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第27話 灰鷹隊の隊旗



 父からの返事が届いたのは、雨上がりの朝だった。


 帝都の石畳はまだ濡れていた。


 ハルト道場の離れでは、屋根の隙間から落ちた雫を受けるため、桶が三つ並べられている。昨夜の雨は強く、寝ていた若い隊士の一人が、額に落ちた水滴で飛び起きたらしい。


 ローレンスは朝からその桶を見て、妙に感慨深そうな顔をしていた。


「これも、もうすぐ終わりか」


 レイバーは寝癖のついた髪をかきながら言った。


「雨漏りに情を移すなよ」


「情じゃないよ。記録だよ」


「何の」


「僕らがここで暮らした記録」


「雨漏りは直せばよかっただろ」


「誰かさんが、直す直すと言って後回しにしたからね」


 レイバーは視線を逸らした。


「忙しかったんだよ」


「火薬筒を分解する暇はあったのに?」


「それとこれとは別だ」


 いつものやり取りだった。


 ロビンは机の前に座り、封蝋を見つめていた。


 グラウフェルトからの手紙。


 父の筆跡で、自分の名が書かれている。


 帝都へ出てから、何度も手紙は受け取った。


 道場はうまくいっている。近くの村で狼が出た。シーベルト火山の雪解けが今年は早い。母の命日に花を供えた。そうした短い近況がほとんどだった。


 だが、今回だけは違う。


 ロビンが送った手紙には、バーゼル家再興のことを書いた。


 父が何と返すのか、封を切るのが怖かった。


 嬉しくないはずがない。


 だが、父にとってバーゼルの名は、ロビンよりもはるかに重いものだった。


 ロビンが生まれる前から背負い、沈んだまま守ってきた名である。


「読まないの?」


 リッカが横から覗き込んだ。


 いつの間に来たのか、濡れた髪を後ろで結んでいる。朝稽古をしていたのだろう。頬に少し赤みがあった。


「読む」


「ずっと見てる」


「心の準備をしていた」


「手紙相手に?」


「父の手紙だ」


「槍より怖い?」


「時々」


 リッカは少し考え、頷いた。


「わかる」


 何がわかったのかは、わからなかった。


 ロビンは封を切った。


 中の紙を広げる。


 父の文字は、昔と変わらず角張っていた。槍の構えと同じで、余計な飾りがない。


 ロビンは息を整え、読み始めた。



 ロビンへ。


 手紙を読んだ。


 まずは、生きて戻ったことを喜ぶ。


 戦功よりも、家名よりも、父としてはそれが何よりも先である。


 お前が生きて戻らねば、バーゼルの名が戻ったところで、誰がそれを背負うのか。


 よく戻った。



 その一文で、ロビンはしばらく先へ進めなかった。


 戦場では泣かなかった。


 凱旋の歓声の中でも泣かなかった。


 公爵の前で家名再興を告げられた時も、どうにか耐えた。


 だが、父の「よく戻った」は、槍より深く胸に入った。


 レイバーが後ろから覗こうとした。


 ローレンスがその襟首を掴む。


「邪魔しない」


「見てねえよ」


「見ようとしてた」


「ちょっとだけだ」


 ロビンは苦笑し、続きを読んだ。



 バーゼル家再興の件、確かに読んだ。


 フォンヴァルト公爵家臣家としての再興であることも承知した。


 皇帝陛下の直臣として戻るわけではないことを、お前は少し悔しく思っているかもしれぬ。


 だが、焦るな。


 槍は一息に届く時もあれば、一歩ずつ間合いを詰める時もある。


 今のお前に与えられた間合いを、大切にしろ。


 フォンヴァルト公爵家は、かつて我らの槍を知る家である。


 その家に仕え、名を戻すことは、恥ではない。



 ロビンは無意識に背筋を伸ばした。


 父には、見透かされていた。


 皇帝の御楯。


 少年の頃から抱いていた夢。


 公爵家臣家としての再興は破格の栄達である。わかっている。それでも、心のどこかに小さな悔しさがあった。


 父は、それを責めなかった。


 ただ、間合いを大切にしろと書いた。



