六十 式部、原稿を落とす
紫式部が疲労で原稿を落とし、女房たちが騒ぐ。彰子は執筆スケジュール、休憩、写しのバックアップ体制を作る。紫式部は「物語は心で書くもの」と反発しかけるが、体調が戻ると筆が進む。天才を根性論で潰さない創作環境を整える。
物語を書く人は、時々、自分が人間であることを忘れます。
いえ、忘れるというより、忘れたふりをします。眠らなくても書ける。食べなくても書ける。疲れていても、筆を持てば何とかなる。心が燃えている時に休むなど、もったいない。今書かなければ、この言葉は逃げてしまう。
その気持ちは、分かります。
前世でもいました。徹夜で報告書を書く人。期日前になると、急に目だけが爛々としてくる人。「今、降りてきているから」と言って、食事を抜く人。眠気を気合でねじ伏せ、肩こりを無視し、目の奥の痛みを「集中している証拠」と言い張る人。
そして、倒れます。倒れるのです。
人間の体は、根性論にそこまで付き合ってくれません。文章は心で書くものかもしれません。でも、その心は体の上に乗っています。
手が震えれば字は乱れます。目が霞めば誤字が増えます。眠らなければ判断が鈍ります。食べなければ情緒が壊れます。そして、疲れきった天才は、時々とんでもないものを落とします。原稿とか。
その日の藤壺は、朝から妙に静かでした。いつもなら、菅原の君が物語の続きについてそわそわしていたり、春枝が紙箱を整えながら紙の気配を語っていたり、常盤が「流しません」と先に誓っていたりします。けれど、その朝は違いました。
紫式部が、いつもの几帳の陰で、ずっと筆を動かしていたのです。
さらさら。さらさら。時々止まる。また動く。
その音だけが、部屋の奥から聞こえます。紫式部は、ここ数日、明らかに無理をしていました。帝の質問箱、宴の観察記録、若い女房への助言、そして何より、物語。
女房たちの間では、すでに紫式部の書く物語を待つ空気ができていました。次はどうなるのか。あの君は何を思っているのか。この姫の心はどこへ行くのか。
菅原の君など、続きを待つあまり、最近は香炉の煙にも人物関係を見出し始めています。
「この煙、あの姫の迷いのようでございます」
「菅原の君、香炉を物語化しない」
「はい」
紫式部は、そんな期待を受け止めていました。受け止めすぎていました。
「式部、少し休んでは?」
昨日の夜、私が言うと、紫式部は筆を止めずに答えました。
「もう少しで、まとまります」
「その『もう少し』は、どのくらい?」
「……少しです」
「時間で」
「少し」
だめです。作家の「少し」は信用してはいけません。赤染衛門が横から言いました。
「式部様、目が赤うございます」
「灯のせいです」
若菜が香炉の灰を見ながら言いました。
「灰も、熱が続きすぎると崩れます」
「私は灰ではありません」
紫式部は淡々と返しました。珍しく、少し機嫌が悪かった。疲れている証拠です。その時は、赤染衛門が強めに休ませました。
しかし、翌朝にはまた筆を持っている。天才というものは、隙あらば仕事を再開します。問題は、昼前に起きました。
春枝が、廊の端で紙の束を見つけたのです。
「姫様!」
春枝が、ほとんど悲鳴のような声で駆け込んできました。手には、数枚の紙。いえ、原稿です。筆跡を見れば分かります。紫式部のものです。しかも、まだ清書前。書き込みがあり、ところどころ線が引かれ、言葉が差し替えられています。
「これが、廊に落ちておりました!」
場が凍りました。菅原の君が立ち上がりかけました。
「原稿が!」
常盤の目が見開かれました。
「落ち原稿!」
「常盤、流さない」
「流しません!」
今回ばかりは本気の声です。赤染衛門が顔色を変えました。
「式部様は?」
几帳の陰を見ると、紫式部が立ち上がろうとして、少しふらついていました。
「……私の」
「座ってください」
私は即座に言いました。
「ですが」
「座って」
声が少し強くなりました。紫式部は、珍しく反論せず座りました。顔色が悪い。目の下に影がある。手元には、まだ別の原稿があります。
「どこで落としたのです」
赤染衛門が尋ねます。紫式部は少し考えました。
「昨夜、少し席を移した時に……」
「昨夜?」
