三十一 美貌マウントには照明で勝つ
美しい女房が彰子方の地味な女房を見下す。彰子は容姿で競わせず、燈台の位置・几帳の透け具合・衣の色を調整し、それぞれが美しく見える場を作る。すると、地味とされた女房が柔らかな光の中で驚くほど上品に映える。
美しさは、強い。
これはもう、どうしようもありません。美しい人が部屋に入ると、空気が変わる。何気なく袖を上げただけで目を引く。少し微笑んだだけで、周囲の言葉が止まる。同じ衣を着ていても、その人だけ光って見える。
前世でもそうでした。顔が整っている人。姿勢が綺麗な人。肌が明るい人。雰囲気がある人。写真に写ると、なぜか一人だけ目立つ人。
います。
そして、そういう人は得をします。もちろん、美しい人にも美しい人なりの苦労があります。見られすぎる。勝手に期待される。嫉妬される。中身より外見で語られる。それはそれでつらいでしょう。
でも、それでも。
美貌が宮中で力を持つことは、否定できません。『源氏物語』でも、夕顔や玉鬘のように、美しさが人の運命を動かします。ふと見えた顔。御簾の隙間から覗く姿。灯のもとで浮かぶ横顔。香と衣と声と気配。美しさは、物語の入り口になります。
問題は、その美しさを自分の価値だけにして、他人を見下す人です。
――あの方は地味ね。
――華がないわ。
――いくら才があっても、見映えがしないと。
――姫様の御前に出るには、少し物足りないのでは。
はい。出ました。
美貌マウントです。生まれつきの顔立ちや目立つ華やかさを基準に、人を上から見る。これは、私は嫌いです。なぜなら、美しさとは本人だけのものではないからです。
光。衣。姿勢。背景。距離。色。香。場の空気。それら全部で、人は美しく見えます。美貌は、生まれつきだけではありません。見せ方で変わります。そして、人を美しく見せる場を作れるかどうかも、御殿の力です。
その日、藤壺に来たのは、たいそう美しい女房でした。
名は、藤袴の君。登華殿方に近い女房です。顔立ちが華やかで、肌は白く、目元に力があり、笑うと周囲がぱっと明るくなる。衣の色もよく似合っていました。
濃すぎない紅。柔らかな藤色。袖の重なりに、少しだけ金糸。自分の見せ方をよく知っている人です。歩き方も、扇の持ち方も、視線の流し方も、実に上手い。正直、見事でした。小少将が、少し悔しそうに見ていました。
「あの方、ご自身に似合う色をよくご存じです」
「そうね」
「華がございます」
「あるわね」
華がある人は、強い。問題は、その華を人に刺すことです。藤袴の君は、藤壺の女房たちを一通り見た後、ある女房に視線を止めました。
若菜です。
香炉の灰を整える手つきが丁寧で、最近ようやく自信が出てきた新人女房。顔立ちは、派手ではありません。
目も大きくはない。頬も細い。声も控えめ。衣も、まだ自分に似合う色を探しているところです。でも、私は若菜の静かな雰囲気が好きでした。香炉のそばにいる時、彼女はとても落ち着いて見える。ところが藤袴の君は、少しだけ笑って言いました。
「藤壺では、たいそう実直な女房を大切になさるのですね」
実直。
褒め言葉です。でも、この場では違います。華がない。地味。真面目だけが取り柄。そういう意味が、薄く混じっています。
若菜の肩が、わずかに縮みました。春枝がむっとします。菅原の君も、物語の悪役を見る目になりました。常盤は、すでに「言質」として記録しそうな顔。赤染衛門は、私を見ました。
どうしますか。
私は扇を開きました。ここで、藤袴の君の美しさを否定するのは違います。実際、美しい。若菜に「あなたも美しいわ」とだけ言うのも足りません。それは励ましにはなっても、構造を変えない。ならば、場を変えます。
「藤袴の君」
「はい」
「あなたは、ご自身の美しさをよく知っておられるのね」
藤袴の君は、少し意外そうに瞬きました。攻撃されると思っていたのでしょう。
「恐れ入ります」
「よいことです。自分に似合うものを知るのは、才です」
私は本気で言いました。すると、藤袴の君の表情が少し緩みました。褒められて悪い気はしないはずです。
「けれど」
私は微笑みました。
「人を見る時、その人が一番美しく見える場所まで考えておられますか」
部屋の空気が、少し変わりました。
「場所、でございますか」
「ええ。光、衣、几帳、距離。人は、置かれる場で見え方が変わります」
藤袴の君は、扇の陰で笑いました。
「姫様は、美しさまで表にされるのでしょうか」
「必要なら」
赤染衛門が小さく目を閉じました。
また始まった、という顔です。
私は小少将を呼びました。
「小少将」
