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第26話 バーゼル家再興


 凱旋の熱は、三日で少し落ち着いた。


 帝都の大路に撒かれた花は片づけられ、皇太子殿下の英断を称える張り紙は雨に濡れて端が丸まり、酒場で歌われていた凱旋歌も、少しずついつもの卑猥な替え歌に混じっていった。


 だが、灰鷹隊の周囲だけは、まだどこか落ち着かなかった。


 ハルト道場の離れには、人がよく来た。


 下町の職人が祝いのパンを持ってくる。屋台の主人が卵サンドを差し入れる。門弟たちは戦場の話を聞きたがり、子どもたちはリッカの槍についた白い花の話を何度もせがんだ。


 リッカはそのたびに、面倒そうに言った。


「ただ、刺さっただけ」


「花が?」


「うん」


「槍に?」


「うん」


「かっこいい!」


「……そう?」


 子どもたちは目を輝かせ、リッカは困った顔をする。


 レイバーはそれを見て笑った。


「花の槍姫だな」


 次の瞬間、リッカの木槍がレイバーの脛を払った。


「痛え!」


「遅い」


「俺は敵じゃねえぞ」


「うるさい」


 離れの中に笑いが起きる。


 ロビンはその笑いを聞きながら、帳簿の前に座っていた。


 ローレンスが書いた負傷者の薬代、馬の餌代、修繕費、下町からの差し入れの記録。戦場で受け取った臨時手当はすでにかなり減っている。灰鷹隊の人数が増えれば増えるほど、名誉より先に飯が必要になる。


「勝った隊ってのは、もっと金が余るものだと思っていた」


 ロビンが呟くと、ローレンスは苦笑した。


「勝ってきた隊じゃなくて、帰ってきた隊だからね」


「それは違うのか」


「たぶん、すごく違う」


 ローレンスは帳簿に筆を走らせる。


「でも、今回は公爵家から補填が出るはずだよ。負傷者の治療費も、馬の借用費も」


「本当か」


「書面では」


「書面か」


「うん。書面は強いけど、財布ほど早くはない」


 ロビンは笑った。


 笑えたことに、自分で少し驚いた。


 ブレン村の橋が落ちる音は、まだ消えていない。


 凱旋の歓声も、どこか遠くにある。


 それでも、日常は戻ってきていた。


 泥のついた鞍を干し、槍の穂先を磨き、門弟に稽古をつけ、飯を食う。


 生きて帰った者は、生きて帰った後の仕事をしなければならない。


 その午後、フォンヴァルト公爵家から使者が来た。


 灰鷹隊長ロビン・フォン・バーゼル、ならびに主要隊士数名は、公爵家帝都館へ出頭せよ。


 用件は記されていなかった。


 レイバーは紙を覗き込み、眉をひそめた。


「また面倒事か?」


「公爵家からの呼び出しを面倒事と言うな」


 ローレンスがたしなめる。


「面倒事じゃなかったことがあるか?」


「……ある、と思う」


「今、間があったぞ」


 リオンは壁際で外套を整えていた。


「少なくとも、叱責ではないだろう」


「なぜわかる」


 ロビンが尋ねると、リオンは涼しい顔で答えた。


「叱責なら、呼び出し状の紙がもっと安い」


 レイバーが吹き出した。


「お前、貴族の嫌なところに詳しいな」


「元貴族だからね」


「まだ元じゃねえだろ」


「家名だけ残っているものは、残っていないものより時に惨めだ」


 リオンの声は軽かった。


 だが、その言葉の端に、何かが引っかかった。


 ロビンはリオンを見た。


 リオンはすでにいつもの無表情に戻っていた。


「行こう。公爵家を待たせるのは得策ではない」




   ◇




 フォンヴァルト公爵家の帝都館は、凱旋式の時と同じように静かだった。


 帝都の中心に近いにもかかわらず、館の内側に入ると街の喧騒が遠のく。石畳の中庭。刈り込まれた生垣。噴水。壁に掛けられた北方の狩猟画。


 ロビンは、ここへ来るたびに少し背筋が伸びる。


 灰鷹隊の離れとは違う。


 ハルト道場とも違う。


 生まれが貴族であることを忘れて育ったわけではない。だが、バーゼル家はとうに没落し、グラウフェルトでは地方名士の一族に過ぎなかった。公爵家の館に足を踏み入れるたび、ロビンは自分の家がどれほど遠くへ沈んでいたのかを思い知らされる。


