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転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜  作者: 条文小説


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七十五 仮道伐虢、贈り物は呪いにもなる

挿絵(By みてみん)


 豪華な装身具を贈られた女房が喜ぶが、その品には他派閥(弘徽殿こきでん)への取り込み意図が潜んでいた。彰子は国を滅ぼした異国の宝の故事「仮道伐虢かどうばっかく」を引き、贈り物の背後にある関係性を読むよう諭す。あえて品は預かりつつ、同等の香を返すことで角を立てずに中立を保ち、派閥争いを躱していく。

 贈り物は、甘い顔をしています。


 美しい紙に包まれ、よい香を焚きしめられ、季節の枝や歌を添えられて届きます。受け取る側は、まず嬉しい。


 自分を思って選んでくれたのだろうか。私を見ていてくれたのだろうか。この色が似合うと思ってくれたのだろうか。そう考えると、胸が少し温かくなります。贈り物というものは、そういう力を持っています。


 けれど。贈り物は、時々、紐をつけてやって来ます。見えない紐です。受け取った瞬間には分からない。でも、少し後になって、その紐が袖に絡み、足首に絡み、気づけば相手の方へ引かれている。


 前世でもありました。お歳暮。差し入れ。食事の奢り。高価なチケット。紹介。推薦。ちょっとした便宜。


 もちろん、すべてが悪いわけではありません。感謝を形にすることは、人の関係を柔らかくします。


 問題は、贈る側が「これを受け取ったのだから、こちらの言うことを聞くべきだ」と考え始めた時。そして、受け取った側が「返せないから断れない」と感じ始めた時です。


 贈り物は、その瞬間、好意ではなく鎖になります。平安宮中では、その鎖がたいへん美しい形をしていました。


 ある日の昼下がり。藤壺に、ひときわ華やかな小箱が届きました。薄い蘇芳の紙で包まれ、淡い香が焚きしめられ、結び目には小さな梅の枝。ぱっと見ただけで、ただの差し入れではないと分かります。


 春枝が、目を輝かせました。


「紙が……よろしゅうございます」


「中身より先に紙を見ない」


「ですが、これはかなり上等で」


「春枝」


「はい」


 有子が差出人を確認しました。


「これは、弘徽殿こきでんに近い女房から、若菜へでございます」


「私に?」


 香炉の灰を整えていた若菜が、驚いて顔を上げました。若菜は目立つ女房ではありません。控えめで、声も大きくなく、いつも香炉や灰のそばにいる。


 けれど、帝に「灰が静かだな」と評された一件以来、一部で妙に注目されています。静かな者が注目されると、本人より周囲が騒がしくなります。困ったものです。


「開けてもよろしゅうございますか」


 若菜が私を見るので、私はうなずきました。


「ここで開けましょう」


 春枝が包みを解きます。もちろん、紙を傷つけないように。非常に丁寧です。


 中から現れたのは、小さな装身具でした。銀の細工に、淡い青の石が嵌め込まれている。髪に挿す飾りでしょうか。派手すぎず、けれど目を引く。若菜のような控えめな女房にこそ映える品です。


