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第40話 リオン・フォン・アルトベルク



 扉が閉まった。


 閂を落とす音が、狭い通路に響いた。


 リオンはその音を聞き、自分の手がまだ震えていないことを確かめた。


 不思議なものだった。


 ヴァーレンハーフェンで紋章を捨てた時、指は震えた。


 灰青色の首布を外した時、息が詰まった。


 帝都の門をくぐった時、何度も足が止まりそうになった。


 それなのに、今、自分の後ろでエレオノーラたちを逃がす扉を閉じた時、手は震えなかった。


 もう迷う余地がなかったからだろう。


 狭い通用路の向こうから、エレオノーラの声が聞こえた。


 リオン。


 開けなさい。


 生きて。


 その声を聞いて、胸の奥が少し痛んだ。


 生きて。


 それは簡単な願いで、最も難しい願いだった。


 彼女の声は遠ざかっていく。


 ヘルマンが連れて行ったのだろう。


 よかった。


 少なくとも、あの男は判断を誤らなかった。


 リオンは扉に背を預けた。


 反対側、貴族街の暗い通路では、赤い腕章をつけた男たちが近づいてくる。


 数は十人ほど。


 いや、足音はもっと多い。


 火薬筒を持つ者。


 棍棒を持つ者。


 どこかの屋敷から奪った燭台を振り上げる者。


 その中に、きちんとした上着を着た男がいた。


 商人か、下級官吏か、あるいは革命委員の一人か。


 彼だけは周囲の者たちより落ち着いていた。


「そこを開けろ」


 男が言った。


「今、女たちが抜けただろう」


 リオンは答えなかった。


 短剣を抜く。


 本当なら、もう少し長い剣が欲しかった。


 灰鷹隊の槍が欲しかった。


 あるいは、騎士らしい細身の剣が。


 だが、帝都へ潜り込むためには持って来られなかった。


 手元にあるのは、短い刃一本だけ。


 似合いの武器だと思った。


 裏切り者には、隠し持った短剣がよく似合う。


「聞いているのか」


 上着の男が一歩近づいた。


「我々は市民委員会の者だ。貴族街の逃亡者を取り締まっている。抵抗しなければ命までは取らん」


 リオンは笑った。


 薄く、いつものように。


「命までは、か」


「何がおかしい」


「便利な言い方だ」


「貴様」


 棍棒を持った若者が前へ出ようとした。


 上着の男が手で制する。


「名は」


「名乗る必要はない」


「貴族か」


 リオンは少し首を傾げた。


 紋章は捨てた。


 身なりは汚れている。


 首布も外した。


 だが、それでもわかるのだろう。


 立ち方か。


 言葉か。


 目か。


 あるいは、自分では捨てたつもりで、何一つ捨てられていなかったのか。


「だったらどうする」


 上着の男の目が細くなった。


「貴族が下町へ逃げようとするとはな」


「私は逃げていない」


「では何をしている」


「人を逃がした」


 男たちがざわめいた。


 赤い腕章の一人が通路の奥を覗こうとする。


 リオンはその動きに合わせ、一歩前へ出た。


 短剣の切っ先を向ける。


「ここから先へは行かせない」


 上着の男は鼻で笑った。


「一人でか」


「ああ」


「馬鹿な貴族だ」


 リオンは、少しだけ目を伏せた。


 馬鹿な貴族。


 そうだろう。


 昔から、そうだったのかもしれない。


 没落した家の名にしがみつき、誇りという名の空箱を抱え、ロビンの背中を見ながら笑っていた。


 君は上へ行くのが早いな。


 あの時、リオンはそう言った。


 本当は、羨ましかった。


 悔しかった。


 ロビンは泥だらけだった。


 なのに、真っ直ぐだった。


 身分を失いかけた家の子でありながら、平民と肩を並べ、槍一本で道を開き、仲間に慕われ、公爵家の娘に愛された。


 リオンは、彼を認めていた。


