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第25話 偽りの凱旋



 帝都へ戻る道は、出陣の時よりも長く感じられた。


 実際には、来た道を戻っているだけである。


 灰鷹隊が先発隊として帝都を出た時、街道の泥はまだ固く、朝日は東の低い空から槍の穂先を照らしていた。下町の人々が門の外まで見送りに来て、子どもたちは灰青色の首布を指差して笑った。


 あの時、ロビンは戦場へ向かっていた。


 今は、戦場から戻っている。


 それだけの違いのはずだった。


 だが、背に乗せているものが違った。


 行きには、夢があった。


 帰りには、橋の落ちる音があった。


 ブレン村の川面に崩れ落ちた橋。水しぶき。村人の声。ローレンスが頭を下げる姿。レイバーが斧を肩に担ぎ、笑いもせずに「ひでえ仕事だ」と呟いた声。


 ロビンは馬上で何度もそれを思い出した。


 忘れようとしても、忘れられなかった。


 北部公爵軍は大損害を避けた。


 皇太子軍も無事に後方へ退いた。


 追撃を止め、負傷者を帰し、軍を崩さずに撤収した。


 それは、戦場における勝利の一つなのだと、オスカーは言った。


 だが、ロビンの胸の中では、勝利という言葉がまだ形を持たなかった。


「隊長、帝都の外門が見えます」


 若い隊士が言った。


 馬上のロビンは顔を上げる。


 遠く、帝都の城壁が見えた。


 高い石壁。尖塔。皇都大路へ続く南門。


 出陣の時は、あの門をくぐる皇太子軍の列を、灰鷹隊は外から見上げていた。正式な出陣式に並ぶことはできず、先発隊として泥道を進んだ。


 自分たちはまだ、その列に並ぶ者ではない。


 そう思った。


 悔しかった。


 それでも、役目があるのだと納得した。


 今、その帝都へ帰る。


 だが、帰還の列にも、灰鷹隊は並ばないはずだった。


 少なくとも、ロビンはそう考えていた。


「灰鷹隊は北区の裏門から入る」


 ロビンは隊士たちに告げた。


「負傷者を先にハルト道場へ運べ。公爵家から医師が来る手筈だ。馬は仮厩に戻す。首布を整えろ。帝都に戻ったからといって浮かれるな」


「凱旋式には出ないのですか」


 隊士の一人が尋ねた。


 ロビンは短く首を振った。


「我らは出陣式にも並んでいない。凱旋の列に立つ理由もない」


「でも、戦いました」


「戦った」


 ロビンは頷いた。


「だから、まず負傷者を帰す」


 若い隊士は口を閉じた。


 納得したような、していないような顔だった。


 その時、前方から騎馬が駆けてきた。


 公爵騎士団の騎士だった。


「ロビン・フォン・バーゼル殿」


「はい」


「オスカー卿がお呼びです」


 ロビンは眉をひそめた。


「今ですか」


「今です」


 騎士は短く答えた。


「灰鷹隊全員を伴え、とのことです」


 レイバーが馬上で面倒くさそうに肩を回した。


「嫌な予感しかしねえな」


「同感だ」


 リオンが静かに言った。


 リッカは首を傾げた。


「凱旋式、出るの?」


「出ないと言ったばかりだ」


 ロビンが答える。


 レイバーはにやりともせずに言った。


「そういう時に限って、偉い人は逆のこと言うんだよ」




   ◇




 オスカー・フォン・ヴァルトは、帝都南門の外にいた。


 鎧は磨かれていなかった。


 肩には泥がつき、外套の裾は裂け、頬には浅い傷が残っている。凱旋のために飾り立てた騎士ではなく、戦場から戻った騎士そのものだった。


 彼の背後には、公爵騎士団の一部が整列している。


 そのさらに向こう、帝都の南門前にはすでに人だかりができていた。


 旗が立っている。


 花が用意されている。


 皇太子軍の帰還を迎えるための飾りが、門から大路にかけて並んでいた。


 ロビンは胸の奥が重くなるのを感じた。


 出陣式の時と同じだ。


 大路。旗。歓声を待つ民衆。


 ただし、今度は帰還である。


 オスカーはロビンを見た。


「遅い」


「負傷者の列を整えておりました」


「言い訳は聞いていない」


「申し訳ありません」


 ロビンが頭を下げると、オスカーは鼻を鳴らした。


「お前たちも出ろ」


 ロビンは顔を上げた。


「出る、とは」


「凱旋の列だ」


 予想していた言葉だった。


 だが、実際に聞くと、やはり胸に引っかかった。


「我らは、出陣式にも並んでおりません」


「だからどうした」


「皇太子殿下の軍でも、帝国直轄でもありません。フォンヴァルト公爵騎士団隷下の、帝都巡衛隊第三分隊です」


「それがどうした」


 オスカーの声が少し低くなった。


「お前たちは戦った」


「はい」


「殿を務めた。橋を落とした。負傷者を帰した。皇太子軍が面子を保って帰れる道を、お前たちも支えた」


「しかし」


「出陣の列には加われなかった」


 オスカーは、ロビンの言葉を遮った。


「ならば、帰還の列には立て」


 ロビンは言葉を失った。


 オスカーの目は厳しかった。


 だが、その厳しさは叱責だけではなかった。


「凱旋とは、勝った者だけのものではない」


 オスカーは言った。


「帰した者のものでもある」


 ロビンの背後で、レイバーが小さく息を吐いた。


 リッカは黙っている。


 ローレンスは、負傷者の荷車を見ていた。


 リオンだけが、何かを理解したように目を細めていた。


「民衆は真実を知らん」


 オスカーは続けた。


「宮廷が何を発表するかも、すでに決まっている。お前たちが望む言葉ではないだろう。私が望む言葉でもない」


「では、なぜ」


「だからこそだ」


 オスカーは帝都の門を見た。


