九十六 沙石集、説教で殴るな
ある女房が、何かにつけて仏法や道徳を持ち出し、他人を説教する。彰子は説話の価値を認めつつ、「教えは相手を救うためのもの。自分が上に立つための棒ではありません」と指摘する。説教女房には、相談された時だけ助言する役割を与える。正しさ依存症を、適切な相談窓口に転換する。
正しいことを言う人が、いつも人を救うとは限りません。
前世でもそうでした。ルールを知っている。倫理を語れる。過去の失敗例をよく覚えている。もっともらしい教訓を、場に合わせて取り出せる。
そういう人は、一見すると頼もしい。でも、その正しさがいつのまにか、相手を助けるためではなく、自分が上に立つための道具になってしまうことがあります。
「あの時も申しましたでしょう」
「人としてどうかと思います」
「だから普段から心がけが」
「仏法にもあるように」
「道理から申せば」
でも、いま転んで膝をすりむいている人に向かって、「だから走るなと言った」と説くのは、たいてい手当てのあとでよいのです。
しかも困ったことに、説教の好きな人ほど、自分は人のために言っていると思っています。本気で善意なのです。だから扱いにくい。
悪意なら止めやすい。でも、正しさに酔っている人は、「自分は間違っていない」と思っているぶんだけ、話が長いし、傷つけても気づきにくい。
『沙石集』のような説話集は、私は嫌いではありません。人の愚かさも、執着も、欲も、滑稽さも、短い話の中にきちんと入っていて、ふとした拍子に胸へ残る。
でも、説話も教訓も、本来は人を少し楽にしたり、転ぶ前に道を見せたりするためのものでしょう。それを、自分の口の強さを証明するための棒にして振り回すのは、だいぶ品がない。
その日の藤壺は、朝から妙にしんとしていました。
静かなのに、落ち着かない。女房たちの声が、必要以上に低い。誰かを避ける時の沈黙です。
若菜が香炉の灰をならしながら、そっと周りを見ている。有子は控えの紙を整えているが、紙を置く音がいつもより少し硬い。
春枝は紙箱を開けては閉め、「今日は紙より人の口の方が多うございます」と、わりに的確なことを言っていた。
小少将は涼しい顔で衣の色を見ているが、あれは完全に「またですのね」という顔。澄子は灯台の金具を磨きつつ、気まずい空気が部屋のどこに溜まっているかを見ているようでした。
そして紫式部は、少し離れた柱の陰で、この息の詰まるような沈黙すら一滴もこぼさず掬い取るように、すらすらと手元の草子へ筆を走らせていました。
つまり、誰かがまた何か言いました。
「姫様」
赤染衛門が来た時点で、ほぼ答え合わせでした。
「少し、言葉が重うございます」
「誰の」
「法子にございます」
ああ。
法子。年は若くもなく、年長すぎもしない。学があり、経も説話もよく知っていて、記憶もよい。道理を語らせれば筋が通る。悪い人ではない。ただし、悪い人でないからこそ厄介です。
この人は、とにかく何にでも教訓をつける。
誰かが遅れれば、
「常の心が乱れているからです」
誰かが恋で悩めば、
「執着は苦のもとにございます」
誰かが失敗すれば、
「日頃の慎みが足りませぬ」
誰かが泣けば、
「涙に流されては道を誤ります」
いや、そういう時もあるでしょう。あるでしょうけれど。全部いま言わなくていいです。
「今日は何を」
赤染衛門が少し眉を寄せました。
「薄衣が、文の控えで一か所順を違えまして」
「ええ」
「そこへ法子が、“小さな乱れを軽んずる心が、大きな乱れを呼ぶのです。仏もまず足元の塵を見よと”と」
「朝から重いですね」
「ええ」
「薄衣は」
「だいぶしょんぼりしております」
「でしょうね」
「しかも、そのあと鈴が少し文を取り落としましたら」
「はい」
「“手に余ることを担えば、かえって皆を煩わせる”と」
「……」
「夕霧が顔色を変えましたら、“外の乱れは内の乱れのあらわれ”と」
「だいぶ満遍ないですね」
常盤が、柱の陰から顔を出しました。
「ええ。今日は大漁でございます」
「その言い方は好きですが、いまは黙っていなさい」
「はい」
分かっています。法子は、たぶん本気で皆を正そうとしている。場をよくしようとも思っているのでしょう。でも、こういう人は往々にして、“自分が役に立っている感覚”が、相手の回復より先に来ます。