 グラウフェルトでは、お前の報せを聞いて、古い者たちが酒を開けた。


 ハルトの昔の門弟だった者は、あの小僧が、と笑っていた。


 レイバーの親父殿は、うちの馬鹿息子が変な橋を作っていないかと心配していた。


 ローレンスの母御は、手紙を胸に抱いて泣いていた。


 リッカの父御は、娘はまだ帰らんのかと怒鳴りつつ、誰よりも嬉しそうだった。


 皆、お前たちを覚えている。


 お前たちが初めて掲げた、あの下手な鳥の旗も覚えている。



 レイバーの顔が動いた。


「親父、余計なこと言いやがって」


 ローレンスは目元を押さえた。


「母さん……」


 リッカはそっぽを向いた。


「父さん、怒鳴ってばっかり」


 だが、耳が少し赤かった。


 ロビンはさらに読み進める。



 家名とは、戻るものではない。


 日々、背負い直すものだ。


 お前はこれから、バーゼルの名を背負う。


 だが忘れるな。


 お前が初めて背負った旗は、家の紋章ではなかった。


 子どもの手で描いた、鳥とも鷹ともつかぬ旗だった。


 あの旗の下で、お前は初めて友を得た。


 あの旗の下で、お前は初めて誰かの前に立った。


 立派な旗を賜る日が来ても、そのことを忘れるな。


 旗は布ではない。


 旗の下に集まった者たちの顔である。



 ロビンは手紙を置いた。


 離れの中が静かになっていた。


 雨漏りの桶に、最後の雫が落ちる。


 ぽたり、と音がした。


 レイバーは何も言わなかった。


 リッカも、ローレンスも。


 リオンは壁際で腕を組み、目を伏せていた。


「……父上らしい」


 ロビンはようやく言った。


「説教くさいな」


 レイバーが言った。


 だが、その声は少しだけ優しかった。


「でも、まあ、間違ってねえ」


「そうだな」


 ロビンは手紙を丁寧に畳んだ。


 その日、灰鷹隊は新しい詰め所へ移ることになっていた。


 そして午後には、正式な隊旗が授与される。


 父の手紙は、その朝に届いた。


 偶然だろう。


 だがロビンには、偶然とは思えなかった。




   ◇




 引っ越しは、戦より騒がしかった。


「その箱は槍の穂先! 落とすなよ!」


「誰だ、鍋と火薬筒の部品を同じ箱に入れた奴!」


「レイバーだろ!」


「俺じゃねえ……たぶん!」


「たぶんって何!」


 ハルト道場の離れから荷物が運び出される。


 木槍、槍の穂先、帳簿、古い毛布、鍋、修理中の鞍、レイバーが分解したまま元に戻していない火薬筒の部品、ローレンスの薬箱、リッカの予備槍、隊士たちの私物。


 灰鷹隊は、思ったより多くのものを持っていた。


 かつては、少年たちが集まるだけの離れだった。


 今は、数十人を抱える隊の根城になっている。


 ハルト師範は道場の縁側に座り、騒ぎを眺めていた。


「広くなると聞いた」


「はい」


 ロビンは荷物を担ぎながら答えた。


「公爵家の帝都館の北側に、詰め所をいただきます」


「そうか」


 ハルト師範は頷いた。


「寂しくなるな」


 ロビンは動きを止めた。


 師範がそんなことを言うとは思わなかった。


「……お世話になりました」


「まだ道場を出入りするのだろう」


「もちろんです」


「なら、別れの挨拶は早い」


 ハルト師範は淡々と言った。


「ただ、雨漏りは直してから出ていけ」


 レイバーが遠くで咳き込んだ。


 ローレンスが笑う。


「ほら、言われた」


「わかってるよ! 直す! 最後に直す!」


 レイバーは工具箱を持って屋根へ向かった。


 下町の人々も集まっていた。


 屋台の主人が卵サンドを包み、職人たちが荷車を貸し、子どもたちは何の役にも立たないのに荷物を持ちたがった。


「灰鷹隊、偉くなっちまうのか」


 魚屋の男が言った。


「偉くはなりません」


 ロビンが答えると、男は笑った。


「詰め所と馬をもらって偉くないなら、俺も偉くない魚屋だな」


「魚屋は偉いと思います」


「そういう返しをするから、お前は変わらねえな」


 変わらない。