「嘘の列にも、真実の者が一人もいなければ、それは本当に嘘だけになる」


 ロビンは、ゆっくりと息を吸った。


 嘘の列。


 真実の者。


 それは名誉ではない。


 飾りでもない。


 証人として立て、ということなのだろうか。


「灰鷹隊は、列の後方に入れる」


 オスカーは言った。


「皇太子殿下の列ではない。北部公爵軍の帰還列だ。お前たちの位置はそこだ」


「承知しました」


 ロビンは頭を下げた。


 灰鷹隊の隊士たちに向き直る。


「首布を整えろ」


 若い隊士たちが一斉に灰青色の首布へ手をやった。


 泥で汚れている。


 血の染みがあるものもある。


 それでも、彼らはそれを外さなかった。


 レイバーが自分の首布を雑に締め直した。


「晴れ舞台って顔じゃねえな、俺たち」


「泥舞台だな」


 ローレンスが小さく言った。


 レイバーは少しだけ笑った。


「そっちの方が似合ってる」




   ◇




 帝都の南門が開いた時、歓声が起きた。


 それは大きな波のようだった。


 人々は旗を振り、花を投げ、帰還した兵たちの名を呼んだ。


「皇太子殿下、万歳!」


「帝国軍、万歳!」


「北部公爵軍、よくぞ戻った!」


「チェシーの賊徒を懲らしめたぞ!」


 叫びは、大路の石畳に反響した。


 皇太子軍の先頭には、磨かれた甲冑の騎士たちが並んでいた。


 疲労はある。


 損害もある。


 だが、彼らの鎧は帰還前に整えられていた。旗はまっすぐ掲げられ、軍楽隊は勇ましい旋律を奏でている。


 その後ろに、北部公爵軍の列が続く。


 こちらの兵たちは、もう少し傷んでいた。


 外套の裂け目。鎧のへこみ。泥の残った馬具。


 それでも、民衆は細かな違いを見ない。


 帰ってきた兵を見て、勝ったと信じる。


 勝ったと信じたい。


 灰鷹隊は、その後方にいた。


 出陣式の時、彼らはこの大路を外から見ていた。


 今、彼らは大路の上にいる。


 灰青色の首布を巻いた若者たちに、下町の人々が気づいた。


「あれ、灰鷹じゃないか!」


「灰鷹隊だ!」


「町道場の若い鷹たちだ!」


 声が広がる。


 北区から来たらしい職人たちが、手を振った。


 屋台の主人が、帽子を振り上げた。


 子どもたちが叫ぶ。


「ロビン兄ちゃん!」


「リッカ姉ちゃん!」


「レイバー、こっち向け!」


 レイバーが反射的に顔をしかめた。


「呼び捨てかよ」


 リッカは少しだけ手を上げた。


 子どもたちが歓声を上げる。


 ローレンスは困ったように笑い、ロビンは軽く頷いた。


 その瞬間だけ、胸が温かくなった。


 帰ってきた。


 少なくとも、この人々のところへ帰ってきた。


 だが、次の瞬間、ロビンはブレン村の老人の声を思い出した。


 灰鷹め。


 あの声もまた、自分たちへ向けられたものだった。


 歓声と恨みは、同じ首布に降りかかる。


 ロビンはそれを知った。


 大路の中央に設けられた高台で、宮廷の役人が巻物を広げた。


 軍楽が止む。


 歓声が少しずつ静まる。


 役人は朗々とした声で読み上げた。


「此度、チェシー王国に巣食う反乱分子は、王権と秩序を軽んじ、帝国への朝貢を一方的に拒み、あまつさえ神より授かりし正統なる統治を否定する暴挙に及んだ」


 チェシー共和国とは呼ばない。


 決して呼ばない。


 チェシー王国。


 反乱分子。


 その言葉が、帝国の意地のように大路へ響いた。


「皇太子殿下は、諸侯の軍を率い、これを討つべく御自ら軍を進められた。帝国軍ならびに北部公爵軍は、賊徒に大いなる打撃を与え、その驕りを挫いたのである」


 民衆が沸いた。


 ロビンは馬上で黙っていた。


 打撃を与えた。


 確かに、与えた。


 賊徒を挫いた。


 確かに、押し返した。


 嘘だけではない。


 だからこそ、質が悪かった。


「しかるに、同じく共和を称する西方の国、卑怯にも帝国西部国境を脅かし、秩序ある戦の流儀を踏みにじる不義を働いた」


 役人の声に怒りが混じる。


「皇太子殿下は、帝国西部の民を案じられ、自らの危険を顧みず、西部公爵に迅速なる転進を命じられた。さらに二正面における兵站の混乱を避け、帝国の民を飢えさせぬため、軍を整然と帰還せしめたのである」


 レイバーが小さく笑った。


 笑いというより、息が漏れたような音だった。


 ロビンは横目で見る。


 レイバーは前を向いたまま、唇だけを動かした。


「西部公爵が勝手に帰った、とは言わねえんだな」


「黙れ」


 ロビンも唇だけで返した。


「聞こえねえよ」


「私には聞こえる」


 リッカが前を向いたまま言った。


 レイバーは肩をすくめた。


 役人の声は続く。


「慈悲深くも聡明なる皇太子殿下の御判断により、帝国は無用の消耗を避け、西方の卑怯なる挑発にも備えることとなった。まこと、殿下の大局を見る御眼は、帝国の未来を照らす光である」


 歓声。


 拍手。


 皇太子万歳の声。


 ロビンは、皇太子の姿を見た。


 高台の近く、白馬に乗った皇太子は、民衆へ手を上げていた。


 顔色は少し悪い。


 だが、その表情は整えられている。


 敗北ではない。


 転進である。


 撤退ではない。


 大局である。


 そういう顔だった。


 帝国は、言葉で傷を覆う。


 覆った傷が膿むかどうかは、まだ誰にもわからない。


「それにしても」


 役人は声を強めた。


「西方の共和国ども、そしてチェシー王国の賊徒らは、なんと卑しきことか。正々堂々たる帝国の流儀を知らず、秩序を乱し、不意を衝き、民を惑わす。下賤なる者どもには、誇りも礼もないと見える」


