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転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜  作者: 条文小説


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七十 女房を賭けの景品にするな

挿絵(By みてみん)


 公卿たちの遊びの賭けに、女房の歌や名誉が勝手に使われる。彰子は菟原処女うないおとめの伝説を語り、本人の同意なく女性を賭けの対象にすることを厳しく非難する。場は凍りつく。以後、彰子方では女房の名を勝手に使うことが禁じられる。雅な遊びに潜む所有意識を暴く。

 賭け事は、人の本性を雑に出します。


 前世で会社員をしていた頃も、似たようなものはありました。飲み会の余興。営業成績の勝負。じゃんけんで負けた人が奢る。負けた部署が一発芸をする。負けた人が、誰かに告白する。負けた人が、女性社員に何か頼みに行く。


 本人たちは、遊びのつもりです。


「冗談だから」


「場を盛り上げるため」


「本気じゃない」


「みんな笑っていた」


「そんなに怒ること?」


 そう言います。でも、私は思います。その「遊び」の中に、誰かの尊厳が雑に置かれていませんか。勝った負けたの景品に、誰かの名前を使っていませんか。


 本人の同意なく、誰かを罰ゲームの道具にしていませんか。その場にいない人の名誉を、酒と笑いの肴にしていないでしょうか。


 それは遊びではありません。他人を、自分たちの所有物のように扱っているだけです。特に、女性がそうされることが多い。


 誰が誰に文を送れるか。誰の歌を得られるか。誰に返事をもらえるか。誰が袖を取れるか。誰が噂を立てられるか。


 本人の意思など、後回し。男同士の勝負の景品として、女の名が出る。最悪です。


 そして、ここは平安宮中。歌も、文も、噂も、名誉も、すべてが重い。女房の歌は、ただの歌ではありません。その人の才であり、評判であり、主の御殿の品格でもあります。


 女房の名は、ただの名ではありません。本人の生きる場所そのものです。それを、本人の同意なく賭けに出す。これは、見過ごせません。


 事件は、ある日の小さな遊びの席で起きました。大きな宴ではありません。


 帝もお出ましではなく、公卿も少ない。公卿たちと女房たちが少し混じる、軽い歌遊びの場でした。


 藤壺からは数名の女房が控えていました。菅原の君は語り札を抱えている。朝顔の君は場をつなぐ役として控えめに動いている。春枝は題札の紙を整え、若菜は香を軽くしていた。


 澄子は灯を柔らかくし、有子は記録を取る。常盤は外の噂の気配を見ている。薄墨の君は、場の揺らぎを聞いている。真葛の君は、指摘が棍棒にならぬよう自制している。榊の君は、灯と動線をさりげなく見ていた。


 私は奥で様子を見ていました。最初は、穏やかな遊びでした。題を出し、即興で歌を詠む。負けた者は、次の題札を引く。勝った者は、軽く褒められる。そこまではよかった。


 だが、公卿たちの一人が、調子に乗った。名を、源の蔵人という。悪人というほどではない。歌はまあまあ。話も軽い。場を盛り上げるのが好きな男だった。


 ただ、軽さが過ぎる。


 蔵人は、自分の歌が別の公卿に負けた時、笑いながら言った。


「これは悔しい。では次は、少し賭けを重くいたしましょう」


 公卿たちが乗った。


「何を賭ける」


「酒か」


「扇か」


「いや、もっと雅なものを」


 この時点で、常盤の目が細くなった。薄墨の君も、少し顔を上げた。危険の匂いである。蔵人は、にやりと笑った。


「次の勝者は、藤壺の女房から一首、返歌を得る権利を」


 空気が、少し止まった。私は扇を握った。まだ鳴らさない。公卿たちは笑った。


「それはよい」


「藤壺の女房の歌なら、値打ちがある」


「誰に詠ませる」


「菅原の君などどうだ」


「いや、春枝の君の紙に書かせるのもよい」


「夕映の君はどうか。近頃、名誉を守られたとかで、いよいよ清らかだ」


 その瞬間、藤壺の女房たちの顔色が変わった。夕映の君の名を出した。あの件の後、彼女はようやく少しずつ落ち着いてきたところだった。無茶な誓いを拒み、証拠で名誉を守ったばかりだ。それを、遊びの場で軽く触る。


