表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/4

4. 愛され令嬢、舞踏会の招待状が届かない


返送された封筒は、朝食室の卓に積まれていた。


白パンのない朝に、未開封の招待状。


どちらも、王太子府にとっては初めての不作だった。


「何かの間違いですわ」


ミレーユは封筒の一通を両手で持った。


「だって昨日まで、皆様あんなに優しくしてくださいましたもの」


「社交とは、相手が階段から落ちるまでは手を振るものです」


アレシアが言った。


「落ちた後は?」


「扇で口元を隠します」


「怖いですわ」


「怖がれるうちは、まだ学べます」


エドガー王太子は封筒を一通奪い取り、封を破った。


「読めば済む」


「殿下、それは未開封返送の記録が」


ベルトラン財務長官が止めかけたが、遅かった。


エドガーは紙を広げる。


「『王妃宮副署および社交席次管理者の確認なき招待につき、当家は出席を見合わせます』……くだらん」


彼は紙を卓に投げた。


「私の名で招いているのだぞ」


「はい」


アレシアは頷いた。


「ですから皆様、慎重になさったのでしょう」


「どういう意味だ」


「王太子殿下個人の宴なのか、王家の公的な歓迎なのか、招待状から読み取れません」


「私が未来の妃を披露すると言えば、それで公的だ」


「公的なものは、言葉ではなく印で立ちます」


ミレーユが封筒を見つめる。


「印がないと、わたくしは王家に歓迎されていないように見えるのですか?」


「厳密には、王家が責任を持ってあなたを紹介する形になっておりません」


「……では、皆様が来ないのは、わたくしが嫌われたからではなく?」


「半分は形式です」


「半分は?」


アレシアは少しだけ間を置いた。


「様子見です」


ミレーユは小さく息を呑んだ。


エドガーが苛立って机を叩く。


「遠回しに脅すな。アレシア、君が副署すれば済む話だ」


「退任済みです」


「臨時でやれ」


「契約書を」


「また金か」


「いいえ。責任の所在です」


その時、侍従長モリスが入ってきた。


「殿下。王妃宮より使者が参りました」


「母上か」


「はい。『返送された招待状をすべて持参し、ただちに来るように』とのことです」


エドガーは勝ち誇ったようにアレシアを見た。


「聞いたな。母上の命令だ。来い」


「私は呼ばれておりません」


モリスが咳払いをした。


「アレシア様宛には、別紙がございます」


「別紙?」


「王妃宮臨時顧問として、招待状不備の確認を依頼する。報酬は日当金貨二十枚」


エドガーの顔が固まった。


アレシアは静かに礼をする。


「王妃殿下は、順序をご理解くださいました」


レオンハルト辺境伯が淡々と言った。


「王妃宮の方が回収見込みはありそうだ」


「辺境伯、君は黙っていろ」


「債権者として、支払う意思のある部署には敬意を払っている」


王妃宮の応接室には、すでにイザベル王妃が待っていた。


銀盆の上には、昨夜アレシアが返却した白手袋。


その隣に、未開封返送された招待状の束。


王妃は二つを見比べ、短く言った。


「見事に止まりましたね」


エドガーが前へ出る。


「母上。貴族たちが形式にこだわりすぎるのです」


「形式は、軽んじる者の前でだけ牙をむきます」


「招待状くらいで」


「昨朝は白パンくらい、と言ったそうですね」


エドガーは黙った。


王妃はミレーユへ視線を移す。


「子爵令嬢」


「はい」


「あなたは、この招待状で舞踏会を開けると思いましたか?」


ミレーユは少し迷い、それから首を振った。


「今は、思いません」


「なぜ?」


「誰が責任を持って呼んでくださるのか、分からないからです」


王妃の目がわずかに和らいだ。


「よろしい」


エドガーが驚いたように彼女を見る。


「ミレーユ?」


「殿下。わたくし、分からないまま笑っているのは少し怖くなりました」


「君は私の隣で笑っていればいい」


「でも、皆様がその笑顔を信用してくださらないのです」


王妃は扇を閉じた。


「アレシア。説明を」


「はい」


アレシアは招待状を一通取った。


「まず宛名。こちらは伯爵家当主宛ですが、本来招くべきは夫人です」


ミレーユが目を丸くする。


「当主様ではいけませんの?」


「舞踏会の席は、夫人の了承なしに動きません」


「奥様が鍵なのですね」


「社交界では、扇を持つ方が門番です」


次に、別の封筒を示す。


「こちらは紙が違います」


「紙?」


「王宮正式招待状には季節紙を用います。今は初夏ですから、白樺混じりの薄紙。これは冬用です」


「紙にも季節が……」


「ございます。季節を間違えると、急ごしらえと見られます」


ミレーユは封筒を胸に抱いた。


「わたくし、急ごしらえの未来の妃なのですね」


「今は」


アレシアは否定しなかった。


「ですが、未開封で返したということは、まだ返事をしていないという意味でもあります」


「拒絶ではないのですか?」


「正式な招待状を待つ、という保留です」


ミレーユの表情に、ほんの少しだけ色が戻った。


「では、やり直せますの?」


「招待状は」


「わたくしは?」


アレシアは一拍置いた。


「ご自分が何を知らないか、知り続けるなら」


ミレーユは深く頭を下げた。


「教えてくださいませ」


エドガーが顔をしかめる。


「ミレーユ、君が頭を下げる必要はない」


「あります」


「なぜだ」


「わたくしが出した招待状ですもの。殿下のお名前だけを頼って、誰に何を渡したのかも知りませんでした」


「君は悪くない」


「では、悪くないまま、次も失敗します」


エドガーは言葉を失った。


王妃はアレシアを見た。


「臨時顧問として、ミレーユ嬢に招待状の作法を教えなさい」


「承知いたしました。ただし、王太子府の業務には関与いたしません」


「構いません」


「未払い報酬とは別請求で」


「もちろんです」


エドガーが呻く。


「母上まで金の話を」


王妃は冷ややかに返した。


「金の話を避けた結果が、この封筒の山です」


その時、廊下から硬い足音が近づいた。


侍女が扉の前で膝を折る。


「王妃殿下。王室監査院の方々がお見えです」


ベルトランの顔が灰色になった。


「もう来ましたか」


エドガーが眉を上げる。


「監査院? 明朝ではなかったのか」


「予定が早まりました」


侍女は震える声で続ける。


「王太子府会計と、王妃宮保管の十年前の契約書を確認したいとのことです」


王妃の指が、白手袋の上で止まった。


「十年前の契約書……」


アレシアは静かに言った。


「私の王太子妃準備役契約ですね」


レオンハルトが窓際で目を細める。


「招待状の次は、契約書か」


エドガーは苛立って吐き捨てた。


「また古い紙切れか」


アレシアは、返送された招待状を丁寧に重ねた。


「殿下」


「何だ」


「紙切れは、署名した者をよく覚えております」


扉の向こうで、監査院の杖が床を打った。


白パンも、舞踏会も、まだ序の口だった。

お読みいただきありがとうございます!

面白かったら☆やブクマ頂けると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