三十 歌合で負けても、スポンサーを取る
歌合で彰子方の女房が定子方に敗れる。皆が落ち込む中、彰子は勝敗よりも、誰がどの歌に反応したかを記録していた。スポンサーになりそうな公卿、歌に弱い公卿、才能ある若手を見つけ、次の歌会に招く。勝負には負けたが、人脈形成では圧勝する。
勝負には、勝った方がいい。
これは当然です。歌合で勝つ。評判で勝つ。贈答で勝つ。席取りで勝つ。帝の関心を得る。宮中では、何もかもが静かな勝負になります。
しかも、勝敗は単純ではありません。その場で勝った者が、後に残るとは限らない。前世でも、そういうことはありました。プレゼンで一番派手に拍手をもらった人が、必ずしも後で仕事を取るとは限らない。会議で相手を論破した人が、必ずしも味方を増やすとは限らない。コンペで負けた会社が、その場で得た人脈から次の大きな案件を拾うこともある。
表の勝敗と、裏の成果は違う。その場で一首勝つこと。その場ごと持ち帰ること。どちらが後に残るか。これは、よく考えた方がいい問題です。
歌合は、歌の勝負です。けれど同時に、人を見る場でもあります。誰がどの歌に反応したか。誰がどの女房を見たか。誰がどの言葉に笑ったか。誰が退屈そうにしていたか。誰が才能ある若手に目を止めたか。誰が資金や物資を出しそうか。誰が藤壺に近づく口実を探しているか。
それらは、勝敗表には出ません。でも、御殿を育てるにはとても大切です。だから私は、歌合で負けた時、歌の反省だけで終わらせるつもりはありませんでした。
その日の歌合は、かなり華やかなものでした。
帝も御覧になる。公卿たちも控える。登華殿方、藤壺方、その他の御殿の女房たちも集まります。
題は、春の霞。
季節としては穏やかです。けれど、場の空気は穏やかではありません。定子方は、歌に強い。清少納言本人は今回も姿を見せませんでしたが、その影響を受けた女房たちは、言葉の返しが速く、機知に富んでいます。
少納言の君もいます。
あの人は本当に厄介です。厄介というのは、褒め言葉です。
半分は。
一方、藤壺方からは、菅原の君、有子、小少将、そして最近少しずつ歌を学んでいる若菜も控えていました。赤染衛門は全体の支え。
春枝は紙と記録。常盤は周囲の反応を見る係。澄子は場の空気を見る係。伊予の君は、地方由来の季節感が歌にどう響くかを見ています。
準備はしました。歌の題も読み込みました。過去の歌も確認しました。言葉の重なり、季節の感覚、紙の選び方、披露の順。できることは全てやりました。
しかし。
負ける時は、負けます。
最初の数番は、そこそこ拮抗しました。藤壺の有子が詠んだ歌は、筆写をする人らしく、霞に隠れる文字のような春を詠んだものです。これは評判がよかった。
小少将の歌は、霞と薄衣を重ねたもので、装束を見る人らしい繊細さがありました。これも悪くありません。
菅原の君は、霞の向こうに見え隠れする物語の人物を思わせる歌を詠み、物語好きの公卿の一人が少し反応しました。
よし。
私は内心で頷きました。ただ、問題は中盤です。若菜が緊張しました。彼女はまだ歌合に慣れていません。香炉の灰を整える手は静かなのに、自分の歌を出すとなると震える。
若菜の歌は、悪くありませんでした。霞の中に立つ梅の香を詠んだ、素直な歌です。けれど、少し素直すぎた。相手は登華殿方の女房。
この人が、うまかった。
霞を「見えぬものを隠すもの」ではなく、「見えすぎるものを和らげるもの」として詠んだのです。
場が少し揺れました。
判者も、相手方へ軍配を上げました。若菜の顔が、さっと白くなりました。春枝が心配そうに見ています。
さらに終盤。
菅原の君の二首目も、少し物語に寄りすぎました。好きな人には刺さる。でも、歌合の場では少し説明が多い。
対する少納言の君の歌は、短く、明るく、場に合っていました。霞の向こうに笑みが透けるような歌。
定子方の色です。
判定は、また登華殿方。
結果。
藤壺方は負けました。
はっきりと。
歌合が終わった後、藤壺の女房たちは落ち込んでいました。若菜は、完全に泣きそうです。
「姫様……申し訳ございません」
「何が?」
「私の歌が」
「悪くなかったわ」
「でも、負けました」
「負けたわね」
私が正直に言うと、若菜はさらに沈みました。赤染衛門が少しだけ眉を動かします。