 その言葉が少し嬉しかった。


 一方で、変わっていくものもある。


 離れを出る。


 公爵家の正式な部隊になる。


 隊旗を持つ。


 昨日までと同じではいられない。


 荷物を運び終える頃、レイバーが屋根から降りてきた。


「直したぞ」


「本当に?」


 ローレンスが疑わしそうに見上げる。


「本当だよ。次の雨までなら持つ」


「それは直したって言うのかな」


「次の雨まで持てば十分だろ。俺らもう住まねえんだから」


 ハルト師範が咳払いした。


 レイバーは慌てて言い直した。


「……次の次の雨くらいまでは持つ」


 道場の門弟たちが笑った。


 ロビンも笑った。


 笑いながら、離れを振り返る。


 狭く、古く、雨漏りし、床板は傷だらけだった。


 だが、ここから始まった。


 帝都に来た田舎者たちの、新しい基地。


 灰鷹隊の最初の巣。


 ロビンは深く頭を下げた。


 離れに。


 道場に。


 そして、この場所で共に笑い、怒鳴り、泣き、戦場へ出た仲間たちに。




   ◇




 新しい詰め所は、公爵家帝都館の北側にあった。


 石造りの門。


 広い中庭。


 屋根付きの厩舎。


 槍稽古ができる砂地の稽古場。


 隊士たちが寝泊まりできる宿舎。


 武具庫。


 小さいながらも会議室。


 そして、雨漏りしない屋根。


 ローレンスは門をくぐった瞬間、空を見上げた。


「屋根が……ちゃんとしてる」


「まずそこか」


 レイバーが呆れた。


「だって、ちゃんとしてる」


 ローレンスは本気で感動していた。


 若い隊士たちは歓声を上げ、部屋を覗き、厩舎へ走った。


「馬だ!」


「本当に馬がいる!」


「触っていいのか?」


「噛まれるぞ!」


 リッカは何も言わず、厩舎へ向かった。


 栗毛の若い馬の前で足を止め、じっと見つめる。


 馬もリッカを見た。


 しばらく互いに無言だった。


「これ」


 リッカが言った。


「選ぶの早すぎないか」


 ロビンが尋ねる。


「目が合った」


「それで決めるのか」


「うん」


 馬が鼻を鳴らした。


 リッカは満足そうに頷いた。


 レイバーは中庭の柱を叩いていた。


「材は悪くねえな。梁も太い。厩舎の排水も考えてある。誰が設計したんだ」


「公爵家の工匠だろう」


「ふん。腕はいい」


「上から目線だな」


「大工の息子だからな」


 リオンは門の近くで詰め所全体を見渡していた。


 整った建物。


 公爵家の紋章。


 新しい灰鷹隊の居場所。


 彼の表情は穏やかだったが、どこか眩しいものを見るようでもあった。


「どうした」


 ロビンが声をかける。


「いや」


 リオンは首を振った。


「立派だと思ってね」


「そうだな」


「君たちには似合わないくらいに」


「ひどいな」


「褒めている」


 リオンは薄く笑った。


「すぐに似合うようになるさ」


 その言葉に、少しだけ影があった。


 だが今日は、その影も明るい中庭に溶けた。


 午後、隊士たちは中庭に整列した。


 灰青色の首布を巻き、槍を持ち、背筋を伸ばす。


 新しい詰め所の正面には、フォンヴァルト公爵家の騎士たちが並んでいた。


 オスカーが中央に立つ。


 その隣には、布に包まれた長いものを持つ騎士がいた。


 隊旗である。


 ロビンは、喉が渇くのを感じた。


 朝に読んだ父の手紙が、胸の中で静かに重くなっている。


 旗は布ではない。


 旗の下に集まった者たちの顔である。


 オスカーが一歩前へ出た。


「帝都巡衛隊第三分隊、灰鷹隊」


 その声が中庭に響く。


「此度の戦功、およびこれまでの帝都巡衛における働きにより、本日をもって公爵騎士団隷下の正式独立部隊として扱う」


 隊士たちの間に、息を呑む気配が走った。


 わかっていたことだ。


 昨日から準備していたことだ。


 それでも、言葉にされると違う。


 灰鷹隊は、下町の呼び名ではなくなる。


 正式な部隊になる。