 案内されたのは、広すぎない謁見室だった。


 玉座のようなものはない。


 だが、部屋の奥に置かれた椅子に座るアルブレヒト・フォン・ヴァルト公爵は、それだけで部屋の中心だった。


 その傍らには、兄であるオスカーが立っている。


 オスカーはいつも通り、儀礼より実戦を好む顔をしていた。だが今日は、外套も髪も整えられている。戦場の泥はない。


 ロビンは膝を折った。


 レイバー、ローレンス、リッカ、リオンも続く。


「面を上げよ」


 アルブレヒトの声は穏やかだった。


 ロビンは顔を上げる。


 公爵の目は、凱旋式の高台で見た皇太子の目とは違っていた。


 人前に見せるための目ではない。


 見ようとする者の目だった。


「ロビン・フォン・バーゼル」


「はい」


「此度の戦、灰鷹隊はよく働いた」


「身に余るお言葉です」


「謙遜は美徳だが、報告書を読む者には不要だ」


 アルブレヒトは机の上の書類を軽く叩いた。


「兵站集積地の整備。橋梁の補強。斥候。火薬筒兵への対応。撤退時の側面支援。殿。負傷者保護。追撃遅滞。橋梁破壊」


 橋梁破壊。


 その言葉が出た瞬間、ロビンの胸が微かに沈んだ。


 アルブレヒトはそれに気づいたようだった。


「ブレン村の件も、報告は受けている」


「はい」


「補償は公爵家で行う。すでに代官へ命じた」


 ローレンスがわずかに顔を上げた。


「本当ですか」


 思わず、という声だった。


 ローレンスはすぐに口を閉じようとしたが、アルブレヒトは咎めなかった。


「本当だ。全てを戻せるとは言わぬ。だが、約束した紙をただの紙にはしない」


 ローレンスの肩から、少し力が抜けた。


「ありがとうございます」


「礼は不要だ。領主がなすべきことだ」


 アルブレヒトはそう言い、それからロビンへ視線を戻した。


「灰鷹隊の働きは、北部公爵軍の撤収を支えた。皇太子殿下の面子も保たれた。宮廷発表がどうであれ、我らは事実を知っている」


 オスカーが頷いた。


「特に枝束の盾と火薬筒への突撃。あれはよかった」


 レイバーが少しだけ顎を上げた。


「作ったのは隊長じゃなくて俺です」


「レイバー」


 ローレンスが慌てて小声で咎める。


 だがオスカーは笑った。


「知っている。大工の息子」


「……ならいいです」


「よくはない」


 ローレンスがさらに小声で言った。


 アルブレヒトも口元にわずかな笑みを浮かべた。


「功を功として数えるため、今日お前たちを呼んだ」


 ロビンの背筋が伸びた。


 空気が変わった。


 公爵の言葉が、私的な慰労から、公的な宣告へ変わる。


「ロビン・フォン・バーゼル」


「はい」


「バーゼル家は、先々代皇帝に仕えた武闘派貴族として、かつて北方に名を馳せた。馬上に雷槍を振るい、帝国の敵を退けた家である」


 ロビンは息を呑んだ。


 父から何度も聞いた話だった。


 聞き飽きたと思ったこともある。


 交差する二枚の鷹の羽と、中央の槍。


 祖父の馬上槍。


 先々代皇帝。


 政争。


 没落。


 グラウフェルト。


 それらが、急に遠い昔話ではなくなった。


「先々代皇帝崩御後、政争に敗れ、家は沈んだ」


 アルブレヒトは淡々と言った。


「だが、血だけで家は戻らぬ。古い名だけで人は従わぬ。家名を戻すには、今を生きる者の功が必要だ」


 ロビンの喉が渇いた。


