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転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜  作者: 条文小説


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三十七 帝、続きを所望せらる

挿絵(By みてみん)


 帝が『源氏物語』の続きを気にして、彰子の御殿を訪れる頻度が増える。定子方は「物語で帝を釣るとは」と批判するが、彰子は「知的好奇心を満たす場に人が集まるのは自然です」と返す。恋愛で奪い合うのではなく、知的コンテンツで帝を引き寄せる。女房間バトルは、ついに宮廷メディア戦争へ発展する。

 人は、続きを知りたくなる生き物です。


 前世でも、これは本当に強かった。連続ドラマ。連載漫画。連載小説。シリーズ配信番組。どれも、一度心をつかまれると厄介です。


「次どうなるの?」


「あの人、結局助かるの?」


「更新はまだ?」


「続きが出たら教えて」


 人は、完結したものより、途中のものに引き寄せられます。終わっていない物語は、心の中に場所を取ります。仕事中でも、食事中でも、夜に灯を消した後でも、ふと戻ってくる。


 あの文の意味は何だったのか。あの沈黙は拒絶なのか、ためらいなのか。あの人はなぜ、あそこで振り返らなかったのか。答えが出ないまま残る問いは、人を次の場へ運びます。


 そして、ここは平安宮中。帝であっても、それは同じでした。


「彰子の御殿では、またあの草子を読んでいるのか」


 帝がそうおっしゃった時、藤壺の空気がほんの少し揺れました。


 その日は、いつもの朗読会ではありませんでした。紫式部の草稿はまだ整っていません。有子が第一控えの誤字を確認しており、春枝は紙の厚みを比べています。


 若菜は香を控えめにし、澄子は灯の芯を短く切っていた。


 菅原の君は、前回の感想札を読み返しながら、勝手に泣きそうになっています。


 常盤は外の動きを見ていた。赤染衛門は、それらすべてを「今日も平常運転ですね」という顔で見ていました。


 そこへ、帝がいらした。予告はあった。でも、用向きは曖昧でした。


「少し、彰子の様子を」


 という、たいへん便利な言葉です。前世で言えば、上司が「近くに来たから寄っただけ」と言いながら、実は進捗確認に来るやつです。


 私は几帳の内で頭を下げた。


「ようこそお越しくださいました」


「うむ」


 帝は穏やかに座られた。


 最初は、季節の話でした。庭の木々の話。近頃の歌合の話。公卿たちの様子。当たり障りのない、けれど宮中では必要な会話。そして、少し間が空いたところで、帝が何気なく言われました。