 私の中で、何かが冷えた。公卿たちは、まだ笑っている。


「勝った者が文を送り、返歌をもらう」


「返歌がなければ、藤壺の負けということで」


「いや、女房の名を賭けるなら、こちらも扇を出そう」


 本人の同意はない。女房たちは、誰も了承していない。それなのに、彼らの口の中で、女房の歌と名誉が勝手に賭けられている。


 私は扇を鳴らした。


 ぱちり。


 音は、いつもより硬かった。場が止まった。蔵人が、少し驚いた顔でこちらを見る。


「中宮様」


「今、何を賭けるとおっしゃいましたか」


 私の声は静かだった。だが、静かすぎた。


 女房たちは全員、姿勢を正した。赤染衛門が筆を取る。有子はすでに記録帳を開いている。常盤は外へ噂が漏れないよう、入口の気配を見ている。


 真葛の君は、怒りを抱えたまま黙っている。菅原の君は顔が青い。春枝は紙箱を強く抱えている。若菜の香炉の灰が少し乱れた。


 榊の君は、公卿たちの立ち位置を見ている。薄墨の君は、夕映の君がその場にいなかったことに、心底ほっとしたような顔をしていた。


 蔵人は、まだ軽く笑おうとした。


「いえ、ただの遊びでございます。藤壺の女房方の才は評判でございますから、勝者に一首いただければと」


「誰の同意で?」


 笑いが消えた。


「え?」


「誰の同意で、藤壺の女房の歌を賭けに出しましたか」


 蔵人は、言葉に詰まった。


「いや、賭けと言っても、戯れで」


「戯れなら、人の名誉を勝手に使ってよいのですか」


 場が凍った。公卿の一人が、慌てて言う。


「中宮様、そこまで深い意味は」


「深い意味がないなら、なお悪い」


 私は言った。


「考えもせず、人の名を賭けに出したということですから」


 赤染衛門の筆が止まった。今日は、覚になる。しかも、重い覚だ。私は、古き和歌に詠まれた悲劇を思い出していた。


 菟原処女うないおとめ


 『万葉集』にも『大和物語』にも記された、生田川の悲劇。二人の男から求婚された乙女の話だ。男たちは、どちらが彼女を得るか、水鳥を射るという勝負で決めようとした。


 男たちは、それを「公平な勝負」だと思ったのだろう。己の武芸で決着をつける、潔い振る舞いだと。


 だが、私はあの物語を読むたびに胸が冷える。


 何が恐ろしいか。彼女本人の意思が、どこにもないことだ。誰のものか。勝負で決める権利があるのか。そう問うべき場で、男の理屈だけが積み重なる。


 女の心と尊厳が、男たちの勝負の「景品」として勝手に置かれる。それが、恐ろしい。


「菟原処女の悲劇を知っていますか」


 私が言うと、蔵人ははっとした顔をした。


「生田川の……」


「そうです。二人の男が、勝負の景品として乙女を扱った物語です」


 赤染衛門が筆を構える。


「姫様」


「はい」


「覚ですね」


「覚です」


「題は」


「菟原処女、女を賭けの景品にするな」


「……かなり直截です」


「今日は直截でよいです」


「雅に整えます」


 赤染衛門は少し考え、筆を走らせた。


「『人の名と才を勝手に賭けぬ覚』でいかがでしょう」


「採用します」


 私は公卿たちを見た。


「菟原処女は、男たちの勝負によって、本人の同意なく景品にされました」


 公卿たちの顔から色が引く。


「弓矢を競う遊戯の中で、彼女の尊厳が勝手に卓上へ置かれたのです」


 菅原の君が、震える声で言った。


「ひどい……」


「ひどいです」


 私は頷いた。


「しかし、そのひどさは、遠い昔の物語だけのものではありません」


 蔵人が、身を硬くする。


「今、あなた方は、藤壺の女房の歌を勝手に賭けようとしました。本人の同意もなく、返歌を得る権利だと笑いました。水鳥を射るか、歌を詠むかの違いしかありません」


「そこまで大げさな」


 別の公卿が小さく言った。


 私は、そちらを見た。


「大げさ?」


 公卿は口を閉じた。


「女房の歌は、その女房の才です。名誉です。誰に返すか、返さないかを決める権利は本人にあります」


 私は一語ずつ言った。


「それを、公卿同士の勝ち負けの景品にする。これのどこが軽いのですか」


 場は完全に凍りついていた。蔵人は、ようやく焦りを見せた。


「中宮様、私どもは、ただ藤壺の女房方の才を称えるつもりで」


「称えるなら、本人に敬意を払うべきです」


 私は遮った。


「同意なく名を使うことは、称賛ではありません。所有意識です」


 赤染衛門の筆が止まった。真葛の君が、低く息を吸った。


 所有意識。


 平安の言葉としては少し異質です。でも、意味は通じた。公卿たちが、女房の歌や名誉を、自分たちの遊びに使えるものだと思っている。


 そこを暴かなければならない。


「あなた方は、藤壺の女房の歌を、誰かの扇や酒と同じように賭けました」


 私は続けた。


「それは、女房を人ではなく、場を盛り上げる道具として見ているということです」


 誰も返せない。有子の筆だけが静かに走る。私は、少し声を落とした。


「まして、夕映の君の名を出しましたね」


 蔵人の顔が青くなった。


「彼女が、どのような噂に苦しみ、どのように名誉を守ったか、あなた方は知っているはずです」


「それは、その」


「知っていて、遊びに使いましたか。知らずに使いましたか」


 蔵人は何も言えない。


「どちらでも悪い」


 私は言った。場がさらに冷えた。


「知っていたなら無神経。知らなかったなら、人の名を扱う資格がない」


 赤染衛門が、わずかに目を伏せた。刃です。笑いの毒舌ではありません。線を引くための刃。


 蔵人は、深く頭を下げた。


「申し訳ございません」


 他の公卿たちも続いた。でも、これは謝れば済む話ではない。前例が要る。制度が要る。韓非子で学んだ。情で流さない。シーターの時と同じだ。名誉を守るために本人を傷つけない。そして菟原処女のように、女性を賭けの対象にさせない。


