「悪夢にもいろいろな方向性があると思いました」という夜の情景
夕食はひとまず無事に終わった。
会長は再び当たり障りのない話題に話を戻し、恵叶の状況を聞いても、「大丈夫よ」だとか「心配しないでね」という類いの言葉しか返ってこなくなった。相変わらず不信感はまだ残っていたけれども家族としての情みたいなものの一端が見えたおかげで、最悪の事態までは起こっていない、と思える程度には落ち着いた。少なくとも、その時点では。
「片付けは湯浅に任せて、シオンさんは先にお風呂に入ってお部屋でゆっくりしていてね。お風呂はこの廊下をずっとまっすぐ進んだところにあるから」
「ありがとうございます。では、失礼します」
そんなこんなで勧められるままに入浴やら着替えやら布団の支度やらを済ませ、あてがわれた部屋で恵叶を待つことにした。横になりながらあたりを見渡すと、照明は点いているのに部屋の隅がやけに薄暗いように感じた。
かつての同居人がウゴウゴしていても違和感がなさそうだ。ぼんやりとそんなことを考えていたことを覚えている。あとは、携帯電話でパズルゲームとかをしていた気がする。
そうこうしているうちにあくびが止まらなくなり、目蓋はだんだんと重くなって、いつのまにか眠りに落ちていた。誰かと一緒に食事をとっている夢をみたことは覚えている。ただ、その相手が同居人だったのか交際相手だったそれ以外の何かだったのかは定かではない。
ビタン
「……?」
そんな不確かな夢を覚ましたのは、障子から響く音だった。なんだか、濡れ雑巾を床に落としたようなかんじだったと覚えている。もちろん、実際に音を立てているのは濡れ雑巾などではなかったのだけれども。
「……恵、叶?」
目をこすりながら顔を向けると、障子にうっすらと影が写っていた。
それはどう見ても膵臓のような形をしていた。
「!?」
目蓋の重さやら身体の怠さは一気に吹き飛んだ。
「内臓の模造品!?」
急いで飛び起き障子を開けたけれど、目に入ったのは何かがスルスルと廊下の角に消えていく様だった。
「待って!!」
当然すぐにその後を追った。
姿はすでに見えなくなっていたけれど、床に這ったような跡が残っていた。そのおかげで迷ったらどうしようという不安は皆無だったことを覚えている。
そんなに速く動けたのかよ!?
逃げる前に少しくらい事情を聞かせてよ!!
というか恵叶はどうしたのさ!?
そんなことを心中で叫びながら限界ギリギリSEの体力なりに全力疾走していると、内臓のようなものが襖の隙間に滑り込んでいく姿を確認できた。私は息を切らしながらもなんとか追いつき襖を開いた。
その先に広がっていたのは。
「だから……待って……?」
ベースライトが等間隔に並ぶ天井。
デスクトップと固定電話が一つずつ設置された机。
やる気のない背もたれのキャスター付き回転椅子。
灰色をした正方形のマットが敷き詰められた床。
めちゃくちゃ見慣れた勤め先のオフィスだった。
しかも、私の席にはご丁寧に当時飾っていたファンシーキャラクターのカレンダーも置かれていた。当然のように実物と寸分違わない配置で。
「えーと……?」
ある程度のことは覚悟していたけれど、さすがにわけが分からなすぎた。
ひとまず内臓の模造品を探そう。
そう思いながら部屋に足を踏み入れると、実に厄介なことに気がついてしまった。
私の席のモニターだけ煌々と光を放っている。
「……」
こちらに伝えたいことがあることは分かる。
ただ、色々な意味で嫌な予感しかしない。
そうは言っても、覗いてみないことには状況は進みそうにない。
「なんだかなぁ……」
ため息が溢れながらも、足は席へと向かっていた。
そしてすぐに、色々な嫌な意味での嫌な予感が的中した。
「本当に祭事だの決まりごとだのいうんなら、もっと、こう、さぁ……」
思わずそんな言葉がこぼれた。
画面に映し出されていたのは、絡まりに絡まった無数の線で繋がった大量の表。
ギリギリな感じの日々のなかで慣れ親しんだ……いや、親しみたくはなかったのだけれども。ともかく、データベースをどうこうする言語を表の形にしたあれだった。
そして、お察しのとおりものすごくアレな状態だった。
できるなら見なかったことにしたり、見たとしてもたちの悪い悪夢だったということにしてしまいたかった。
いや、あの状況ならもっと他の類の悪夢を見るほうが自然だとは思うけれども……それはともかく。
画面を指でなぞってみると、文字やら数字やらはハッキリと読むことができた。そのおかげで、悪趣味な夢を見ているわけではないことが分かった。
「……しかたないか」
勤め人生活の中でも最大級にアレなかんじの表ではあった。それでも、優先順位が同じくらいの業務が大量に犇めいているというわけではなかった。
日付が変わるまでは無理かもしれないけれど、夜が明ける前くらいまでにはどうにかできるだろう。そんなことを思いながら座り慣れた回転椅子に腰をかけた。
「せめて、辛いガムとか甘いコーヒーとかがあればいいのに」
見慣れた一人きりのオフィスに、そんな恨み言がやけに虚しく響いたことを覚えている。




