二十六 贈答品の格付けチェック
定子方から微妙に格下の贈り物が届く。表向きは丁寧だが、品選びで彰子を軽んじる意図が見え見え。彰子は怒らず、贈答品の意味・相手・時期・返礼価値を一覧化し、完璧な返礼を送る。しかも返礼は相手の品位を引き上げるような内容で、受け取った側は文句を言えない。下げられた格を、自ら上げて返す高度な倍返し。
贈り物は、怖い。
これは、前世でも今世でも同じです。贈り物とは、ただ物を渡す行為ではありません。
相手をどう見ているか。自分をどう見せたいか。どの程度の関係を望んでいるか。どのくらいの格として扱っているか。それらが、品物ひとつに全部乗ります。
前世で言えば、取引先への手土産です。高すぎると重い。安すぎると失礼。相手の好みに合わないと気が利かない。包装が派手すぎると下品。逆に地味すぎると軽視に見える。
そして、もっと面倒なのは。表向きは丁寧なのに、実は相手を下げる贈り物が存在することです。たとえば、立派な箱に入っているけれど、中身は微妙。季節には合っているけれど、相手の立場には合っていない。「あなたにはこれくらいで十分でしょう」という無言の評価が滲んでいる。
これが厄介です。怒れば、こちらが狭量に見える。受け流せば、格下扱いを認めたように見える。豪華すぎる返礼をすれば、必死に見える。
つまり贈答は、戦です。ただし、刀ではなく、紙と香と品物で斬り合う戦です。
平安宮中、怖い。
その贈り物が藤壺に届いたのは、朝の支度がひと段落した頃でした。
春枝が紙箱を整え、有子が昨日の記録を写し、小少将が衣の色を見直し、澄子が香の強さを調整し、常盤が外の噂を持ち帰る時間帯です。赤染衛門が文を受け取り、少しだけ眉を動かしました。
その動きで、私は分かりました。何かあります。
「どこから?」
「登華殿に近い御方より」
「定子方ね」
「はい」
赤染衛門は文と品を静かに私の前へ置きました。包みは美しい。淡い薄紅の紙に、控えめな香。結びも丁寧です。文の筆跡も整っている。表面だけ見れば、何も失礼はありません。むしろ上品です。
しかし、開けてみると。中身は、薄い色の組紐と、小さな香包みでした。悪くありません。悪くはない。けれど。微妙です。
本当に微妙。
組紐は美しいですが、素材が少し軽い。香も悪くないけれど、特別な調合ではない。季節には合っていますが、中宮へ贈る品としては格が少し低い。
つまり、こう言っているのです。
――親しみを込めて、気軽な品をお送りします。
――藤壺様には、こうした軽やかなものがお似合いでしょう。
――あまり重い品では、かえってお気遣いでしょうから。
翻訳すると。
――あなたには、この程度で十分。
です。
春枝が品を見て、首を傾げました。
「綺麗ではございますね」
「綺麗ね」
小少将が少し眉を寄せます。
「ただ、中宮様へとなると……少し軽うございます」
さすが装束役です。品の格に敏い。有子が文を読み、静かに言いました。
「文面は丁寧です。ですが、言葉の端々に『若き御方へ』という響きがございます」
菅原の君が、物語係らしく目を細めました。
「物語なら、これは贈り物の形をした人物評価ですね」
「その通り」
常盤は、すでに怒っています。
「姫様。これは喧嘩でございます」
「喧嘩ね」
「返しましょう」
「どうやって?」
「もっと高いものを送りつけて、格の違いを」
「それは駄目」
私は即答しました。常盤が不満そうにします。
「なぜでございますか」
「高価な品で殴り返すと、こちらが怒ったと分かる」
「怒ってよろしいのでは」
「怒るのは簡単。でも、怒った側に見えたら負ける」
赤染衛門が頷きました。
「相手は、こちらが過剰な返礼をするのを待っている可能性もございますね」
「ええ」
もしこちらが豪華な返礼を送れば、相手はこう言えます。
――まあ、藤壺の姫様はお気を悪くされたのでしょうか。
――こちらは親しみを込めた軽い品のつもりでしたのに。
――ずいぶん重く返されましたこと。
腹が立つ。非常に腹が立ちます。でも、だからこそ乗ってはいけません。