「ところで、あの男君は、その後どうした」


 藤壺の女房たちの呼吸が止まりました。


 あの男君。


 名前は出さない。でも全員分かります。紫式部の物語の、あの男君です。


 菅原の君が、扇の陰で口を押さえます。春枝は紙箱を抱えかけて、赤染衛門の視線で止めました。有子は控えの上に置いた指先をぴたりと止める。


 常盤は「これは外に出したら大変」と顔に書いています。


 顔に書くな。


 紫式部は、少し離れたところで目を伏せていた。私は静かに答えました。


「式部が、ただいま筆を進めております」


「まだ、か」


 帝の声には、ほんの少しだけ残念さがあった。帝が続きを待っている。これは大きい。ただ「面白かった」ではない。ただ「また読んでもよい」でもない。


 続きを気にして、御殿まで足を運ばれた。物語が、人を動かしたのだ。


「よい物語には、よい間も必要でございます」


 私がそう言うと、帝は少し笑われた。


「彰子は、いつも急がせぬな」


「急かして良くなるものと、悪くなるものがございます」


「物語は、悪くなる方か」


「はい」


 私はきっぱり言いました。


「急かせば、筋は進むかもしれません。けれど、心が浅くなります」


 帝は少し目を細められた。


「心が浅くなる、か」


「人の心は、すぐには動きません。迷い、戻り、言い訳をし、時に自分でも分からぬまま進みます。それを書くには、書く側にも沈黙が要ります」


 紫式部が、こちらを見た。ほんの一瞬だけ。そして、帝は頷かれました。


「では、待とう」


 藤壺の全員が、心の中で息を吐きました。


 帝が待つ、と言われた。これは大きい。紫式部を守る盾になります。これからも続きを求める声は増えるでしょう。けれど、そのたびに言えます。


 帝もお待ちでございます、と。


 今世の最高権力者を納期交渉の盾にする。前世の私なら胃が痛くなる案件ですが、今世の私は中宮です。使えるものは、雅に使います。


 その日、帝は草稿の一部だけを聞いて帰られた。まだ完成していない場面でした。


 紫式部は少し渋りましたが、赤染衛門が「未定稿として扱う」ことを明確にし、有子が控えを分け、春枝が仮綴じ用の紙を用意した。


 帝は熱心に聞かれた。そして、読み終えた後、言った。


「この女君は、返事をしないのではなく、できぬのだな」


 紫式部の指先が、わずかに動いた。それは、作者にとって嬉しい読みだったのでしょう。分かってほしいところを、分かってもらえた。しかも、帝に。


 帝は続けました。


「男は、返事がないことばかりを恨むが、返すにも苦しみがある」


 藤壺に、静かな驚きが広がった。


 菅原の君は、感想札を差し出したくて震えている。有子はその言葉を記録したくて震えている。常盤は外に走りたくて震えている。


 震える理由がそれぞれ違う。私は、赤染衛門に目で合図した。赤染衛門は静かに筆を取り、帝の言葉を雅に整えて控えます。


 感想共有、成功です。帝が物語を読者として受け取り、登場人物の心を考えた。それは単なる娯楽ではありません。藤壺が、知的好奇心を満たす場になり始めている証拠でした。


 でも、良いことは必ず噂になります。悪いことはもっと早く噂になります。帝の藤壺訪問が増えたことは、当然ながら宮中に広まりました。


「近頃、帝は中宮様の御殿へよくお越しになるとか」


「例の物語の続きを聞きに?」


「まあ、物語で帝を引き寄せるとは」


「作り話で御心を釣るなど、ずいぶん巧みなこと」


「恋で競うのではなく、草子で競うとはね」


 定子方からの声は、すぐに届きました。常盤が持ち帰ってきた時点で、声色まで再現されていました。


「常盤」


「はい」


「なぜそんなに上手いのですか」


「聞いたままを」


「聞いたままが上手すぎます」


 常盤は少し誇らしげでした。


 いえ、褒めていません。


 定子方から文も届きました。そこには、遠回しにこう書かれています。――帝の御心を、作り話の続きで留めるとは、幼き遊びも使いようでございますね。


 藤壺の女房たちは怒った。


「ひどいですわ!」


「物語を何だと思っているのでしょう」


「帝が自ら続きをお尋ねになったのです!」


「釣るなどと……」


 菅原の君が、ほとんど泣きそうになっている。


「物語は釣り針ではありません。灯です。人の心を照らす灯です!」


「よいことを言いましたが、泣かない」


「悔しくて」


 分かる。こちらが大切に育てているものを、相手が雑な言葉で貶す。しかも「帝を釣る」と言われるのは、かなり悪意がある。


 恋愛で奪い合う宮中において、帝の訪問頻度は政治そのものだ。それを物語で増やしていると言われれば、確かに戦略的に見える。


