第42話 生き残った者たち
【ローレンス・ミュラー】
ローレンス・ミュラーは、トゥーゲンフルス帝国末期に活動した灰鷹隊の初期隊士であり、後年、灰鷹隊の実像を伝える上で最も重要な証言者となった人物である。
グラウフェルト出身。父を早くに亡くし、母と弟妹を支える家の長男として育った。少年期のローレンスについては、ロビン・フォン・バーゼル、レイバー・ツィンマー、リッカらと共に遊んだ「灰の野の悪童たち」の一人として語られることが多い。
ただし、同じ幼馴染であっても、彼はレイバーのような強い指導力を持っていたわけではなく、リッカのような武芸の才を示したわけでもなかった。後年の本人の回想によれば、若い頃の彼はむしろ優柔不断で、周囲の勢いに流されやすい性格であったという。
帝都へ出る際にも、彼は家族を置いて行くことに強い罪悪感を抱いていた。母一人で弟妹を育てる家の長男であった彼にとって、騎士を目指して帝都へ向かうことは夢であると同時に、家族を見捨てるような行為でもあった。
しかし、母は彼を送り出した。
この夜の母子の会話は、後のローレンスの回想録において、灰鷹隊以前の最も私的な記憶の一つとして記されている。母は「親が一人であることを理由に、お前の未来を摘みたくない」と語ったとされる。この言葉は、ローレンスの人生を長く支えた。
帝都に出た後、ローレンスは灰鷹隊において主に兵站、会計、救護を担当した。帳簿をつけ、仕送りを続け、負傷者の手当てをし、必要なら商人や役人と交渉した。派手な武功は少ないが、灰鷹隊が町道場の若者集団から公式部隊へ成長する過程で、彼の実務能力は欠かせないものだった。
特に救護における姿勢は、同時代証言に多く残る。彼は敵味方を問わず、動けない者を「今は動けない人です」と呼んで手当てしたという逸話がある。この性格は、後のヴァーレンハーフェン市街戦においても変わらなかった。
第三次チェシー侵攻戦の際、ローレンスは灰鷹隊と共にヴァーレンハーフェンで戦った。市街戦では、負傷者の収容、食料と水の分配、避難民の整理に奔走し、多くの証言で「市場の屋根下にいた優しい灰鷹」として記憶されている。
しかし、帝都陥落の報がもたらされ、北部公爵軍が撤退を決めた後、彼の役割は大きく変わる。
ヴァーレンハーフェン脱出後、北へ撤退する本隊は急速に消耗した。街道は革命派の検問によって封鎖され、森や農道を迂回せざるを得なかった。物資は乏しく、負傷者は増え、逃亡者や落伍者も相次いだ。
この過酷な撤退の途中、帝都から逃れてきたエレオノーラ・フォンヴァルトと灰鷹隊残留組が本隊に合流した。そこでロビンは、エレオノーラと胎内の子を本隊から離脱させ、少数で北へ逃がす決断を下す。
その護衛に選ばれたのが、ローレンスであった。
本人は最後まで灰鷹隊本隊に同行することを望んだとされる。ローレンスは後年、この時のことを「行きたくなかった」とはっきり記している。彼は仲間を見捨てたくなかった。グラウフェルトへ、北部要塞へ、最後まで皆と行きたかった。
しかし、ロビンは彼に命じた。
お前には守るべき家族がいる。
そして今は、私の家族も守ってくれ。
この命令によって、ローレンスは灰鷹隊本隊を離脱する。同行したのは、エレオノーラ、侍女ミラ、そして胎内の子であった。
その後、彼らがどの経路をたどったかは、長く明らかにされなかった。ローレンスは生涯、エレオノーラをどこへ逃がしたのかを公には語らなかった。革命政府の追及を避けるためであり、またエレオノーラとその子の安全を守るためであったと考えられている。
ローレンスは生き残った。
この事実は、彼にとって救いであると同時に、生涯の重荷となった。
灰鷹隊の主だった者たちが次々と戦死、消息不明、あるいは汚名を着せられていく中で、彼だけが長く生きた。レイバーやリッカ、ロビンたちと最後まで同行しなかったことを、彼は生涯悔いたとされる。
だが、ローレンスが生き残ったことによって、灰鷹隊の名は完全には失われなかった。