「以後、藤壺では禁じます」


 私は言った。


「本人の同意なく、女房の名、歌、文、返歌、評判、容姿、香、その他一切を賭けや罰の対象にしてはなりません」


 有子が、即座に書き取る。


「同意がある場合は?」


 真葛の君が尋ねた。


 さすが相談役。線引きを確認する。


「同意がある場合でも、場の圧力がないか確認します」


 私は答えた。


「その場で急に求められた同意は、同意ではないことがあります」


 榊の君が頷いた。


「逃げ道がない場での了承は、危険です」


「はい」


 薄墨の君も静かに言った。


「笑われたくなくて、頷くこともあります」


「そうです」


 朝顔の君が少し顔を曇らせた。


「場を盛り上げるつもりで、誰かに無理をさせることもありますね」


「あります」


 私は頷いた。


「だから、遊びにも作法が要ります」


 赤染衛門が筆を進める。


 ――遊びといえど、人の名を粗末にせぬこと。


 美しい。


 そして重い。


「中宮様」


 蔵人が、まだ頭を下げたまま言った。


「私は、どう償えば」


「まず、言葉を改めなさい」


「はい」


「次に、今日の場で、あなたが勝手に名を出した女房たちへ、直接ではなく、御殿宛てに詫びを出してください」


「承知しました」


「夕映の君の名は、詫び文にも出さないこと」


 蔵人が驚いた顔を上げる。


「なぜ」


「これ以上、彼女の名をこの件に結びつけないためです」


 有子が頷く。


「記録上も、個人名は内部でのみ扱います」


「はい」


「そして、公卿たちの遊びの中で、女房の名を賭けることを禁じる旨、あなた方の間でも共有しなさい」


 蔵人は、深く頭を下げた。


「承知しました」


 場は、そのまま終わった。楽しい遊びは戻らなかった。当然です。凍りついたまま解散しました。それでいい。凍らなければならない場もあります。


 藤壺に戻ると、女房たちはしばらく黙っていました。菅原の君が、最初に口を開いた。


「私たちの歌は、賭けの景品ではありません」


「はい」


 春枝が紙箱を抱えながら言った。


「紙も、勝手に使われたら嫌です」


「紙も大切です」


「でも、歌や名はもっと」


「どちらも大切です」


 若菜が静かに言う。


「香も、誰に移すかは選びます。勝手に袖に残されるものではありません」


 花橘の君が頷いた。


「美しさも同じです。誰かの勝ち負けの証にされるものではありません」


 真葛の君は、低く言った。


「公卿たちは、本当に悪気がなかったのでしょう」


「おそらく」


「それが腹立たしいです」


「分かります」


「悪気がないほど、当たり前にそう思っていたということですから」


「その通りです」


 薄墨の君が小さく言った。


「夕映の君がいなくてよかったです」


「本当に」


 もしその場にいたら、彼女はまた傷ついていた。噂から守った名を、遊びの賭けにされるところだった。それだけは避けられた。


 有子が記録を整理した。


「覚にします」


「お願いします」


 赤染衛門が題を書いた。


 ――人の名と才を勝手に賭けぬ覚。


 項目は、いつもより明確だった。


 一、本人の同意なく、女房の名を遊びや賭けに用いない。

 二、歌、文、返歌、香、容姿、評判を景品や罰にしない。

 三、その場の圧力で得た了承を、真の同意と見なさない。

四、特に名誉に関わる噂を受けた者の名を、遊びに出さない。

 五、遊びを理由に、人の尊厳を軽く扱わない。

 六、違反があれば、その場で止め、記録し、必要に応じて抗議する。

 七、女房の才は御殿の飾りではなく、本人のものとして尊重する。


 最後に、赤染衛門が一行を加えた。