つまり、助言が必要かどうかより、言える時に言ってしまうのです。それはもう、助言ではなく発散です。
「呼びましょう」
まずは法子ではなく、薄衣と鈴、夕霧を先に見ました。三人とも、見事に種類の違うしょんぼり顔をしている。
薄衣は、「失敗した上に、心まで悪いように言われた」顔。
鈴は、「小さいからまだ足りぬのだろうか」と迷っている顔。
夕霧は、「顔色ひとつにも人格みたいな意味をつけられて疲れた」顔。
よろしくないですね。
「薄衣」
「はい……」
「順を違えたの」
「一つ、はい」
「直した?」
「直しました」
「次に同じことをせぬよう、何を気をつけるか分かっている?」
「……はい。札を置く順を、ひと息おいて見るように」
「よろしい」
私は頷きました。
「では、それで十分です」
薄衣が、きょとんとする。たぶん、何かもっと重い意味づけが来ると思っていたのでしょう。
「鈴」
「はい」
「文を落とした?」
「はい……」
「拾った?」
「はい」
「汚れた?」
「いいえ」
「次に気をつけることは」
「……角を持ちすぎぬこと」
「よろしい」
「……それで、よろしいのでございますか」
「よろしいです」
鈴の顔が、少しだけ戻る。
「夕霧」
「はい」
「顔色が悪かった?」
「少し」
「理由は」
「昨夜、あまり眠れず……」
「では、今日は湯を多めにとって、少し早く休みなさい」
「……はい」
「それで足ります」
夕霧は、ふっと肩の力を抜いた。
そうなのです。必要なのは、だいたいその程度なのです。小さな失敗や不調のたびに、人格、心のあり方、信心、日頃の行いまで話を広げなくてもよい。
前世でもそうでした。メールの誤字に「仕事への向き合い方が」と説教する人。寝不足の顔に「自己管理が」と乗せる人。資料のミスに「人間性が」とまで行く人。
違います。だいたいまず、誤字は直せばいい。寝不足なら寝ればいい。ミスは再発防止を考えればいい。
では、法子です。呼ばれて来た法子は、いつも通り落ち着いた顔をしていました。姿勢もよい。声も静か。本当に、外から見るとたいへん結構な人なのです。
「法子」
「はい、彰子様」
「このところ、皆によく助言しているそうですね」
法子は、少しだけ微笑みました。ああ、よかれと思っている顔ですね。
「恐れながら、若い者どもが迷いやすき折もございますれば」
「ええ」
「少しでも、道を違えぬようにと」
「なるほど」
私はその場に座りました。こういう時は、立っているより座った方が長くなる。皆ももう知っているでしょう。
「では聞きます」
法子が居ずまいを正す。
「あなたの言葉で、相手は助かっていますか」
「……」
「薄衣は」
「失敗を軽んぜぬようにと」
「助かりましたか」
「……」
「鈴は」
「身のほどを知るのも」
「助かりましたか」
「……」
「夕霧は」
「内を整えれば外も」
「助かりましたか」
「……」
法子は、そこで初めて少し言葉に詰まりました。よろしい。入口としては悪くありません。
「教えは相手を救うためのものです」
私は静かに言いました。
「自分が上に立つための棒ではありません」
場が、しんと静まり返る。
法子のまぶたが、わずかに揺れました。でも、この人はすぐ反発するのではなく、まず言葉の筋を探すはずです。そこは賢い。
「わたくしは、そのようなつもりでは」
「ええ」
私は頷きます。
「つもりではないのでしょう」
「……」
「でも、受け取る側が潰れているなら、やり方を疑いなさい」
赤染衛門が、横で静かに視線を伏せた。たぶん、よく言いました、と思っている。
法子は、少しだけ眉を寄せました。
「説話や仏法の教えは、人を戒めるためにもあるかと」
「ええ、あります」
私は答えます。
「でも、戒めることと、説教で殴ることは違います」
「……」
「相手が聞ける時に、聞ける言い方で、必要な分だけ届ける」
「……」
「それを越えて、自分が正しい位置に立つために振りかざすなら、もう教えではなく快楽です」
常盤が、少し離れたところで口を押さえた。あれは笑いではなく、「刺さりますねえ」の顔です。本当に顔に出ます。