姫様、そこはもう少し柔らかく。
という顔です。でも、負けた事実をぼかしても仕方ありません。
「負けたけれど、悪い歌ではなかった」
私は言いました。
「ただ、歌合の場で勝つには、もう少し場への置き方が必要だった」
「場への置き方……」
「ええ。歌は歌だけではなく、いつ、誰に、どの流れで出るかで変わります」
若菜は、涙をこらえながら頷きました。菅原の君も、肩を落としています。
「私も、物語に寄せすぎました」
「そうね」
「やはり、物語ばかり読んでいるから」
「違う」
私は即答しました。
「物語を読む力は強み。ただし、歌合では説明しすぎると重くなる。次は、物語の余白だけを置く練習をしましょう」
菅原の君の顔に、少し光が戻りました。小少将は悔しそうです。
「装束に寄せた歌は、もう少し評価されるかと思いました」
「反応した人はいたわ」
「本当ですか」
「ええ」
そう。ここからが本題です。私は歌合の勝敗を見ていなかったわけではありません。もちろん見ていました。でも、それ以上に見ていたものがあります。
「常盤」
「はい」
「反応記録を」
常盤が、待っていましたと言わんばかりに紙を出しました。赤染衛門が、静かに息を吐きました。
「姫様。やはり、歌合の最中にも記録を」
「当然でしょう」
「歌を聞きながら、人脈を見ておいででしたか」
「歌合は人が集まる場よ」
「まことに姫様らしゅうございます」
褒めているのか、呆れているのか。
たぶん半分ずつです。常盤の反応記録は、かなり有用でした。
まず、右中将殿。
この方は、歌そのものにはあまり口を出しませんでした。しかし、小少将の薄衣の歌に反応していました。
なぜか。
彼の家では近々、女房たちの装束を整える必要があるらしい。小少将の色を見る力に興味を持った可能性があります。
次に、左少弁殿。
彼は有子の霞と文字の歌を聞いた時、隣の公卿に何か囁いていました。有子の筆写の美しさと結びつけて、藤壺の記録力に関心を持ったかもしれない。
さらに、年若い蔵人の一人。
名を、藤原頼任。
まだ目立つ立場ではありません。けれど、菅原の君の物語寄りの歌に、明らかに目を上げていました。
彼は物語好きか、あるいは物語を理解する才がある。これは、次の物語会に招けるかもしれません。
そして最も重要なのは、源中納言殿。
この方は、歌合全体をあまり熱心に見ていないようで、実は若菜の歌に反応していました。若菜の歌は負けました。でも、梅の香を霞の中に立たせる素直な感覚に、少し頷いたのです。
源中納言殿は、派手な機知より、素直で清らかな歌を好む可能性があります。しかも、この方は紙や香の調達にも顔が利く。スポンサー候補です。
スポンサー。
もちろん、この時代にはそう言いません。庇護者、支援者、後援の御方。ですが、私の中ではスポンサーです。
藤壺の歌会、物語会、写本管理、紙や香の調達。それらを続けるには、人も物も必要です。才ある女房を育てるには、場が必要。場を開くには、支える人が必要。歌合は、その候補を見つける絶好の機会です。
「姫様……」
春枝が、おそるおそる言いました。
「私たち、負けたのでは」
「負けたわ」
「でも、姫様は嬉しそうでございます」
「嬉しいというより、収穫があった」
「収穫」
伊予の君が、そこで少し笑いました。
「地方の市でも、売れた品だけを見るのではなく、誰が何を手に取ったかを見ることがございます」
「そう、それ」
私は頷きました。
「今日は、藤壺の歌は負けた。でも、誰が藤壺のどの力に反応したかは見えた」
赤染衛門が静かに言いました。
「つまり、勝負には負けましたが、場の情報は持ち帰ったと」
「その通り」
常盤が、少し悪い顔で言いました。
「定子方は勝ち名乗りを持ち帰り、藤壺は人脈を持ち帰ったのですね」
「言い方は悪いけど、そう」
その夜、私は女房たちを集め、歌合の反省会を開きました。ただし、普通の反省会ではありません。
歌の良し悪しだけでなく、場の成果を整理します。
表の題は、歌合成果見立て表。赤染衛門は、もはや淡々と筆を取っています。
項目はこうです。
・歌の題
・詠み手
・勝敗
・評価された点
・弱かった点
・反応した人物
・その人物の関心
・次に招く場
・贈るべき文または品
・今後の関係づくり