「まあ……」


 常盤が思わず声を漏らしました。


「美しいですね」


 小少将も認めました。


「色がよいです。若菜の衣なら、薄青や白梅に合わせれば映えるでしょう」


 若菜は頬を染めました。


「このようなもの、私にはもったいのうございます」


「添えられた文は?」


 赤染衛門が尋ねます。有子が文を開きました。そこには、丁寧な字でこうありました。


 ――先日の香の御扱い、たいそう見事と承りました。静かなる灰にこそ、よき香は宿るもの。折に触れ、こちらにもお力添えいただければ幸いに存じます。


 場が、少しだけ静かになりました。


「お力添え」


 赤染衛門が低く繰り返します。常盤の目が、すっと細くなりました。


「弘徽殿方に近い女房から、若菜へ。高価な装身具。お力添え。これは……」


「常盤」


「流しません」


「まだ何も言っていない」


「ですが、匂います」


 今回は否定しません。たしかに、匂います。香ではなく、政治の匂いです。若菜は文と装身具を見比べ、困ったように眉を下げました。


「私は、ただ香炉の灰を整えただけでございます」


「それが評価されたのよ」


 小少将が優しく言います。


「けれど、評価だけかどうかは、見た方がよいですね」


 さすが小少将。美しいものの価値も、危うさも分かっている。若菜は、装身具から手を離しました。


「……受け取っては、いけないものでしょうか」


 声が小さい。喜びが、少しずつ不安に変わっていくのが分かりました。私は、扇を開きました。


 ぱさり。


「贈り物は、すぐに善悪を決めなくてよいものです」


 皆がこちらを見ます。


「ただし、贈り物の後ろにある関係は、必ず読むべきです」


「後ろにある関係……」


 若菜が呟きました。私は少し考え、前世の記憶と今世の教養を重ね合わせ、一つの史実を取り出しました。


「異国の史書に、このような話があります」


 菅原の君が、一瞬で顔を上げました。本当にこの人は、異国の物語や書物という単語に弱い。


しんという大国が、隣国を攻めようとしました。しかし道中には別の国がある。そこで晋は、道を通りたいと願い出るため、その国に目も眩むような美しいぎょくと名馬を贈ったのです」


「まあ……!」


 菅原の君の目が、危険な輝きを帯びました。


「裏切りの気配がいたしますね!」


「先に酔わない」


「はい」


 私は、若菜の前に置かれた装身具を見ながら話し始めました。


「美しい宝を贈られた王はすっかり喜び、晋の軍勢に道を貸してしまいました。結果、どうなったか。晋は目当ての隣国を滅ぼした帰り道、道を貸したその国をも滅ぼし、贈った玉と馬を自らの手元へ取り戻したのです」


「宝そのものが悪いのでしょうか」


 有子が尋ねました。


「いいえ」


 私は首を振りました。


「宝は、ただそこにあるだけなら物です。金も、名馬も、装身具も、それ自体が人を裏切るわけではありません」


 私は少し声を落としました。


「けれど、人がそこに意味を載せると、物は呪いになります」


 若菜の指が、膝の上で小さく動きました。


「呪い……」


「たとえば、この装身具」


 私は箱を指しました。


「美しい品です。若菜に似合うでしょう。贈った者が、本当に若菜の仕事を称えたいだけなら、ありがたい贈り物です」


 若菜の表情が少し和らぎます。


「けれど、文には『こちらにもお力添えを』とあります」


 赤染衛門が頷きました。


「単なる賞賛ではございませんね」


「はい。つまり、この品には、期待がついています」


 私は言いました。


「今後、香の扱いについて助言してほしいのかもしれない。弘徽殿方の席で若菜の名を使いたいのかもしれない。あるいは、若菜を藤壺から少し引き寄せたいのかもしれない」


 常盤が、ものすごく口を開きたそうにしています。


「常盤」


「流しません」


「よろしい」


「でも、完全に派閥への取り込みです」


「まだ断定しない」


「匂いは濃いです」


「それはそう」


 若菜の顔が青ざめました。


「私などを取り込んでも、何の役にも立ちません」


「それは違います」


 小少将が静かに言いました。


「目立たぬ人を取り込むことには、意味があります。目立つ人を動かすより、場の底が動きますから」


 紫式部が几帳の陰から低く言いました。


「灰を制する者は、香を制する」


 若菜がびくっとしました。


「式部様、そのような大それたことは」


「たとえです」


「でも、物語にできそうです!」


 菅原の君が言いました。


「しない」


 私と紫式部と赤染衛門の声が揃いました。菅原の君はしょんぼりしました。かわいそうですが、今はそれどころではありません。私は若菜に向き直りました。


「若菜。あなたが喜んだことは、悪くありません」


 若菜が目を上げます。


「美しい物を贈られて嬉しい。自分の仕事を認められて嬉しい。それは自然なことです」


「……はい」


「けれど、嬉しいからといって、その後ろの紐を見ないでよいわけではありません」


 私は装身具の青い石を見ました。灯を受けて、静かに光っています。美しい。だからこそ、怖い。


「異国の王に贈られた美しい玉も、きっと同じように眩かったのでしょう。美しいから人が欲しがる。欲しがるから、後ろの紐を見落とす。結果として、最初の喜びが国を滅ぼす呪いに変わった」


「贈り物も、そうなるのですね」


 有子が控えを取りながら言いました。


「なります」


 私はうなずきました。


「贈る側が、関係を作るために贈ること自体は、悪いとは言い切れません。宮中の贈答は、そもそも関係の作法です。季節の挨拶も、感謝も、慰めも、祝いも、物を通じて伝えます」


