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転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜  作者: 条文小説


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九十二 はいずみ、顔の汚れは誰の恥か

挿絵(By みてみん)


 宴の前、若い女房の化粧が崩れ、他の女房たちが陰で笑う。彰子は笑った者たちを呼び、「本人に知らせず笑うのは、身支度係全員の敗北です」と叱る。身だしなみチェックを相互支援として制度化し、恥を個人ではなくチームで防ぐ。マウンティングの種だった失敗が、助け合いの仕組みに変わる。

 人の失敗というものは、なぜあんなに笑いの種にされやすいのでしょう。


 前世でもそうでした。口紅が少し歯についた。髪が跳ねていた。名札が曲がっていた。ネクタイに汚れがついていた。会議前に気づけば直せる程度のことなのに、わざわざ本人には言わず、あとで陰で笑う人がいます。


 それで自分の価値が上がるわけでもないのに、


「私は気づいていました」


「でも言いませんでした」


「そのまま人前へ出させました」


 という、たいへん質の悪い優越だけが残る。しかも、そういう笑いはだいたい小さな失敗を個人の恥に変えるのです。近くにいた誰かが一声かければ済んだことです。


 平安の宮中でも、それは変わりません。


 宴の前の女房たちは、外から見ればしずしずとして美しいでしょう。けれど実際には、時間との勝負です。


 髪、衣、香、紙、顔色、持ち物、順番、座る位置。整えても整えても、最後の一瞬で何かがずれる。だから本来、身支度とは個人技ではなく、かなりの部分が相互確認の現場です。


 そのことを忘れて、他人の乱れを「その人の失点」として眺め始めると、場は一気に冷たくなります。


 その日の藤壺も、まさにそういう冷たさが、朝のうちから少しだけ漂っていました。


 若菜が香炉の灰をならしながら、何度か入口の方を気にしている。有子は控えの文を整えつつ、口元がやや硬い。春枝は紙箱の前で「今日は手が多いのに、目が足りませぬ」とぶつぶつ言っていた。


 小少将は例によって装束の最終調整に入っているが、そのわりに機嫌がよろしくない。澄子は灯台の位置を見ながら、静かに部屋の空気を測っていた。


 つまり、宴前らしい慌ただしさに、何か別の小さな刺が混じっています。


「姫様」


 赤染衛門が来た時点で、たぶんそうだろうと思いました。


「少し、よろしくない笑いがございます」


「誰が、何を」


「若い女房の一人、千鶴の支度に乱れが」


 ああ。千鶴はまだ若く、真面目で、やや緊張しいの子です。顔立ちはかわいらしいが、人前に出る前ほど手が震える。えてして、そういう子ほど、ぎりぎりまで一人で整えようとして、最後に小さく崩れます。


「どの程度」


「白粉の下に引いた眉墨が、少し頬へ」


「……なるほど」


「汗でこすれたのでしょう。本人はまだ気づいておりませぬ」


「周りは」


 赤染衛門が、わずかに眉を寄せました。


「気づいております」


「言わない」


「ええ。それどころか、陰で少し」


 はい。だいぶ嫌ですね。たいした汚れではない。でも宴前の顔は、本人にとっては戦装束みたいなものです。


 そこで笑われるのは、かなり堪える。しかも言ってもらえず、そのまま出れば、あとで思い出すたびに冷えるやつです。


「誰が笑ったの」


「明子、佐江、それから二、三人ほど」


 なるほど。露骨な悪人ではない。でも“自分は崩れていない側”に立った瞬間、口が軽くなる種類ですね。


 私は立ち上がりました。


「まず、千鶴を直します」


 常盤が、すっと近づいて小声で言う。


「先に叱らないのですね」


「先に恥を止めます」


「……ああ」


「説教は、そのあとで十分です」


 几帳の向こうへ行くと、千鶴は鏡から少し外れた位置で、半ば出来上がった顔のまま座っていました。そして少し離れたところで、例の若い女房たちが、気配を殺しきれないくすくす笑いをこぼしている。


