「愛する人のために覚悟を決める、なんて言えば聞こえは良いんですけどねー」という言い訳のようなもの
離の掃除を終え、湯浅さんからから「問題ないです」との評価をもらい、そこから神様とやらが顕現するまでは自由時間となった。
「これまではお見えになるまで時間がかかることもありましたが、今はシステムを修繕していただきましたからね。遅くとも日付が変わってまもなくの頃にはいらっしゃるでしょう」
今思えばこういった因習云々がどうこうの祭事に巻き込まれた場合、開催までの数日間で少しずつ奇妙な点やらが見えてきて最終日に大事が起こる、というのがセオリーなのではないだろうか?
そんなぼやきは置いておくとして。
あと二四時間にも満たない間で自分の手を汚すかどうかの覚悟を決めなくてはいけない。そのプレッシャーは結構なものだったと思う。色々と曖昧な今でも、そのときのことを思い出すと胃の辺りだろう部分から不快感が込み上げてくるのだから。
そんなこんなで、私はあてがわれた部屋で時間を潰し間も無くして昼食の時間になった。
会長は相変わらずキラキラした顔でテンション高めに色々と話してくれた。内容はほとんど覚えていないけれど、なぜか小さな女の子の話し相手をしている気分になったことは覚えている。
そう。
なんというか、総じて無邪気。
そういう具合だった。
初対面の頃(といってもわずか一日くらい前の話だけれども)のように、柔らかな笑顔の奥に何らかの何かを隠している的なままだったらもう少しだけ気分が楽だったかもしれない。
「本当にシオンさんが来てくれてよかったわ! 今まで私の助けになってくれる人なんてだぁれも居なかったんだもの!!」
少なくとも、そう言った笑顔が脳裏にこびりつくことはなかっただろう。
もちろん何度も何度も言ってきているように、私の正気だってとっくに吹き飛んではいた。
元上司がひしゃげながらアスファルトに激突したと聞いたときも「ああ、死んだんだ。アイツ」程度の感想も抱かずに、内臓の模造品のことを考えていた。
それに、恵叶との間に割って入ろうとした女性たちの食べ残しが庭に植えられていると聞いたときも「それはお気の毒に」程度の感想すら抱かずに、恵叶に会う方法を画策していた。
そもそも、それまで何の思想も信念も持たずに食事をしてきたのだから、間接的にそれなりの命を奪って生きてきたことになるのだろう。
だからといって、自分で直接手を下すのはまた勝手が違う。
「……シオン、大丈夫? なんだか顔色が悪いよ?」
気がつくと透明な板越しに恵叶と内臓の模造品が首を傾げていた。いや、内臓の模造品が実際に傾げていたのは例によって例のごとく、膵臓のようなぶぶんだったけれども。それはともかく。
昼食の後は、お喋りとやらに少し付き合っていた。ただどうにもいたたまれなくなり、システム改修の準備をしたいという名目でまたこの牢獄のような面会室のような場所にやってきていた。
「体調が悪いなら……ごめん、悪くならないわけがないよね」
前夜(なのかどうかは甚だ疑問が残るが便宜的にそうしておく)話をしたときよりも、声や顔色はやや落ち着いてるようにも見えた。ただ、その落ち着きが前向きなもの由来ではないことくらいは分かっていた。
「でも、母さんに従っていれば今までよりも平穏に暮らしていけるから」
その平穏という言葉に自分を含めていないことも。
「きっとすぐに慣れるよ」
「……」
長い秋が終わってから交際が始まるまでの間に、多分、それなりに季節は移り変わった。
「それに、母さんのことだからすぐに代わりの相手を見つけてくれるはず」
交際が始まってから、日がな一日白く崩れていった同居人を偲ぶということも少なくはなった。
「だから、大丈夫だよ」
「……」
そう。
大丈夫なことは確かだったのだろう。
精肉コーナーに並ぶ丸焼き用のブロイラーを見て涙を流し、そのとき傍にいる誰かにしがみつく。きっと、そんな感じで新しい日常にも慣れていけたはず。
ただし、同意の言葉はどうあっても声帯を昇ってきてはくれなかった。
「……恵叶はそれでいいの?」
代わりに出たのはそんな一言だった。
「私は絶対に嫌だけど」
「……」
もちろん、答えはすぐに返ってこなかった。
それでも、しばらく見つめているうちに薄い唇が震えながら動いた。
「……そうだね。たとえばこの間教えてくれた雑貨屋だったり、年明けあたりに予定していた水族館巡りだったり……ただの普通の日だったり。ずっとシオンと一緒に過ごしていたいよ」
か細い声が響くなか、足もとで膵臓のような物が一度床を叩く。
「でも、もう仕方のないことだから」
青白い笑顔の下で今度は二度。
それはそうだ。
丸焼き用のブロイラーになんてなりたくはない。
そんなことは聞くまでもない。
なら答えなんて一つしかないじゃないか。
たとえずっと一緒に過ごすのは無理になっても。
「……そっか。じゃあ私はいったん用意してもらった部屋に戻るけど、最後に一つだけいいかな」
「なに?」
怪訝な表情のしたで膵臓のようなものもかしげらた。
「愛してる」
思い返してみれば、私のほうからその言葉を口にしたのは、このときが最初だったのかもしれない。
恵叶の驚いた顔と内臓の模造品が所在無さげに何やら長いものをもたげる様は、今でもわりと鮮明に覚えている。