女房たちは、最初は戸惑っていました。歌合の後に、こんな表を作る御殿は他にないでしょう。でも、やってみると効果は明らかでした。
若菜の歌。勝敗は負け。評価された点は、素直な季節感、香の扱い。弱かった点は、場の華やかさに対して少し控えめすぎたこと。反応した人物は、源中納言殿。次に招く場は、香と歌の小会。贈るべき品は、強すぎない梅の香を添えた短い礼状。
若菜は目を丸くしました。
「私の歌でも、次につながるのですか」
「つながるわ」
「負けた歌なのに」
「負けた歌にも、反応する人はいる」
私は言いました。
「勝った歌が全員に刺さるわけではない。負けた歌にも、特定の人には届くことがある」
若菜は、涙をこぼしました。
「負けたら終わりだと思っておりました」
「終わりではないわ。記録すれば、始まりになる」
次に、菅原の君の歌。勝敗は負け。評価された点は、物語性と余韻。弱かった点は、説明が多い。反応した人物は、藤原頼任。次に招く場は、物語読みの小会。贈るべき文は、歌合での反応への直接の礼ではなく、物語に関する軽い問いかけ。
菅原の君は、真剣に聞いています。
「物語会に、殿方を?」
「少人数なら」
「よろしいのでしょうか」
「場を選べばよい。直接ではなく、写本や物語の一節について意見を聞く形にする」
赤染衛門が頷きました。
「慎重にすれば、教養の交流として成り立ちます」
次に、小少将の歌。勝敗は引き分けに近い負け。評価された点は、色彩感覚。反応した人物は、右中将殿。次に招く場は、装束と歌の取り合わせを見る会。小少将の目が鋭くなりました。
「歌と衣を合わせる会……それは、かなり面白うございます」
「でしょう」
有子の歌。勝敗は一勝。反応した人物は左少弁殿。次に招く場は、筆写と歌稿の整理に関する相談。有子は静かに頷きました。
「文書管理の話なら、私にもできます」
「ええ」
こうして見ると、歌合はただの勝敗ではありません。女房それぞれの強みが、誰に届いたかを知る場です。
翌日から、藤壺は静かに動き始めました。まず、源中納言殿へ。若菜の歌に直接触れすぎない程度に、行事への御礼の文を出します。添えるのは、強すぎない梅の香。若菜が整えた香炉の灰から着想を得た、柔らかな香です。
文は赤染衛門が整えました。
『霞のうちにも、梅の香は道を違へず候ふものにて』
霞の中でも、梅の香は迷わず届く。
若菜の歌の価値を、さりげなく拾っています。
次に、藤原頼任へ。
こちらは菅原の君が中心になり、物語の一節について「若き御方々の御解釈を伺いたく」と軽く誘う文を用意しました。あくまで教養の交換。
重くしない。
小少将は、右中将殿の家の女房を通じて、装束と歌題の取り合わせについて話題を流しました。直接売り込まない。でも、「藤壺には色と歌を合わせて見る女房がいる」と伝える。
有子は、左少弁殿へ歌稿の保存についての質問を用意しました。これもまた、次の交流の種です。
常盤は、これらの反応を追います。ただし、赤染衛門に「追いすぎない」と釘を刺されています。
春枝は、次の歌会に使う紙を候補ごとに分け始めました。伊予の君は、地方由来の季節感を歌題に使えないか整理しています。
若菜は、負けた後とは思えないほど真剣に香を整えていました。負けたことで、消えなかった。むしろ、自分の歌が誰かに届いたと知って、少し強くなったようです。
数日後、反応が返ってきました。
源中納言殿からは、梅の香への礼とともに、次の小さな香の会に関心があるという返事。
よし。
スポンサー候補、接続成功。藤原頼任からは、物語の一節について、思いのほか熱のある返事。菅原の君はそれを読んで、顔を輝かせました。
「姫様、この方、かなり読んでおられます」
「招きましょう」
「はい!」
右中将殿の家の女房からは、装束の色合わせについて相談したいという文。小少将は、少し誇らしそうです。
左少弁殿からは、有子の筆写の丁寧さへの評価が返ってきました。有子は静かに頭を下げましたが、耳が赤い。
結果。
歌合には負けた。
しかし、藤壺は次の歌会、香の会、物語会、装束相談、筆写相談の種を得ました。
これは大きい。
勝敗表では負け。人脈形成では、かなり勝ちです。赤染衛門が、記録を見ながら言いました。
「姫様。これは……実に見事にございます」
「でしょう」
「歌合の場を、そのまま次の会の種にしてしまわれました」