「此度の戦功、およびこれまでの帝都巡衛における働きにより、フォンヴァルト公爵家は、バーゼル家を公爵家臣家として再興する」


 部屋の音が消えた。


 ロビンは、すぐには意味を掴めなかった。


 バーゼル家を。


 再興する。


 公爵家臣家として。


 皇帝直臣ではない。


 先祖が仕えた帝国宮廷へ直接戻るわけではない。


 だが、沈んだ家名が、公式に戻る。


 ロビン・フォン・バーゼルは、ただの没落貴族の子ではなくなる。


 灰鷹隊長としての功が、家を起こす。


「……身に余る」


 声が震えた。


 ロビンは深く頭を下げた。


「身に余る栄誉にございます」


「余るなら、背負え」


 オスカーが言った。


 その声は不器用に温かかった。


「お前の祖父の槍を見たことがある。若い頃、一度だけだ。雷が馬上から落ちるようだった」


 ロビンは顔を上げた。


 オスカーは遠いものを見る目をしていた。


「あの名が戻るなら、悪くない」


「オスカー卿」


「ただし、名だけ戻して終わりではない。家名とは、旗だ。掲げれば、誰かが見る。誰かがついてくる。誰かが妬む。誰かが狙う」


「はい」


「それでも掲げるか」


 ロビンは迷わなかった。


「掲げます」


 オスカーは頷いた。


「ならよい」


 アルブレヒトは書類を一枚、側近へ渡した。


「詳細な所領や俸禄は後日詰める。初めから大きなものは与えぬ。だが、名と職と責任は与える」


「はい」


「帝都巡衛隊第三分隊、灰鷹隊は、これまで通り公爵騎士団隷下に置く。ただし、その位置づけを改める準備を始める」


 レイバーが目を細めた。


「改める?」


「正式な独立部隊として扱う」


 アルブレヒトは言った。


「詰め所、厩舎、稽古場、軍馬。必要なものを整える」


 レイバーの口が開いた。


 ローレンスも目を丸くした。


 リッカは一拍遅れて、ぽつりと言った。


「馬、増えるの?」


 オスカーが笑った。


「増える」


「じゃあ、乗る」


「稽古も増えるぞ」


「別にいい」


 リッカは少しだけ口元を上げた。


 それは彼女なりの喜びだった。


 ローレンスは、もう泣きそうな顔をしていた。


「詰め所……雨漏りしないんですか」


 公爵の前で何を言っているのか、とロビンは思った。


 だがアルブレヒトは真面目に答えた。


「しないものを建てさせよう」


 ローレンスは深々と頭を下げた。


「ありがとうございます」


 レイバーが小声で呟いた。


「そこに一番感動するのかよ」


「今の離れ、雨漏りするから」


「まあ、するけどよ」


 部屋の空気が少し緩んだ。


 その時、アルブレヒトの視線がロビンへ戻る。


「もう一つ」


 ロビンは再び背筋を伸ばした。


「バーゼル家再興には、公爵家の血を入れることが望ましい」


 レイバーの目が一瞬でロビンへ向いた。


 ローレンスも固まる。


 リッカは、よくわからないという顔をしてから、次の瞬間に理解したように目を細めた。


 リオンは、表情を変えなかった。


「帝国は度重なる戦で、貴族家、騎士家の欠けを抱え始めている」


 アルブレヒトは政治家の声で言った。


「古い家名を掘り起こし、功ある者を立てることは、今後ますます必要になる。だが、ただ成り上がらせるだけでは宮廷が騒ぐ。公爵家臣家として再興し、公爵家の血を入れれば、秩序の内側に置ける」