「ある場面を、別の灯の下で見直したく」
「なぜ廊へ?」
「風が少し入る場所の方が、言葉が動く気がして」
菅原の君が胸を押さえました。
「式部様……物語の神のようなことを」
「神ではありません」
私は言いました。
「ただの疲労です」
場が静かになりました。紫式部が、少しだけこちらを見ます。
「物語は、心で書くものです」
その声は低く、固い。反発しかけている。
「心が動く時に、筆を止めすぎれば」
「心で書くとしても、手は体についています」
私は即答しました。紫式部が黙りました。
「目も体です。肩も体です。眠気も体です。あなたが倒れれば、心がどれほど物語を持っていても、紙には乗りません」
赤染衛門が深く頷きました。
「原稿が廊に落ちるのは、かなり危ういです」
「誰かに拾われたら?」
常盤が言いました。
「流さない者ばかりとは限りません」
今回の常盤は真剣です。自分が噂を扱うからこそ、未完成の原稿が外へ出る怖さを分かっているのでしょう。
「未完成の言葉は、誤解されます」
紫式部が静かに言いました。
「そうです」
私はうなずきました。
「だから、守る仕組みを作ります」
紫式部の眉が、わずかに動きました。
「仕組み」
「はい。執筆スケジュール、休憩、写しの保管、原稿の持ち出し管理」
赤染衛門が、すでに筆を構えました。春枝は、原稿保管用の紙箱を見つめています。
「箱が要りますね」
「一つだけ」
「……はい」
「でも、必要な箱です」
春枝の顔が少し明るくなりました。
「必要な箱!」
「増やす口実ではなく、原稿保護です」
「承知しております」
本当に承知しているでしょうか。
「姫様」
紫式部が言いました。
「締切を作るのですか」
声が少し重い。作家にとって締切は、時に妖怪です。近づく足音だけで眠れなくなる。
「作ります」
私は言いました。紫式部の顔がさらに沈みました。
「ただし」
私は続けます。
「締切は敵ではありません。管理されない締切が敵です」
場が静かになりました。菅原の君が、また胸を押さえました。
「姫様、それは……」
「書き留めます」
赤染衛門がもう書いていました。
「締切は敵ではない。管理されない締切が敵」
紫式部は、目を伏せました。
「管理されない締切……」
「いつまでに、何を、どの程度まで書くのかが曖昧なまま、期待だけが積もる。それが一番危険です」
私は言いました。
「女房たちは続きを待つ。帝も関心を持つ。あなたは応えようとする。けれど、どこまで書けば今日は終わりなのか決まっていない。だから、終われない」
紫式部は答えません。でも、刺さっている顔です。
前世の創作者にも、これが多かった。締切そのものが悪いのではありません。悪いのは、終わりの見えない締切。
「なるべく早く」
「できたところまで」
「いい感じに」
「無理のない範囲で」
この言葉は優しそうで、実は危ない。範囲が決まっていないから、本人が無限に自分を削ります。
「まず、執筆時間を決めます」
私は言いました。
「朝の一定時間、昼の一定時間。夜は、灯を落とした後は書かない」
紫式部が顔を上げました。
「夜にしか出ない言葉もあります」
「では、夜は短い覚書だけ」
「覚書」
「本文を書かない。浮かんだ言葉を数行だけ残して、翌朝整える」
赤染衛門が頷きました。
「夜の文章は、翌朝見ると過剰なこともございます」
菅原の君が小声で言いました。
「それは恋文にも」
「あなたは特に」
赤染衛門が即答しました。菅原の君はしゅんとしました。
「次に、休憩」
私は続けます。
「一定の量を書いたら、必ず筆を置く。香炉を見る。水を飲む。目を閉じる。できれば少し歩く。ただし、原稿を持って歩かない」
紫式部が少し気まずそうに目を逸らしました。
「今回、持って歩きましたね」
「……はい」
「今後、原稿の持ち出しは札を付けます」
春枝が輝きました。
「管理札ですね!」
「はい。ただし、反物用より小さく」
「原稿一、原稿二……」
「名前を付けないでください」
「紫の君稿一、など」
「だめです」
春枝は残念そうです。
「さらに、控えのバックアップ体制を作ります」
「ばっく……?」
赤染衛門が眉をひそめました。
「控えの写しです」
「最初から写しと」
