三十二 占い師、論破される
占いは、強い。
これは、当たるかどうかとは別の話です。占いは、人の不安に入り込む力があります。
明日はよい日か。この方角へ行ってよいのか。この縁談は吉か。この病は治るのか。この御殿は栄えるのか。この人は信じてよいのか。人は、分からないことが怖い。分からない未来が怖い。だから、未来について何かを言い切る人は強いのです。
――吉です。
――凶です。
――今は動くべきではありません。
――このままでは災いがあります。
――あの方に近づくと運が傾きます。
そう言われると、たとえ根拠が薄くても、人は揺れます。前世でもありました。占いだけではありません。根拠のよく分からない診断。怪しい性格分類。血液型で決めつける人。星座で相性を断じる人。妙に自信満々なコンサル。「私の経験上、絶対そうです」と言い切る人。
言い切る人は強い。
そして、不安な人ほど、その言い切りに縋ってしまう。もちろん、占いや祈りのすべてを否定するつもりはありません。この時代、陰陽師も、僧も、祈祷も、物忌みも、人々の暮らしに深く関わっています。
病の時に祈る。不安な時に日を選ぶ。方角を避ける。夢を解く。それらが心を支えることはあります。私も、そこを正面から燃やすつもりはありません。
問題は、占いを使って人を脅すことです。
不吉という言葉で、人を黙らせる。凶という言葉で、相手の評判を下げる。「天意」や「卦」を盾にして、自分の都合のよい噂を広げる。
これは、困ります。たいへん困ります。
では、どうするか。迷信を燃やす必要はありません。火をつけると、周囲まで燃えます。ただ、水をかければいい。
記録という水を。
その噂が流れ始めたのは、藤壺で小さな物語会を開く準備をしていた頃でした。
菅原の君が張り切って、物語の一節を選んでいます。有子は写しを整え、春枝は紙を選び、小少将はその日の衣の色を決め、若菜は香炉の灰を美しく整えていました。
澄子は灯の位置を見て、伊予の君は地方の昔話を少し加えられないか考えています。常盤は、いつものように廊から情報を拾ってきました。ただし、その顔が少し険しい。
「姫様」
「何かあったのね」
「はい。少々、よろしくない噂がございます」
「言って」
「定子方に近い占い師が、藤壺に不吉な卦が出たと吹聴しております」
部屋が静まりました。
春枝が紙を持つ手を止めます。有子の筆が止まります。菅原の君が眉を寄せました。若菜は少し不安そうに香炉を見ます。
「不吉な卦?」
「はい。『梅の枝は伸びるが、根の下に陰あり』とか」
「それっぽいことを言うわね」
「また、『静かなる御殿ほど、内に災いを抱える』とも」
「それもそれっぽい」
赤染衛門が低く言いました。
「具体的ではございませんね」
「ええ」
そう。こういう言葉は、具体的でないほど強い。何にでも当てはまるからです。
梅の枝は伸びるが根の下に陰あり。成長しているが、内部に問題がある。そんなの、どの御殿にも言えます。静かな御殿ほど内に災いを抱える。これも同じ。
静かなら「静かすぎるから危険」。騒がしければ「騒がしいから乱れている」。どちらでも言える。前世なら、バーナム効果とか言いたくなります。もちろん言いません。
赤染衛門が続けました。
「その占い師は、名のある者ですか」
「それなりに。定子方の女房たちの相談に乗ることが多いようです」
常盤が答えます。
「宮中にも出入りし、公卿方の中にも話を聞く者がいるとか」
「なるほど」
厄介です。完全な無名なら放っておけます。しかし、ある程度の権威がある。しかも定子方に近い。不吉な卦という形で、藤壺の評判を曇らせようとしている可能性があります。
「姫様」
春枝が不安そうに言いました。
「不吉な卦とは、本当に……」
「春枝」
「はい」
「不安になるのは自然よ」
私は言いました。
「でも、まず確認しましょう」
「確認?」
「ええ」
私は扇を閉じました。
「その占い師を呼びます」
赤染衛門が、少しだけ目を閉じました。
「姫様。また正面から」
「否定はしないわ」
「否定なさらぬのですか」
「ええ。占いを否定するのではなく、記録を尋ねます」
赤染衛門は、しばらく私を見ました。そして静かに言いました。