 認めていたからこそ、苦しかった。


 自分なら、もっと上手くやれる。


 自分なら、もっと冷静にできる。


 自分なら、あんなふうに無邪気に人を信じたりしない。


 そう思いながら、いつもロビンの隣ではなく、少し後ろにいた。


 灰鷹隊の一員でありながら、どこかで線を引いていた。


 自分は違う、と。


 没落しても貴族だ、と。


 平民たちと笑いながらも、自分は彼らとは違う、と。


 その線が、今はひどく愚かに思えた。


 ノイマンは死んでいた。


 灰青色の首布を泥に汚し、折れた槍を握って死んでいた。


 あの若い隊士は、貴族でもなければ、名門でもない。


 けれど、逃げなかった。


 誰かを守って死んだ。


 なら、自分はどうする。


 紋章を捨てた自分は。


 灰鷹の首布を懐に隠した自分は。


 ロビンに嫉妬し、レイバーに苛立ち、リッカのまっすぐさを眩しく思い、ローレンスの優しさを甘いと笑ってきた自分は。


 ここで何をする。


 答えはもう出ていた。


「貴様らのような連中と一緒にするな」


 リオンは言った。


 声はよく通った。


「私は貴族だ」


 男たちの目がぎらりと光る。


 怒り。


 憎しみ。


 嘲り。


 それでいい。


 こちらを見ろ。


 扉を見るな。


 逃げた女たちの足音を聞くな。


 私を憎め。


 私を殺せ。


 その間に、彼女たちは遠ざかる。


「貴族だと」


 棍棒の若者が唾を吐いた。


「まだそんなことを言うか」


「言うとも」


 リオンは短剣を構えた。


「逃げる女と子を守るために、ここに残った。これを貴族と言わずして、何と言う」


 上着の男の表情が変わった。


 一瞬だけ、意味を理解した顔になった。


 だが、周囲の怒りは止まらない。


「殺せ!」


 誰かが叫んだ。


 最初の男が斧を振りかぶって飛び込んできた。


 リオンは半身になり、短剣を滑り込ませた。


 刃は腕の内側を裂いた。


 斧が石壁に当たり、火花が散る。


 リオンはその男の膝を蹴り、倒れた体を盾にする。


 火薬筒を持つ男が撃とうとした。


 狭すぎる。


 仲間に当たる。


 撃てない。


 リオンはそこへ踏み込んだ。


 短剣で銃身を逸らし、肘を叩き、顔面へ柄を打ち込む。


 二人目が倒れる。


 三人目の棍棒が肩に当たった。


 骨が軋む。


 痛みで視界が白くなる。


 だが、まだ倒れない。


 通路は狭い。


 一度にかかれる人数は限られる。


 それだけが、リオンに残された味方だった。


 彼は笑った。


 レイバーなら、きっとこう言う。


 いい場所選びやがって、と。


 ロビンなら、怒るだろう。


 なぜ一人で残った、と。


 リッカなら、無言で殴るかもしれない。


 ローレンスなら、泣く。


 思い浮かべると、少しだけ胸が軽くなった。


 自分は、確かに灰鷹隊だった。


 たぶん、最後になってようやく。





   ◇





 下町の裏路地で、エレオノーラは走っていた。


 いや、走っているつもりだった。


 実際には、ヘルマンと侍女に支えられ、何度も足をもつれさせながら進んでいた。


 石畳は濡れている。


 煙で目が痛む。


 腹の奥が引きつるように痛むたび、彼女は息を止めた。


「奥様、こちらです」


 屋台の主人が小声で言った。


 かつてマヨネーズサンドを売っていた男だった。


 彼の屋台はもうなかった。


 焼かれたのか、壊されたのか、どこかへ隠したのか。


 今の彼は煤だらけの上着を着て、手に古い包丁を持っている。


「なぜ……」


 エレオノーラは息を切らしながら言った。


「なぜ助けてくれるの」


 主人は振り返らなかった。


「灰鷹には借りがある」


 それだけだった。


 洗濯女が、別の路地から合図する。


 職人が樽を転がし、後ろの道を塞ぐ。


 少年が屋根の上を走り、先の様子を見に行く。