「隊長、ロビン・フォン・バーゼル」


「はい」


 ロビンは前へ出た。


 オスカーが包みを解く。


 布が開かれる。


 隊旗が現れた。


 灰を帯びた青地。


 中央には、交差する二枚の灰鷹の羽。


 その間を貫く、青白い雷をまとった槍。


 羽は鋭すぎず、どこか泥に濡れた鳥のようにも見えた。


 だが、その槍はまっすぐだった。


 ロビンは息を忘れた。


 美しい旗だった。


 あまりに、美しい旗だった。


 その瞬間、ロビンの目の前に、別の旗が浮かんだ。


 グラウフェルトの秘密基地。


 端材で作った棒。


 汚れた布。


 レイバーが得意げに描いた、鳥なのか鷹なのかわからない絵。


 リッカが横から口を出し、ローレンスが笑い、ロビンは何をしていいかわからず立っていた。


 レイバーが言った。


 おまえ、旗持ちな。


 あの日、ロビンは初めて旗を持った。


 貴族の紋章でも、帝国の軍旗でもない。


 悪ガキたちの手書きの旗だった。


 オスカーが旗竿を差し出す。


「受け取れ」


 ロビンは両手で受け取った。


 重かった。


 布の重さではない。


 父の言葉。


 仲間の顔。


 下町の声。


 ブレン村の橋。


 戦場で倒れた者。


 これからこの旗を見る者たち。


 そのすべてが、旗竿を通して手に乗った。


「掲げよ」


 オスカーが言った。


 ロビンは旗を掲げた。


 風が吹く。


 灰青の布が広がる。


 交差する灰鷹の羽と雷槍が、午後の光を受けた。


 隊士たちが一斉に槍を立てた。


 音が揃う。


 ロビンの胸が熱くなる。


 これは、夢だった。


 子どもの頃、手書きの旗を持って走り回った悪ガキたちが、いつか本物の旗を持つ。


 そんなことを、本気で想像したことがあっただろうか。


「灰鷹隊」


 オスカーが言った。


「この旗を汚すなとは言わん」


 隊士たちが顔を上げる。


「戦場に出れば旗は汚れる。雨に濡れ、泥を浴び、血を吸う。綺麗なままの旗など、飾り物に過ぎん」


 オスカーの声は、戦場を知る者の声だった。


「だが、折るな。捨てるな。旗の下の者を忘れるな」


 ロビンは旗を握りしめた。


「はい」


 オスカーは頷いた。


「よろしい」


 その後、隊士たちはもう整列を保てなかった。


 儀礼が終わった瞬間、歓声が爆発した。


「隊旗だ!」


「本物だ!」


「俺たちの旗だ!」


 若い隊士たちが旗の周りに集まる。


 触ろうとして、ローレンスに止められる。


「手を洗ってから!」


「母親かよ」


 レイバーが笑う。


「母親じゃないけど、泥の手で触るものじゃないよ!」


「オスカー卿は汚すなとは言わねえって言ってたぞ」


「今汚す必要はない!」


 ローレンスの正論に、隊士たちは手を洗いに走った。


 リッカは旗をじっと見ていた。


「綺麗」


「ああ」


「でも、前のも嫌いじゃない」


 ロビンは彼女を見た。


 リッカは少し照れたように目を逸らす。


「手書きのやつ」


「私もだ」


 ロビンは答えた。


 その時、レイバーが隣に来た。


 彼も旗を見上げていた。


 いつもの軽い顔ではない。


 グラウフェルトの秘密基地を、同じように思い出している顔だった。


「上手くなりすぎたな」


 レイバーが言った。


 ロビンは旗を見たまま尋ねた。


「何が」


「旗だよ」


 レイバーは少し笑った。


「あの頃の旗、ひでえ絵だったからな。鳥か鶏か鷹かわかんなかった」


「お前が描いたんだろう」


「だから言ってんだよ」


「私は、あれも良い旗だったと思う」


「物好きだな」


「初めて持った旗だ」


 レイバーは黙った。


 それから、少しだけ声を落とした。


「そうだな」


 風がまた吹いた。


 正式な隊旗が揺れる。


 灰鷹の羽が広がり、雷槍が光る。


 レイバーは眩しそうに目を細めた。


「でも、まあ」


「何だ」


「悪くねえ」


 ロビンは頷いた。


「ああ。悪くない」