法子は、そこで初めて少し傷ついた顔をしました。ええ、そうでしょう。自分はよいことをしていると思っていたのだから。
でも、ここでただ折るだけではだめです。法子のような人は、正しさを奪われると、今度は沈んでしまう。必要なのは、正しさの使いどころを変えることです。
私は少し声を和らげました。
「法子」
「はい」
「あなたが知っていることそのものは、悪くありません」
「……」
「説話も、仏法も、戒めも、時に人を助けます」
「はい」
「でも、誰かが転んだその瞬間に、“ほらみろ”のように載せると、ただ痛いだけです」
「……」
「それは、薬の壺で人を殴っているようなもの」
「……」
「中身は薬でも、使い方が違えば傷になります」
法子の顔が、少し動いた。分かる人には、たぶんここで分かる。
「では……申さぬ方がよいのでございましょうか」
その問いは、半分助けを求めています。よろしい。そこまで来たなら、道を作れます。
「申してよい時があります」
私は答えました。
「いつ」
「相談された時です」
法子が、少し目を見開く。
「相談された時」
「ええ」
私は続けます。
「“どうしたらよいでしょう”と相手が聞いてきた時」
「“同じことを繰り返したくない”と考えている時」
「“自分の心を整えたい”と望んだ時」
「そういう時なら、あなたの知っている話は役に立つ」
「……」
「でも、頼まれてもいないのに、失敗の直後へ説話を差し込むのは、多くの場合ただ重い」
「……はい」
小少将が、そこで涼しい声で言いました。
「たとえるなら、転んだ人に経を聞かせる前に、まず立たせる方が先ということですわね」
「ええ」
私は頷きます。
「非常にその通りです」
春枝も、紙箱を抱えて口を挟みました。
「紙が破れた時も、まず貼りますものね」
「また紙ですか」
と有子。
「でも今回はかなり正しいです」
と私。
春枝が、少し満足そうでした。
ここまで来たら、仕組みにします。前世でも、こういう“正しいことを言いたい人”は、黙らせるより役に置いた方がうまくいくことがある。つまり、助言の窓口にするのです。
勝手に場へ説教をまき散らすのではなく、望む人だけが聞きに行ける形にする。私は決めました。
「衛門」
「はい」
「法子に、相談役をしてもらいます」
赤染衛門が、なるほど、という顔をする。ええ、そうです。正しさを完全に捨てさせるのではない。求められた時だけ開く引き出しにする。
「題は」
「……“相談あづかりの覚”」
「ほどよくやわらこうございます」
「“説教窓口”ではあまりに夢がないので」
常盤が後ろで肩を震わせた。
「好きですね、その言い方」
「黙っていなさい」
「はい」
私は紙に書き出しました。
相談あづかりの覚
一、法子は、相談された時のみ助言する
一、失敗や不調の直後に、頼まれぬ説教を差し込まない
一、説話や教訓を語る時は、相手の状況に合わせ、短くする
一、相手が今ほしいのが、慰めか、手当てか、助言かを先に見る
一、「正しいことを言う」より、「相手が立て直せること」を優先する
一、説話は棒ではなく、灯として使う
若菜が、その最後の一行を見て、少し安心した顔をしました。若菜は、教えそのものは嫌いではないのです。ただ、人を打つ形になるのがつらいのでしょう。
「法子」
私は言いました。
「あなたにしかできないことがあります」
法子が顔を上げる。
「何でしょう」
「言葉に迷った人が、自分の心を整理したい時」
「……」
「そういう時に、説話を一つ、短く渡せる人は貴重です」
「……はい」
「でも、道で転んだ人に巻物を投げるのは違います」
その比喩に、場が少しだけやわらいだ。法子も、ほんのわずか口元を動かした。よろしい。
自分の役が“奪われた”のではなく、“置き直された”と感じられればよい。
その日の午後、さっそく小さな変化がありました。
薄衣が、控えの置き順について自分から法子のところへ行ったのです。
「法子さま」
「はい」
「同じことを繰り返さぬように、何か覚えやすい考え方はございますか」
これは、よい相談です。自分から聞いている。今なら法子の得意が生きる。
法子は一瞬、前の癖で大きく語りそうになった顔をしましたが、そこでちゃんと止まりました。そして、落ち着いた声で言ったのです。