「はい」
「若菜に合う衣の色、どう思う?」
小少将は、すぐに若菜を見ました。職人の目になります。
「今の若菜殿は、少し色が沈みすぎております。濃い色を重ねると、かえって顔が小さく見えます」
若菜は、不安そうに袖を見ました。
「私、やはり似合っておりませんか」
「似合わぬのではありません。今の光に合っていないのです」
小少将の言葉に、若菜が顔を上げます。よい。似合わない、ではなく、光に合っていない。責任を本人から環境へ移す。
「若菜殿には、淡い青みのある白、少し灰を含んだ薄紫、それから柔らかな香色が合います。強い紅ではなく、灯に近づいた時に肌が静かに明るく見える色がよろしいかと」
私は頷きました。
「春枝、紙は?」
「背景に使う紙でございますか?」
「ええ。文を持つなら」
春枝は若菜を見て、少し考えました。
「真白すぎる紙は、手の色を沈ませます。少し生成りで、やわらかな紙がよろしいです。若菜殿の手は丁寧で美しいので、紙が白く主張しすぎない方が」
若菜の手が、ぎゅっと袖を握りました。自分の手を褒められることに、まだ慣れていません。
「澄子、灯は?」
澄子は、部屋の灯台を見ました。
「今の位置では、正面から光が当たりすぎております。藤袴の君のように目鼻立ちの強い方は映えますが、若菜殿のように柔らかな方は影が消えてしまいます」
「では?」
「灯台を少し横へ。光を几帳に一度受けさせて、直接ではなく柔らかく回す方がよろしいかと」
素晴らしい。完全に照明設計です。前世なら、間接照明。もちろん、言いません。
「几帳は?」
小少将が答えます。
「透けすぎるものでは落ち着きませぬ。かといって厚すぎると重い。薄く文様のある几帳を少し後ろに置けば、若菜殿の輪郭が柔らかく見えます」
「香は?」
若菜自身が、小さく言いました。
「強い香ですと、私には少し負けます。淡い梅か、青い草のような香が……」
途中で、彼女ははっと口をつぐみました。
「す、すみません」
「続けて」
「はい……淡い香の方が、落ち着いて見えるかと」
「その通りだと思うわ」
若菜の目が揺れました。自分で自分の見え方を少し言えた。これは大きい。藤袴の君は、最初は面白そうに見ていました。けれど、女房たちが次々に若菜の見せ方を組み立てていくにつれ、表情が少し変わりました。
馬鹿にしていた相手が、ただの地味な女房ではなくなっていく。まだ何も変えていないのに、周囲の見方が変わり始めている。これが場の力です。
「では、試しましょう」
私が言うと、赤染衛門が少しだけ驚きました。
「今ここで、でございますか」
「ええ」
「藤袴の君の御前で?」
「せっかくですもの」
藤袴の君が、扇の陰で笑いました。
「私も拝見してよろしゅうございますか」
「もちろん」
若菜は真っ赤になりました。
「姫様、私など」
「若菜」
「はい」
「これは美貌比べではありません」
私は言いました。
「あなたがあなたらしく見える場を探すだけ」
若菜は、少し震えながら頷きました。小少将がすぐに動きます。若菜の上に、淡い青みを含んだ薄い衣を一枚重ねました。濃い色を外し、袖の内に柔らかな香色を入れる。春枝が、生成りの紙を持たせます。有子が、若菜の手元が美しく見えるように短い文を用意しました。
澄子が灯台を動かし、光を直接ではなく几帳越しに回します。几帳は、薄い文様のあるもの。背後に置くと、若菜の輪郭がふわりと浮かびました。香は控えめ。若菜が自分で選んだ、淡い梅と草のような香。
部屋の空気が変わりました。若菜は、まだ緊張しています。でも、先ほどまでの地味さは消えていました。派手ではありません。目を奪うような美貌ではない。けれど、柔らかな光の中で、驚くほど上品に見えました。
手元の生成りの紙が白く浮きすぎず、指の細さと丁寧さを引き立てている。薄青の衣が、肌を沈ませず、静かな清潔感を出している。几帳の文様が背景になり、若菜の控えめな雰囲気を物語の一場面のように見せている。
香は強くない。でも、近づくと、ふっと気づく。これは、夕顔や玉鬘のような、強い美貌ではありません。でも、夜に静かに咲く花のような美しさです。部屋の女房たちが、息を呑みました。春枝が小さく言います。
「若菜殿……」
若菜は不安そうにこちらを見ました。
「変でしょうか」
「いいえ」
小少将が、真剣な声で言いました。
「とても、よろしゅうございます」
若菜の目が潤みました。藤袴の君も、黙っています。私は藤袴の君へ向き直りました。
「いかがですか」
彼女は、しばらく黙っていました。そして、ゆっくり言いました。
「……驚きました」
「何に?」