 本当に、こういう時の笑いはすぐ分かる。


「千鶴」


 私が呼ぶと、彼女はびくりとして振り返りました。


「は、はい、姫様」


「こちらへいらっしゃい」


 近くへ来させて顔を見ると、たしかに眉墨がごく薄く頬へ流れている。言われなければ見落とす人もいるでしょう。


 でも、見える人には見える。そして見えるのに黙っているのは、だいたい性格が悪い。


「若菜」


「はい」


 若菜がすぐ寄ってくる。


「湯を少し」


「はい」


「小少将、直せますか」


「もちろんでございます」


 小少将は、そういう時だけ迷いがありません。さっと千鶴の顔をのぞき込み、


「あら、これくらいならすぐ」


 と言って、布と水で軽く押さえ、崩れたところを整え始める。


 その手つきの速いこと。やはり専門家ですね。千鶴は、何が起きたのかまだ分からぬ顔で、おろおろしていました。


「少し汗で流れました」


 私は穏やかに言います。


「でも今、直ります」


 千鶴の顔が一気に赤くなった。


「……も、申し訳ございません」


「謝ることではありません」


「でも」


「直せば済むことです」


 そこまで言うと、千鶴の目にうっすら涙が浮かびました。たぶん、もう笑われている空気を半分感じていたのでしょう。でも、言葉にされないから、なお苦しい。


 小少将が、きっちり顔を整えながら、少しだけ柔らかい声で言いました。


「宴前の顔は、一度や二度崩れますわ」


 千鶴が目を瞬く。


「わたくしとて、若いころは何度も」


「……小少将様でも」


「ええ。あなたほどかわいらしくは赤くならず、もっと派手に失敗いたしました」


 場に、小さく笑いが落ちる。よい笑いです。人を縮ませないやつ。


「ほら」


 小少将が言う。


「もう分かりませんわ」


 千鶴がそっと鏡を見る。本当に、ほとんど跡がない。その顔が、少しだけゆるむ。


 よろしい。まずはこれで、人前に出る前の傷は止まりました。


 では次です。


「明子、佐江、こちらへ」


 名前を呼ばれた女房たちは、すぐに空気を変えました。まずいと思ったのでしょう。でも、もう遅いです。


 私はその場に座り、扇を膝に置きました。


「何を笑っていたの」


 沈黙。


「正しいことを言えばよいのです」


 明子が、恐る恐る口を開きました。


「……千鶴の顔に、少し」


「見えた」


「はい」


「それを本人に言わなかった」


「……はい」


 佐江が、さらに小さく言います。


「ひどく大きなものではございませんでしたので……」


「言わなくてもよいほど小さかった?」


「いえ、その」


「笑うほどには見えたのですね」


「……はい」


 はい、そこです。


 私は周りを見ました。若菜は明らかに悲しそうな顔。有子は冷えている。春枝は、紙箱を抱えたまま怒っている時の顔です。


 常盤は、あ、始まりますね、という顔をしている。その顔をやめなさい。私は静かに言いました。


「本人に知らせず笑うのは、身支度係全員の敗北です」


 ぴたり、と空気が止まりました。明子たちが、はっとした顔をする。


「敗北、でございますか」


「ええ」


 私は言葉を続けました。


「宴の前の支度は、ひとりで仕上がるものではありません」


「……」


「顔が崩れることもある」


「紐がずれることもある」


「裾が寄ることもある」


「香が強すぎることもある」


「それを近くで見た者が、直さず、知らせず、陰で笑った」


「……」


「ならば、その人だけの失敗ではないでしょう」


 若い女房たちの顔から、少しずつ血の気が引く。

よろしい。今のは効くはずです。


 前世でもそうでした。制服が乱れている同僚を見て黙る。資料の誤字に気づいて言わない。会議前の汚れを面白がる。そういうのは、個人の粗ではなく、周囲の協力が死んでいるサインです。


「千鶴が恥をかけば」


 私は続けます。


「何が起きますか」


 誰も答えない。


「千鶴だけが傷つく?」


「……」


「いいえ。藤壺の女房は、近くにいても支えぬのだと見える」


「……」


「それは、誰の恥ですか」


 佐江が、小さく言いました。


「……皆の、でございますか」


「そうです」


 若菜が、そこでほんの少しほっとした顔をしました。あの子はたぶん、ずっとそれを言いたかったのでしょう。失敗した人を笑うのでなく、そこを支えない空気の方がおかしいと。