 民衆の一部が罵声を上げた。


「反乱分子め!」


「平民上がりの賊徒ども!」


「神の秩序を乱すな!」


 ロビンは、ふとチェシーの戦場を思い出した。


 火薬筒を握る若い兵。


 恐怖に震えながら、それでも装填していた手。


 ロビンが討ち取った連隊長の目。


 彼らは下賤だったのか。


 誇りがなかったのか。


 わからない。


 だが少なくとも、恐怖はあった。


 命はあった。


 それを一言で賊徒と呼べば、何かが簡単になる。


 簡単になる代わりに、何かが見えなくなる。


 ロビンはそのことを、まだ言葉にできなかった。


 行列は進んだ。


 花が投げられる。


 灰鷹隊にも花が降った。


 リッカの槍に白い花が引っかかり、彼女は不思議そうにそれを見た。


「どうするの、これ」


「そのままにしておけ」


 ローレンスが言った。


「似合わない」


「似合わないから、いいんじゃないかな」


 リッカはしばらく考え、結局その花を槍につけたままにした。


 レイバーの馬にも花が落ちた。


 彼は面倒そうに払いかけ、やめた。


 手を止めて、花を見た。


 何を思ったのかは、ロビンにはわからなかった。




   ◇




 凱旋の列が公爵家の帝都館へ近づく頃、ロビンは人垣の中に灰色の外套を見つけた。


 エレオノーラだった。


 もちろん、公爵家三女が本当にお忍びのまま大路に立っているわけではない。


 彼女は館の門前に設けられた貴族席にいた。侍女と護衛に囲まれ、姿勢よく立っている。外套の色は控えめだが、身につけ方は下町の少女のそれではなく、公爵令嬢のものだった。