「……なるほど。そちらでございますか」
さすが赤染衛門。すぐ分かります。占い師は、翌日やって来ました。
名を、賀茂の某。詳しい名は、ここでは伏せます。本人は陰陽師の家筋と関わりがあるように語りますが、どの程度正式な立場なのかは曖昧です。こういう人ほど、肩書きを少しぼかします。
衣は地味ですが、どこか威圧感があります。白い紙を持ち、数珠のようなものを袖から覗かせ、いかにも「普通の人には見えぬものが見えます」という顔をしている。
女房たちは緊張しました。
若菜など、香炉のそばで少し小さくなっています。占い師は御簾の前で頭を下げました。
「中宮様には、御機嫌うるわしく」
「ようこそ」
私は穏やかに迎えました。
「近頃、藤壺について卦を立てられたとか」
占い師は、少しだけ得意げに眉を動かしました。
「恐れながら、天の示すところを見ましたれば」
「どのようなものだったのですか」
「梅の枝は伸び、花もつけましょう。されど、根の下に陰あり。静かなる御殿には、時に見えぬ災いが潜むものにございます」
同じです。常盤の報告通り。女房たちが息を呑みます。占い師は、さらに続けました。
「特に、近頃こちらでは、物の理を帳面にて整えすぎる気配がございます。理に寄りすぎれば、神仏の御心を見失うことも」
来ました。
藤壺のやり方への批判です。記録、表、管理、運用。それを「理に寄りすぎ」と言う。まあ、言いたくなる気持ちは分かります。
ただ、それを不吉な卦の形で言うのは困ります。
「なるほど」
私は頷きました。
「貴重なお言葉、ありがとうございます」
占い師は、少し満足そうです。ここで私が怯えたり、反論したりすると思っていたのでしょう。私は続けました。
「ところで、これまでの占いの記録はございますか」
占い師の表情が止まりました。
「記録、でございますか」
「はい」
私はにこりと笑いました。
「どの時、どなたに、どのような卦が出て、その後どうなったか。的中したか、外れたか。そうした帳面です」
部屋の空気が、すっと変わりました。占い師は、少しだけ口を開き、閉じました。
「占いとは、天の機微を読むものにございます。すべてを帳面に収めるものでは」
「もちろん、天の機微すべては収められないでしょう」
私は頷きました。
「ですが、過去にどの程度当たったのかを知れば、こちらもより深く信じられます」
占い師は黙ります。赤染衛門が筆を取りました。有子も控えの紙を用意します。春枝は、なぜか少し目を輝かせています。記録の匂いを嗅ぎつけた顔です。
「たとえば」
私は続けました。
「昨年、どなたかに凶と出たことは?」
「……ございます」
「その結果は?」
「慎まれたゆえ、大事には至らず」
「では、凶が避けられたのですね」
「はい」
「では、それは的中ですか、回避ですか」
占い師が、また止まりました。女房たちも、少し顔を上げます。
「もし災いが起きれば、的中。起きなければ、慎んだから避けられた。そうなると、どちらでも占いが正しかったことになりますね」
占い師の額に、薄く汗が浮かびました。
「神仏の示しとは、そのように単純なものではございません」
「ええ。単純ではないでしょう」
私は穏やかに言いました。
「だからこそ、記録が必要なのです」
占い師は、明らかに不快そうでした。でも、怒れません。私は占いを否定していません。むしろ、尊重するために記録したいと言っている。この言い方が重要です。
「賀茂殿」
私は言いました。
「藤壺では、占いを軽んじるつもりはありません」
女房たちが静かに聞いています。
「不吉な卦が出たなら、慎むべきこともあるでしょう。神仏への祈りも必要でしょう」
占い師は少しだけ頷きました。
「ですが、不吉という言葉だけが一人歩きすると、女房たちが不安になります」
若菜が、はっと顔を上げました。
「不安になると、仕事も乱れます。誰かを疑い、場が暗くなる。そうなれば、卦そのものより、卦の噂が災いになります」
赤染衛門が静かに頷きました。
「ですから、今後は予言と結果を帳面につけましょう」
占い師が、明らかに身を引きました。
「帳面に……」
「はい」
私は有子に目を向けました。
「有子、項目を」
「はい」
