「あの時代はよかったなんて懐かしむ人は、あの時代でも本当はそんなに上手くいってなかったんだと思うの」的な身の上話
私の親たちというのは、悪様に言うと身の程をわきまえない、というような人間だったのだろう。
父はそこそこの企業に勤めていたらしいけれど、自分で指揮を取るようなやりがいのある仕事をしたい、と退職して小さな会社を起業。
母はそんな言葉を受け、自分が支えていればこの人はきっと偉業を成し遂げてくれる、と働かずに懸命に家庭を支える。
というかんじだったそうだ。
伝聞調なのは例によって例のごとく……というよりも、母から最後にそんなような話を聞いたことをなんとなく覚えているからだ。
つまるところ、実体経済とは諸々がかけ離れたかんじの好景気時代に無数にあった話の一つなのだろう。
幼い頃はそれなりに不自由なく育ててもらっていたような気がする。ただし思春期になるころには、家の状況に違和感のようなものを抱くようになった。
いつも電話が鳴り続けていたり、母が受話器を持ちながらやたら頭を下げていたり、親戚らしき人がやってきては父と口論をしていたり、ポストにやたらと物騒な郵便物が溢れていたり……いや、違和感くらいで済ませていい範疇は超えているな。
そう考えると、この頃にはすでに正気はどこかにいってしまっていたのかもしれない。まあ、私の正気についてはあまり本題でもないので置いておくことにしよう。
ともかく、そんな違和感から目を逸らしたい一心で、部活やらバイトやらで家にいる時間を極力減らし、大学はそこそこ遠い所を選び下宿先から通い、それから地元に戻ることなく当時の勤め先に就職して例の部屋で暮らしていた。
我ながらなかなかの目の逸らしっぷりだと思う。
本当ならそのまま目を逸らしていたかった。
それでも、無数にあったそのころの話よろしくそうはならなかった。
つまるところ、呼び出されて実家に戻ると茶の間の長押に両親がぶら下がっていた。
ここも無数にあったよくある話よろしく、好景気とされていた時期に方々から借りていた金のせいで首が回らなくなっていたらしい。
よくよく思い出してみると、二人の夫婦仲はそんなに悪くなかったのだと思う。だから「これ以上つらい思いをさせたくない」だとか「一人でさみしい思いをさせたくない」というかんじで、思い詰めたなりにも納得して選んだ結末なのだろう。
舌やらなにやらが垂れ下がる口の端は、うっすらと上がっているようにも見えたのだから。
そうは言っても全体的には苦しそうな表情を浮かべていたから、長押からは早々に下ろしてあげることにした。そのおかげで垂れ流された諸々で服が駄目になったり、警察の方々に叱られたりした。
その後も無数にある話よろしく、諸々の手続きに失敗し続け、一生かけて払い切れるかギリギリくらいの負債がふりかかり、休みや遅刻早退が続いたおかげで上司との関係が最悪になる、という有様だった。
実家を売ったおかげで負債は多少ましになったし、上司がいなくなったおかげでなんとか仕事を続けられるようにはなった。それでも、面倒な身の上ということに変わりはなかった。
「──ということが、あったのよね?」
そんな話が改めて会長の口から至極客観的な形で簡潔に繰り出された。
社会的地位が高い方が息子の交際相手がどんな奴なのか興信所を使って調べる、なんて話は別に珍しくもないだろう。それに、話がある、と聞いたときにこうなることは予想していた。
「……はい。相違ございません」
勝手に連帯保証人にされていた、だの、自分のせいで負ったものじゃない、なんて言い訳もしようと思えばできたのかもしれない。ただ、言い訳をしたところで現実が変わるわけでもない。
だから「そんな人間を息子のそばに置いておくわけにはいかない」的な言葉は受け入れるつもりできていた。
まあ、庭にあった諸々のおかげでその覚悟はしばらくの間吹き飛んでいたけれども。
ともかく、笑顔を崩さない会長を前に破局する代わりに何らかの形で恵叶の負担を軽くできないか改めて考えていた。
「そう……。今まで、本当につらい思いをしてきたのね。でも、もう大丈夫よ。私が全部なんとかするから」
しかし、繰り出されたのは予想外の言葉だった。
「えーと、しかし、会長にご迷惑をおかけするわけには……」
「ふふ、そんなに他人行儀にならないでちょうだい。貴女は恵叶がはじめて自分から選んだ子なんだもの。家族になる子がつらい思いをしているならできるかぎりのことをする、というのは母親として当然でしょ?」
首を傾げる笑顔に悪意や敵意のようなものはやはり感じなかった。
「貴女はもうなにも苦しまなくていいのよ。ただ、色々と手続きが必要で……しばらくは仕事を辞めてこの家の手伝いをしてもらうことになると思うけれど」
「……」
無言の私を他所に話は進んでいった。
「悪いようにはしないわ。だから、全て私に任せてもらえないかしら?」
正直なところ、かなり気持ちは揺らいだ。
厄介ごとから解放されるうえに、好きな相手と破局を迎えることもなくなる。これ以上ないくらいのうまい話だ。ただし、そんなうまい話を簡単に信じられない程度には色々な目に遭っていた。
それに。
「……」
──トン、トン。
視界の端では恵叶の指が、確かに二度、螺鈿細工の上で跳ねていた。




