「二人だけに通じる秘密のテレパシーっていうと多少ロマンチックかもしれないけれど」という話
薄暗い廊下を延々と歩き、何度か忘れるほど角を曲がり、さすがに足が疲れたころ中庭に面した場所にたどり着いた。ぱっと見たところ、異常は見当たらなかった。ただ白い砂が敷き詰められているだけの庭。それなのに、何か不気味に思えてしまうのは門から母屋までの道のりに犇めいていた物たちのせいなのだろうか。そんなことを考えていると、背後から立て付けの悪い引き戸が開く音がした。
「お疲れさま。ここがシオンの部屋だよ」
振り返った先で、恵叶が桟の黒い障子を開きながら微笑んでいた。顔色は言わずもがななかんじだった。
「あんまり広くないかもしれないけど、それなりに寛げるとは思うから」
開かれた障子から見えたのは六畳くらいの和室。広くないとは思わなかったし、掃除も行き届いていたし、畳も青々としていた。一見すると、居心地が悪そうという感想とは無縁そうな部屋だった。
ただし、それが普通の家の部屋だったなら、というただし書きはつくのだけれども。
「……客間に行く前に少し二人で話してもいい?」
「……うん。そうしようか」
酷い顔色に更に更に影か差した。
「ひとまず、部屋に入ろうか」
「うん」
中に入り部屋の中央に置かれた卓袱台を挟んで向かい合って座ると、どちらともなく深いため息がこぼれた。最初に話を切り出したのは私のほうだったと思う。
「単刀直入に聞くけど、今日も含めて実家に帰省するたびに体調が悪そうにしてたのって庭にあった『珍しい植物』っていうののせいだったりする?」
「まあ、多少はね」
苦笑いとともにそんな答えた返ってきた。まあ、その答えも表情も予想通りだったけれども、一点だけ予想外の反応があった。
──トン。
「……え?」
卓袱台を一回だけ叩く細長い指。
ただの無意識な手遊び。そう言って片付けることもできたはずだった。
それでも、その動きは長い秋の間に何度も見た光景に酷似していた。
「ほら、しばらく家を空けて久々に見るとやっぱりあんまり気持ちのいい物じゃないし」
指は卓袱台を二度叩いた。
「……本当にそれだけ?」
「うん。それだけだよ」
またしても二度。
「そう。私はてっきり会長との関係がなんかイザコザしてるからなのかと」
「あはは。まあ、そう思えるよね」
今度は一度。
「確かに母さんは仕事に対しては厳しいけど、身内に対する愛情みたいなのも深いほう……だと、思うから」
何かに縋るような動きをした後に一度。
「そう。会長が原因ならクビとか破局覚悟でなんか言ってやろうかと思ったんだけど」
「こらこら、俺の意思を無視して破局に向かおうとしないの」
今度は二度。
「ただ、そう言ってもらえたのは嬉しいよ」
悲しそうに微笑みながら、また一度。
「……何か私にできることってある?」
「大丈夫、大丈夫。湯浅さんに任せておけば、庭はあれ以上酷い有様になることはないとおもうから」
まるで宥めるような動きで二度。
「そう……」
「うん。だからシオンは気に病まなくても大丈夫だよ」
同じような動きで一度。
「まあ、母さんからは何か言われるかもしれないけれど……、さっきも言ったように面倒なことにならないうちに帰れるようにするから」
また一度。
「……それは、二人で一緒に、だよね?」
車の中ではつかえていた問いが漸く喉を通過してくれた。
「……なんで、そんなこと聞くの?」
答えの代わりに返ってきたのは首を傾げた笑顔。
卓袱台は一度も叩かれなかった。
少なくとも、それ以上何か聞いてももう何も返ってこない、ということだけは理解できた。
「あー、ごめん。あの面白楽しい庭のおかげでなんか変に心配性になってたかも」
「いやいや、こっちこそごめん。母さんにはもう少しおとなしい見た目のやつを植えるように言っておくよ」
「そうしてもらえると助かるかも」
「了解、安心して。これ以上シオンが怖い思いをしないようにするからさ」
一度だけテーブルを叩くと恵叶は立ち上がった。
「さてと、じゃあそろそろ客間のほうに行こうか。堅苦しい顔合わせは早々に済ませておいたほうがいいだろうし」
「うん。そう、だね」
色々と腑に落ちないところはあったけれども、いつまでも会長を待たせるわけにもいかない。そう思いながら私も立ち上がって部屋を出た。
またしても暗い廊下を延々と歩き、何度か忘れるほど角を曲がり、今度は何やら豪奢な模様が施された襖の前にたどり着いた。
「失礼します」
「あら、恵叶さん、早かったわね。シオンさんも一緒なの?」
「はい」
「そう。なら、そうぞお入りなさい」
奥からどこか軽やかな声が響いた。
「はい。じゃあ、シオン行こうか」
「……うん」
開いた襖の先には、白い砂が敷き詰められた中庭に面した板の間が広がっていた。詳しくは分からないけれど、十畳以上の広さはあったと思う。そんな部屋の中央には天板に螺鈿細工が施された円卓が置かれていた。その上座にはとても穏やかな笑顔を浮かべた会長が座っていた。
「二人ともお疲れさま。さあ、座ってちょうだい」
「はい。母さん」
「えと、失礼いたします」
恵叶の後に続いて席に着くと、菓子鉢と湯飲みを乗せた盆を持った湯浅さんが現れた。なんだか物陰からぬっと出てきたように記憶しているけれど、実際はどこか別の出入り口から入ってきたのだろう。
「粗茶ですが」
「あ、いえ。恐れ入ります」
どう見ても粗末とは思えない色と香りのお茶と、どう見ても高価な湯飲みに面食らっていると、上座のほうから柔らかい笑い声が響いた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。なにも取って食べたりはしないんだから」
多分、よくある軽口のようなものだったのだと思う。
「……」
ただ、隣に座る恵叶はいつになく険しい表情を浮かべていた。
「さてと、あまり関係ないおしゃべりで時間を割いてしまうのも悪いから、さっそく本題に入らせてもらうわね」
「あ、はい」
理由を問う間もなく穏やかな声が話を進めだした。
「今日来てもらったのはね、シオンさんのご両親のことについてお話したいことがあったからなの」
そう言って首を傾げる会長の顔には相変わらず穏やかな笑みが浮かんでいた。
「……」
対する私の顔には、恵叶に負けず劣らず険しい表情が浮かんでいたのだと思う。