有子は筆を取り、淡々と書き始めました。
・占った日
・占った者
・依頼者
・卦の内容
・吉凶
・具体的な助言
・避けるべきこと
・実施した対策
・その後の結果
・的中、未確認、外れ、回避の別
・後日の検討
占い師の顔が、項目が増えるたびに曇っていきます。
常盤は、ものすごく楽しそうです。やめなさい。
春枝が小さく言いました。
「紙は保存に向くものがよろしゅうございますね」
「そうね」
赤染衛門が言います。
「噂として流すものと、記録として残すものを分けねばなりません」
「その通り」
澄子も言いました。
「卦を聞いた者の不安の程度も記録しては。強い言葉で伝えると、それだけで場が乱れます」
「採用」
菅原の君が、物語係らしく呟きます。
「予言は、聞いた者の行動を変えてしまいます。物語でも、予言を恐れた行動が予言を実現することがございます」
「それも重要ね」
自己成就予言。前世語が頭をよぎります。もちろん言いません。伊予の君が言いました。
「地方でも、凶作の噂が出るだけで米の動きが変わることがございます」
「それも同じ」
占いの言葉は、人の行動を変える。だから、ただ当たるか外れるかだけではなく、言葉が与える影響も見る必要があります。
「賀茂殿」
私は占い師へ向き直りました。
「今後、藤壺について卦を立てる場合は、こちらの帳面に記します。もちろん、あなたのお言葉を正しく残すためです」
「それは……」
「不都合でしょうか」
占い師は、完全に逃げ腰になりました。
「いえ、不都合というわけでは。ただ、天意を人の手で細かく量るのは」
「量るのではありません」
私は微笑みました。
「粗末に扱わぬために残すのです」
占い師は黙りました。言い返しにくいでしょう。尊重しているから記録する。これを否定すれば、「記録されると困る占い」と見えてしまう。最終的に、占い師は深く頭を下げました。
「恐れながら、本日はこれにて」
「また卦を立てられた際は、ぜひ具体的にお知らせください」
「……承知いたしました」
承知した顔ではありませんでした。でも、そう言うしかない。占い師が去った後、藤壺はしばらく静かでした。最初に口を開いたのは、若菜でした。
「姫様」
「何?」
「占いの言葉も、記録してよいのですか」
「よいわ」
「神仏に関わることなのに」
「神仏に関わるからこそ、乱暴に扱わない方がいい」
若菜は、少し考えました。
「不吉と言われると、それだけで怖くなります」
「そうね」
「でも、何が不吉なのか、何を避けるのか、後でどうなったのかを見るなら……少し、怖さが形になる気がします」
「それが大事」
怖さは、形がないほど大きくなります。不吉。災い。陰。乱れ。曖昧な言葉は、想像の中で膨らみます。でも、紙に書くと少し小さくなる。日付を書く。内容を書く。対策を書く。結果を書く。すると、恐怖は検討できるものになります。赤染衛門が静かに言いました。
「姫様。これは、女房たちにとって大きな経験にございます」
「そう?」
「はい。権威ある者の言葉も、ただ怯えるだけでなく、確かめられると知りました」
女房たちは、それぞれ頷いていました。春枝は言います。
「記録とは、物を残すだけでなく、不安を落ち着かせるものなのですね」
「ええ」
有子が続けます。
「言葉を正確に残すことで、後から見直せます」
澄子は、
「強い言葉ほど、その場の空気を動かします。記録すれば、言葉の強さも見えます」
と。
菅原の君は、
「物語の予言も、これから読み方が変わりそうです」
と目を輝かせています。
常盤は、
「占い師の逃げ腰、記録してよろしいですか」
と言いました。
「だめ」
「事実ですが」
「だめ」
そこは噂にしすぎない。占い師を公に恥じさせすぎると、反発が強くなります。今回の目的は、占い師を潰すことではありません。占いを利用した脅しを無力化することです。
しかし、当然ながら、外では少し騒ぎになりました。常盤が報告します。
「姫様。登華殿方の一部では、『藤壺は占いまで帳面にかける』と笑っております」
「でしょうね」
「ただし、別の一部では、少し困っているようです」
「なぜ?」
「これまで気軽に『不吉』と言わせていたものが、今後は記録されるかもしれないためです」