 実際、戦略ではある。ただし、相手が言うような下品な意味ではありません。私は文を畳んだ。


「返します」


 常盤の顔が輝いた。


「反撃でございますか」


「反論です」


「似ておりますね」


「違います」


 赤染衛門が筆を構える。


「姫様、文面はいかがいたしましょう」


 私は少し考えた。


 ここで怒りを返すと、相手の土俵に乗る。「やはり図星なのね」と言われる。だから、原則論で返します。


「知的好奇心を満たす場に人が集まるのは、自然です」


 赤染衛門の筆が止まった。


「姫様」


「はい」


「たいへん良い内容ですが、そのままでは少々……」


「固い?」


「固いですし、少し新しすぎます」


みやびにしてください」


 赤染衛門は静かに頷いた。


「では、『人は、心を動かす言葉と、思いを深める場におのずと集うものにございます』」


「完璧です」


 私は続けた。


「物語は、御心を釣るものではありません。問いを差し出すものです」


 赤染衛門が整える。


「『草子は御心を絡め取る針にあらず、思いをめぐらすよすがにございます』」


「それで」


「最後は」


「藤壺は、争うためではなく、読む人の心が深まる場を整えております、と」


 赤染衛門が筆を走らせる。常盤が少し残念そうにした。


「もっと強く言わなくてよろしいのですか」


「強く言わない方が強い時もあります」


「難しいです」


「宮中はだいたい難しいです」


 文は、丁寧に返されました。もちろん、それで批判が止まるわけではありません。むしろ、帝の訪問が続くほど、定子方の警戒は増しました。


 なぜなら、これは単なる女房同士の趣味の争いではなくなったからです。清少納言の随筆。紫式部の物語。「をかし」と「あはれ」。短く鋭い観察と、長く続く感情。それらはもう、どちらが面白いかという話ではありません。


 どの御殿に人が集まるか。どの場で帝が心を動かされるか。どの文化が宮中の話題を作るか。


 女房間バトルは、ついに宮廷メディア戦争へ発展したのです。


 ……などと言うと、赤染衛門が頭を抱えるので、心の中だけにしておきます。


「姫様」


 赤染衛門がこちらを見た。


「今、また何か不穏な言葉をお考えでしたね」


「気のせいです」


「では、そういうことにいたします」


 優しい。いや、見逃されただけだ。その後、藤壺では新しい仕組みが追加された。帝や公卿が物語を聞いた際の反応を記録する「御前反応控え」である。


 もちろん、そのまま書くと生々しいので、赤染衛門が雅に名付けた。


「『御前にて草子を聞こしめしたる折の覚』でいかがでしょう」


「長いですが、雅です」


「内容が内容ですので、少し長い方が隠れます」


「なるほど」


 記録項目は三つ。


 一、どの場面で反応があったか。


 二、どの人物について言及があったか。


 三、次に何を知りたがったか。


 菅原の君が感動していた。


「まるで読者の心を測るようでございますね」


「測るのではありません。受け止めるのです」


「姫様、たまに言い換えが巧みです」


「たまに?」


「いつもです」


「よろしい」


 有子は真剣に記録を取りました。


「帝は、女君の沈黙に関心を示されました。源中納言様は、男君の身分と立場に興味を。左少弁様は、文の届け方について細かく尋ねられました」


「よいですね」


「何が、でございますか」


「読み手によって、気にする箇所が違うことです」


 恋として読む者。政治として読む者。文の作法として読む者。人物の弱さとして読む者。自分の過去と重ねる者。物語の強さは、そこにあります。


 一つの草子が、多くの入口を持ちます。読む人の経験によって、違う姿を見せる。これが、単なる機知との違いです。機知は、刺さる瞬間がある。物語は、刺さる場所が人によって変わる。だから長く残る。


 そして、帝が何度も藤壺に来られるようになりました。もちろん、表向きの理由はいろいろあります。


 季節の花を見るため。歌を聞くため。彰子の様子を見るため。公卿との話のついで。たまたま近くを通った。


 たまたまが多い。非常に多い。


 常盤が小声で言いました。


「たまたまも、積み重なると予定でございますね」


「よい観察です」


「記録しますか」


「しなくていいです」


 帝がいらっしゃるたび、藤壺は騒がず整えました。ここで浮かれてはいけません。


 帝を恋愛的に奪い合うのではありません。媚びるのでもない。物語を餌にして引くのでもありません。ただ、知りたいと思うものがあり、考えたいと思う場がある。だから来る。その自然さを保つことが重要です。