「では、どうなさいますか」
赤染衛門が尋ねました。私は贈り物を見つめました。組紐。香。薄紅の紙。若さを匂わせる文。下げられた格。
ならば、こちらはその格を自分で上げて返します。
「贈答品の意味を分解します」
赤染衛門が、小さく息を吐きました。
「やはり、表でございますね」
「表です」
藤壺では、すぐに贈答品の格付け確認が始まりました。題して、贈答品見立て表。
赤染衛門は、もう何も言いません。
春枝が紙を出し、有子が項目を書き、小少将が品位の見方を加え、澄子が受け取った時の場の空気を記録し、常盤が贈り主周辺の噂を添えます。伊予の君は、品物の産地や流通の観点で見ます。菅原の君は、贈答の物語的意味を読みます。総力戦です。
赤染衛門が、品を前にして言いました。
「まず、表向きの意図は、若き姫様への親しみと季節の慰め」
「実際は?」
常盤が即答しました。
「若さを軽さに結びつけ、藤壺の格を少し下げております」
言い方が容赦ない。でも、その通りです。小少将は組紐を手に取りました。
「組みは丁寧ですが、中宮様へ贈るには素材が控えめです。親しい女房同士なら美しい品ですが、御殿同士のやり取りとしては軽いかと思います」
春枝が包み紙を見ます。
「紙は悪くありません。ただ、保存するほどの紙ではございません。使い捨ての美しさです」
有子が文を読みます。
「『若草の御袖に添へて』という言葉があります。若さを褒めているようで、未熟さを匂わせています」
菅原の君が言いました。
「物語なら、幼い姫君に可愛らしい小物を渡す場面です。つまり、相手は姫様を『導かれる若い存在』として置きたいのでしょう」
「なるほど」
非常に腹が立ちます。でも、分析は正確です。伊予の君は香を確認しました。
「香は軽く、悪くはありませんが、長く残りませぬ。大切な贈答というより、その場の愛想の品に近いかと」
澄子が静かに言いました。
「受け取った時、相手が求めている反応は二つかと。喜べば軽く扱える。怒れば狭量に見える」
「その通り」
私は頷きました。
「では、返礼で避けるべきことは?」
赤染衛門が書きます。
「一、過剰に豪華な返礼。怒りが見えるため」
小少将が続けます。
「二、同じ程度の軽い返礼。格下扱いを受け入れたように見えるため」
有子が言います。
「三、皮肉が露骨な文。品位を落とすため」
常盤が渋々言います。
「四、無視。相手に『返礼もできない』と言われるため」
「よろしい」
私は品を見ました。
「では、示すべきことは?」
少し沈黙がありました。菅原の君が言いました。
「姫様は軽んじられる存在ではないこと」
春枝が続けます。
「けれど、相手を恥じさせすぎないこと」
赤染衛門が静かに言いました。
「こちらの格を保ちつつ、相手の品位も引き上げること」
私は頷きました。
「そう」
これが今回の答えです。相手がこちらを下げてきたなら、こちらは相手ごと上げて返す。相手の低い球を、高い場面に変える。それが、最も逃げ道のない返礼です。返礼の品を選ぶため、藤壺はまた少し騒がしくなりました。
まず候補に上がったのは、上質な紙。春枝が目を輝かせて出してきます。
「こちらはいかがでしょう。白すぎず、香もよく移ります」
私は首を振りました。
「よいけれど、紙だけでは少し実務寄りね」
「では、薄様を重ねて」
「相手を紙で圧倒する形になる」
春枝は少し残念そうです。次に小少将が、布を提案しました。
「組紐に対して、少し格の高い織物を返すのは」
「悪くない。でも高すぎると喧嘩になる」
「では、小さな袋物に仕立てては」
「それはよい」
伊予の君が産地の話を添えます。
「地方から届いた、質のよい糸がございます。都ではまだあまり知られておりませぬが、手触りが柔らかく、色も落ち着いております」
小少将が手に取り、目を細めました。
「派手ではありませんが、品があります」
「いいわね」
香はどうするか。強い香で返すと、格を押しつけることになります。でも、相手の軽い香に軽い香で返すと、同格になってしまう。