「同じ方でも、これほど変わるのですね」
「変わったのではありません」
私は言いました。
「見えたのです」
藤袴の君の目が、少しだけ揺れました。
「若菜の美しさは、最初からありました。ただ、強い光や濃い色の中では見えにくかった」
私は続けました。
「あなたのように、正面の光で映える方もいます。若菜のように、柔らかな光で映える方もいる。どちらが上という話ではありません」
藤袴の君は、何も言いません。
「美しさを語るなら、人を一つの光の下だけで比べてはいけません」
部屋が静まりました。私は微笑みました。
「人を輝かせる環境を作れない者が、美を語るのは浅い」
藤袴の君の扇が、ぴたりと止まりました。
刺しました。
静かに。褒めながら、認めながら、刺す。
この人は美しい。それは認める。でも、美しい自分を基準に他人を測るだけなら、浅い。美を本当に知る人は、相手がどの光で映えるかを考える。
藤袴の君は、しばらく私を見ていました。怒るかもしれない。そう思いました。けれど、彼女は意外にも、静かに頭を下げました。
「姫様のお言葉、痛うございます」
「ごめんなさい」
「いえ。痛いのは、当たっているからでございましょう」
部屋の空気が少し緩みました。藤袴の君は、若菜を見ました。
「若菜殿。先ほどは失礼を申しました」
若菜は慌てました。
「い、いえ、私など」
「若菜」
私は言いました。
「謝罪を受け取る時、自分を下げない」
前にも言った言葉です。若菜は、はっとしてから、藤袴の君へ向き直りました。
「……はい。受け取ります」
藤袴の君は、少し驚き、それから微笑みました。
「藤壺の女房は、強うございますね」
「鍛えておりますので」
常盤がぼそりと言いました。
やめなさい。
その後、藤袴の君はすぐには帰りませんでした。むしろ、小少将にいくつか質問を始めました。
「私のような顔立ちには、どの光が合うと思われますか」
小少将は一瞬驚きましたが、すぐに真剣に答えました。
「藤袴の君は、正面の灯にも負けませぬ。ただ、少し上からの光は強すぎるかと。目元が鋭く見えすぎることがございます」
「鋭く」
「はい。意図せず、相手を見下ろすように映ることが」
藤袴の君は、少し苦笑しました。
「それは、直した方がよろしゅうございますね」
「横から柔らかく当てれば、華やかさは残りつつ、近づきやすく見えるかと」
「なるほど」
おや。これは面白い流れです。藤袴の君は、美貌を武器として使っていた。でも、自分の見え方をさらに理解したい気持ちもある。つまり、学ぶ気があります。
美しい人も、環境によって損をすることがある。強すぎる美しさは、時に威圧になる。それを調整できれば、彼女自身にも得があります。
「姫様」
藤袴の君が私を見ました。
「藤壺では、こうして女房一人ひとりの見え方を整えておいでなのですか」
「まだ始めたばかりよ」
「恐ろしい御殿でございますね」
「褒めていますか」
「半分以上は」
また半分以上。この言い回し、完全に広がっています。藤袴の君が去った後、藤壺は少し騒然としていました。若菜は、まだ自分の袖を見つめています。
「姫様……私、先ほど、自分ではないようで」
「自分ではない?」
「はい。でも、嫌ではありませんでした」
「それならよかった」
小少将が言いました。
「若菜殿は、ご自身を地味と思いすぎておりました。静かな美しさは、派手な美しさより見つけにくいだけです」
若菜は小少将を見ました。
「私にも、美しさがあるのでしょうか」
「あります」
小少将は断言しました。
「ただ、見せ方が違うだけです」
春枝も頷きます。
「若菜殿の手は、紙を持つと本当に美しゅうございます」
有子が言いました。
「文字を読む時の目元も、落ち着いております」
澄子が続けます。
「香炉のそばにいる時、場の空気が静かになります」
若菜の目から、ぽろりと涙が落ちました。今度は、悲しい涙ではありません。たぶん、自分が初めて別の角度から見えた涙です。私は胸の奥が温かくなりました。こういう瞬間のために、御殿を整えているのかもしれません。
その日のうちに、藤壺では新しい取り組みが始まりました。女房見映え覚。赤染衛門が題を見て、少し眉を上げました。
「姫様。見映え、でございますか」
「だめ?」
「少々直接にございます」
「では、御姿を活かす覚」
「そちらでお願いいたします」
内容は、女房一人ひとりがどの光、どの色、どの背景、どの香で一番自然に見えるかを記録するものです。
ただし、容姿の優劣は書かない。これが重要です。評価ではなく、環境設計。
