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転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜  作者: 条文小説


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九十 とりかへばや、性別役割を入れ替える

挿絵(By みてみん)


 宮中で、文書に強い女房が「男の仕事のよう」とからかわれ、逆に装束選びが得意な男が笑われる。彰子は、役割を性別ではなく能力で配分する試みを始める。女房が記録を取り、蔵人が装束手配を助けると、行事の質が上がる。周囲は戸惑うが、成果の前に黙る。彰子は「性別で仕事を割るほど、人材に余裕はありません」と断言する。

 人は、役割に意味を貼るのが好きです。


 前世でもそうでした。数字に強いのは男っぽい。気配りが細やかなのは女らしい。書類はあの人向き、見た目のことはこの人向き。そうやって、能力ではなく“らしさ”で仕事を分ける。


 便利なのです。考えなくて済むから。でも、その便利さの代わりに、取りこぼすものがあります。


 本当は向いている人。やれば伸びる人。そして、無理に役に押し込まれて、静かに疲れていく人。


 しかも厄介なのは、そういう分け方ほど、昔からそうだとか、自然だとか、場が乱れるとか、もっともらしい顔をして居座ることでした。


 でも、向いている人がいるのに、「男の仕事みたい」「女のすることでは」と言って外す方が、よほど場を乱します。


 そして平安の宮中にも、もちろんそういう空気はありました。


『とりかへばや物語』では、男女の役目が入れ替わり、そのことで世の見え方そのものが揺らぎます。読んでいるぶんには面白い。


 けれど現実には、そこまで劇的に入れ替わらなくても、もっと小さなところで十分に似たことが起こるのです。


 その日、藤壺の朝は、一見するといつもどおりでした。


 若菜は香炉の灰を静かにならし、有子は控えの文を整え、春枝は紙箱の前で、今日の湿りと手ざわりに一人で納得している。


 小少将は装束の色目を見ながら、誰に何が似合うかを頭の中で組み替えている顔。澄子は灯台の金具を磨きながら、半分は部屋の空気を見ていた。紀伊の君は奥で若い者の動きを見ている。


 つまり、外から見れば平穏。けれど、その平穏の中で、ひとつだけ妙に尖った笑い声が混じっていました。


「まあ、また月代が帳面を抱えておりますわ」


「本当に、蔵人のよう」


「文の数ばかり見ていて、少しも華やぎませぬこと」


「でも、ああいうのが好きな方もあるのかしら。堅くておもしろくないけれど、頼りにはなりそうな」


 ころころと笑う声。私は、その方向へ視線をやりました。


 月代は、藤壺にいる若い女房の一人です。目立つ方ではない。けれど、記録が強い。誰に何を渡したか、どこで話が変わったか、どの順で出したか。一度見たものを、かなり正確に覚える。そして、口頭のやりとりを紙へ落とすのが早い。


 前世で言えば、議事録の天才です。こういう人は、本当はどこにいても貴重です。でも、見栄えが地味なので、分からない人には分からない。しかも宮中では、紙と記録に強い女は、時に「男のするような働き」と軽く言われることがある。


 腹が立ちます。働いているのに。


 一方で、もうひとつ、別の笑いもありました。渡殿の近くで、蔵人の一人――橘景経という、中背で、物腰のやわらかな若い殿方――が、装束の布を見ていました。


 彼は本来、取り次ぎや外との細かな連絡を担う立場なのですが、どういうわけか色や布地を見る目がよく、仕立ての間の不具合にも早く気づきます。


 前に一度、急ぎの衣の合わせで、小少将が困った時にさっと助けたことがありました。それ以来、装束の手配の相談を受けることが少し増えたのです。


 すると今度は蔵人側で、


「何だ、女房みたいなことを」


「布の色なんぞ見分けて」


「次は鏡の前で紅でも選ぶのか」


 という笑いが起こる。


 ほんとうに、人は暇です。役に立つことをしている人を、役に立っているという理由ではなく、“らしさからはみ出している”という理由で笑う。


 これは、能力より規範を守らせたい時の笑いです。


 若菜は困った顔で月代を見ているし、有子は明らかに不機嫌そうに紙を揃えている。小少将は、景経の布を見る手つきを横目で見ながら、あれはだいぶ分かっている手だと認めている顔。


