「こういう界隈の主人公的な人は気づかないふりをする限界値が相当高い気もする」という回想
朧気な記憶の中に残っている祭事の内容というのは概ね次のようなものだった。
祭事の前前日、箒とはたきを使って部屋の中の煤払いをする。
このとき、化繊を使った掃除用具は使わないようにする。
多少の埃は構わないけれど、髪の毛だけは絶対に残さないよう注意する。
また、丸井戸の蓋は外れないように注意する。
万が一二人がずれてしまった場合は、井戸の底に目を向けないように注意して直す。
掃除が終わったら、天井の扉の掛け金を専用の器具で外しておく。
祭事の前日は日没以降、水以外は口にしないようにする。
日付が変わったら参加者はお供え物を丸井戸の中に入れる。
しばらく待っていると天井の扉から神様が降りてきて、お供え物を食べはじめる。
その間、責任者──今回は会長が呪文? だか 祭文? だかを唱える。
他の参加者は黙ってその様子を見守る。
神様がお供え物を気に入れば神様が願い事を叶えてくれる。
「そんなかんじ、かな。ここまでで何か質問はある?」
「そう、だね」
小さい頃に参加した稲荷講だとか、似たような豊穣を祈願する祭事はいくつか思いついた。ただ、それら知っている限りの祭事と決定的に違う所もあった。
「その話だと、まるで実際に神様っていうのがやってくるみたいだね」
神様に扮した人間が何かをどうこうする、という類いの話は聞いたことがあったかもしれない。ただ、説明のなかにそういった役回りはなかった。
「あはは、たしかに」
実際のところ、恵叶も困ったように笑うだけで明確に否定はしなかったことを覚えている。
「祭事の本番にシオンも出席することにはならない……というよりもさせないから、そのへんのことはあんまり気にしなくても大丈夫だよ」
「……うん」
柔らかく頭を撫でる笑顔を前にして、それ以上の詳細を聞いても無駄だということは分かった。
「じゃあ、掃除用具と掛け金を外す器具がどこにあるか教えてもらえる?」
「了解。こっちの床下に収納があるから」
そんなこんなで、お清めの作業に必要な道具の保管場所を教えてもらったり、一人でも迷わず離れに来るためのこつを教えてもらったりしてから、一度泊まらせてもらう部屋に戻った。
「俺は母さんと少し話があるけど、シオンは夕食までゆっくりしてて」
「うん、ありがとう。ちなみに、恵叶もここに泊まるかんじ?」
「……俺は祭事の件でいろいろとしなきゃいけないことがあるから」
「そっか……」
「ごめん。寝る前に一度顔は出すから」
「あ、ううん。忙しいのを邪魔しちゃいけないから無理はしないで」
「あはは、無理じゃなくて俺がしたいからするだけだから、気にしなくていいよ。じゃあ、行ってくるね」
そう言って部屋を出て行く恵叶の顔色は、また酷く青白いものに戻っていた。私は足取り重く去っていく影を障子越しに見送りながら、小さな卓袱台に突っ伏した。
家の話を持ち出されたことと、親子関係がややこしいでは済まされないくらいに拗れているということまではある程度予想通りだった。ただ、エビフライとミイラを雑に組み合わせたような使用人さんやら、庭に生える珍しい植物と呼ばれるものやら、天井から降ってくる神様を歓迎する祭事やらは予想の範疇を超えていた。それに。
少なくとも
シオンのペットっていうのが
鯰じゃなかったことは知ってる
恵叶と長い秋の間に一緒にいた同居人と恵叶が同一人物……いや、まあ、内臓のような物を人物と表すのは若干の語弊があるかもしれないか。ともかく、まるっきり同一の存在なのかまでは分からないけれど、少なくともある程度の記憶は共有しているらしいことは確かだった。
部屋の隅でもちょもちょと蠢くさま。
床を叩く膵臓のようなもの。
腕にそっと絡みつく何か長いもの。
「内臓の模造品……」
思い出が脳裏をよぎると自然と懐かしい呼び名が口からこぼれた。
声を聞いた内臓の模造品は部屋の隅からひょっこりと顔を出し、ときおり呆れたりしながらもこちらの疑問に答えてくれる。そんなことが起こるはずもなく、部屋の中は沈黙に包まれていた。
そんななか、長い秋の間の思い出がやけに次々と蘇っていった。
当然、別れの様子も。
あのとき、内臓のような物たちは半分以上なくなっていた。
その少し前に、長らくの懸念事項だった元上司がいなくなった。
今回行われる祭事では神様にお供え物を食べてもらうことになる。
上手くいけばお供え物を差し出した人間の願いが叶う。
恵叶と内臓の模造品はどうもかなり近しい存在っぽい。
「……」
さすがにここまで来きて、お供え物というのが何なのか予想がつかないほどではなかった。ただし、それが私たちにどんな事態をもたらすのかを知るのはあともう五、六時間あとのことだ。そのときはただ、色々な緊張が解けたのかいつの間にか眠ってしまっていた。
多分、夢は見ていなかったか、忘れてしまったか、思い出したくもないような内容だったかのどれかだったのだろう。
「──口様」
「ん?」
「坂口様、お夕飯の準備ができました」
目を覚ますと、いやに紅い夕日に染まった障子越しに何やらガサガサした影が映っていた。