 明子が、うつむいたまま言います。


「わたくし……自分は崩れておらぬと思って」


「ええ」


「少し、優越したのでございます」


「そうでしょうね」


 私はあっさり言いました。


「人はよくそうなります」


「……はい」


「でも、その優越は安い」


「……」


「今日たまたま千鶴だっただけで、明日はあなたかもしれない」


「はい」


「その時、笑われる側に回りたいですか」


「……いいえ」


 よろしい。そこまで届けば十分です。


 小少将が、千鶴の後ろで道具を片づけながら、涼しい声で言いました。


「顔の乱れというものは、見つけた者の腕の見せどころでもございますのに」


 皆がそちらを見る。


「直せば一瞬、笑えば一日残りますわ」


「……」


「どちらが上等か、考えるまでもございませんでしょう」


 さすがです。その一言は、女房たちの美意識に刺さる。春枝も口を挟みました。


「紙の折れを見つけて、そのまま笑って出す者はおりませぬもの」


「あなたは本当に紙ですね」


 と有子。


「でも今回はとても正しいです」


「でしょう」


 場に、少しだけ呼吸の戻る笑いがこぼれました。よろしい。恥だけで終わらせない。


 しかし、ここで「次から気をつけなさい」で終わると、また同じことが起きます。


 必要なのは、善意に頼らず、支度の相互確認を仕組みにすることです。


 前世でも、身だしなみチェックのある職場ほど事故が少なかった。互いに「変だったら言う」が当たり前になると、小さな恥はだいぶ減ります。そして何より、人の失敗を“ネタ”にする前に“修正点”として扱う癖がつく。私はその場で決めました。


「衛門」


「はい」


「支度の見合わせを作ります」


 赤染衛門が、やはり、という顔をしました。ええ、やります。こういうのは気合いではなく運用です。


「題は」


 私は口を開きかけ、寸前で前世の言葉を飲み込みました。ここで「チェックリスト」などと言えば、また赤染衛門に渋い顔をされるのが目に見えています。


「……“身支度見合ひのおぼえ”」


 赤染衛門が、ほっとしたように息をつきました。


「ほどよく雅でございますね。何かまた、奇妙な言葉を出されるかと身構えておりました」


 常盤が、後ろで肩を震わせてくすくす笑っています。


「姫様が何か妙な言葉を呑み込みました」


「呑み込んでいません」


「“身支度見合ひの覚”…ほどよく雅でございます」


 私は紙の上に、必要なことを並べました。


 身支度見合ひの覚


 一、人前へ出る前に、必ず二人一組で最終確認をする

 一、顔・髪・衣・香・持ち物を、自分でなく相手が見る

 一、乱れを見つけた時は、その場で静かに知らせ、直す

 一、他人の支度の崩れを、本人に告げず笑いの種にしない

 一、大きな行事の前ほど、若い者には年長の確認役をつける

 一、恥を防げなかった時は、個人でなく組の見落としとして振り返る


 若い女房たちは、真面目な顔でその紙を見ています。たぶん、「こんなことまで決めるのか」と思っているでしょう。ええ、決めます。人は、決めないとすぐ陰湿さへ流れるから。