 人前のエレオノーラ。


 ロビンだけが知るエリーではない。


 だが、彼女の目がロビンを捉えた瞬間、ほんのわずかに揺れた。


 ロビンは馬上で深く頭を下げた。


 公爵家令嬢に対する礼として。


 そして、ただ一人のエリーに対する帰還の挨拶として。


 エレオノーラは扇を胸元に当て、静かに頷いた。


 それだけだった。


 それだけで十分だった。


 行列は館の前を過ぎ、やがて解散の命が下った。


 皇太子軍は宮城へ。


 北部公爵軍は指定された宿営地へ。


 公爵騎士団は帝都館へ戻る。


 灰鷹隊は負傷者を運び、馬を預け、装備を確認し、ようやく一息つくことを許された。


 夕刻近くになって、ロビンは公爵家帝都館の小庭へ呼ばれた。


 誰に、とは言われなかった。


 だが、わかっていた。


 小庭には、白い石畳と低い生垣があった。帝都の喧騒は壁の向こうで、ここだけは少し静かだった。


 エレオノーラは、噴水のそばに立っていた。


 侍女が一人、少し離れて控えている。


 完全な二人きりではない。


 だが、言葉を交わすには十分だった。


「ロビン様」


 エレオノーラが言った。


 声は落ち着いていた。


 だが、その落ち着きが、かえって胸に響いた。


「ただいま戻りました」


 ロビンは頭を下げた。


「ご無事で、何よりです」


「はい」


 短い返事だった。


 エレオノーラはロビンの頬を見た。


 ローレンスが手当てした傷は、包帯ではなく薄い布で押さえられている。凱旋の列に立つため、できるだけ目立たぬようにしたものだ。


「お怪我を」


「浅いものです」


「浅い傷を負った方は、皆そう言います」


「では、少し深い浅い傷です」


 エレオノーラは一瞬だけ目を丸くした。


 そして、小さく笑った。


 その笑みを見て、ロビンはようやく少し息ができた。


「勝って帰った方のお顔ではありませんわ」


 エレオノーラは言った。


 ロビンは答えられなかった。


 大路では、勝利と発表された。


 民衆は歓声を上げた。


 皇太子は手を振った。


 北部公爵軍は勇戦した。


 灰鷹隊も称賛された。


 だが、エレオノーラはその顔を見抜いた。


「勝ったのでしょうか」


 ロビンは、思わずそう言った。


 言ってから、失礼な言葉だと気づいた。


 公爵家の令嬢に、戦の疑問を投げるものではない。


 だが、エレオノーラは咎めなかった。


「戻られました」


 彼女は静かに言った。


「少なくとも、私はそれを喜びます」


 ロビンは彼女を見た。


「戻っただけで、よいのでしょうか」


「戻らなければ、何も始まりません」


 エレオノーラは少し目を伏せた。


「父も、叔父上も、あなたも。皆、戻りました。戻らなかった方もいるのでしょう。だからこそ、戻ったことを軽く見てはいけないと思います」


 ロビンは黙った。


 戻らなかった者。


 橋の向こうで倒れた者。


 荷車の上で息を引き取った兵。


 名も知らぬチェシー兵。


 そして、暮らしを壊された村人。


 戻った者の背後には、戻らなかったものがある。


「ロビン様」


 エレオノーラの声が、少し柔らかくなった。


「私は、あなたが凱旋の列にいらしたことを嬉しく思いました」


「出る資格があったのか、わかりません」


「資格ではありません」


 エレオノーラは首を振った。


「あなたがそこにいたことが、私には大事でした」


 ロビンは胸の奥で何かが動くのを感じた。


 戦場で雷槍を使った時の熱ではない。


 もっと静かで、もっと危ういものだった。


「エレオノーラ様」


「はい」


「私は、戦場を綺麗なものだと思っていました」


 ロビンはゆっくり言った。


「旗があって、名誉があって、槍を振るえば道が開ける場所だと」


「今は?」


「泥でした」