「勝った歌はその場で褒められる。でも、反応を拾えば次が生まれる」
「定子方は勝ちましたが」
「ええ」
「藤壺は、場を持ち帰りましたね」
赤染衛門の言葉に、私は少し笑いました。その通りです。しばらくして、少納言の君から文が来ました。
『このたびの歌合、藤壺方は惜しゅうございましたね。されど、負けた後の御文の飛び方を見るに、霞の中より網を投げられたようでございます』
さすがです。
見抜かれています。
霞の中より網。つまり、歌合の場で人脈を捕まえたということです。私は返事を書きました。
『霞は目を迷はせ候へど、誰がどの花に立ち止まるかは、かへって見えやすきものにて』
(霞は目を迷わせるが、誰がどの花に立ち止まるかは、かえって見えやすい。)
赤染衛門が読んで、少し笑いました。
「これは、かなり正直にございますね」
「少納言の君には隠しても無駄でしょう」
「確かに」
常盤が、にやりとしました。
「姫様、あの毒舌をお入れにならないのですか」
「あの?」
「一首で勝って満足する人と、場ごと持ち帰る人。どちらが後に残るかしら」
赤染衛門がこちらを見ました。
「姫様、またそのようなことを」
「言ってないわ。まだ」
「まだ?」
私は扇で口元を隠しました。でも、正直、思っていました。一首で勝って満足する人と、場ごと持ち帰る人。どちらが後に残るか。もちろん、一首で勝つことには価値があります。歌そのものの力は軽んじてはいけない。
でも、御殿を育てるなら、それだけでは足りない。勝負の場に集まった人を見て、その反応を記録し、次の場へつなぐ。それができれば、一回の負けは次の勝ちの土台になります。
その夜、藤壺では新しい心得をまとめました。
題は、歌合を場として持ち帰る覚
内容はこうです。
一、歌合では勝敗だけを見ない。
二、誰がどの歌に反応したかを記録する。
三、負けた歌にも、届いた相手がいれば価値がある。
四、詠み手の強みを、次の場へつなぐ。
五、スポンサーになりそうな公卿、歌に弱い殿方、才能ある若手を見つける。
六、反応があった相手には、直接すぎない礼や問いかけで接点を作る。
七、勝った相手をすぐ敵視せず、その勝ち方も学ぶ。
八、一回の勝敗より、次に生まれる場を重んじる。
九、悔しさは記録に変える。
十、場ごと持ち帰る者が、後に残る。
赤染衛門が最後まで書き、静かに頷きました。
「場ごと持ち帰る者が、後に残る」
「よいでしょう」
「はい。たいへん藤壺らしゅうございます」
勝敗は大事です。勝敗の欄だけを見ると、悔しい。
藤壺はまだ弱い。歌の場では、定子方の華やかさと機知に及ばない部分がある。それは認めなければなりません。でも、勝敗だけが成果ではありません。
一首で勝って満足する人と、場ごと持ち帰る人。
どちらが後に残るかしら。
……少し毒が強いでしょうか。
でも、本音です。
歌で負けたなら、歌を磨く。それは当然。同時に、その場にいた人を読む。誰が反応したか。誰が支援者になるか。誰が次の才能か。誰が藤壺の強みを必要としているか。
定子方は、今日の歌合で勝ちました。その勝ちは美しい。認めます。
でも、藤壺は今日の場から、次の四つの会と、三人の支援候補と、一人の若い読者を持ち帰りました。
さて。後に残るのは、どちらでしょう。
答えは、次の歌会で分かるかもしれません。
〜 出典 〜
『十訓抄』大江山/歌合
和泉式部、保昌が妻にて丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるに、小式部内侍、歌よみにとられてよみけるを、定頼の中納言、たはぶれに小式部内侍に「丹後へつかはしける人は参りにたりや。」と言ひ入れて、局の前を過ぎられけるを…
〜 舞台背景 〜
上記の内容は歌合(人々が「左方」と「右方」の二つのグループに分かれ(組分け)、左右から一首ずつ歌を出し合って対戦し(番)、「判者」と呼ばれる審査員が、勝敗を判定。)の際に、小式部内侍が「母・和泉式部に代作してもらっているのでは」とからかわれたという超テスト頻出の話です。
いや…揶揄われたってニュアンス上記箇所の何処に書いてあるねんw こんなの背景とストーリー知ってなきゃ解けんわ!
…という事で是非評価&ブックマークしてお勉強の一助にご活用下さいw