「では、一つだけ」
薄衣が素直に頷く。
「急ぐ時ほど、心を早くするのでなく、手を一拍遅らせることです」
「……はい」
「昔、ある僧が……」
と続けかけて、法子は私の方をちらりと見た。私は何も言わない。法子は、そこで短く直した。
「――順を違えぬ人は、速いのでなく、止まる所を知っている、と申します」
薄衣は、ほっとしたように頷いた。
「ありがとうございます」
たいへんよろしい。長くない。重くない。いま必要な分だけ。しかも、ちゃんと役に立つ。
夕霧もまた、夕方近く、法子のところへ行きました。
「法子さま」
「はい」
「気持ちが沈んで、鏡ばかり見てしまう時、どういたせば」
これは少し難しい。でも、聞かれていますからね。
法子は少し考えてから、「鏡を減らしなさい」とは言わなかった。
「一つ、別の手を先に動かすとよろしゅうございます」
と答えたのです。
「別の手」
「ええ。文を読む、紙を整える、香を焚く、何でも」
「……」
「心を鏡から引き剥がすのに、別の働きが役に立つことがございます」
夕霧が、少し驚いた顔をする。
「それは……前に姫様が」
「ええ」
法子は静かに言う。
「人は、一つの悩みに吸われる時、別の務めへ手を出した方が浮きやすい」
「……ありがとうございます」
いいですね。法子はちゃんと学んでいる。若菜など、遠くからその様子を見て、見るからに安心していました。
数日すると、藤壺の空気は目に見えて変わりました。
法子が、何か起きるたびにすぐ教訓をかぶせることがなくなった。代わりに、黙って一拍置くようになった。そして誰かが本当に悩んでいる時には、「もし話したくば」と先に言う。
助言とは、内容だけではありません。相手に入る余地を残すことでもある。その余地があるだけで、同じ言葉でもずいぶん違う。
ある日、鈴が伝令で少し迷って戻ってきた時も、法子は前のように「身のほどを」とは言わなかった。代わりに、「いま欲しいのは、叱りではなく順でございましょう?」と訊いたのです。
鈴が、こくこく頷く。法子は、「では、次からは受けた順でなく、返りの要るものを先に」とだけ言った。
鈴はそれで十分だったらしい。ぱっと顔が明るくなった。そう、そこまででいいのです。説教を減らすと、人は回復が早い。
前世でも何度も見ました。正しいことを長く言われると、人は改善する前に疲れます。でも、必要な一点だけ渡されると、ちゃんと次へ動けます。
夕方、法子がそっと私のところへ来ました。
「姫様」
「なあに」
「……わたくし、これまで」
「ええ」
「人のためと思いながら、自分が言えることに酔っていたやもしれませぬ」
「そうかもしれませんね」
法子が少し苦く笑う。
「ずいぶんあっさり仰せになります」
「事実は、なるべく短い方が届きます」
「……耳が痛うございます」
よろしい。そうやって自分にも効くようなら、本当に変われます。
「でも」
法子は続けました。
「相談されてから申しますと、同じ話でも相手のお顔が違うのでございます」
「ええ」
「聞く気のある方へ渡す言葉は、あのように軽いものかと」
「軽い方が入る時があります」
「はい」
「重くしているのは、たいてい語る側です」
法子は、そこで小さく笑いました。自嘲の混じった、でも前よりやわらかい笑いでした。
春枝が、紙箱を抱えたまま言いました。
「紙も、押しつければ破れますものね」
「また紙ですか」
と有子。
「でも今回はかなり美しいです」
と小少将。春枝が満足げに胸を張る。
若菜は、法子の方を見てやわらかく言いました。
「法子さま、近ごろお声がやわらこうございます」
法子が少し驚く。
「そうでございましょうか」
「はい。前は、お話が先に来ましたけれど」
「ええ」
「いまは、こちらの息に合わせてくださるような」
法子は、その言葉を受けて、しばらく黙っていました。やがて静かに答える。
「……それなら、よかった」
いいですね。説教好きな人が変わる時、内容より先に、呼吸が変わるのです。
赤染衛門が控えを見ながら言いました。
「説法も、使いようでございますね」
「ええ」
私は答えます。
「説話の価値は認めます」
「はい」