「若菜」


「はい」


「あなたは、相手の顔色や手の冷たさに気づくのが早い」


 若菜が目を丸くする。


「ですから、最初の見合わせ役に向いています」


「わ、わたくしが」


「ええ」


「恐れ多うございます」


「恐れなくてよいです。あなたはやさしい」


 若菜は少し赤くなった。褒められるとすぐ顔に出ますね。


「小少将は」


 私は続けます。


「大きな行事の前の最終整え」


「承知いたしました」


「春枝は紙と持ち物」


「はい」


「有子は控えと受け渡し札」


「分かりました」


「澄子は灯の下での見え方」


 澄子が静かにうなずく。


「灯は、乱れを濃くも薄くも見せますので」


「ええ。だから必要です」


 千鶴は、まだ少し泣きそうな顔のまま、でもちゃんと聞いていました。千鶴に向かって、私は言います。


「千鶴」


「はい」


「今日のことを、自分の恥だけにしなくてよい」


「……」


「あなたの顔が崩れたことより、近くにいた者が言わなかったことの方が問題です」


「……はい」


「でも次からは、ひとりで仕上げきろうとしないこと」


「はい」


「助けを借りなさい」


「……はい」


 その返事は、最初より少しだけしっかりしていました。よろしい。本人が「恥をかいた人」で終わらず、「次から支えを借りる人」へ動ければ十分です。


 さて、運用です。その日の宴の前から、さっそく二人一組の見合わせを入れました。


 若い女房どうしを組ませるだけでは弱いので、若菜と千鶴、有子と明子、春枝と佐江、小少将が最後に全体を見る、という流れにする。


 すると、さっそくいろいろ出るのです。


「この紐、少し浮いております」


「白粉が耳際だけ薄うございます」


「香がやや強うございますね」


「袖の端に糸が」


 今までは本人が気づけなかった小さな乱れが、相手の目でどんどん拾われる。そして何より面白かったのは、最初に千鶴を笑っていた明子たちが、今度は真剣な顔で相手の顔をのぞき込んでいることです。


 そうなのです。人は、責められるより役目を持たされた方が変わることがあります。


 明子が、有子の前で少し緊張した声を出しました。


「ここ、墨がほんのわずか」


 有子が鏡を見る。


「本当ですね」


「直しましょうか」


「お願いします」


 それだけのやりとりですが、空気は前とまるで違う。見つけたことが優越ではなく、支えになっている。佐江もまた、春枝に


「持ち物札が裏返っております」


 と教えられて、


「危ないところでした」


 と素直に直していました。


 これです。恥は、笑いの種にすると人を縮ませる。

でも、その場で直せばただの調整です。


 宴そのものは、ずいぶん滑らかでした。顔の乱れでひやりとする者もなく、持ち物も整い、受け渡しも落ち着いている。小少将が終わったあと、しみじみ言いました。


「やはり、最終の一目があるだけで、だいぶ違いますわね」


「ええ」


 私は頷きます。


「人は自分の顔ほど見えていないものですから」


「しかも、緊張するとますます」


「その通りです」


 若菜は、ほっとした顔で千鶴を見ていました。千鶴も、今日はちゃんと笑っています。笑顔が萎まなくてよかった。


 けれど、一番よかったのはその後です。宴が終わったあと、明子と佐江が自分から千鶴のところへ行ったのです。深刻すぎる顔ではなく、でもきちんとした顔で。


「千鶴」


 明子が言う。


「……わたくしたち、よろしくありませんでした」


 佐江も続ける。


「気づいていて、言わずに」


 千鶴は少し驚いた顔をしていたが、やがて小さく頭を下げた。


「……いえ」


「いえ、ではありません」


 明子が言う。


「次からは、すぐ申します」


 佐江も頷く。


「笑うより先に直します」


 千鶴は、その言葉に少し目をうるませた。


「……はい」


 いいですね。謝罪が“自分がすっきりするため”ではなく、“次はこうする”へ向いている。それなら価値があります。


 その後、藤壺では「見合わせ」が妙に定着しました。最初は宴の前だけだったのに、やがて少し大きな贈答の前、御前へ出る前、外へ文を持たせる前にも、


「一度、見ましょうか」


 という声が自然に出るようになったのです。


 若菜は相変わらずやさしく、


「ここ、少しお疲れのお顔です」


「湯をひとくちの方が」


 などと、身体の側から整える。


 小少将は容赦なくも的確に、


「その色、今日の灯では沈みます」


「眉の角を少し」


 と直す。


 春枝は、


「紙が曲がっております」


「札の向きが」


と持ち物を見ている。


 有子は、


「返答期限の札、持ちましたか」


「控えはここです」


 と、例によって抜けを潰す。


 澄子にいたっては、


「灯の下ではこちらの方が顔色がやわらかく見えます」


 と、誰も気づかぬところを見ている。


 そして面白いのは、最初に笑われた千鶴自身が、少しずつ人を見る側になってきたことでした。ある日、別の若い女房の頬にごく薄く紅の乱れを見つけ、千鶴はためらいながらも、そっと言ったのです。