 赤染衛門が続けました。


「問題は、受け取った側の自由を奪うほど重い贈り物であるかどうか、でございますね」


「そう」


 さすがです。言語化が早い。


「受け取った瞬間に断れなくなる品。返礼できないほど高価な品。文に曖昧な要求が添えられている品。周囲に見せることを前提にした品。そういうものは、注意が必要です」


 常盤が指を折り始めました。


「高価、文に要求、他派閥、若菜に似合いすぎる、噂になりやすい」


「最後のは?」


「似合いすぎると噂になります」


 否定できません。宮中では、似合うことも情報です。


「あの装身具、若菜に似合っていたわね」


「誰から?」


「弘徽殿に近い女房から」


「まあ、では若菜はそちらと親しいのかしら」


 これだけで、関係が作られます。本人が何もしていなくても。物を身につけるとは、宮中では意思表示に近い。


「では、お返しした方がよいのでしょうか」


 若菜が尋ねました。小少将も装身具を眺めます。


「品そのものを、突き返しますか?」


「いいえ。品はありがたくお預かりしましょう」


 私は答えました。


「強く返しすぎると、敵対の印になります。向こうに『好意を無下にされた』という口実を与えかねません」


「では、受け取れば絡め取られ、返せば危うい……」


「だから、受け取った上で、こちらからも礼を尽くして中立を作ります」


 赤染衛門が顔を上げました。


「返礼で、相殺するのですね」


「はい」


 私は扇を閉じました。


 ぱちり。


「品はありがたく頂戴し、手元の箱に深くしまっておく。そして、重さを同じか少し軽くして返す。相手の好意には感謝するけれど、個別の力添えは約束しない。藤壺の女房としての立場は崩さない」


 春枝が、すぐに紙箱へ向かいました。


「返礼の紙を選びます」


「上等すぎないもの」


「……はい」


「お返しする品は?」


 若菜が尋ねます。


「あなたが整えた香を少し。ただし、特別な調合ではなく、藤壺で誰にでも使う穏やかなもの」


 澄子が頷きました。


「個人的な密約ではなく、御殿からの礼の香でございますね」


「そう」


 赤染衛門が筆を構えます。私は、ゆっくり言葉を選びました。


「このたびは過分なる御品、ありがたく頂戴いたしました。若菜はただ御前の香炉を慎みて整える役にて、身に余る飾りに恐縮しております。御心のみ深く胸に納め、代わりに藤壺にて用いております穏やかな香をお届けいたします。香の扱いについては、折々、宮中の皆様全体のために学びを分かち合えれば幸いに存じます」


 赤染衛門の筆が止まりました。


「よろしゅうございます」


「意味は?」


 若菜が不安そうに聞きます。赤染衛門が説明しました。


「まず、贈り物への感謝を示し、品は預かります。しかし『身に余る』『心のみ胸に納める』とすることで、その品を軽々しく身につけたりはしない、という意思を示しています。そして、藤壺の香を返すことで礼の重さを釣り合わせる。さらに、今後の助言は『宮中の皆様全体のため』とし、弘徽殿方だけへの力添えではないと線を引いています」


 若菜は、ほっと息を吐きました。


「それなら……角が立ちにくいでしょうか」


「完全に角が立たない方法はありません」


 私は言いました。


「けれど、巻き込まれにくくはなります」


 常盤が感心したように言いました。


「贈り物を突き返して敵にもせず、香で礼を尽くして貸し借りをなくし、若菜は藤壺の人のまま」


「そう」


「すごいです。贈答の受け流し」


「言い方」


 でも、合っています。贈答は、受け流しが大事です。真正面から受けると重い。真正面から返すと刺さる。少し角度をつけて受け取り、礼を失わず、紐だけを切る。


 それが宮中の生存術です。春枝は、薄生成りの紙を選びました。派手すぎず、粗末すぎず。若菜が整えた淡い香を、ほんの少しだけ移します。澄子が香の強さを確認し、有子が文を清書しました。