 春枝は、布より紙ですが、こういう“見る目のある人が笑われる”空気は嫌いらしい。澄子はいつも通り静かでしたが、灯を磨く手が少しだけ硬い。


 つまり、場はすでに察しているのです。おかしいのは笑っている側だと。


「姫様」


 赤染衛門が近づいてきました。


「聞こえておりますか」


「ええ」


「月代が少し縮こまっております」


「景経どのも?」


「そちらは、笑って流してはおりますが」


 笑って流せる人の方が、案外あとで静かに離れるのです。前世でもありました。「別に気にしていませんよ」と言いながら、二度とその能力を出さなくなる人。それは損です。組織が負けています。


「少し、見せてもらいましょう」


 私はまず月代を呼びました。


 帳面を抱えて来た彼女は、いかにも気まずそうでした。真面目な子です。からかわれると、怒るより先に、自分が出すぎたのではないかと考える種類。


「月代」


「はい、姫様」


「その帳面、見せてちょうだい」


 月代は少し驚いた顔をしたものの、すぐ差し出しました。中を見ると、先日の贈答、返答の期限、誰がどの紙を受け取ったか、差し替えの理由まで、小さな字で丁寧にまとまっています。これはだいぶよいです。


 有子も控えは強いですが、月代はそれに加えて、流れの因果関係を押さえるのがうまい。誰の言葉が、どの紙の返りに影響したか。そういう連鎖をきちんと見ている。前世なら確実に手放したくない人材です。