 ――人は賭けの札にあらず。


 短い。でも、強い。


 私はその一行を見て、しばらく黙っていました。人は賭けの札にあらず。まさにそれです。


 菟原処女は、男たちの勝負の景品にされました。男たちの武芸と欲と面子の中で、彼女の尊厳が踏みにじられた。その生田川の物語は、遠い昔の古い話です。


 でも、構造は今ここにある。誰かが、女性の名を勝手に使う。誰かが、女性の歌を勝手に景品にする。誰かが、女性の評判を遊びの材料にする。そして、周囲が「冗談だから」と笑う。


 それを止めるために、物語はあります。物語は、古い悲劇をただ悲しむためだけではありません。今、目の前の小さな暴力を見抜くためにもあります。


 数日後、蔵人から詫び文が届きました。赤染衛門が確認しました。


「個人名は出しておりません」


「よし」


「藤壺の女房方の才を軽く扱ったことへの詫び、とあります」


「十分です」


「公卿たちの間でも、女房の名を賭けに使わぬよう伝えたと」


「守られるかは見ます」


 常盤が言った。


「外では、少し噂になっております」


「どのように」


「藤壺では、遊びで女房の名を出すと中宮様が凍らせる、と」


「凍らせる」


「はい」


「まあ、凍りましたね」


「他にも、『藤壺の女房は賭けにできぬ』と」


「それは良い噂です」


 常盤は頷いた。


「定子方からは、皮肉も来ています」


「でしょうね」


「藤壺は遊びにも堅苦しい」


「女房の歌一首くらいで大げさ」


「公卿方の戯れを真に受けるとは」


「雅な遊びもできぬ御殿」


 私は静かに聞いた。そして言った。


「こう返してください」


「はい」


「本人の同意なき名を使う遊びを、藤壺では雅と呼びません」


 常盤の目が光った。


「承知しました」


 赤染衛門が筆を取る。


「姫様、それはそのまま残せます」


「残してください」


 女房たちが、少しだけ笑った。硬い笑いだったが、必要な笑いでした。夕映の君には、この件を必要最小限だけ伝えた。彼女は、しばらく黙った。


「私の名が」


「出されました」


「でも、止めてくださったのですね」


「はい」


 夕映の君は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


「あなたが礼を言う必要はありません」


「それでも」


 彼女は静かに言った。


「私の名が、私のいないところで扱われることが、こんなに怖いとは思いませんでした」


「怖いことです」


「でも、藤壺では止めてもらえる」


「私が止めます」


 夕映の君の背筋が、少し伸びた。名は、自分のものだ。当たり前のことだが、当たり前に守られない。だから、何度でも言葉にする必要がある。


 藤壺の女房たちは、その後、互いの名を扱う時に少し慎重になりました。誰かの話をする時、本人の許可がいる内容かどうかを見る。歌を紹介する時、詠み手の意図を確認する。外の場で女房の名を出す時、必要以上に盛らない。冗談でも、人の評判を景品にしない。


 これは少し窮屈かもしれません。でも、尊厳を守るための窮屈さは、必要な作法です。


 私は扇を手に取った。


 ぱちり。


 女房たちが姿勢を正す。


「人は賭けの札ではありません」


 赤染衛門が筆を構える。


「本人の同意なく、名を出し、歌を求め、評判を遊びに使うことを、藤壺では認めません」


 菅原の君が頷く。春枝が紙箱を抱える。若菜が香を静かに整える。有子が記録を閉じる。真葛の君は境界線を確認する顔をしている。


 薄墨の君は、傷つきかけた人がいないか見ている。榊の君は、遊びの中にも危険があることを理解している。朝顔の君は、場を盛り上げる時に誰かを道具にしないと心に刻んでいる。