 ロビンは笑おうとして、うまく笑えなかった。


「負傷者の荷車。壊した橋。嘘の発表。歓声。全部が混ざって、泥のようでした」


 エレオノーラは、しばらく何も言わなかった。


 やがて、扇を閉じる。


「それでも、あなたは戻りました」


「はい」


「なら、次に何を守るかを考えられます」


 ロビンはその言葉を受け止めた。


 次。


 次がある。


 戦は終わっていない。


 帝国も、チェシーも、西方の共和国も、すべてが動き続けている。


 だが今だけは、彼女の前で息をしている。


「お帰りなさい、ロビン様」


 エレオノーラは言った。


 それは、公爵令嬢の言葉ではなかった。


 エリーの言葉だった。


 ロビンは深く頭を下げた。


「ただいま、戻りました」




   ◇




 夜になって、灰鷹隊はハルト道場の離れに戻った。


 何もかもが懐かしく、少し狭く感じられた。


 壁に立てかけられた木槍。


 帳簿の置かれた机。


 修理待ちの鞍。


 洗いきれない泥の匂い。


 隊士たちは疲れ切っていたが、下町の人々が差し入れたパンや煮込みを食べ、少しずつ声を取り戻していた。


 凱旋の話をする者もいた。


 花をもらったと照れる者。


 子どもに名前を呼ばれたと喜ぶ者。


 戦場の怖さを笑い話にしようとして、途中で黙る者。


 ローレンスは負傷者の手当てに追われていた。


 リッカは槍についた白い花を外し、小さな瓶に挿している。


 リオンは壁際で静かに酒を飲んでいた。


 ロビンは離れの外に出た。


 帝都の夜空は、煙と灯りで星が薄い。


 それでも北の空に、故郷の方角がある。


 グラウフェルト。


 シーベルト火山。


 北部要塞。


 少年時代の手書きの旗。


 あの旗を持った悪ガキたちは、帝都の凱旋大路に立つまでになった。


 それは誇っていいことなのかもしれない。


 だが、素直に誇るには、ロビンはもう少し多くのものを見てしまっていた。


「勝ってねえよな」


 背後から声がした。


 レイバーだった。


 彼は酒杯を持っていたが、中身はほとんど減っていない。


「大路じゃ勝ったことになってたけどよ」


 ロビンは空を見たまま答えた。


「だが、皆を帰した」


「皆じゃねえ」


「……そうだな」


 戻らなかった者はいる。


 救えなかったものもある。


 ロビンは訂正した。


「それでも、多くを帰した」


 レイバーはしばらく黙っていた。


 それから、酒杯を軽く揺らした。


「それは勝ちでいいか」


 ロビンはすぐには答えなかった。


 宮廷の勝利とは違う。


 皇太子の英断とも違う。


 民衆が信じた凱旋とも違う。


 だが、負傷者が帰った。


 ローレンスが手を握った兵は、まだ息をしている。


 リッカも、レイバーも、リオンも戻った。


 エレオノーラに、ただいまと言えた。


 ならば。


「今日だけは」


 ロビンは言った。


「勝ちでいい」


 レイバーは小さく笑った。


「じゃあ、今日だけ勝ったことにしようぜ」


「ああ」


「明日からは?」


「明日から考える」


「隊長らしい答えだ」


 レイバーは酒杯を掲げた。


 ロビンも、手元に杯はなかったが、槍の柄を軽く持ち上げた。


 帝都のどこかで、まだ凱旋の歌が聞こえていた。


 偽りの勝利を祝う歌だった。


 だがその夜、ハルト道場の小さな離れにだけは、別の勝利があった。


 泥道を帰ってきた者たちの、声にならない勝利があった。


 ロビンは目を閉じる。


 歓声の奥で、橋の落ちる音がまだ聞こえる。


 その音は消えない。


 きっと、この先も消えない。


 それでも彼は、戻ってきた。


 戻ってきた者として、次の朝を迎えなければならなかった。


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