 誰も大声を出さない。


 誰も名前を呼ばない。


 下町そのものが、息を潜めて彼女たちを逃がしているようだった。


 革命を歓迎する者はいた。


 帝国を憎む者もいた。


 貴族を嫌う者もいた。


 それでも、灰鷹隊に助けられた者たちは、灰鷹隊長の妻を見捨てなかった。


 それは政治ではなかった。


 思想でもなかった。


 ただ、あの日路地で助けてもらった、あの時用心棒を追い払ってもらった、娘を探してもらった、悪徳商人から守ってもらった、そういう小さな記憶の積み重ねだった。


 エレオノーラは胸が詰まった。


 ロビン。


 あなたたちは、確かにこの町を守っていた。


 灰鷹隊は、ここに残っていた。


 扉の向こうに残ったリオンだけではない。


 死んだ隊士たちだけでもない。


 この下町の人々の手の中に、灰鷹隊はまだ残っている。


 背後で、遠く銃声がした。


 ヘルマンが振り返る。


 エレオノーラも振り返りかけた。


 だが、屋台の主人が低く言った。


「振り返っちゃいけません」


 その声は、リオンの声と同じだった。


 行け。


 エレオノーラは唇を噛み、前を向いた。





   ◇





 リオンは、何人斬ったのか覚えていなかった。


 最初の二人までは数えていた。


 三人目で肩を砕かれた。


 四人目の短槍が脇腹を掠めた。


 五人目か六人目か、誰かの火薬筒が耳元で暴発し、片耳が聞こえなくなった。


 通路の床は血で滑る。


 敵の血。


 自分の血。


 どちらでもよかった。


 腕が重い。


 短剣の柄が汗と血で滑る。


 息を吸うたび、胸が痛む。


 それでも、扉は背中にあった。


 扉の向こうには、もう誰もいないはずだった。


 それがわかっていても、リオンは扉から離れなかった。


 扉を守るという形を失えば、自分がなぜここにいるのかわからなくなりそうだった。


「どけ!」


 赤い腕章の男が叫ぶ。


「いつまで粘る!」


「できるだけ長く」


 リオンは答えた。


 声がかすれていた。


「もう女は逃げたぞ!」


「なら、なおさらだ」


「意味がない!」


「意味は、私が決める」


 上着の男が火薬筒を奪うように取り、リオンへ向けた。


 距離は近い。


 撃てば仲間を巻き込むかもしれない。


 だが、彼は撃った。


 音が狭い通路の中で爆ぜた。


 鉛玉はリオンの左肩を撃ち抜いた。


 体が扉へ叩きつけられる。


 短剣を落としかけた。


 だが、右手はまだ動いた。


 リオンは短剣を持ち直し、歯を食いしばる。


 膝が崩れる。


 片膝をついた。


 男たちが一斉に距離を詰める。


 棍棒が背中を打った。


 蹴りが腹に入る。


 誰かが髪を掴む。


 視界が揺れる。


 石の床が近い。


 それでも、リオンは笑った。


 不思議と、悔しくなかった。


 ロビン。


 君は上へ行くのが早いな。


 そう言った時の自分は、確かに惨めだった。


 だが、今は少し違う。


 自分は上へは行けなかった。


 家も戻らなかった。


 恋もなかった。


 誰かの一番にもなれなかった。


 灰鷹隊の中でも、最後まで少し離れていた。


 それでも、今、自分は誰かの道を開いている。


 ロビンの妻を。


 ロビンの子を。


 灰鷹隊の未来を。


 たった少しの時間でも。


 それなら悪くない。


 誰かがリオンの顔を蹴った。


 口の中に血の味が広がる。


「まだ笑うか」


 上着の男が言った。


 リオンは顔を上げた。


 もう片目がよく見えなかった。


 それでも、相手を見た。


「私は……貴族だ」


 かすれた声だった。


「貴族は、逃げる女を……追わない」


 男の顔が歪んだ。


 怒りか、羞恥か、あるいは理解したくないものを突きつけられたためか。


「黙れ」


 棍棒が振り下ろされた。