やがて返礼の支度が整いました。若菜は、手元に残ることになった装身具の箱にそっと手を添え、少し名残惜しそうに見ました。


「つけてみたくならない?」


 私が尋ねると、若菜は驚いた顔をしました。そして、小さく頷きました。


「……はい。少し、挿してみたいと思いました」


「そう思ったことは、覚えておきなさい」


「え?」


「美しい物を喜ぶ心まで、疑わなくていい」


 私は言いました。


「ただ、その美しさに紐がついている時は、箱にしまっておく」


 若菜の目が、少し潤みました。


「いつか、自分で買えるか、藤壺の皆から祝いとして贈れる時があれば、その時に似たものを堂々と挿せばいいわ」


「……はい」


 春枝がすぐに言いました。


「その時は、紙も合わせます」


「紙?」


「装身具を納める紙です」


「春枝、今から箱を増やさない」


「はい……」


 場に少し笑いが戻りました。その夕刻、返礼は無事に届けられました。


 常盤が出所と反応を探りたそうにしていましたが、今回は赤染衛門が同行させませんでした。


「常盤を行かせると、香より噂が先に届きます」


「ひどいです、衛門様」


「事実です」


 常盤は反論できませんでした。


 翌日。弘徽殿方からは、表向き穏やかな返事がありました。


「若菜殿の慎ましき御心、いよいよ奥ゆかしく」と。


 少し悔しさが滲んでいる気もしますが、表面上は問題ありません。


 装身具は若菜の手元に「預かり物」として深く仕舞われ、若菜は藤壺の女房としての立場を保ちました。


 その数日後、別の女房がぽつりと言いました。


「私も、以前、たいそう高価な櫛をいただいたことがあります」


 場が静かになります。


「その後、ある集まりへ顔を出してほしいと何度も言われ……断りにくくなりました」


「どうしたの?」


 小少将が尋ねます。


「結局、二度ほど参りました。すると、いつの間にか、私はそちらに近い者のように見られて」


 その女房は、苦い顔をしました。


「櫛一つで、ずいぶん面倒なことになりました」


 私はうなずきました。


「だから、心得を作りましょう」


 赤染衛門はすでに筆を持っていました。もはや説明不要です。


 ――贈り物心得。


 一、贈り物は、品だけでなく関係を受け取るものと心得ること。

 一、高価すぎる品、返礼しにくい品には注意すること。

 一、文に曖昧な依頼が添えられている時は、特に慎重に読むこと。

 一、身につけた時、周囲からどう見えるかを考えること。

 一、断る時も突き返して敵対の印とせず、礼を尽くすこと。

 一、受け取る場合は必ず同等の返礼をし、個別の約束を避けること。

 一、美しい物を喜ぶ心まで責めぬこと。ただし、紐は見ること。


 有子が清書しながら言いました。


「贈り物は、甘いけれど重いのですね」


「ええ」


 私は答えました。


「甘いからこそ、重さに気づきにくい」


 紫式部が几帳の陰で、ぽつりと言いました。


「宝は、人の手に渡るたび、持ち主ではなく欲望を映します」


 菅原の君が震えました。


「式部様、それはもう物語でございます」


「異国の王を滅ぼしたのも、欲望が紐を見えなくさせたからです」


 紫式部は静かに言いました。


「ですから、藤壺では文箱の底に収める程度にいたしましょう」


 よい判断です。


 国が滅びるほどの悲劇は要りません。宮中の贈答だけでも、十分に胃が痛いのです。


 その夜、若菜はいつものように香炉の前に座っていました。髪にあの装身具はありません。けれど、どこか表情がすっきりしています。


「本当に、未練はない?」


 私が聞くと、若菜は少し考えました。


「少しだけあります」


 正直でよろしい。


「でも、もし挿していたら、香を整えるたびに、あの方たちの意図を考えてしまったと思います」


「それは疲れるわね」


「はい。灰が乱れます」


 若菜らしい答えでした。灰が乱れる。それは彼女にとって、かなり大きな問題です。私は笑いました。


「では、箱にしまっておいてよかった」


「はい」


 若菜は静かに香炉の蓋を置きました。淡い香が、細く立ち上ります。装身具の青い石のように目立つ光ではない。けれど、場を静かに整える香。


 派手な宝は、時に国を引き裂く。けれど、ほどよい香は、人の間をやわらかくつなぐ。


 贈り物は、呪いにもなる。でも、必ず呪いになるわけではありません。感謝を伝えること。季節を分けること。相手を労わること。誰かの喜びを形にすること。そういう贈り物は、人を支えます。


 問題は、そこに見えない紐を結ぶこと。受け取った相手の自由を奪い、立場を縛り、言葉を買おうとすること。それは好意ではなく、取引です。そして取引を好意の顔で包むから、余計に怖い。


 道を貸して国を奪われた、いにしえの王のように。宮中の小さな装身具も、扱いを誤れば派閥の火種になります。大きな宝も、小さな櫛も。名馬も、銀の髪飾りも。人の欲と結びつけば、同じように重くなる。