 花橘の君は、美しさも本人のものだと静かに頷く。常盤は、外へ流すべき一言を選んでいる。赤染衛門が、最後の一行を書いた。


 ――本人の同意なき名を使う遊びを、雅とは呼ばず。


 藤壺の棚に、また一枚、覚が増えました。


――人の名と才を勝手に賭けぬ覚。


 『大和物語』の菟原処女は、男たちの勝負の前に絶望しました。自分は物なのか。弓矢の勝敗で得られる景品なのか。誰が、自分の尊厳を勝手に扱えるのか。生田川に沈んだその問いは、今この藤壺にも向けられています。


 女房の名は、公卿たちの遊び札ではありません。歌は、勝者への景品ではない。香は、誰かの袖に勝手に移すものではない。美も、噂も、評判も、本人の意思なく場を盛り上げる道具にはしない。雅な遊びの顔をした所有意識を、藤壺は見逃さない。


 その後、公卿たちの間では、賭け事の前にこう言う者が出たらしい。


「これは物だけにしよう。藤壺に凍らされる」


 失礼な言い方です。


 でも、よく効いていました。

〜 出典 〜

『万葉集』巻第九 見菟原処女墓時作歌一首 高橋虫麻呂


 葦屋之あしのやの 菟名負處女之うなひをとめの 八年兒之やとせごの 片生之時従かたおひのときゆ 小放尓こばなりに 髪多久麻弖尓かみたくまでに 並居ならびをる 家尓毛不所見いえにもみえず 虚木綿乃うつゆふの 牢而座在者こもりていませば 見而師香跡みてしかと 悒憤時之いぶせむときの 垣廬成かきほなす 人之誂時ひとのとふとき 智弩壮士ちぬをとこ 宇奈比壮士乃うなひをとこの 廬八燎いほやつり 須酒師競すすしきほひ 相結婚あひよばひ 為家類時者しけるときは 焼大刀乃やきたちの 手頴押祢利たがみおしねり 白檀弓しらまゆみ 靫取負而ゆきとりおひて 入水みづにいる 火尓毛将入跡ひにもいらむと 立向たちむかひ 競時尓きほふときに 吾妹子之わぎもこの 母尓語久ははにかたらく 倭文手纒しづたまき 賎吾之故いやしきあがゆゑ 大夫之ますらをの 荒争見者あらそふみれば 雖生いけりとも 應合有哉あふべくありや 宍串呂ししくしろ 黄泉尓将待跡よみにまたむと 隠沼乃こもりぬの 下延置而したばへおきて 打歎うちなげき 妹之去者いものゆけば


(訳文)葦屋あしのや菟原処女うないおとめは、8歳くらいのまだ幼い頃から、髪を結い上げる大人の年頃になるまで、家の中に大切に隠され、他の人には全く姿を見せませんでした。「どうにかして一目見たい」と、男たちが垣根のように群がり求婚する中、血沼ちぬの男と菟原うないの男が激しく競い合いました。二人は剣の柄を握りしめ、白木の弓と矢を背負い、「彼女を得るためなら水の中、火の中へも飛び込もう」と命がけで争ったのです。それを見た乙女は母にこう語りました。「私のようなつまらない女のために、立派な男たちが命がけで争っています。このまま生きながらえたとしても、どうしてどちらかと結ばれることなどできましょうか。私は黄泉の国(あの世)でお待ちすることにします」そう深く嘆き悲しみ、彼女は自ら命を絶ってしまいました。…


〜 舞台背景 〜

 菟原処女の伝説(うないおとめ の でんせつ)とは、奈良時代より日本の摂津国菟原郡菟原(現在の兵庫県芦屋市および神戸市東灘区付近)での古の出来事として伝えられてきた、一人のおとめ(年若い女性)を巡る悲しい妻争いの伝説である。妻争い伝説(つまあらそい - )ともいう。2人の男から求婚された娘が自ら命を絶ち、男達も後を追って死んでしまったというもの。明治時代の文豪・森鷗外は、この伝説を題材として戯曲『生田川』を書き、1910年(明治43年)5月28日・29日、自由劇場の小山内薫・二代目市川左團次らによって有楽座で上演された。川端康成の『たんぽぽ』では、「生田町」「生田病院」「生田川」が舞台地となり、この伝説との関わりを指摘され、三島由紀夫の『獣の戯れ』では、三角関係の共同生活に、『求塚』では死後として描かれる「火宅」が暗示されるなど、小説のモチーフに影響を与えている。出典:wikipedia

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