「話が長いひとの話というのは聞き流すくらいが丁度いいのだと思います」という緊急事態的なもの
目が慣れてくると床にも壁にも天井にもなんとも言えない色の、生物っぽいような植物っぽいような鉱物っぽいようなものが蔓延っているのが見えた。そんなあまりにも訳が分からない状況にあまりにもよく知った人物がいると、正常性バイアスが働いてしまうものなのだろう。
「シオン、なんでこんなところに!?」
「えーと……、食事の後になっても部屋に来なかったから心配になって……的な?」
青ざめた顔に返すには気の抜けすぎた答えが転がり出たのは覚えている。当然、恵叶の顔色はますます悪くなっていった。
「早くここから出ていくんだ!」
「そうは、言われても」
正常性バイアスが働くなかでも、やたらとゴテゴテした装飾のタワー型サーバーのような物に同じくやたらとゴテゴテしたコードで繋がれた交際相手前にして、「分かった。じゃあ、先に寝てるね」という言葉は出てこなかった。
「とりあえず、首のそれは私が勝手に抜いたらマズいことになるかんじ?」
「聞かなくても大体分かるだろう……」
「あはは、だよね……」
「まったく、もう……」
延髄の辺りにコードが突き刺さった首は力なくうなだれた。ただ、あまりにも普段通りなやりとりに顔色は若干マシになってきたように見えた。
「……俺なら大丈夫だから」
「でも、そのままにしてたらつらいでしょ?」
「それは、まあ……。でも、これは俺がやらないといけないことだから。ともかく、早くここから出ないと、もうすぐ母さんが」
大体のこういった話ではこういう台詞の後に、間髪入れず話題に上がった人物がやって来るものなのだろう。勿論、私たちの場合も例外ではなかった。
不意につまり気味のポンプに水が通るような音が背後から響いた。振り返ると、悪趣味極まりない感じの扉が脈打ちながら開いていった。
その先から現れたのは当然──
「……あら? シオンさんも来ていたのね」
──黒留袖を身に纏った会長。
未明と呼ばれるくらいの時間帯になっていたはずなのに、髪にも化粧にも着物にも乱れは一つもなかった。
「なんだ。恵叶さんったらあれだけ色々と言っていたのに、結局はシオンさんに協力してもらうことにしたのね」
「……シオンはただ、ここに迷い込んでしまっただけです」
「ふふ、いいのよそんな嘘を吐かなくても。私か恵叶さんの案内がなければここには近づくことすらできないのだし。それに本当に迷い込んだのだとしても、ここを見られたのならもう協力してもらうしかないでしょう」
まあ、見られたらマズいような物事だというのはさすがに分かった。それに、その後に続く展開も。
「……っシオン! 逃げて!!」
そんな恵叶の絶叫に応えようと足に力を入れはした。ただ、このまま一人で逃げ出してしまうのが正解なのだろうか?
「あらあら、そんなに急いで帰らなくてもいいのよ」
そんな疑問を抱いている間に、空気の抜けるような音が響いて腿が激痛に襲われた。
それから、なんだか生き物っぽい拳銃みたいな物を構える手だとか、破れたパジャマだとか、微笑みを崩さない顔だとか、血が噴き出す傷口だとか、悲鳴を上げる青ざめた顔だとか、迫ってくるなんだかウゾウゾした床だとか、そんなものが視界に入ってきたように覚えている。あとは、なんかまた色気のないうめき声をあげながら血溜まりに倒れてうずくまったこととか。
血まみれで倒れるなんて経験を人生で何回もする人間はそういないだろう。そう考えると私はある意味運がいいのかもしれない。
そんな現実逃避をしないとやっていられなかった。
「シオン! シオン!」
恵叶の泣きそうな叫び声と何やらガリガリとした音が響くなか、張り付いた笑みとしか表現できない会長の顔が近づいてきた。
「じゃあ、シオンさん。しっかり協力してちょうだいね」
やたらと穏やかな声とともに、ほんのり温かい銃口らしきものが眉間のあたりに突きつけられた。
「……せめて何に協力させられるかくらいは教えていただけませんかね?」
頭を吹き飛ばされてもできる協力なんてどうせろくなものでもないだろう。そうは分かってみても念のため時間稼ぎくらいはしたかった。あまり効果があるとは思わなかったけれども。
「あらあら、そんな怖い顔をしないで。そうね、教えてあげるべきなのかもしれないけれど、どのみち理解できないでしょうから。ただ、恵叶の負担は軽くなることは確かよ」
案の定、大した話は聞けなかった。
それでも恵叶の負担が軽くなると言うのなら、もうそれでいいか。
諦めかけたときに、またつまり気味のポンプに水が通るような音が聞こえてきた。
「奥様。坂口様にはもっと他のことで協力していただいたほうがよろしいかと」
続いてやたらとガサガサしたかんじの声も。
「……もっと他のことと言うと?」
眉間は相変わらずほんのり温かいままだったけれど、多少の猶予はできたかもしれない。そんなことを考えているとガサガサとした咳払いが数回聞こえた。
「ええ。なんと言っても坂口様は技術者ですからね。ほら、最近アノカタへの供物、品質が著しく下がっていたでしょう? そのおかげで召し上がっていただいても思うような恩寵をいただけなかったり、ときには召し上がっていただけなかったり、ときにはそもそもできあがらなかったり……いえ、ワタクシとしてはそれもそれで必要なことなのだと思いますが、ただそうですね、まだそのときではないとも思います。ともかく、奥様としてはなんとかして新しい供物を用意しようとしたかったのですよね? それこそ、坂口様を使用して新たな供物を産み出させたりですとか。しかし、それにはそれなりの時間も掛かりますし、なにより産み出された供物がアノカタのお口に合うとも限りませんからね。まあ、胎さえ確保できれば試行錯誤をしていくこともできますが。ただ、それよりも確実にお口に合うものを確実に用意することのほうがより確実なのです。そう、本来なら恵叶さんもまだ充分使用に耐える状態のはずなのです。ですから、一連の不都合や不具合はあくまでもシステムに問題が起きていると考えるのが妥当なのです。まあそうはいっても、今までは直しようもなかったので奥様のお考えになる方法が一番効率がよいということには間違いがなかったのでしょう。それでも、今は違うのです。なにせ坂口様が、今、ここに倒れているコノカタが、修繕を完了なさってくださったのですから」
夕食前に比べて、ガサガサした言葉はある程度聞き取れるようになっていた気はする。ただ、一気に捲し立ててくれたおかげで完全に理解はできていなかった。ただ、会長が恵叶をろくな目に遭わせていなかったことと、私をろくでもない目に遭わせようとしていた、ということは分かった。
それからまたしばらくガサガサした声が続くうちに、銃口は眉間から離れていった。
私は痛みをこらえながら視線をガサガサした声のほうにむけた。
「それでは、とくとご覧ください」
視界のなかでは呆然とする恵叶を尻目に、湯浅さんがタワー型サーバーのような物のラックを開いていた。