 だから、読むのです。紙の色を。香の強さを。文の言葉を。品の値を。贈り手の立場を。受け取った自分が、周りからどう見えるかを。


 贈り物を疑い尽くして冷たくなるのではなく。贈り物を甘く見すぎて絡め取られるのでもなく。美しさは喜び、紐は見る。品は受け取り礼は尽くし、けれど自由は渡さない。


 その日、藤壺の文箱には、新しい心得が加わりました。


 贈り物心得。


 それは、華やかな装身具より地味で、香を焚きしめた文より目立たない。けれど、女房たちの袖を見えない紐から守る、小さな刃物のような心得でした。


 藤壺の灯は、今夜も静かに揺れています。甘い贈り物の影に潜む呪いを照らしながら。


 そして若菜の灰は、いつも通り、静かでした。

〜 出典 〜

春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん僖公きこう二年


 晋荀息しんのじゅんそく請以屈産之乗くっさんのじょうと与垂棘之璧すいきょくのへきとをもって仮道みちをぐにかりて于虞以伐虢もってかくをうたんことをこう公曰こういわく、「是吾宝也これわがたからなり。」対曰こたえていわく、「若得道于虞もしみちをぐにえば猶外府也なおがいふのごときなり。」公曰こういわく、「宮之奇存焉きゅうのきそんす。」対曰こたえていわく、「宮之奇之為人也きゅうのきのひととなりや懦而不能強諫だにしてきょうかんするあたわず且少長於君かつきみよりすこしくちょうずれば君暱之きみこれにちかづく雖諫いさむといえども将不聴まさにきかざらんとす。」乃使荀息すなわちじゅんそくして仮道于虞みちをぐにからしめていわく、「冀為不道きふどうをなし入自顛軨てんれいよりいりて伐鄍三門めいのさんもんをうつ冀之既病きのすでにやめるは則亦唯君故すなわちまたただきみのゆえなり今虢為不道いまかくふどうをなし保于逆旅げきりょにたのみて以侵敝邑之南鄙もってへいゆうのなんぴをおかす敢請仮道あえてみちをかりて以請罪于虢もってつみをかくにこわんことをこう。」虞公許之ぐこうこれをゆるし且請先伐虢かつまずかくをうたんことをこう宮之奇諫きゅうのきいさむ不聴きかず遂起師ついにしをおこすなつ晋里克しんのりこく荀息じゅんそく帥師会虞師伐虢しをひきいてぐしとかいしてかくをうち滅下陽かようをほろぼす


(訳)晋の家臣である荀息じゅんそくは、晋の君主である献公に屈産の名馬と垂棘の宝玉を、隣国のに贈って、道を通してもらい、その向こうにあるかくの国を討伐することを願い出た。献公は言った。「あれは私の(大切な)宝であるぞ」荀息は答えた。「もし道を通る許可を虞から得られれば、虢を滅ぼした帰りに虞も滅ぼすので宝は戻ってきますから、虞の国を晋の外部にある宝物庫のようなものにするだけです」献公は言った。「しかし虞には賢臣の宮之奇きゅうのきがいる」荀息じゅんそくは答えた。「宮之奇の性格は、気が弱く強く諫めることができません。それに虞の君主とは幼なじみで君主も彼に親しんでいますから、たとえ諫めたとしても、君主は聞き入れようとはしないでしょう」そこで献公は荀息を使いに出して、虞に道を借らせた。荀息は虞公に言った。「以前、の国が道理に背き、我が国へ攻め込んできた際、冀が痛い目に遭ったのは、我が晋とあなた様(虞)が協力したからです。今、虢の国が道理に背き、宿場に立て籠もって、我が国の南の国境を侵略しています。どうか道をお貸しいただき、虢の罪を問いただすことをお許しください」虞公はこれを許し、しかも「晋より先に我が国が虢を討伐しよう」とまで申し出た。宮之奇は(晋の狙いを見抜いて)諫めたが、虞公は聞き入れず、とうとう軍隊を出発させた。夏、晋の里克と荀息は軍を率いて虞の軍と合流して虢を討伐し、虢の一部である下陽の地を滅ぼした。


※で、この3年後(僖公五年)、晋は再び虞に道を借りて虢を攻め、今度は虢の国を完全に滅ぼします。そしてその帰り道、晋はそのまま油断していた虞の国も滅ぼし、最初に荀息が言った通り、贈った宝玉と名馬をきっちり回収することになります。


〜 舞台背景 〜

 仮道伐虢かどうばっかくは、兵法三十六計の第二十四計にあたる戦術。読み下し「道をりてかくつ」である。攻略対象を買収等により分断して各個撃破する作戦、特に、いったん同盟して利用したものも後には攻め滅ぼすことを指す。晋に滅ぼされたかくの故事による言葉である。出典:wikipedia

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