「なんとかしたい相手にかぎって、『話を聞いてくれるだけで助かる』なんて言うものな気がする」という話
私の記憶というのは飽きるほど言っているようにかなり曖昧になってきている。だから、個人宅に生々しい天井や壁や床の部屋があったり、やたらと病室に似ている部屋があったり、外観よりも明らかに長すぎる廊下があったりなんて記憶も、すべてはただの妄想に過ぎない可能性は充分にある。
「ささ、坂口様。恵叶さんはこちらです」
「……どうも」
それでも案内役の湯浅さんが開けた襖の先にあった水の入っていない水槽……動物園やら水族館でときおり見かける爬虫類の展示のような設備は、たしかにあったもののように思う。
その中でうずくまっていた恵叶の表情や、その傍らで蠢いていた内臓も。
「……シオン」
ただし、分厚いアクリル越しのはずなのに呟きに近い声がはっきりと聞こえてきた覚えがあるらやはりどこかしら記憶はおかしいのかもしれないけれど、そのあたりを一々気にしていたらきりがないから話を進めようと思う。
「ではでは、ワタクシはこれで失礼します。ああ、そうそうこの部屋は供物の品質を保つために監視や盗聴などのストレス因子になりえるものは排除しておりますので、どうぞごゆるりと」
そう言い残してエビフライとミイラを雑に組み合わせたような姿は部屋から出ていった。俄には信じがたかったけれど、捲したてられた言葉のなかに会長と利害関係が完全には一致していない、というようなものもあったような気がした。
「……大丈夫。湯浅さんの言うことに嘘はないよ」
それに、力ない声が嘘を吐いているようにも見えなかった。
「……そっか」
「うん……」
短く言葉を交わしたあとしばらく沈黙が続いた。どのくらいの時間だったか覚えていない。ただまっすぐに顔を見ることができずに床に蠢く内臓たちをずっと眺めていた。
「……母さんからね」
先に言葉を発したのは恵叶のほうだった。
「機械も直ったし、供物を作るとき以外はもうここからは出さないって言われた」
「……ごめん」
「ううん。シオンを責めてるわけじゃないんだ。むしろ、俺のほうこそごめん。結局、君をここまで巻き込んだんだから」
「いや、その辺は……なんか途中から自分で巻き込まれていってた気もするし。だから少なくともこの馬鹿げた場所から二人で帰るまで、巻き込まれてようかと」
「……それは、もう諦めて」
「でも」
そう簡単に諦められるわけがない。その言葉を遮るように力ない表情によりいっそう影が差した。
「……父さんと叔母さんのことはもう聞いてる?」
「……うん。ざっとだったけど」
「なら、言いたいことは分かってくれるよね?」
「……」
言いたいことは分かるけれども、分かった、とは言いたくない。そんなこちらの心境を察するのはそれほど難しくはなかったのだろう。影のさした表情はまっすぐにこちらの目を見つめてきた。
「母さんは自分の邪魔になるものを処分するのに、一切の躊躇がないんだ」
たしかに、供物とやらを逃がすような真似をしたら私もあの庭のどこかで咲くことになるのだろう。
「大丈夫。技術者として協力している分にはシオンの安全は保証されるから」
たしかに、会長は自分に利のある相手を早々に処分するほど無計画な人間ではないのだろう。
「それに、ほら。湯浅さんもシオンのことは気に入ってるみたいだから色々と手助けしてくれるはずだよ」
たしかに、捲したてられた言葉のなかにこちらを評価するむねの発言もあったかもしれない。
だからといって。
「うん、俺なら大丈夫。たとえここから二度と出られないとしても、シオンが居なくなってしまうよりはずっといい」
血の気の全くない顔で笑う相手を切り捨てられない程度の正気は残っていた。
いや、むしろ正気が吹き飛んでいたからこそ、保身のために切り捨てるという選択肢も吹き飛んでしまっていたのかもしれないけれども。
「……全然平気そうな顔には見えないんだけど?」
「……あはは。鎮痛剤を一気して血を吐いて倒れるまで大丈夫って言ってたシオンに、まさかそんなことを言われるなんてね」
「今そんな話を持ち出してる場合じゃないでしょ」
「うん、そうだね。ごめん。でも、こうなってしまったら、もうどうしようもないから……ただ、さ」
「うん?」
「まだ祭事が始まるまで時間があるから、少し話に付きあってもらってもいいかな?」
今思えば身の上話に付きあうよりも、二人で逃げるための手段について話し合っていたほうが時間を有効活用できていたのだろう。
それに、上手い案が見つかっていれば今のこの状況ももう少し違っていたとは思う。
まあ、それは本当に言っても仕方がないことではあるのだけれど。
「……うん」
聞き飽きているとは思おうけれど、私の記憶はぼやけていたり歪んでいたり、実に不確かな物だ。だから「それで恵叶が少しでも楽になるのなら」なんていう思いもただの建前で、本当はただの下世話な好奇心からうなずいただけだったのかもしれない。
「ありがとう、シオン」
それでも、力なく笑う顔にはほんの少しだけ血の気が戻って来たのを見て気分が少し楽になったことは確かだった。