 その後の痛みは、もうよくわからなかった。


 音だけが遠い。


 誰かが叫んでいる。


 誰かが笑っている。


 革命万歳。


 市民万歳。


 貴族に死を。


 リオンは、懐の奥にしまった灰青色の首布を思い出した。


 取り出すことはできなかった。


 見せることもできなかった。


 だが、そこにある。


 紋章は捨てた。


 灰鷹は捨てなかった。


 最後に思い浮かんだのは、ロビンの顔だった。


 怒っている顔だった。


 次に、レイバーの怒鳴り声。


 リッカの無言の拳。


 ローレンスの泣き顔。


 エレオノーラの灰色の外套。


 そして、いつか帝都の詰め所で見た隊旗。


 交差する二枚の灰鷹の羽と、雷槍。


 うまくなりすぎた旗だ、とレイバーが笑っていた。


 その光景を思い出しながら、リオンの意識は、ゆっくりと暗くなった。





   ◇





 翌朝、帝都中央広場には三つの吊り台が作られていた。


 一つには、帝国軍将校の遺体。


 一つには、宮廷官吏の遺体。


 そして一つには、リオンの遺体が吊るされていた。


 顔は腫れ、服は裂かれ、身元を示すものはほとんど残っていなかった。


 だが、胸元に札が下げられていた。


 市民委員会の書記が、太い字で書いた罪状だった。


 旧貴族リオン・フォン・アルトベルク。


 混乱に乗じ、既婚の公爵令嬢を手籠めにせんとしたため、義憤に燃える市民がこれを討った。


 市民の正義、ここに示される。


 広場に集まった者たちは、それを見て声を上げた。


 笑う者がいた。


 唾を吐く者がいた。


 拍手する者がいた。


 黙って目を伏せる者もいた。


 下町の屋台の主人は、遠くからそれを見ていた。


 拳を握り、何も言わなかった。


 洗濯女は、隣で泣いていた。


 灰鷹隊に助けられたことのある少年は、札の文字をじっと見ていた。


 違う。


 そう言いたかった。


 だが、言えば自分たちも吊るされる。


 だから誰も言えなかった。


 リオンの名は、その日、汚された。


 裏切り者。


 卑劣な旧貴族。


 公爵令嬢を狙った男。


 革命政府の記録には、そう残された。


 灰鷹隊の者たちも、長く真実を知らなかった。


 ロビンは、彼が紋章を捨て帝都へ消えたことだけを聞いた。


 レイバーは怒り、リッカは黙り、ローレンスだけが「理由があるはずだ」と言った。


 だが、その理由は、すぐには届かなかった。


 帝都は炎に包まれ、道は塞がり、手紙は燃え、人は死んだ。


 真実は、下町の路地に潜った。


 灰色の外套を逃がした者たちの胸の中にだけ、しばらく隠された。





   ◇





【リオン・フォン・アルトベルク】


 リオン・フォン・アルトベルクは、トゥーゲンフルス帝国末期の灰鷹隊隊士である。没落貴族アルトベルク家の出身であり、帝都期の灰鷹隊においては、冷静な判断力と貴族社会への知識を買われ、ロビン・フォン・バーゼルの側近の一人として活動した。


 アルトベルク家はかつて帝国中枢に出入りした家系であったが、リオンの代にはすでに大きく衰退していた。リオン自身はその出自に強い自負を抱く一方、同じく没落貴族出身でありながら平民隊士たちと肩を並べて頭角を現したロビンに対し、複雑な感情を抱いていたとされる。


 ローレンス・ミュラーの回想録には、リオンがロビンに対して「君は上へ行くのが早いな」と語ったという記述がある。この言葉は長く単なる皮肉として読まれてきたが、近年では、嫉妬、羨望、敬意、そして自己嫌悪が入り混じったものと解釈されている。


 灰鷹隊内でのリオンは、しばしば冷淡で皮肉屋として描かれる。レイバー・ツィンマーとは意見を衝突させることも多く、リッカとは距離を置き、ローレンスの善良さを甘さとして見る傾向もあった。しかし同時に、彼は危険な交渉や貴族街との折衝において重要な役割を果たしており、隊内で欠くことのできない人物であったことは疑いない。