「これ、あなたが自分でまとめたの」


「……はい」


「誰に言われて」


「いえ、その、前に贈答の取り違えがございましたので…」


「ええ」


「その折に、誰がどこで意味を足したか、あとから分かるようにした方がよいかと……」


 私は扇を膝に置きました。


「よくできています」


 月代が目を丸くする。


「え」


「よくできています、と言いました」


「……ありがとうございます」


 周りの若い女房たちも、少しざわついた。たぶん「そこを褒めるのか」という顔です。ええ、褒めますとも。


 次に、景経を呼びました。


 蔵人が女房の御前近くへ呼ばれると、それだけで少し緊張が走ります。景経はきちんと礼を取り、少しだけ所在なさげに布見本を持っていました。


「景経どの」


「は」


「先日の衣の手配、助かりました」


「恐れ入ります」


「どこであの色の違いに気づいたのですか」


 彼は、一瞬だけ迷い、それから正直に答えました。


「もともと母が、仕立てに目の利く人でございました」


「ええ」


「子どものころより布を見ることが多く……」


「なるほど」


「同じ青でも、灯の下で沈むものと浮くものがございますゆえ」


「ええ」


 小少将が、横から口を挟んだ。


「それを分かる殿方は貴重でございますわ」


 景経が少し面食らう。


「恐れ入ります」


「恐れ入っている場合ではありません」


 私は言った。


「役に立つなら、役に立ってもらいます」


 場に少し笑いが走る。でも、笑いの質が変わった。からかいではなく、驚きと面白さの混じった笑いです。


 私はその場で、あえて皆に聞こえるように言いました。


「ところで」


 女房たちと蔵人たちの顔を見回す。


「文書に強い女房は、なぜ“男の仕事のよう”と笑われるのですか」


 誰も答えません。


「装束に強い蔵人は、なぜ“女房みたい”と笑われるのですか」


 沈黙。


「役に立っているのに」


 さらに沈黙。私は少しだけ首をかしげました。


「不思議ですね」


「……」


「役に立つことより、役らしく見えることの方が大事なのですか」


「……」


 常盤が、少し離れたところで口を押さえている。あれは面白がっているのではなく、「それを言いますか」という顔ですね。ええ、言います。


「性別で仕事を割るほど、人材に余裕はありません」


 私はきっぱり言いました。ぴたり、と空気が止まる。


 蔵人も女房も、一様にこちらを見る。たぶん、かなりはっきり言ったと分かったのでしょう。


「月代が記録に強いなら、それを使う」


「景経どのが装束手配に目が利くなら、それも使う」


「それで行事がよく回るなら、何の問題がありますか」


「……」


「“らしさ”のために向いた人を外す方が、よほど愚かです」


 小少将が、そこで扇の端を上げて笑いました。


「ずいぶん思い切って仰せになりますわね」


「事実です」


「ええ。姫様らしゅうございます」


 紀伊の君も、静かに頷いていました。あの人は年長ですから、昔ながらの分け方の中で長くやってきた。でも長く見てきた人ほど、本当は“向いている人がやるのが一番早い”ことも知っているのです。私は、その日のうちに小さな試みを始めることにしました。


「衛門」


「はい」


「役割を、少し組み替えます」


「やはり」


「ええ。試しに」


 赤染衛門は、慣れた顔で紙を出しました。最近、何かを変える時の反応が早いです。よろしい。


「題は」


「……“勤め配り見直し覚”」


「だいぶ実務でございます」


「今日はそういう日です」


 私は紙の上に、行事に必要な仕事を並べました。行事に要る働き。記録・控え。贈答の管理。装束の見立てと手配。灯と場の導線。香と空気の調整。外との連絡。受け渡しの確認。


「これを、性別ではなく、向きと実績で見ます」


 若い女房たちがざわつく。男房たちも少し落ち着かない。まあ、そうでしょうね。今まで空気で決まっていたものに、別の軸を入れるのですから。


 私はまず月代を指しました。


「月代は、次の行事から記録の主を有子とともに担う」


 月代が、ぎょっとする。


「わ、わたくしが」


「ええ。あなたの控えは因果が見える」


「……」


「記録係に必要なのは、筆の丁寧さだけではありません。流れが見えることです」


「はい……!」


 少し声が震えている。でも、うれしさも混じっていました。よろしい。


「景経どのは」


 蔵人側が少し身を固くする。


「小少将のもとで、装束の布地と手配補助を行う」


 景経が、目を見開いた。


「わたくしが、でございますか」


「ええ」


「しかし、私は蔵人にて」


「ええ、蔵人です」


 私はあっさり答える。


「何か不都合が」


 景経が答えに詰まる。不都合があるのではなく、不都合だと言われるのが怖いのです。分かります。


「外へ出る受け渡しや職人筋との細かな確認には、むしろ蔵人の方が動きやすいでしょう」


 小少将が、すぐに頷く。


「それはたしかに」


「ならば、見る目があって動ける人にやってもらう」


「……承知いたしました」


 その返事に、蔵人たちの中に少しざわめきが走った。もちろん反発もあります。その日のうちに、案の定、ひそひそ話が始まりました。


「女房が帳面だなど」


「蔵人が衣の布を見るなど」


「とりかへばやでもあるまいし」


「場が乱れはせぬか」


 聞こえています。


 けれど、こういう時に議論だけしても仕方ありません。一番早いのは、成果を出して黙らせることです。


 前世でもそうでした。新しいやり方は、最初は必ず「前例がない」「らしくない」「違和感がある」と言われる。でも一度うまく回ると、今度は皆、前からそうだった顔をする。人間はたいへん現金です。