春枝には、手元が美しく見える紙。有子には、筆写時に目が疲れにくく、顔色を沈ませない灯。小少将には、色が見やすい自然光に近い位置。
澄子には、目立ちすぎず全体を見渡せる背景。常盤には、動き回っても衣が乱れにくい重ね。菅原の君には、物語を語る時に顔が暗くならない灯。
伊予の君には、地方の色を少し残した装束。若菜には、柔らかな間接の灯と淡い衣。赤染衛門は、全体の品位を整える役です。
「姫様」
赤染衛門が言いました。
「これは、人を飾るというより、人の持ち味を邪魔しないための覚ですね」
「そう」
「よい考えにございます」
「珍しく褒めるわね」
「本当に必要です。宮中では、強い美しさばかりが目立ちます。けれど、静かな美しさを活かす術も要ります」
赤染衛門の言葉は、いつも核心を突きます。
まさにそれです。
強い美しさは、自力で目立つ。でも、静かな美しさは、場が支えないと見えにくい。だから御殿が支える。
数日後、帝がお越しになった時、若菜は香炉のそばに控えていました。淡い青みの衣。柔らかな灯。生成りの紙。控えめな梅の香。帝が、ふと目を留めました。
「そなたは、香炉を整える女房か」
若菜は緊張しながら頭を下げました。
「はい」
「灰が静かだな」
灰が静か。帝らしい言い方です。若菜は、驚いたように目を上げました。
「恐れ入ります」
それだけの会話です。でも、若菜には十分でした。帝が去った後、彼女は泣きそうな顔で私を見ました。
「姫様……灰が静かと」
「褒められたわね」
「はい」
美しい顔立ちを褒められたわけではありません。でも、若菜の仕事と雰囲気が、帝の目に留まった。これは、若菜にとって何よりの評価です。小少将は満足げでした。
「成功ですね」
「ええ」
常盤が小さく言いました。
「藤袴の君にも伝わるでしょう」
「伝えなくていい」
「自然に伝わります」
宮中の噂は、いつも自然に不自然な速度で広がります。やがて、藤袴の君から短い文が届きました。
『柔らかき灯のもとにて、人はかくも違ひて見ゆるものかと、思ひ知らされ候ふ。次に御前へ出る折、我が灯も少し改めたく候ふ』
私は文を読んで、少し笑いました。彼女は怒っていない。むしろ学ぼうとしている。美貌マウントをしてきた人が、自分の照明まで見直す。これは、なかなか面白い展開です。
返事を書きました。
『光は人を暴くものにも、救ふものにも候ふ。御身に合ふ灯、きっとさらに御姿をやはらげ候はむ』
赤染衛門が読んで、頷きました。
「よろしゅうございます」
「刺さる?」
「今日は刺すより、導く文にございます」
「よかった」
人を美しく見せることは、敵味方を問わず価値があります。もちろん、油断はしません。藤袴の君は登華殿方です。でも、彼女が美を浅く使わず、深く見るようになるなら、それは宮中全体にとって悪いことではありません。
その夜、心得をまとめました。題は、御姿を活かす覚。内容はこうです。
一、美しさを一つの基準で比べない。
二、正面の光で映える者もいれば、柔らかな光で映える者もいる。
三、衣の色、灯台の位置、几帳の透け具合、紙、香、背景を整える。
四、容姿の優劣ではなく、見え方の相性を見る。
五、派手な美しさだけでなく、静かな美しさを見つける。
六、人を地味と決める前に、その人に合う場を探す。
七、美しさは本人の才であり、同時に場の設計でもある。
八、人を輝かせる環境を作れない者が、美を語るのは浅い。
九、御殿は、一人ひとりが自然に映える灯を持つ。
十、見せ方は、尊厳を守る技である。
赤染衛門が最後の一文を書き、少し考えました。
「見せ方は、尊厳を守る技」
「そう思うの」
「よい言葉にございます」
「ありがとう」
若菜は、その心得を見て、静かに頭を下げました。
「姫様。私、もう少し自分に合う色を知りとうございます」
「小少将に頼みましょう」
「はい」
小少将が嬉しそうに微笑みました。
「お任せください。若菜殿は、まだまだ見つかります」
若菜の顔が、柔らかく明るくなりました。それは、藤袴の君のような華やかな笑みではありません。
でも、確かに美しかった。
〜 出典 〜
『源氏物語』夕顔・玉鬘などの美貌描写
…この君ねびととのひたまふままに、母君よりもまさりて清らに、父 大臣の筋さへ加はればにや、品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。聞き…
〜 舞台背景 〜
「ねびととのふ(美しく端正に)」「きよらに(最高級の美しさ)」「あてに(上品で)」「あらまほしう(理想的)」と、最大級の褒め言葉がこれでもかと詰め込まれています。