 その言葉は冷静だった。


 温かいだけではない。


 計算がある。


 だが、ロビンはそれを不快とは思わなかった。


 貴族の婚姻に政治がないはずがない。


 それでも、その政治の中に、一つの願いが入り込む余地があるのなら。


「エレオノーラのことだ」


 アルブレヒトは、はっきりと言った。


 ロビンの心臓が跳ねた。


 公爵家三女、エレオノーラ・フォンヴァルト。


 卵サンドを落として怒った少女。


 銀鹿亭から助け出した人。


 戦場から戻った自分に、お帰りなさいと言ってくれた人。


「まだ正式な婚約ではない」


 アルブレヒトは言った。


「宮廷への根回し、家中の調整、時期。整えるべきものは多い。だが、道は開く」


 道は開く。


 それだけで、ロビンには十分だった。


 いや、十分すぎた。


「私は」


 ロビンは言葉を探した。


 戦場で敵に突っ込むより難しかった。


「私は、エレオノーラ様に相応しい男になれるよう、努めます」


 オスカーが腕を組んだ。


「今はまだ足りん」


「はい」


「だが、足りんと知っているなら、伸びる」


 ロビンは深く頭を下げた。


 胸の奥が熱い。


 戦場で雷を通した時とは違う熱だった。


 家が戻る。


 隊が認められる。


 エレオノーラとの道が開く。


 夢が、一つずつ現実の形を取り始めている。


 あまりに眩しくて、怖いほどだった。




   ◇




 公爵家帝都館を出た瞬間、レイバーが叫んだ。


「おい、ロビン!」


「なんだ」


「お前、結婚すんのか!」


「まだ正式な話ではない」


「道は開くって言っただろ! 貴族の道は開いたら大体誰かが馬車で通るんだよ!」


「どういう例えだ」


 ローレンスは両手で顔を覆っていた。


「よかった……本当によかった……」


「泣くな」


 レイバーが言う。


「泣いてない」


「泣いてるだろ」


「これは、嬉しい時の目の水だよ」


「それを泣くって言うんだ」


 リッカは黙って歩いていた。


 ロビンは少し気になって、彼女を見た。


「リッカ」


「何」


「その……」


「おめでとう」


 リッカは短く言った。


 声はいつも通りだった。


 いや、いつも通りにしようとしていた。


「まだ正式には」


「でも、嬉しいんでしょ」


「ああ」


「なら、おめでとう」


 リッカは前を向いたまま言った。


「槍の稽古は手を抜かないけど」


「それは、もちろん」


「婚約したから遅くなった、とか言ったら脛を折る」


「折るのか」


「たぶん」


 ロビンは少し笑った。


 リッカも、ほんの少しだけ口元を動かした。


 その横で、リオンが静かに歩いていた。


 ロビンは彼に声をかける。


「リオン」


「何かな」


「お前にも、世話になった」


「急にどうしたんだい」


「いや、今回のことは、灰鷹隊全員の功だ。私一人ではない」


 リオンは少し笑った。


「君はそう言うと思った」


「事実だ」


「事実でも、家名を戻すのは君だ」


 その言葉は、穏やかだった。


 だが、そこに薄い影があった。


「君は上へ行くのが早いな」


 ロビンは足を止めかけた。


 リオンはすぐに肩をすくめた。


「悪い意味ではないよ」


「リオン」


「本当に。祝っている。君は相応しい」


 リオンの目は、ロビンを見ていた。


 その奥に何があるのか、ロビンにはまだわからなかった。


「ただ、少し眩しいだけだ」


 リオンはそう言い、先に歩き出した。


 レイバーがロビンの肩を叩く。


「気にすんな」


「だが」


「あいつはあいつで色々あるんだろ。没落貴族ってのは、面倒くせえな」


「私もそうだぞ」


「お前はわかりやすい没落貴族だ」


「褒めているのか」


「半分くらい」


 レイバーは笑った。


「まあでも、今日はいい日だ。そうだろ」


 ロビンは頷いた。


「ああ。いい日だ」


 リオンの影も、リッカの沈黙も、完全に消えるわけではない。


 だが、その影は今日の光を消すほどではなかった。


 今日は、いい日だった。


 そう言ってよい日だった。




