「え? ひょっとして今までの話ってそんなに重要でもなかったんですか?」的な言葉を禁じ得ないかんじの本題
「……すみません。少し考えさせてください」
指の動きを受けて絞り出したのはなんとも無難な言葉だった。
はいなら一回、いいえなら二回。そんな約束をした相手は長い秋の間一緒に過ごした同居人だ。決して隣に座る人物ではない。だから、手遊びが偶然ピッタリなタイミングで派生しただけ、と考えることもできたのだろう。それでも、色々な話が進む前に真意を知っておきたかった。
「母さん。急にそんな話をしたらシオンが困るじゃないですか」
それに、恵叶もこの話を早急に進めたいという様子ではなさそうだった。むしろ、表情は相変わらず険しいままだった。
「……今、恵叶さんの意見は聞いていないわよね?」
一拍間を置いて、会長は首を傾げた。声も表情も穏やかなままではあったけれど、部屋の温度が一気に下がったように感じたことを覚えている。
「シオンのことは、俺たち二人で話し合って決めますから」
「あら。でもシオンさんは一度もご家族のことを相談したことがなかったのでしょう?」
「そう、ですが」
「それは、相談してもなんの解決にもならない、と思われていたから。そうも考えられるわよね?」
「それは……」
「貴方に任せた会社、今期の目標達成も危ういらしいものね。そんな有様なら一人でシオンさんの助けになるなんて、まず無理な話でしょうし」
「……」
穏やかな笑顔には件の元上司が可愛らしく思え……いや、あれが可愛いというのは語弊がありすぎるか……ともかく、今まで受けてきた怒鳴り声やその他諸々が大したことがないと思えるくらいの威圧感があった。正気が少しでも残っているのならば、何も発言せずに肩を丸めていることが正解だと判断しただろう。
ただし、そうだとしても、だ。
「……お言葉を返すようで、まことに恐縮ではございますが」
さすがに何も発言しないままというわけにはいかなかった。大体、今までも再三言ってきたように私の正気なんて結構な昔にそこそこ削れていたのだから。
「私が家族や負債のことを恵叶……さんに相談しなかったのは、信頼していないから、などでは決してございません」
「……あら?」
にこやかなままの顔がゆっくりとこちらに向いた。正直なところ、やってしまった、という気持ちがものすごく強かった。ただし、やっぱりなんでもありません、と言葉をにごせる状況でもなかった。
「……もちろん、恵叶さんに迷惑をかけたくなかったから、と綺麗事を申し上げるつもりもございません」
「そうよね。こういった話は言わないままでいたほうが相手に迷惑をかけるもの」
「おっしゃるとおりです。私は、ただ……」
なんだかやたらと喉が渇いて、震えをこらえながら湯飲みを一気に煽ったことを覚えている。まあ、勤め先の会長相手に反論していたのだから緊張するのも当然だったのだろう。
「……恵叶さんと少しでも長く一緒に居たかっただけなんです」
「……ふぅん?」
「話してしまえば、それまで通りに過ごすことはできない……というよりも傍を離れなくてはいけないと覚悟していました。それでも、『いつかは話さないといけなけれど、もう少しだけこのまま一緒にいたい』というわがままで、何も聞かないでいてくれる恵叶さんに甘えてしまっていました」
「そう」
「はい。なので私に対するお叱りならばいくらでもお受けいたします。しかしながら、恵叶さんのことはどうか責めないでください」
ひとまずそんなかんじに会話……というよりも一方的に真情を吐露して、螺鈿細工がすぐ目の前に迫るくらい頭を下げたことをはっきりと覚えている。
どこぞの馬の骨どころか目に見えて負債の塊な息子の交際相手がそんな態度を取ったのだから、親としては面白くなかったのだろう──
「……あははは!」
──と思ったのだけれども。
予想に反して、顔を上げた先で会長は実に楽しそうに笑い出していた。
「シオンさん、貴女ってやっぱり面白いのね!」
「それは……、どうも……」
どうやら予期せず「おもしれー女」枠に収まってしまったようだった。
「ごめんなさいね、本当はちょっと疑っていたのよ。貴女が私や恵叶の財産だけを目当てに近づいてきたんじゃないかって」
「それは、なんというか、仕方がないと思います。こんな身の上ですから……。我が家には相応しくない、とおっしゃるのであれば身を引くしかないと思っていますし」
「ううん、そんなこと言わないでちょうだい。たしかにさっき『お言葉に甘えさせてもらいます』だとか、『恵叶さんに迷惑をかけたくなかったから黙っていました』なんて言っていたらすこし考えたけれども……ふふっ、実の母親を前にあれだけ正直に惚気るんだもの!」
「えーと……。なんか、すみません……」
「いいえ。こちらこそ試すようなことをして、申しわけなかったわ」
「いえ、そんな、お気になさらずに」
ひとまず難は乗り越えたのだろうか? そう戸惑いながら恵叶のほうをみた。
表情は相変わらず険しいままだった。
「さて、シオンさんの本心も聞けたところだから、こちらも来てもらった本当の理由を話さないとね」
「本当の理由?」
「ええ、そうよ。さっきまで話は恵叶も言ったとおり二人で話し合って決めてくれれば、私はもうあれこれと言うつもりはないわ。勿論その上で手助けが欲しいのであれば、母親としてできる限りのことはさせてもらうけれど」
「それは、ありがとうございます」
「いえいえ。それでこれからのお話が本題なのだけれども……、シオンさんにはね、このお休みの間に執り行う祭事のお手伝いをしてもらいたいのよ」
「祭事、ですか」
唐突な話に戸惑いはした。ただし、それが険しい表情の主な原因だと気づかないほど判断力が鈍っているわけでもなかった。
「……具体的には何を手伝えばよろしいのですか?」
「すごく簡単なことよ。祭事に使うお部屋のお掃除だったり、お供え物の器を磨いてもらったり……ああ、あとこの期間中はちょっとしたしきたりみたいなものがあるから、それも守ってもらわないといけないのだけれど」
「そう、ですね……」
視線を隣に移すと、指は螺鈿細工のうえで迷うように宙に浮いていた。
その様子に、答えづらい質問をしたときの膵臓のようなものが重なった。
それは間を置かずに白く変色し塵のように崩れていった。
「……」
嫌な光景に自然と目がきつく閉じた。
「シオンさん? どうしたの?」
訝しげな会長の声に促され目を開くと、指は視界の端で所在なさげに宙に浮いたままだった。
ここでなにか行動をとらなければ、その指が塵のように崩れてしまう。多分、そんなことを思ったのだと思う。
「……いえ、ご心配なく。恵叶さんの負担が減るのであれば、できる限りのお手伝いはさせていただきたいと思います」
「!? シオン!?」
指の動きを待たずして答えると、恵叶が目を見開いて立ち上がった。
あのとき承りかねます的な答えをしていたら、話はまた違う方向に向かっていたのかもしれない。
まあ、今になってそんなことを言っても仕方ないことこの上ないのだけれども。
ともかく。
「……ふふ。シオンさんって本当に面白いのね」
そう笑う会長の顔が一瞬だけ、なにやら異様なものに見えたことを朧気に覚えている。