「はい」
私は言い直しました。
「完成に近い部分は、有子が読みやすい字で控えを作ります。未完成部分は、式部本人の許しがある範囲で、赤染衛門が所在だけ記録。内容はむやみに見ない」
紫式部の目が少し鋭くなりました。
「未完成を見られるのは、困ります」
「分かっています」
私はうなずきました。
「だから、内容を管理するのではなく、所在を管理します」
「所在」
「どの束がどこにあるか。どの紙が完成済みで、どれが草稿か。持ち出したなら、誰が持っているか」
春枝が真剣に頷きます。
「紙の保管分類が要ります」
「三つに分けます」
私は言いました。
「草稿。清書前。清書済み」
有子が控えます。
「草稿は、式部様以外は基本読まない。清書前は、許可を得た者が写す。清書済みは文箱へ」
「よろしゅうございます」
赤染衛門が言いました。
「これなら、創作の秘密と保管の安全を両立できます」
紫式部は、まだ少し不満そうでした。
「物語は、流れが大事です」
「はい」
「途中で休むと、流れが切れることがあります」
「では、休む前に次に書く一行だけ残してください」
「一行?」
「はい。次の場面の入口だけ書く。翌朝、その一行から入る」
紫式部は少し考えました。
「それなら……戻りやすいかもしれません」
よし。妥協点が見えました。創作環境づくりで大事なのは、正論で殴らないことです。「休め」と言っても、本人が納得しなければ続きません。創作者は、物語が途切れる恐怖を持っています。ならば、途切れないように休む方法を作ります。
「式部様」
若菜が静かに言いました。
「香も、火を絶やさぬために灰を整えます。燃やし続ければよいわけではございません」
紫式部が、若菜を見ました。若菜は香炉の灰を優しく均します。
「火を一度休ませるから、次の香が立ちます」
紫式部は、しばらく黙りました。それから、小さく頷きました。
「……心得ます」
菅原の君が涙ぐみました。
「式部様が、休むことを」
「泣かない」
「はい」
赤染衛門が、正式な心得をまとめました。
――執筆環境心得。
一、物語を書く者も、人の体を持つと心得ること。
一、執筆時間と休憩時間を決めること。
一、夜は本文を書き進めず、覚書に留めること。
一、原稿を持ち歩く時は、所在を記録すること。
一、草稿、清書前、清書済みに分けて保管すること。
一、写しを作り、紛失に備えること。
一、締切は敵ではなく、管理されない締切こそ敵と心得ること。
一、天才を根性論で潰さぬこと。
最後の一文で、場が静かになりました。
「天才を根性論で潰さぬこと」
有子が、ゆっくり清書しました。紫式部は、少し居心地悪そうにしています。
「私は、天才では」
「あります」
菅原の君が即答しました。
「ありますね」
小少将も言いました。
「ございます」
若菜も言いました。澄子も静かに頷きました。赤染衛門まで、
「否定しても無駄でございます」
と言いました。紫式部は、非常に困った顔をしました。褒められるのが本当に苦手な人です。
「具体的に褒めなくてよいです」
「では控えます」
私は笑いました。
「ただし、才能があるからこそ、守らなければなりません」
紫式部は、筆を握り直しました。
「私は、物語を書きたいだけです」
「だから、書き続けるための仕組みを作るのです」
「……書き続けるため」
「はい。今日倒れて一章進めるより、休みながら十章書く方がよい」
菅原の君が、ものすごく頷きました。
「十章……!」
「そこに反応しない」
「はい」
その日から、藤壺には執筆の時間割ができました。朝。紫式部は、香が薄く、灯が柔らかい場所で書きます。春枝が紙を用意し、有子が前日の清書済み部分を整理します。
赤染衛門は、無理に話しかけないよう女房たちへ合図します。常盤は、絶対に「続きはどうなりましたか」と聞かない役を与えられました。
「それは役なのですか」
「重要です」
「聞きたいのを我慢する役」
「はい」
常盤は意外と真剣に務めました。昼前。一度、筆を置く。若菜が薄い香を変えます。澄子が水を用意します。小少将が、肩が凝らぬよう座る位置を少し変えます。菅原の君は、感想を言いたくて震えていますが、赤染衛門に止められます。