帝国崩壊後、灰鷹隊は旧体制側の治安部隊として長く悪名を背負った。革命政府の初期記録では、彼らは「帝都民衆を弾圧した貴族私兵」として扱われた。帝都巡衛隊第三分隊としての治安維持活動や、下町での義侠的行動、撤退戦における民間人保護などは、ほとんど顧みられなかった。
状況が変わるのは、革命政府が安定し、かつての熱狂が歴史として距離を置かれるようになってからである。
老年のローレンスは、自らが灰鷹隊の生き残りであることを明かした。そして、隊の記録、死者の名、戦場で見たこと、帝都下町の証言、エレオノーラ救出の経緯を少しずつ世に出した。
特に重要なのは、リオン・フォン・アルトベルクの名誉回復である。
リオンは長く、ヴァーレンハーフェン撤退時に隊を離脱した裏切り者、あるいは帝都で公爵令嬢を襲おうとした旧貴族として記録されていた。しかしローレンスは、自らの証言と下町の口伝をもとに、リオンが実際にはエレオノーラを救うために帝都へ戻り、通用口で自ら残って追手を食い止めたことを明らかにした。
ローレンスの証言がなければ、リオンは汚名を着せられたまま歴史に残っていた可能性が高い。
また、オスカー・フォン・ヴァルトの最期、ヴァーレンハーフェン市街戦における負傷兵たちの証言、灰鷹隊の下町での活動、そしてロビン・フォン・バーゼルの人物像についても、ローレンスの回想録は重要な資料となっている。
もっとも、ローレンス自身は、自分を英雄とは考えていなかった。
晩年の彼は、たびたび次のように語ったとされる。
「僕は英雄ではなかった。ただ、命令されて生き残っただけだ。けれど、生き残った者には、死んだ者の名を間違えさせない責任がある」
彼の残した記録は、後世の灰鷹隊研究において不可欠な基礎資料となった。
同時に、それは生き残った者の苦しみの記録でもある。
ローレンス・ミュラーは、戦場から離れたことで命を得た。
そして、その命を、仲間たちの名を呼び続けるために使った。
◇
【エレオノーラ・フォン・バーゼル】
エレオノーラ・フォン・バーゼルは、トゥーゲンフルス帝国末期の北部公爵家三女であり、ロビン・フォン・バーゼルの妻である。旧姓はフォンヴァルト。帝都動乱と第三次チェシー侵攻戦の混乱の中で消息を絶ち、長く生死不明とされた人物でもある。
フォンヴァルト公爵家は皇族の傍流にあたる名門であり、エレオノーラもまた高貴な血筋の令嬢として生まれた。しかし、彼女の名が広く知られるようになったのは、帝都で活動していた灰鷹隊の隊長ロビン・フォン・バーゼルとの婚姻によってである。
二人の出会いは、後世において多くの逸話を生んだ。
帝都の下町で、お忍びのエレオノーラが流行のマヨネーズサンドを買い、偶然ロビンと出会ったという話は、半ば伝説化している。実際の記録においても、当時チェシー発祥の卵料理が帝都下町で流行していたことは確認されており、この逸話が完全な創作ではない可能性は高い。
その後、彼女は誘拐事件に巻き込まれ、灰鷹隊によって救出された。この事件はロビンとエレオノーラの関係を決定づけたとされる。一方で、事件後の噂により彼女の婚姻市場における立場が悪化したことも指摘されている。
ロビンとの婚姻は、恋愛であると同時に政治的判断でもあった。
バーゼル家再興に公爵家の血を入れること。
戦功ある若者をフォンヴァルト家臣団に取り込むこと。
度重なる戦争で不足しつつあった貴族家を再編すること。
これらの事情が重なった結果、ロビン・フォン・バーゼルとエレオノーラ・フォンヴァルトの婚姻は成立した。
ただし、エレオノーラ自身がロビンを深く愛していたことは、複数の書簡や後年の証言から疑いない。
第三次チェシー侵攻戦の直前、彼女は妊娠していたとされる。ロビンが出陣した時点で、胎児の存在は夫婦とごく一部の側近のみが知っていた可能性が高い。
帝都で革命が発生した際、エレオノーラはフォンヴァルト邸にいた。貴族街は封鎖され、宮城は陥落し、灰鷹隊本部も襲撃された。彼女は残留灰鷹隊士に守られていたが、状況は急速に悪化していた。