 彼の評価を決定的に歪めたのは、ヴァーレンハーフェン撤退戦における離脱である。


 帝都陥落の報がもたらされた直後、リオンは胸のアルトベルク家紋章を外し、単身で帝都方面へ向かった。これを目撃した灰鷹隊士の証言により、当時の隊内では彼が裏切った、あるいは逃亡したと考えられた。特に、同時期に帝国軍や諸侯軍から多数の脱走者が出ていたこともあり、リオンの行動は長く「灰鷹隊最初の裏切り」として語られた。


 革命政府の初期記録においても、リオンは極めて悪く記録されている。帝都中央広場に晒された彼の遺体には、「混乱に乗じて既婚の公爵令嬢を手籠めにしようとした旧貴族」との罪状札が掛けられていたとされる。この記録は革命政府側の新聞や布告によって広まり、長く彼の名誉を汚すこととなった。


 しかし、後年、この評価は大きく修正される。


 きっかけとなったのは、ローレンス・ミュラーが晩年に公表した証言と、帝都下町に残っていた複数の口伝である。それらによれば、リオンは逃亡したのではなく、帝都に残されたエレオノーラ・フォンヴァルトを救出するため、あえて紋章を捨てて単身潜入したとされる。


 下町の証言では、リオンはフォンヴァルト邸に潜入し、残留灰鷹隊士とともにエレオノーラを貴族街から脱出させた。その後、古い通用口で追手に追いつかれた際、彼は自ら扉を閉じて内側に残り、追手を食い止めたという。エレオノーラ本人の晩年の書簡にも、この「扉を閉じた者」について直接名は記されていないものの、「彼は自分の名を捨て、私たちに道を残した」と読める一節が存在する。


 リオンが最期に何を語ったかについては諸説ある。下町伝承では、彼は革命派の暴徒に囲まれた際、「私は貴族だ。逃げる女と子を守るためにここに残った」と言い放ったとされる。一方で、革命政府側の記録にはこの発言は残っていない。


 彼の遺体に付された罪状が虚偽であったことは、後世の研究によりほぼ確実視されている。リオンを「公爵令嬢を襲おうとした男」とする記録は革命政府側の一方的な布告に依拠しており、同時代の下町住民の証言、灰鷹隊関係者の回想、エレオノーラ周辺の書簡とは一致しないためである。


 リオンの名誉回復は、帝国崩壊後すぐには行われなかった。灰鷹隊そのものが旧体制側の治安部隊として批判され、革命後の社会においては、その隊士であったリオンを擁護すること自体が危険であったためである。


 状況が変わったのは、革命政府が安定期を迎え、さらに次代の帝国主義的国家体制へと移行しつつあった時期である。ローレンス・ミュラーが自ら灰鷹隊の生き残りであることを明かし、隊の実像と戦没者の記録を公にしたことで、リオンに関する再調査が始まった。


 ローレンスの証言に加え、帝都下町の複数家系に伝わる記録、屋台商人の家に残された手記、フォンヴァルト家旧臣の証言が照合された結果、リオンは裏切り者ではなく、エレオノーラとその胎内の子を逃がすために自ら汚名を背負った人物であったとの見方が定着した。


 現在、リオン・フォン・アルトベルクは「灰鷹隊最初の裏切り者」ではなく、「灰鷹隊の中で最初に汚名を引き受けた者」として評価されることが多い。


 彼は最後までロビンのようにはなれなかった。


 レイバーのように人を率いることも、リッカのように迷いなく槍を振るうことも、ローレンスのように人を信じ抜くこともできなかった。


 だが、最後の瞬間、彼は自分の抱えていた誇りを、他者を見下すためではなく、誰かを守るために使った。


 その一点において、リオン・フォン・アルトベルクは確かに灰鷹隊の一員であった。


 ローレンス・ミュラーは晩年、彼について次のように記している。


 「リオンは、僕らの前から消えた時、たしかに紋章を捨てた。けれど、灰鷹を捨てたわけではなかった。僕らがそれを知るまでに、あまりにも長い時間がかかってしまった」



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