「戻りません」
館長の手が止まった。
「何だと」
「ここで働きます。お断りします」
「目録係ごときが、王立図書館の誘いを断るのか」
ごとき。
七年間、僕もそう思っていた。誰でもできる仕事。魔導師になれなかった者の、ごとき仕事。
「……その人は、ごときじゃありません」
声がしたのは、カウンターの横だった。ミアさんが両手を握りしめて、館長の前に立っていた。
「エリオさんは、この町で、人の命を助けました。本を開いて、何が書いてあるかを、ちゃんと読んで。それは、あなたが焼いた引き継ぎ書と、同じことです」
扉が開いた。鍛冶屋の主人が、修理の済んだ書架の部品を担いで入ってきて、場の空気に眉を上げた。
「何だ、取り込み中か」
館長は鍛冶屋を見て、ミアさんを見て、それから僕を見た。
「……後悔するぞ」
「かもしれません」
僕は少し考えてから、続けた。
「でも、ここでは、何を探しているのか聞いてもらえるんです。僕も、ここに来てから聞かれました。それは、誰にでもできることじゃないって」
館長の頬が引きつった。
「ふざけるな……!」
突然、館長が外套の内側から短い杖を引き抜いた。
杖の先に、赤い光が灯る。
「館長!」
トマスが叫んだ。
「貴様のような落第者が、この私に逆らうのか!」
赤い光が膨れ上がった。
まずい。
攻撃魔法だ。
しかも、こんな狭いところで放てば、書架が燃えてしまう。
僕は咄嗟に、ミアさんを背中にかばった。
視界の端に、古い本があった。『北辺の遺跡と失われた術式』。先日、雨漏りのあった書架から移した本だ。
ああ、そうだ。
たしか、あの本の第六章に書いてあった。
僕は右手を上げた。
「『古式結界術・第七変形』」
術式の構造を、頭の中で組み立てる。
周囲の魔力を導く線。結界を支える支点。内部の人間と書物を傷つけず、外側からの攻撃を遮断するための条件。
複雑ではあるけれど、本文にはちゃんと説明があった。
最後の一節を、口にした。
「――展開」
図書館の床が、青白く輝いた。
無数の文字が光となって浮かび上がり、壁を這い、天井を駆け上がっていく。
館長の杖から放たれた火球は、僕たちの目の前で止まった。
正確には、透明な壁に衝突していた。
火球がひしゃげ、砕け、細かな火花となって消える。
その瞬間、図書館の窓という窓から光があふれた。
青白い結界は建物の外へ広がり、坂を下り、町の広場を越え、リンデの町全体を包み込んだ。
鐘楼の上で、光の膜が静かに揺れている。
僕は杖を持った館長の手元を見た。
「危ないですよ。こんなところで攻撃魔法を使ったら」
館長は答えなかった。
口を開いたまま、天井を見上げている。
「ば……馬鹿な……」
トマスが膝をついた。
「町全体を覆う結界……? そんな……大規模術式を、詠唱もなしに……」
「詠唱はしましたよ」
僕は少し困った。
「短縮形ですけど」
「短縮形!? その術式は、魔導師団でも解析が終わっていないはずです!」
「そうなんですか?」
「そもそも、あなたは魔導師の資格を持っていないんでしょう!」
「はい。魔力量が足りなかったので」
トマスは頭を抱えた。
「だったら、どうやってあんな魔法を……!」
僕はますます困ってしまった。
「古式結界術は、術者自身の魔力を使わないんです。周囲の魔力を集めて、術式に流す仕組みなので」
「そんなことは知っています! でも、術式の構造を理解して、正確に起動すること自体が難しいんです!」
そうなのだろうか。
僕は首を傾げた。
「でも、本に書いてあることなら、皆さんも読めば同じことができますよね?」
誰も答えなかった。
「……え?」
ミアさんまで、呆然としている。
「普通は……できないんですか?」
「できませんよ!!」
トマスとミアさんの声が重なった。
館長は、ずるずるとその場に座り込んだ。
握っていた杖が床に転がり、乾いた音を立てる。
鍛冶屋の主人が、ぼそりと言った。
「……とんでもない司書が来たもんだ」
僕は何と答えればいいかわからなかった。
そういえば、学院の先生は、理論だけでは魔導師になれないと言っていた。
でも、理論をきちんと理解すれば、使える魔法もあったらしい。
七年間、目録室で本を読んでいた。
その間、僕はずっと、自分には何の取り柄もないと思っていた。
……どうやら、少し違ったのかもしれない。
僕は町を覆う結界を見上げた。
そろそろ解除しないと、あとで困る人が出るかもしれない。
「それより、トマスさん。王都の結界の方が大事ですよ。急いでください」
トマスは、はっとして立ち上がった。
「は、はい!」
館長はまだ床に座り込んでいたが、トマスが腕を貸して連れ出した。
館長は最後まで、僕の顔を見なかった。
防壁術式の写本を含む七冊の魔導書は、期限の三日前に見つかった。
王都の結界は無事に更新され、リンデの町を覆っていた光も、その日のうちに消した。
春になって、トマスから手紙が届いた。
ヴァルター館長は結界の件とリンデでの魔法による暴行未遂について責任を問われ、館長の職を解かれたこと。新しい館長のもとで、自分が目録係になったこと。
『索引の作り方を、教えていただけませんか。題名ではなく中身で引く、というのが、まだよくわかりません』
手紙の最後には、そう書いてあった。
追伸もあった。
『それから、古式結界術の件です。宮廷魔導師団から正式に指導を依頼したいとの連絡が来ています。どうかご検討ください』
僕は返事を書くために、新しい紙を出した。
まず、索引の作り方から説明しよう。
魔法の方は、あとで考えることにした。