この時、リオン・フォン・アルトベルクが単身帝都へ潜入し、エレオノーラ救出に成功する。
エレオノーラは、灰鷹隊残留組および下町の協力者に助けられ、貴族街から脱出した。その際、リオンは追手を食い止めるため通用口の内側に残り、後に死亡した。エレオノーラは生涯、この時のことを公に語らなかったが、死後に見つかった遺書の中で「扉を閉じた人」への感謝を記している。
帝都脱出後、彼女は北へ撤退中のロビンたちと一時合流した。
この再会は、灰鷹隊関係の伝承において最もよく知られた場面の一つである。雪の中、灰色の外套をまとったエレオノーラがロビンの前に現れ、二人が束の間の再会を果たしたとされる。
しかし、彼女は本隊に同行しなかった。
北部公爵アルブレヒトは、娘を本隊から離脱させる決断を下した。街道は危険であったが、百名近い敗残兵と共に森を進むより、少数の避難民に紛れて進む方が生存の可能性が高いと判断されたためである。
この判断は父としては酷であり、領主としては合理的であった。
エレオノーラはロビンと再会を誓い、ローレンス・ミュラー、侍女ミラと共に本隊を離れた。この時、彼女の胎内にはロビンの子がいた。
その後の足取りは、長らく不明であった。
革命政府の記録では、エレオノーラは「帝都動乱において死亡、または逃亡」とされている。国外へ脱出したという説、革命派に捕らえられたという説、北部公爵軍と共に戦死したという説も存在した。
しかし、後年になって、グラウフェルト近郊の山中で暮らしていた一人の女性が、エレオノーラ本人であった可能性が高いことが明らかになる。
彼女は生前、自らの過去を語らなかった。
山中の小さな家で、身分を隠し、静かに暮らしていた。地元では「灰色の奥方」と呼ばれていたという。灰色の外套を長く身につけていたためとも、あるいは灰の降る土地にひっそりと住んでいたためとも言われる。
彼女は一人の子を産み、育てた。
その子がロビン・フォン・バーゼルの血を引いていたかどうかについて、長く確証はなかった。ただし、後に発見された遺書と、家に残されていた古い品々によって、エレオノーラとロビンの子であった可能性は極めて高いとされる。
エレオノーラは晩年まで、ロビンについて公には何も語らなかった。
ロビンと再会したのか。
ロビンが生き延びたのか。
それとも、彼女は再会を果たせぬまま山中で子を育てたのか。
この点について、確実な記録は存在しない。
彼女の死後、遺書が見つかった。
そこには、自らがエレオノーラ・フォン・バーゼルであること、ロビン・フォン・バーゼルの妻であったこと、リオンに命を救われたこと、ローレンスとミラに守られて北へ逃れたこと、父アルブレヒトを恨んではいなかったことが記されていた。
遺書の末尾には、次の一文がある。
「私は、あの雪の日に別れた人を、最後まで夫と呼んだ」
この一文が、ロビンとの再会を否定するものなのか、あるいは再会後もなお雪の日の別れを人生の中心として記したものなのかについては、研究者の間でも意見が分かれている。
また、彼女の遺品の中には、小さな布片があったとされる。
灰色に汚れ、古く擦り切れた布で、後年の地元伝承では「灰鷹隊の古い旗の一部」と呼ばれている。ただし、現存しておらず、実物による確認はできない。
グラウフェルト山中には、現在も「灰色の奥方の墓」と呼ばれる小さな墓が残る。
そこに刻まれている名は、エレオノーラではない。
彼女が隠居生活で用いた偽名である。
しかし、地元では古くから、その墓に眠る女性をロビン・フォン・バーゼルの妻と伝えてきた。
歴史学上はなお慎重な扱いが必要とされるが、ローレンス・ミュラーの証言、エレオノーラの遺書、グラウフェルト地方の伝承は、おおむね同じ方向を指している。
エレオノーラ・フォン・バーゼルは、帝国の崩壊と共に歴史の表舞台から消えた。
だが彼女は、死んだのではなかった。
灰の降る故郷の山中で、名を隠し、過去を語らず、ただ一つの命を守り続けた。
それもまた、灰鷹隊が残したものの一つであった。