「今は補給の時間です」
「補給……」
「感想は午後」
「はい」
午後。紫式部は、朝の続きを確認します。夜に浮かんだ覚書があれば、それを見ます。本文に入れるか、捨てるか、後へ回すかを決める。夜の勢いで書いたものを、朝の目で選ぶ。これが、とてもよかった。
夜の紫式部は、深く潜ります。でも、深く潜りすぎると、文章が少し濃くなることがある。朝の紫式部は、その濃さを整える。結果、筆が進みました。しかも、以前より乱れが少ない。
本人も、数日後には認めざるを得ない顔をしていました。
「……休むと、戻りやすいこともありますね」
「でしょう」
「夜の覚書は、翌朝見ると半分ほど使えません」
「でしょう」
「しかし、半分は残ります」
「十分です」
紫式部は、少し不思議そうに紙を見ていました。
「頭が疲れきっていないと、捨てる判断ができます」
「大事です」
書くことと同じくらい、捨てることも大事です。疲れていると、全部が大事に見えます。あるいは、全部がだめに見えます。どちらも危険です。休んだ頭は、選べます。
「式部様」
有子が、清書済みの写しを差し出しました。
「ここまで、控えを作りました」
紫式部は受け取り、目を通しました。
「読みやすいですね」
有子の顔が少し赤くなります。
「ありがとうございます」
「これなら、後から直しやすい」
有子は、嬉しそうに頭を下げました。美文字マウントの成果も、ここで生きています。読みやすい写しは、物語を守る。春枝は、原稿箱を整えました。
「草稿、清書前、清書済み。札も付けました」
「箱を増やしていませんね」
「一つだけです」
「よろしい」
「ただ、仕切りを増やしました」
「それは許可します」
春枝は勝利した顔をしました。赤染衛門が苦笑します。
「必要な管理でございます」
常盤は、原稿の噂が外へ出ないよう、かなり神経を使いました。
「式部様の新しい場面について聞かれても、『まだ整っておりません』とだけ答えました」
「偉いです」
「具体的に?」
「未完成の内容を漏らさず、期待だけ煽ることもせず、状態を正しく伝えたところがよいです」
「ありがとうございます!」
常盤も成長しています。菅原の君は、感想を言う時間を決められました。
「読後感想は、式部様が休憩を終えた後、短く」
「短く……」
「一つの場面につき、一つまで」
「一つ……!」
「火鉢にならない」
「はい」
菅原の君にとっては苦行かもしれませんが、式部の体を守るためです。そして、肝心の紫式部の体調は、少しずつ戻りました。目の赤みが引き、手の震えがなくなり、食事も取るようになった。筆の速度は、最初の二日ほど少し落ちました。でも、その後、むしろ安定しました。
疲労で無理に進めるより、休みながら書く方が、長く続く。当たり前のことです。でも、創作の場では、この当たり前がよく忘れられます。
ある夜、紫式部がぽつりと言いました。
「私は、休むことを怠けることだと思っていたのかもしれません」
「よくあります」
私は答えました。
「書いていない時間も、物語は動きます」
紫式部が少し驚いたようにこちらを見ました。
「体を休めている間に、心の奥で言葉が沈みます。翌朝、それを拾えばよい」
若菜が微笑みました。
「香も、焚いていない間に、衣へ移った香が落ち着きます」
小少将も言いました。
「衣も、着続ければ乱れます。畳んで休ませるから、また美しく着られます」
春枝が言います。
「紙も、湿気を抜かねば波打ちます」
常盤が悩んだ末に言いました。
「噂も、一晩置くと真偽が見えます」
「それは少し違いますが、近いです」
赤染衛門がまとめました。
「つまり、何事も置く時間が要る、ということですね」
紫式部は、静かに目を伏せました。
「置く時間」
「はい」
私は言いました。
「物語も、作者も」
その後、藤壺では、執筆に関する空気が変わりました。以前は、紫式部が書いていると、皆がどこか息を潜めながらも、早く続きを求めていました。今は違います。書く時間は守る。休む時間も守る。未完成原稿は覗かない。感想は決めた時間に。写しは作る。原稿は札を付ける。
そして、紫式部が疲れている時は、誰も「天才だから大丈夫」と言わない。天才だからこそ、大丈夫ではありません。才がある人ほど、周囲は求めます。