   ◇




 その夜、新しい詰め所では小さな宴が開かれた。


 公爵家から正式な祝い膳が届き、下町からも勝手に差し入れが届いた。卵サンド、煮込み、焼き菓子、薄い酒、濃い酒、誰が持ってきたのかわからない漬物。


 ローレンスは食材の量を見て一瞬計算しようとしたが、途中で諦めた。


「今日はもう、帳簿は明日」


「お前がそれを言うとはな」


 レイバーが驚く。


「今日くらいはいいよ」


 ローレンスは笑った。


 隊士たちは新しい寝台の場所を取り合い、厩舎の馬に勝手な名前をつけ、稽古場で槍を振って怒られた。


 リッカは栗毛の馬に、なぜか「パン」と名づけた。


「なぜパンなんだ」


 ロビンが尋ねる。


「色が」


「パンの色か」


「うん」


「せめて焼き色とか」


「パン」


 馬は鼻を鳴らした。


 どうやら本人、いや本馬も気に入っているらしい。


 リオンは酒杯を片手に、隊旗を眺めていた。


 ロビンが隣に立つ。


「どうだ」


「いい旗だ」


「そうか」


「少し、できすぎているくらいに」


 リオンは微笑んだ。


「君たちには、もっと下手な旗の方が似合うと思っていた」


「皆にそう言われる」


「皆、同じものを覚えているんだろう」


「お前は見ていないのにな」


「見ていなくても、少しわかる」


 リオンは隊士たちを見た。


 笑うレイバー。


 怒るローレンス。


 馬にパンと名づけるリッカ。


 新しい旗の下ではしゃぐ若者たち。


「こういうものは、途中から入ると眩しい」


 ロビンはリオンを見た。


 リオンはすぐに笑みを深めた。


「悪い意味じゃないよ」


「わかっている」


「ならいい」


 リオンは杯を掲げた。


「灰鷹隊に」


 ロビンも杯を掲げる。


「灰鷹隊に」


 杯が触れた。


 小さな音だった。


 その音もまた、この夜の記憶になった。


 宴が少し落ち着いた頃、ロビンは自室へ入った。


 新しい詰め所の隊長室である。


 隊長室と呼ぶには小さい。


 だが、机があり、棚があり、雨漏りしない屋根があった。


 机の上には、父の手紙と、磨いたバーゼル家の古い紋章が置かれている。


 そして、小さな布包みがあった。


 ロビンはそれを開く。


 中には、古い布切れが入っていた。


 少年時代の手書き旗の切れ端。


 帝都へ来る時、レイバーが冗談のように渡したものだ。


 お守りにでもしとけ、と。


 ロビンはずっと、それをしまっていた。


 布には、かすれた線が残っている。


 鳥の羽だったのか、足だったのか、今ではよくわからない。


 だが、ロビンにはわかる。


 あれは旗だった。


 自分が初めて持った旗。


 父の言葉が蘇る。


 旗は布ではない。


 旗の下に集まった者たちの顔である。


 ロビンは隊長室の小さな棚を開けた。


 そこに、古い紋章を置く。


 その隣に、父の手紙を畳んで置く。


 そして、手書き旗の切れ端を、そっと置いた。


 正式な隊旗は中庭の旗架に掲げられている。


 美しい灰青の旗。


 交差する灰鷹の羽と雷槍。


 だが、この小さな布切れもまた、灰鷹隊の旗だった。


 ロビンは棚を閉じず、しばらく眺めていた。


 外から笑い声が聞こえる。


 レイバーの大声。


 ローレンスの叱る声。


 リッカが短く何かを言い、隊士たちが笑う声。


 新しい詰め所。


 新しい隊旗。


 戻った家名。


 広がる未来。


 ほんの少しの不安は、まだ胸のどこかにあった。


 だが今夜は、それよりも笑い声の方が大きかった。


 ロビンは窓を開けた。


 中庭の旗が夜風に揺れている。


 灰鷹の羽と雷槍が、月の光を受けてかすかに見えた。


 ロビンは静かに頭を下げた。


 少年時代の旗へ。


 新しい隊旗へ。


 そして、その下に集まったすべての顔へ。


 灰鷹隊は、ここに本当の巣を得た。


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