残したかった記憶
あまり性能がよろしくない器に大事なことを残す場合、余計なものを切り捨てるのはよくあることだ。多分、このときは恵叶との会話が何よりも重要だと感じたのだろう。
だからそれ以外のものは曖昧なんて次元でなくまったく覚えていない。
「どこからどう話せばいいか……、ひとまずこの家はずっと神様に供物を捧げてきたっていう話はもう知ってるんだよね」
「うん。結構な期間、代々そうしてきたって」
「そう。だから、もちろん母も供物を用意する側だったんだ。その前は祖母だったんだけど体が弱かったらしくて、そのせいでかなり幼いころから役目を負っていたらしい」
「そっか」
「妹もいたけれど神様の口に合わなかったからずっと一人で役目を果たしてたって、よく自慢げに話してたよ」
「自慢げだったんだ」
「母は人には真似できない重要な役目に就くことに生きがいを感じるタイプの人間だから。それがどんな役目だったとしてもね」
「……でも、恵叶はそうじゃないんでしょ?」
「……ははっ。まあ、俺はそもそも役目を上手く果たせてなかったし。機械の不調のせいって湯浅さんは言ってたけど信じてもらえなくて……、結局願いを叶えてもらうための詳しい手順までは教えてもらえなかった。不完全な供物しか用意できない子には過ぎた役目だって」
「……」
「だから、供物を用意するためだけの装置としてずっと生かされてきたんだ。一応、不具合があっても必要最低限くらいの品質で供物を作れていたから、生活水準はそれなりにしてもらえた。ただ」
「ただ?」
「なんていうのかな、気持ちに寄り添ってもらえるようなかんじではなかったかな」
「……」
「シオンのいう内臓の模造品はね、説明がちょっと難しいんだけど……、記憶と感覚と感情を共有している自立して動くもう一人の自分、みたいなかんじなのかな」
「……それは、大分ややこしい関係だね」
「あはは、本当にそうだよね。俺もそれなりに小さい頃から役目を負っていたけれど、最初のうちはその自分がもう一人いるっていう感覚だけでくるしくて仕方なかった。ただ、それ以上のことがあるからすぐに慣れたけど」
「……」
「咀嚼される側の視界ってやっぱり恐ろしいんだ。それに視覚がなくなっても他の感覚はそこそこ続くんだ。シオンなら分かってくれると思うけど」
「まあ……、多少だけだけど覚えはあるよ」
「身体の内側も外側もぜんぶ痛くて、齧る音が近くからも遠くからもずっと鳴り止まなくて、目の前が真っ暗になったり神様が供物を齧る姿が見えたり」
「……」
「怖くて痛くて泣きわめいても母さんは助けてくれなくて、『うるさい。私だって家のためにずっと同じことをしてきたんだから我慢しなさい』って怒った」
「……」
「父さんと叔母さんは『母さんとは離れて暮らそう。もう痛い思いはさせない』って言ってくれたけど、『こっちで持ってればもっといい暮らしができる。湯浅ならすぐに言いくるめられるから』って夜中に二人で話してた」
「……」
「この家にいるよりずっと怖いことになりそうだったから、母さんに言いつけた。そうしたら『なんですぐに言わないの』って怒られた」
「……」
「でも、二人をちゃんと神様に食べさせてくれたから、ひどい目にはあわなくてすんだ」
「……」
「僕、間違ったことしたかな?」
「……別に。間違ってはいないでしょ。恵叶が無事だったんだし」
「ありがとう。シオンはやっぱり優しいね」
「……そうでもないよ」
「そんなことないよ。先生も、友だちも、周りの人はみんな母さんの味方だった」
「……そうだったの?」
「うん、誰も助けてくれなかった。だから、ずっと逃げたかった。それで、一回だけお供えを作れなかったふりをして逃すことにした。神様の鳴き声はずっと聞こえてたけど、それが急にとまったところがあったんだ」
「それが家だったんだ……」
「うん。たぶん、あの音楽のおかげだったんだと思う。むかし、湯浅さんがそんな話をしてたから」
「……あれか」
「うん。だから見つからないように住ませてもらおうとしたけど、内臓だけだしすぐに追い出されると思った。でも、そうじゃなかった」
「まあ、そう、だね」
「なんの役にも立てなかったのに、怒ったり叩いたりしなかった」
「……」
「それに、お仕事で大変そうだったのに、いつもプリンを買ってきてくれた」
「……」
「シオンはずっと僕に優しくしてくれた」
「……」
「だから、神様にお願いして悪いやつらは追い払うことにしたんだ。ちょっとしたお願いだったから、ちゃんとしたやり方じゃなくても叶えてもらえたよ」
「……そっか。ありがとう」
「ううん。シオンにもう辛い思いをさせたくなかったから。もう、大丈夫になった?」
「うん。おかげさまでね」
「それならよかった」
「……ごめんね。私のせいで怖くて痛い思いをさせちゃって」
「気にしないで。シオンは僕のお願いを叶えてくれたんだから、あれくらいなんてことなかったよ」
「……願いを叶えた?」
「うん。僕はただ」
この辺りになってようやく会話以外の思い出もやや明確になってくる。
「誰かに愛されてみたかったんだ」
その声は確かに、涙を浮かべた笑顔と床で蠢く内臓の模造品の両方から聞こえていた。
きっとそんな記憶を残しておきたかったのだろう。