「ここ、少しだけ」


 相手が鏡をのぞいて青くなる。


「本当……!」


「今ならすぐ」


 千鶴が布を差し出す。


 その様子を見て、私はああ、よかった、と思いました。恥をかいた経験が、ただの痛い記憶で終わらず、次に誰かを助ける手へ変わったのです。それが一番よい回収です。


 夕方、千鶴が私のところへ来ました。


「姫様」


「はい」


「今日、わたくし……今度は人に申せました」


「ええ」


「少し勇気が要りました」


「そうでしょうね」


「ですが、申したあと、その方がほっとされたお顔を見て」


「うん」


「……ああ、あの日、わたくしも本当はこうしてほしかったのだと思いました」


 私は、静かにうなずきました。


「そうですね」


「はい」


「だから次は、あなたがそうしてあげればよいのです」


「……はい」


 若菜が少し離れたところで、その様子を見てやわらかく笑っています。若菜は、こういう連なりを見ると本当にうれしそうです。常盤がしみじみ言いました。


「顔の汚れひとつで、ずいぶん場の品が出ますねえ」


「ええ」


 私は答えます。


「汚れそのものではなく、見た者がどうするかで」


「笑うか、直すか」


「そうです」


「だいぶ分かりやすい」


「人間関係は、案外そういう小さいところで決まります」


 春枝が、紙箱を抱えたまま言いました。


「紙のしみも同じでございますね」


「はいはい、紙」


 と常盤。


「でも今回は本当に同じです」


 と有子。春枝が少し得意げになる。小少将は扇を軽く揺らしながら言いました。


「身支度というのは、美しく見せるためだけでなく、互いを人前で恥じさせぬためでもございます」


「ええ」


 私は頷きます。


「だからこそ、気づいた者の責任があります」


「気づいたのに黙る方が、よほど下品です」


「その通りです」


 澄子が、ぽつりと付け加えました。


「灯は、汚れを照らしますが、直す手までは持ちませぬ」


 皆がそちらを見る。


「だから、人の手が要るのでございますね」


 しん、と静かな余韻が落ちました。澄子はたまに本当にいいことを言います。


 夜更け、赤染衛門が控えを見ながら言いました。


「今日は、身だしなみをずいぶん実務に落とされましたね」


「ええ」


 私は答えます。


「恥の管理です」


「また知らぬ言葉が」


「気にしないでください」


「でも、おっしゃりたいことは分かります」


 赤染衛門は微笑む。


「個人の失態ではなく、場で防げる恥は場で防ぐ」


「そうです」


「そして、防げなかった時は、皆の見落としとして振り返る」


「ええ」


 少しして、彼女はやわらかく続けました。


「千鶴には、よい日になりました」


「最初は悪かったですが」


「それでも、最後には自分が人に声をかけられた」


「はい」


「恥が、そのまま優しさへ返ったのなら、今日は上出来でございましょう」


 その言い方が、なんだかよかった。私は扇を閉じました。


 顔の汚れは、たしかに本人の顔に出ます。でも、そのまま人前へ出させたなら、それはもう本人ひとりの恥ではありません。


 見ていたのに黙った者、直せたのに笑った者、支度を互いの仕事と考えなかった場、その全部の敗北です。

〜 出典 〜

『堤中納言物語』はいずみ


〜 舞台背景 〜

 『はいずみ(堤中納言物語)』は『古本説話集』第十九段「平中事」、狂言「墨塗」などに見られるモチーフ「墨塗説話」系の短編。この段では、話の前半は『伊勢物語』二十三段などに見られる二人妻物語を基調とし、後半はいわゆる平中墨塗譚を基調とする。

 (あらすじ)新旧二人の妻を持った男が、新しい方の妻を家に迎えて同居しようとするが、もとの妻の哀しむ様子を見て思いなおす。ある日新しい妻の所へ行くと、慌てた妻ははいずみ(眉墨)を白粉と間違えて顔に塗ってしまう。せっかちな男はそれに幻滅し、もとの妻のもとへ戻る。両親がやってくると黒い娘にびっくり。娘も鏡を見て「かかりけるものを、『いたづらになり給へる』とてさわぎけるこそ、かへすがえすをかしけれ」。出典:wikipedia


 『堤中納言物語つつみちゅうなごんものがたり』は、日本の平安時代後期以降に成立した短編物語集。編者は不詳。10編の短編物語および1編の断片からなるが、成立年代や筆者はそれぞれ異なり、遅いものは13世紀以後の作品と考えられる。10編の物語の中のいずれにも「堤中納言」という人物は登場せず、この表題が何に由来するものなのかは不明である。複数の物語をばらけないように包んでおいたため「つつみの物語」と称され、それがいつの間にか実在の堤中納言(藤原兼輔)に関連づけられて考えられた結果として堤中納言物語となった、など様々な説がある。出典:wikipedia

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