 数日後、小さな行事がありました。本番ほど大きくはない。でも、贈答、控え、装束、持ち出し、全部が軽く絡む。試すにはちょうどよい規模です。


 まず、月代が記録についた。


 有子の横で、誰が何を持ち出し、どこで変更が入り、どの返答が何日後か、静かに書き留めていく。

しかも早い。言葉をそのまま写すだけでなく、後で見返せる順に整えている。


 有子が途中で、ちらりと私の方を見た。その顔は、これは使える、でした。ええ、そうでしょうとも。


 一方、景経は小少将の横で布を見ていました。行事の途中、控えに置いた単の重なりが、灯の下で少し沈みすぎると彼が気づいたのです。小少将も気づきかけていたが、景経が先に「こちらの方が顔うつりが明るうございます」と別の一枚を出した。


「……それ」


 小少将が目を細める。


「どこで覚えたの」


「母のもとで、よく」


「ええ。よろしい」


 その一言で、景経の顔が少しだけ明るくなった。そして結果として、その日の行事は妙に滑らかでした。


 記録の抜けがない。返答期限が見える。装束の色沈みが早めに防がれる。外との布の受け渡しも景経が速い。小さな行き違いが、表へ出る前に消えていく。終わったあと、場にいた誰もが感じたはずです。


 あれ、今日、いつもより楽だったのでは、と。


 私は、そういう時の空気が好きです。誰かを言い負かさなくても、場そのものが答えになる瞬間。案の定、最初に口を開いたのは兵庫の君でした。


「……今日は、妙に継ぎ目が見えませなんだ」


「ええ」


 私は答える。


「向いた人を向いたところへ置きましたから」


 兵庫の君は少し苦い顔をしたが、否定はしなかった。紀伊の君は、しみじみ言いました。


「こうして見ますと、たしかに“男の手”“女の手”というより、“見える手”と“覚える手”が要るのでございますね」


「その通りです」


 私は頷く。


「役目には必要な性があるのではなく、必要な才があるのです」


 常盤が、横で妙に感心した顔になる。


「名言めいております」


「広めない」


「でも、だいぶ広めたい」


「そういうところです」


 若い女房たちの方も、空気が変わっていました。月代をからかっていた者が、後でこっそり帳面をのぞき込み、


「……これ、どう書き分けておりますの」


 と聞いている。月代は最初、おどおどしていたが、


「こちらは事実で、こちらは受け取りにございます」


 と、小さく説明していた。


 おや。よいですね。からかわれていた子が、教える側へ半歩出る時の顔です。


 一方、蔵人の側では、景経に対してまだ少し笑う者もいました。でも、その笑いは前より弱い。なぜなら、景経が実際に役に立ったのを、皆が見たから。


 しかも景経本人が、そこで変に威張らないのがよかった。ただ黙って、必要な布を選び、必要な時に言う。こういう人は強い。成果が静かだからです。


 数日後、別の小さな準備の場で、小少将が当然のように言いました。


「景経どの、あの浅葱の見え方を」


「はい」


 と景経が返す。そのやりとりに、もう前ほどざわつきがなかった。人は慣れます。よいことにも、悪いことにも。ならば、少しでもよい方へ慣れさせた方がいい。


 その夕方、月代が私のそばへ来ました。


「姫様」


「はい」


「わたくし……帳面ばかり見ておるのを、少し恥ずかしく思っておりました」


「ええ」


「女房らしからぬのではと」


「そう言われましたものね」


「はい」


「でも」


 月代は少しだけ笑った。


「今日、有子様が“そこを書いておいて助かった”と仰せくださって」


「ええ」


「初めて、よいのでございましょうかと思えました」


 私は月代を見ました。この子は、たぶんずっと、自分の得意が“場で歓迎される得意か”を測りかねていたのです。向いている。でも、褒められ方が分からない。だから縮こまる。そういう人に必要なのは、遠慮しろではなく、役立った事実です。