 ある夜、帝は物語の続きを聞いた後、ふとおっしゃった。


「彰子の御殿は、静かだな」


「騒がしゅうございませんか」


「いや、静かだ。だが、退屈ではない」


 私は頭を下げた。


「ありがたきお言葉にございます」


「ここでは、言葉の後に間がある」


 帝は続けられた。


「定子の御前では、言葉が次々に花のように開く。それはそれで楽しい。だが、ここでは、開いた後の花が散るまで見ているようだ」


 藤壺の女房たちは、誰も動かなかった。それは、最高の評価だった。定子様の御前を否定せず、藤壺の違いを認める言葉。私は静かに答えた。


「花が散るところにも、趣がございますれば」


「うむ」


 帝は微笑まれた。


「それが、あはれ、か」


 紫式部が、深く頭を下げた。その夜の記録は、赤染衛門が特に丁寧に残した。


 帝が「あはれ」という言葉を、藤壺の場と結びつけた。これは大きい。


 ブランドが立った。


 ……とは、やはり言わない。


 翌日、定子方からまた声が届いた。


「藤壺は、ずいぶん物語で評判を取っているとか」


「帝まで巻き込むとは」


「清少納言様の一言には及ばぬでしょうに」


 だが、その声には焦りが混じっていた。これまで定子方は、場の華やかさで圧倒していた。清少納言の機知で、その瞬間の宮中の話題をさらっていた。


 しかし、藤壺の物語は違う動きをした。一瞬で大笑いさせるのではなく、続きを待たせる。読んだ人に考えさせる。感想を語らせる。次の訪問理由を作る。これは、場の奪い合いではありません。時間の奪い合いです。


 人の心の中に、次回への空白を作る。その空白が、藤壺へ足を向けさせる。私は、それを恐ろしく思いました。


 同時に、確信しました。知的コンテンツは、人を引き寄せる。


 恋だけが、帝を動かすのではありません。美しさだけが、人を集めるのではない。権力だけが、御殿の価値を決めるのでもありません。


 問いがある場。続きを待つ場。自分の感想が受け止められる場。そこには、人が集まる。そして、人が集まる場には、文化が生まれる。


 私は扇を手に取った。ぱちり。女房たちがこちらを見る。


「帝が続きをお望みになるのは、物語が御心を釣ったからではありません」


 赤染衛門が筆を構える。


「人は、心を動かす問いのある場に、おのずと戻ってくるのです」


 菅原の君が、感想札を抱きしめた。


「では、藤壺はその場を守るのですね」


「そのとおり」


 私は頷きました。


「物語を餌にしない。作者を酷使しない。帝の御訪問を誇りすぎない。けれど、知的な場としての価値は、遠慮せず育てます」


 春枝が紙箱を整えた。有子が御前反応控えを閉じた。若菜が香を弱めた。澄子が灯を直した。小少将が几帳の色を選び直した。


 常盤が外の噂の流れを見張った。赤染衛門が、すべてを雅に記録した。紫式部は、静かに筆を取った。


 藤壺は、もうただの若い中宮の御殿ではなくなりつつありました。物語があり、問いがあり、続きを待つ人々がいる場。


 定子方には、瞬間を照らす清少納言の言葉がある。藤壺には、時間を支配し始めた紫式部の物語があります。女房たちの小さな対抗心から始まったものは、いつの間にか宮中全体の文化の流れを変え始めていました。


 宮廷メディア戦争。


 いえ。赤染衛門に怒られるので、言い直します。


 ――御殿それぞれの言葉が、人の心を招く争い。


 藤壺の棚には、また新しい覚が加えられました。


 『御前にて草子を聞こしめしたる折の覚』。


 その一行目には、こう記された。


 ――帝、続きを所望せらる。


 その文字を見た瞬間、藤壺の女房たちは、誰も声を上げませんでした。ただ、静かに顔を見合わせた。


 勝った、ではない。届いた。そして、戻ってきてくださった。


 梅壷は、また一つ、宮中の中心へ近づきました。

〜 出典 〜

『源氏物語』第五帖 若紫


すずめ犬君いぬきがしつる。伏籠ふせごのうちにめたりつるものを」とて、いと口惜くちおしとおもへり…


〜 舞台背景 〜

  東京学芸大学が戦後の1956年から2022年までの67年分の高校の古典分野の検定教科書667冊を対象に「源氏物語」がどれくらい掲載されている調査していました。(…ガチヲタ調査w)結果、全体の3分の2にあたる443冊だったそうです。


 東京学芸大の斉藤昭子准教授によると「『源氏物語』は基本的に読むべきもの、かつ文章としては難しく、古典学習の最終到達点」だそうです。


 で、教科書人気が高かったのは、トップ3は「桐壺」「若紫」「須磨」この3巻で全体の4割を占めていたそうです。


とはいえ、テスト頻出巻が分かったところで、全体のストーリーが頭に入ってないと解けないんですけどねw


出典:朝日新聞「源氏物語54帖、教科書で人気なのは? 67年分めくって確認したら」

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