「なるほど」
効果が出ています。記録される。それだけで、無責任な言葉は減ります。前世でもそうでした。議事録を取るだけで、適当な発言が減る。「誰が言ったか」を残すだけで、雑な指示が減る。
「いつまでに」「何をするか」を書くだけで、曖昧な約束が逃げにくくなる。記録は、権威を壊すためのものではありません。権威に責任を持たせるためのものです。
少納言の君からも文が来ました。
『不吉の卦も、藤壺にかかれば筆の下に座らされるとか。鬼神もさぞ、日付を尋ねられて困り候ふらむ』
また鬼神です。前回の物忌みの返事を覚えているのでしょう。私は笑いました。返事を書きました。
『鬼神の御言葉ほど、聞き誤りなきよう控へ置きたきものにて』
鬼神の言葉ほど、聞き誤りがないよう記録しておきたい。赤染衛門が読み、少し笑いました。
「よろしゅうございます。挑発は少なめです」
「少なめ?」
「少なめです」
つまり、ゼロではない。まあ、仕方ありません。
数日後、例の占い師に相談する人が少し減ったという噂が流れました。完全に消えたわけではありません。
もちろんです。占いを信じる人はいます。相談したい人もいます。それ自体は悪いことではありません。ただ、彼の言葉をそのまま噂として広げる人は減りました。
なぜなら、
――藤壺に知られると、いつ、どこで、何と言ったか記録される。と思われたからです。非常に効果的です。
赤染衛門が言いました。
「姫様。記録というものは、時に刀より強うございますね」
「刀より地味だけどね」
「地味なものほど、後に残ります」
「石の御殿らしいわね」
「はい」
私は少し笑いました。
その夜、藤壺では新しい心得をまとめました。題は、占いを受ける覚。内容はこうです。
一、占い、祈り、物忌みを頭ごなしに否定しない。
二、不吉な言葉を聞いた時は、まず内容を具体的に確認する。
三、誰が、いつ、何を占い、どのように伝えたか記録する。
四、助言がある場合は、実施できる対策に分ける。
五、結果を後で確認する。的中、外れ、未確認、対策により回避を分ける。
六、曖昧な不吉さだけを噂として広げない。
七、占いの言葉が人の行動を変えることを意識する。
八、不安を煽る者には、過去の的中率と記録を尋ねる。
九、権威ある言葉ほど、正確に残す。
十、迷信を燃やさず、記録という水をかける。
赤染衛門が最後の一文を書いて、静かに頷きました。
「迷信を燃やさず、記録という水をかける」
「いいでしょう」
「たいへん姫様らしゅうございます」
若菜が、その心得を見つめて言いました。
「姫様。不安は、消えなくても小さくできるのですね」
「ええ」
「紙に書くと」
「少しね」
春枝が嬉しそうに言いました。
「紙の仕事が、また増えました」
「喜びすぎない」
「はい」
でも、春枝の気持ちも分かります。紙は、歌や恋文だけではない。不安を受け止める器にもなります。それは、とても大切な役目です。
私は扇を閉じました。
占い師、論破される。
……と言うと少し物騒ですが、実際には燃やしていません。怒鳴ってもいません。占いを否定もしていません。ただ、尋ねただけです。
過去の的中率は?記録は?今回の予言は具体的に何ですか?結果を後で確認してよいですか?
それだけで、占い師は逃げ腰になりました。女房たちは知りました。権威ある言葉も、確かめてよいのだと。不吉という言葉に、ただ震えなくてよいのだと。
石の中宮の御殿には、水差しが置かれました。記録という水を入れた水差しです。
噂の火が燃え上がりそうな時。不安の煙が部屋に満ちそうな時。誰かが「凶です」と言い切って人を動かそうとする時。その水を、静かに注ぐ。
藤壺は、未来を否定しません。でも、未来を語る者には、帳面を差し出します。どうぞ、お話しください。
その代わり、日付と結果も、後で書かせていただきます。
〜 出典 〜
『宇治拾遺物語』占い・安倍晴明
この晴明、ある時、広沢僧正の御坊に参りて、もの申し承りける間、若僧どもの晴明に言ふやう、「式神を使ひ給ふなるは、たちまちに人を殺し給ふや」…
〜 舞台背景 〜
古典て、尊敬語を使いながら悪態つくんですねw 解りにくっw