もっと書いて。もっと早く。もっと深く。もっと面白く。もっと美しく。その期待は、時に本人の背中を押します。けれど、押しすぎれば崖から落とします。だから、支える側にも作法が要ります。
その夜、藤壺の文箱には「執筆環境心得」が納められました。春枝が選んだ紙は、しっかりしていて、しかし筆が引っかからないもの。原稿用ではなく、原稿を守るための心得にふさわしい紙です。隣には、原稿管理札の見本。草稿。清書前。清書済み。それぞれ違う小さな印がついています。
「雅ではありませんね」
ある若い女房が、少し笑いながら言いました。私は答えました。
「原稿を落として大騒ぎする方が、もっと雅ではありません」
若い女房は黙りました。赤染衛門が小声で言いました。
「少し強いですが、正しいです」
「衛門、雅な言い換えは?」
「原稿の安らぎを守るための札、と」
「採用」
紫式部が、几帳の陰で小さく言いました。
「原稿に安らぎ……」
「嫌ですか」
「いえ」
彼女は、少しだけ笑いました。
「悪くありません」
それは、かなり高評価です。
藤壺の灯は、その夜も静かに揺れていました。原稿箱の上に、柔らかな光が落ちています。その中には、まだ誰にも読まれていない草稿もあります。清書を待つ紙もあります。有子の写しもあります。
物語は、守られながら少しずつ育っています。天才を、根性論で潰してはいけない。物語は、気合だけで生まれるものではありません。紙が要る。灯が要る。香が要る。休みが要る。写しが要る。感想を言う時間と、言わない時間が要る。
そして何より、書く人が明日も筆を持てる体でいることが要る。締切は、敵ではありません。締切は、言葉を形にするための境目です。
ただし、管理されない締切は敵です。終わりのない期待。曖昧な催促。休むことへの罪悪感。それらが、創作を燃やし尽くす。だから、藤壺では決めました。書く時間を守る。休む時間も守る。原稿を守る。作者を守る。
すると、物語は止まりませんでした。むしろ、進みました。紫式部の筆は、以前より静かに、しかし確かに動いています。
さらさら。さらさら。
その音を聞きながら、私は心の中でそっと呟きました。
式部。
あなたの物語は、あなたの心で書かれるのでしょう。でも、その心を運ぶ体を、私たちは守ります。
明日も、明後日も。
あなたが筆を持てるように。
〜 出典 〜
『紫式部日記』第2章 寛弘5年(1008年)冬 御冊子作り
…入らせたまふべきことも近うなりぬれど、人びとはうちつぎつつ心のどかならぬに、御前には御冊子作りいとなませたまふとて、明けたてば、まづ向かひさぶらひて、色々(いろいろ)の紙選りととのへて、 物語の本ども添へつつ、所々(ところどころ)に文書き配る。かつは綴じ集めしたたむるを役にて明かし暮らす。…
(訳文)…(中宮様が宮中へ)お戻りになる日も近づいてきましたが、お祝いの訪問客が次々と続いて心穏やかでない中、中宮様の御前では御冊子(美しい装丁の本)作りをお進めになるということで、夜が明けるとすぐに御前に控え、色とりどりの美しい紙を選び整え、物語の原本を添えて、あちこち(の能筆家たち)へ手紙を書いて(清書の依頼を)配ります。一方では、それらを綴じ集めて本に仕立てることを役目として、毎日を忙しく過ごしています。…
※『紫式部日記』に描かれる「御冊子作り」の場面です。雅な表現してますが、夜明けと共に美しい紙を選別し、あちこちに発注をかけ、ひたすら製本作業に明け暮れるという、千年前の平安宮中でも、締切前の現場はやはり大変そうです。そんな風になろう小説的な目線で「紫式部日記」を読むと紫式部たちに妙な親近感を覚えます。
〜 舞台背景 〜
『紫式部日記』は、平安時代中期に紫式部が記したと伝わる日記文学で、藤原彰子(一条天皇中宮)に出仕した時期の宮廷生活や儀礼、所感などを記す。記事はおおむね寛弘年間(11世紀初頭)の出来事を扱い、日々の連続記録(「日次の記」)ではなく回想的にまとめられた作品とされる。古写本・伝本の題名としては「紫日記」が用いられることがあり、宮内庁書陵部の所蔵目録でも同名で登録される。出典:wikipedia