   ◇




 その夜、ロビンはハルト道場の離れの奥で、古い木箱を開けた。


 グラウフェルトから帝都へ来る時、父が持たせてくれた箱である。


 中には、古い布に包まれた金具が入っていた。


 バーゼル家の紋章。


 交差する二枚の鷹の羽。


 その中央を貫く槍。


 本来なら、鷹の羽は灰鷹ではなかった。古い家紋では、雷を帯びた黒い鷹の羽とされている。だが、長い年月の中で銀は曇り、黒い線は擦れ、全体が灰色にくすんでいた。


 ロビンは布でそれを磨いた。


 一度。


 二度。


 汚れが少しずつ落ちる。


 完全には戻らない。


 傷もある。


 欠けもある。


 だが、槍の線が見えてくる。


 羽の形が見えてくる。


 ロビンはしばらく、それを黙って磨き続けた。


 父の声が思い出される。


 馬はなくとも槍は振るえる。


 家は沈んでも、名は捨てるな。


 何度も聞かされた言葉だった。


 聞き飽きたと思っていた。


 今、その言葉が胸の奥で重みを持っていた。


 ロビンは机に紙を広げた。


 父へ手紙を書くためだった。


 何から書くべきかわからなかった。


 戦のこと。


 雷槍を馬上で振るったこと。


 灰鷹隊が認められたこと。


 バーゼル家が、公爵家臣家として再興されること。


 エレオノーラとの道が開いたこと。


 書くべきことは多すぎた。


 だが、最初の一文だけは、自然に出た。


 父上。


 バーゼルの名が、戻ります。


 筆先が震えた。


 ロビンは一度目を閉じ、それから続きを書いた。


 完全な復帰ではありません。


 皇帝陛下の直臣ではなく、フォンヴァルト公爵家の家臣家としての再興です。


 それでも、名は戻ります。


 祖父上の槍を覚えている方が、まだおられました。


 父上が何度も語ってくださった話は、ただの昔話ではありませんでした。


 ロビンはそこで筆を止めた。


 目の奥が熱い。


 ローレンスのことを笑えない。


 自分も、泣きそうだった。


「お、書いてるか」


 戸口からレイバーが顔を出した。


 ロビンは慌てて目元を押さえた。


「勝手に入るな」


「いつものことだろ」


「今は手紙を書いている」


「親父さんにか」


「ああ」


 レイバーは部屋に入り、机の上の紋章を覗き込んだ。


「これがバーゼル家の紋章か」


「古いものだ。だいぶ傷んでいる」


「いいじゃねえか。傷がある方が本物っぽい」


「本物だ」


「ならなおさらだ」


 レイバーは椅子を引き寄せ、勝手に座った。


「しかし、家が戻るってのはすげえな」


「まだ戻ったばかりだ。領地も屋敷もない」


「じゃあ次は屋敷だな」


 レイバーはにやりと笑った。


「バーゼル家の御屋敷。門番付き。馬小屋付き。俺が設計してやるよ」


「まずは雨漏りしない詰め所からだ」


 ロビンが言うと、レイバーは声を上げて笑った。


「夢が小せえな、隊長」


「現実的と言え」


「まあ、雨漏りしねえ屋根は大事だ」


「ローレンスが一番喜ぶ」


「だろうな。あいつ、公爵様相手に雨漏りの話してたからな」


 二人は笑った。


 小さな部屋だった。


 古い紋章と、書きかけの手紙と、雨漏りする離れ。


 だがその夜、ロビンにはそれがひどく眩しく思えた。


 いつか屋敷を持てるかもしれない。


 いつか正式な隊旗を掲げられるかもしれない。


 いつかエレオノーラを、胸を張って迎えに行けるかもしれない。


 未来が、手の届くところにあるように見えた。


 ほんの少しだけ、不安もあった。


 遠いチェシーの火薬筒。


 宮廷の嘘。


 リオンの「眩しい」という声。


 だが、それらは今夜の灯りを消すほどではなかった。


 ロビンは磨いた紋章を机の中央に置いた。


 交差する鷹の羽と、中央の槍。


 その銀はまだ曇っていたが、確かに光を返していた。


 バーゼル家は戻る。


 灰鷹隊も、次の場所へ進む。


 その夜、ロビン・フォン・バーゼルは、父への手紙を書き終えるまで眠らなかった。


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