「よいのです」


 私は言いました。


「帳面ばかり見ているのではありません」


「……」


「流れを守っているのです」


 月代の目が少し丸くなる。


「それは、立派な働きです」


「……はい」


 一方、景経もまた、その夜、控えめに礼を言いに来ました。


「本日のお役目、ありがとうございました」


「どういたしまして」


「まさか、布を見てきたことが、このように役に立つとは」


「人は、役に立つものを案外長くしまっているものです」


「……はい」


「でも」


 私は少しだけ笑った。


「次に蔵人仲間から何か言われたら、どうします」


 景経は困ったように笑った。


「黙って働くほかございませぬ」


「それでよいです」


「はい」


 少し考えてから、彼はこんなことを言いました。


「女房の方々が、布のことを“分かる者”として話してくださるのが、ありがたく」


「ええ」


「笑われるのと、頼られるのでは、同じことをしていても背筋の伸び方が違います」


 その言葉はよかった。本当にそうです。人は能力そのもので潰れるのではなく、能力が歓迎されぬ空気で潰れる。


 だから、歓迎される側へ空気を変えるのも仕事です。その後、藤壺では少しずつ、役の見方が変わり始めました。


 たとえば、蔵人だから外との受け渡しに強いが、布を見る目もあるなら装束手配に使う。女房だから内向きの働き、ではなく、記録に強いなら運びの管理も任せる逆に、気配りに向いた蔵人、段取りに向いた女房も、そのまま生かす


 もちろん、一度で全部は変わりません。「やはり妙だ」と思う人もまだいる。でも、成果が何度か積み上がると、人は次第に“妙だが便利”を認め始める。


 それで十分です。最初から思想で全部分かり合う必要はありません。場がよくなるなら、その方へ寄せていけばいい。


 ある晩、若菜がぽつりと言いました。


「とりかへばや物語のように、大きく入れ替わるのは恐ろしゅうもございますけれど」


「ええ」


「このくらいに、向いていることをそのまま使うのは、なんだか自然でございますね」


 私は少し笑いました。


「自然、ですか」


「はい。これまでの方が、かえって無理をしていたのかもしれませぬ」


「そうかもしれません」


 若菜は、香の灰をならしながら続けました。


「香は、男の方が焚けばおかしい、女が焚けば似合う、というものでもございませぬもの」


「ええ」


「乱れる方がいれば、落ち着ける手が必要なだけで」


「はい」


 そこへ春枝が口を挟みます。


「紙も同じにございます」


「何でも紙ですね」


 と有子。


「でも今回はだいぶその通りです」


と小少将。場に、やわらかな笑いが広がった。


 その笑いの中で、月代が帳面を閉じ、景経が布をたたみ、それぞれが前より少しだけ自然に自分の役を持っているのが見えました。いいですね。居場所とは、たぶんこういうふうに作られます。


 夜更け、赤染衛門が控えを見ながら言いました。


「今日のこと、だいぶ思い切られましたね」


「ええ」


「性別で割る方が楽ではございますのに」


「楽でしょうね」


 私は答えます。


「でも、楽な分け方は、だいたい人材を無駄にします」


「……はい」


「そして無駄にできるほど、こちらは豊かでも暇でもありません」


「その通りでございます」


 赤染衛門は少し笑いました。


「“性別で仕事を割るほど、人材に余裕はありません”」


「ええ」


「たいへんよいお言葉でした」


「広めないでください」


「広まった方がよろしいこともございます」


 私は、まあそうかもしれない、と思いました。


 前世でもそうでした。「らしさ」で仕事を配る場所は、一見なめらかに見えて、実はあちこちで人が詰まっています。


 でも、「できる人がやる」に少しずつ寄せると、最初はぎこちなくても、だんだん本当に回るようになる。そして何より、人が自分の得意を恥じなくてよくなる。


 役割は、性別の飾りではありません。場を回すための実務です。


 文書に強い女房がいれば、記録を任せればよい。装束を見る目のある蔵人がいれば、布を見てもらえばよい。


 男だから、女だから、らしいから、らしくないから。そんな札で人を分けているあいだに、向いた手は遊び、場の質は落ちていきます。


 藤壺は性別で仕事を割るほど、人材に余裕はありません。

〜 出典 〜

『とりかへばや物語』巻一(その1)