「でも、相手を下に置くために振り上げた途端、ただの棒です」
「……」
「人を救うはずのものを、気持ちよく殴るために使うのは、だいぶ見苦しい」
「その通りでございます」
少しして、赤染衛門はやわらかく笑いました。
「でも法子には、よい置き場が見つかりましたね」
「ええ」
「知っていることの多い人を、黙らせるのでなく、相談された時だけ開くようにした」
「その方が、本人も周りも生きます」
「はい」
「正しさは、向け方を間違えなければ役に立つ」
「ええ」
教えは、本来、人を少し助けるためのものです。転ばぬように手前で声をかけたり、転んだあとに、次はどうすればよいかを見せたりするためのもの。
それを、自分が上に立った気持ちになるための棒にして振り回せば、どれほど正しい話でも、相手にはただ痛いだけです。
説話の価値を否定する必要はありません。仏法も、道理も、教訓も、ときに人を支える。
でも、それが効くのは、相手が聞ける時に、聞ける分だけ、救うつもりで差し出された時だけです。
藤壺にはその日、また一つ新しいものが増えました。
正しさを振り回して人を打つのではなく、求められた時にだけ静かに開いて道を照らすための、やわらかな相談窓口が一つ。
〜 出典 〜
『沙石集』ねずみの婿とり
ねずみの、娘をまうけて、「天下に並びなき婿をとらん。」と、おほけなく思ひ企てて、「日天子こそ世を照らしたまふ徳めでたけれ。」と思ひて、朝日の出でたまふに、「娘をもちて候ふ。みめかたちなだらかに候ふ。まゐらせん。」と申すに、「われは世間を照らす徳あれども、雲に会ひぬれば光もなくなるなり。雲を婿にとれ。」とおほせられければ、「まことに。」と思ひて、黒き雲の見ゆるに会ひて、このよし申すに、「われは日の光をも隠す徳あれども、風に吹き立てられぬれば、何にてもなし。風を婿にせよ。」と言ふ。「さも。」と思ひて、山風の吹けるに向かひて、このよし申すに、
「われは雲をも吹き、木草をも吹きなびかす徳あれども、築地に会ひぬれば力なきなり。築地を婿にせよ。」
と言ふ。「げに。」と思ひて、築地にこのよしを言ふに、「われは風にて動かぬ徳あれども、ねずみに掘らるるとき、耐へがたきなり。」と言ひければ、さては、ねずみは何にもすぐれたるとて、ねずみを婿にとりけり。
(訳)あるネズミが娘を授かり、「世界で一番素晴らしい婿をもらおう」と大それたことを企てました。「お日様こそ、世界を照らす素晴らしい力を持っている」と思い、朝日が昇る時に「私には娘がおります。顔立ちもすっきりと愛らしい娘です。あなたに差し上げましょう」と申し込みました。するとお日様は、「私には世界を照らす力があるが、雲に出会ってしまうと光がなくなってしまう。雲を婿になさい」とおっしゃいました。ネズミは「本当にその通りだ」と思い、黒い雲を見つけてこの旨を申し込みました。すると雲は、「私には太陽の光をも隠す力があるが、風に吹き飛ばされてしまえばどうにもならない。風を婿にしなさい」と言います。ネズミは「もっともだ」と思い、吹いてきた山風に向かって申し込みました。すると風は、「私には雲を吹き飛ばし、木や草を吹きなびかせる力があるが、土塀(土でできた壁)に出会うと無力になってしまう。土塀を婿にしなさい」と言います。ネズミは「なるほど」と思い、土塀にこの旨を言いました。すると土塀は、「私には風が吹いても動かない力があるが、ネズミに穴を掘られると耐えられないのだ」と言いました。それならばネズミこそが何よりも優れているのだということで、結局ネズミを婿に迎えました。
〜 舞台背景 〜
『沙石集』(しゃせきしゅう/ させきしゅう)は、鎌倉時代後期、仮名まじり文で書かれた仏教説話集。10巻、説話の数は150話前後。無住道暁(号は一円)が編纂。『沙石集』の名義は「沙から金を、石から玉を引き出す」ことをいい、世俗的な事柄によって仏教の要諦を説く意味であると言われている。僧侶の立場から経典を多く引用しているが、作者が博識であり好奇心に富んでいるため、単なる説教を脱化して興味津々たる文学作品となっている。その通俗で軽妙な語り口は、『徒然草』をはじめ、後世の狂言・落語に多大な影響を与えた。出典:wikipedia




