「まあ、なにかがメイビー来るかんじということは分かりますけれどね」という話
歩いても歩いても、同じような壁や襖や障子が続く廊下。実際にはそこまでの距離はなかったのかもしれない。
「……」
「……」
ただ、二人で黙ったまま歩いているとやけに長く感じたことを覚えている。
「……ごめんね、恵叶」
先に沈黙を破ったのはたしか私だった……はず。
「……? どうしてシオンが謝るの?」
恵叶は心底不思議そうな顔で首を傾げた。いつかの膵臓のようなもののように。
「親のことと負債のこと、ずっと黙ってたから」
「ああ、そんなことか」
予想外に柔らかな表情と声とともに、繋いだ手が絡みつくように軽く動いた。
「その話は何も問題ないよ。たとえどんな背景があったとしても、シオンと一緒にいたいっていう気持ちは変わらないから。むしろ問題なのは、自分から話してくれる前に強引に話題に出した母さんのほうだよ」
「でも、会長の言ったとおり早めに言わないといけない話ではあったし」
「そうかもしれないけど……、実を言うとこの件はシオンに出会う前から知ってたからなぁ」
「え? そうなの?」
「うん。ほら、会社の買収関連で管理職との顔合わせ的な親睦会があってね、そこで君の元上司と話す機会があってさ……」
「あー……」
申し訳なさそうな表情を受けて大体の事情を察することはできた。一応は元上司ということもあって、休みやら遅刻やら早退やらがあった理由は簡単に報告していたわけで。
「つまり、ベラベラと喋ってくれてたと」
「うん。あんまり個人的なことを聞くつもりはなかったんだけどね。部署の状況をヒアリングしてみたら、こっちが言葉を挟む間もなく喋り続けちゃって」
「それは、なんというかごめん」
「あはは。別にシオンが謝ることじゃないよ。とりあえず、色々と部署の責任者を任せられるようなタイプじゃないとは思ったね。ひとまず、俺が正式に就任する前にいなくなってくれたからよかったけれど」
「あー……ね」
よかったのひと言で済ませるにはだいぶ凄惨な話だったはずだけれども、口ぶりはひょうひょうとしていた。まあ、私も簡単な相槌で済ませていたから人のことは言えないか。
「……それよりも、俺のほうこそごめん」
「えーと、それこそなんで恵叶が謝るのさ?」
「結局、家のことに巻き込んじゃったから。母さんからは『一度、顔合わせだけはしておきたい。家のことに無理矢理付き合わせるつもりはない』って言われていたから」
「別に大丈夫だよ。手伝いの無理強いはされてないし、それに掃除くらいなら私でもできるだろうし……多分」
「……そう。じゃあ、さ」
恵叶の顔に客間に居たときの苦々しい表情がまた蘇った。
「離れまでまだ少し掛かるけど、今のうちに聞いておきたいこととかある?」
「そうだね……」
いっそのこと、お清めの作業……とうよりも祭事がどんなものか聞いてしまってもよかったのかもしれない。ただ、そのときに聞きたいことはもっと他にあった。
「恵叶って、内臓だけになって動き回ってたことがあったりしない?」
「……」
我ながら交際相手にするには突拍子もない質問だったと思う。
「また随分と単刀直入に聞いてくれるね」
それでも、力なく答える声に怪訝そうな響きは少しもなかった。
「……少なくとも、シオンのペットっていうのが鯰じゃなかったことは知ってる」
「……そう」
「ただ、アレがなんだったか教えるのは……一度母さんと話してからでもいいかな? 下手するとかなりややこしい話になるから」
この時点で会長が私に対して某かの思惑を持っていることはさすがに分かっていた。それと、恵叶がその思惑をはかりかねていることも。だから、これ以上の追及は無駄だとも分かっていた。
分かっていたのだけれども。
「分かった。ただ、その話関係でまた謝っておきたいことがあって」
「謝っておきたいこと?」
「うん。肺っぽいところを嫌がってるのに無理矢理触ろうとして、まことにごめんなさい」
「あー、その件かー……」
再び繰り出したおおよそ交際相手にするには突拍子もなさすぎる言葉に、またしても力ない声が返ってきた。
「とりあえず、もう過ぎたことだし気にしないで。ただ俺としてはどちらかというと、改めて個性的な名前をつけようとしたことのほうが気になったけれど」
「えー? 結構いいと思ったんだけどなー、ムラぎもん」
「まあ、ネーミングセンスがそこそこ壊滅的なのも可愛いところの一つだと俺は思うよ」
「あ、今バカにしたでしょ?」
「あはは。してないしてない」
気がつけばとりとめのない会話が始まり、なんだか張り詰めていた空気も和らいでいた。
その後も、次の連休は何をしようか、だとか、会社の近くに面白そうな雑貨屋を見つけたから行ってみよう、だとか、新規プロジェクトの進捗具合は色々と概ねいつも通りだ、というようなカップルがする日常会話的なことをしながら長い廊下を進んでいたと思う。ただ、勝手口のような所を出て針葉樹が生い茂る裏庭に入るとまたどちらともなく口数はへっていった。
それから程なくして、暗緑色の葉をつける木々のなかに庵というのだろうか? なにやら簡易的な家のような建物が現れた。
「……着いたよ」
いかにも立て付けの悪い音を立てる木戸を開くと、中の様子がいやに鮮明に見えた。
四方を土壁に囲まれた板の間。
中央には地鎮祭のときに見るような竹としめ縄で構成された囲い。
囲いのなかには木製の蓋がされた丸井戸のようなもの。
その真上の天井には両開きの扉が着いていた。
某ホラー映画の怨霊的な人が井戸から勢いよく発射して、天井の扉から外へ飛び出していく。そんな下らない映像が脳裏をよぎったのは、現実逃避の一種だったのかもしれない。
「じゃあ、今から祭事の説明をするね」
窓も照明もないのにやけに明るい部屋のなか、恵叶が悲しそうに微笑むのがよく見えた気がする。