 いつの頃にか、権大納言にて大将かけ給へる人、御容かたち身の才心用ゐよりはじめて、人柄世の覚えも並べてならず物し給へば、何事かは飽かぬことあるべき御身ならぬに、人知れぬ御心の内の物思はしさぞ、いと尽きせざりける。北の方二所物し給ふ。一人は、源宰相と聞えしが御娘に物し給ふ。御心ざしはいとしも優れねど、人より前さきに見初め給ひてしかば、疎をろかならず思ひ聞こえ給ふに、いとど世になく珠光る男君さえ生まれ給ひにしかば、またなく去り難きものに思ひ聞こえ給へり。いま一所は、藤中納言と聞こえしが御娘に物し給ふが御腹にも、姫君のいと美しげなる生まれ給ひしかば、様々珍めづらしく、思ふ様に思し傅かしづく事限りなし。上たちの御有様のいづれもいとしも優れ給はぬを、思す様ならず口惜しき事に思したりしかど、今は君達の様々美しうて生い出で給ふに、いづれの御方をも捨て難きものに思ひ聞こえ給ひて、今はさる方におはし付きに足るべし。…


 (訳文)いつの頃のことであったか、権大納言であり、大将も兼ねている男性がいた。この方は、容姿の美しさはもちろん、才能や思慮深さ、人柄、世間からの評判に至るまで、何一つ人に劣るところがなかった。身分も高く、何不自由ない身であったから、何か不満に思うことなどありそうにもなかった。

 ところが、人には決して見せない心の内には、どうにも晴れない悩みがあり、それはいつまでも尽きることがなかった。

 この権大納言には、妻が二人いた。一人は、源宰相と呼ばれていた人物の娘である。権大納言は、この女性を特別に優れた妻だと思っていたわけではなかったが、誰よりも先に見初めて妻にした女性だったので、それなりに大切に思っていた。しかも、この妻との間に、世にも珍しいほど美しく、まるで宝玉が輝いているような男の子が生まれた。そのため、ますますこの妻を手放しがたい存在だと思うようになった。

 もう一人の妻は、藤中納言と呼ばれていた人物の娘であった。こちらの妻との間にも、とても美しい姫君が生まれた。その姫君を、権大納言はさまざまな意味で珍しく愛らしい子だと思い、思う存分に大切に育て、限りなく可愛がった。

 二人の妻自身は、どちらもそれほど際立って美しい女性ではなかった。そのため、権大納言は以前から「自分の思っていたような妻たちではない」と、少し残念に思っていた。

 しかし今では、二人の間に生まれた子どもたちが、それぞれ美しく立派に成長してきた。そのため、どちらの妻も、もはや簡単に見捨てることのできない大切な存在になっていたのである。…


〜 舞台背景 〜

 『とりかへばや物語』(とりかえばやものがたり)は平安時代後期に成立した物語。作者は不詳。「とりかへばや」(古語)は「取り替えたい」と言う意味である。とりかへばや物語の原型は1180年以前に成立したと考えられているが、その後、後世の手により改作が加えられ、現在の形のものが伝わっている。この経緯については、13世紀初頭に成立した『無名草子』や同世紀後半に成立した『風葉和歌集』の記述から推測可能であり、鈴木弘道らによる考証がなされている。この作品は、男性と女性が入れ替わるという非現実的な設定である反面、2人を中心とする人間関係の描写は現実的かつ重層的であり、現在でも十分に味わい深く鑑賞できる。特に男装の女児である「若君」が宰相中将に素性を知られ身を許してしまうシーンは、本作品のクライマックスの一つでもあり、「ポストモダーン」の知恵を提供してくれるという。この点が、当時書かれた数量に対して現存作品の少ないジャンルであるにもかかわらず、人々へ強い印象を残し、当時、数多く作られた物語の中で本作品を現在まで命脈を保たせる原因となったのであろう。出典:wikipedia

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