そこで澄子が提案しました。
「香そのものを返すより、相手の香を受け止める品がよいのでは」
「どういうこと?」
「たとえば、香を入れる小さな袋。相手の贈ってきた香を、より大切に扱う形にできます」
私は思わず頷きました。
「それだわ」
相手は軽い香を贈ってきた。こちらは、その香を軽いまま返さない。その香を収める、美しい袋を返す。つまり、
――あなたの贈り物を、こちらは粗末に扱いません。
――むしろ、品よく用いる場を整えました。
――あなたもこの程度の香を送る方ではなく、それを美しく扱える方であってください。
という意味になります。相手の品位を引き上げる返礼です。文も大事です。ここで皮肉が出すぎると台無しです。私は有子に下書きを取らせました。
『賜りし御香、若草の露に添ふ心地して、いと軽やかに候ひし。かかる香は、風にまぎらはせず、袖の内に静かに留めたく、ささやかなる袋を添へ奉る。御心の細やかさ、いよいよ香に残り候はむ』
赤染衛門が読み、少し考えました。
「悪くはございませんが、『軽やか』が少し刺さります」
「刺さる?」
「相手の軽さを拾いすぎております」
「では変えましょう」
小少将が言いました。
「『淡く清らか』ではいかがでしょう」
「いいわね」
有子が直します。
『賜りし御香、若草の露に添ふ心地して、いと淡く清らかに候ひし。かかる香は、風にまぎらはせず、袖の内に静かに留めたく、ささやかなる袋を添へ奉る。御心の細やかさ、いよいよ香に残り候はむ』
うん。
よい。
相手の香を褒めている。軽いとは言わず、淡く清らかと言い換えている。その香を大切に留めるための袋を返す。つまり、相手の贈り物をより高い扱いにして返す。
完璧です。
赤染衛門も頷きました。
「これなら、相手は文句を言えませぬ」
「でしょう」
「しかも、こちらが上に立っております」
「そう?」
「はい。相手の贈り物を、姫様が品よく整えて差し上げている形にございます」
女房たちが、静かに震えました。常盤が小さく呟きます。
「喧嘩を売られて、相手の顔まで立てた……」
「怖いです」
春枝が続けました。
「姫様、これは怒るより怖うございます」
「怒ってないわ」
「それが怖うございます」
ひどい。でも、たぶんその通りです。
返礼の品は、丁寧に整えられました。伊予の君が選んだ糸を使い、小少将が色合わせを見ます。淡い浅葱に、ほんの少し銀糸を入れる。派手ではない。でも光を受けると、品よく浮かぶ。春枝は包み紙を選びました。
「白すぎず、薄すぎず。香袋を引き立てる紙にいたします」
有子が文を清書します。筆跡は柔らかく、しかし格を落とさない。澄子が香の強さを確認しました。
「こちらから香を足しすぎると、相手の香を上書きしてしまいます。袋にはほんの少しだけ」
「そうね。相手の香を活かす形で」
常盤は、贈り先の周囲にどう伝わるかを確認します。
「この返礼は、相手が隠しても、いずれ噂になります。『藤壺は、軽い香に香袋を返した』と」
「どう解釈される?」
「分かる者には分かります。『軽い贈り物を、藤壺が格上げして返した』と」
「分からない者には?」
「ただ上品な返礼に見えます」
「それでいい」
刺すなら、分かる人にだけ刺さればいい。外から見れば上品。内側では明確な返答。これが理想です。
返礼を送った翌日。常盤が、嬉しそうに報告へ来ました。
「姫様」
「何?」
「返礼を受け取った御方、たいそう言葉に詰まっておられたとか」
「誰から聞いたの」
「廊で」
「廊は万能ね」
「はい」
常盤は続けました。
「文句は言えぬようです。品は上品で、文も丁寧。しかも先方の香を褒めておりますので」
「よかった」
「ただ、周囲の女房たちは気づいているようです」
「何に?」
「先方が軽い香を贈ったことも、藤壺がそれを美しく収める品を返したことも」
赤染衛門が静かに言いました。
「つまり、先方は自分の軽さを、藤壺に整えられた形ですね」
「言い方」
私が言うと、赤染衛門は微笑みました。
「姫様のお考えを、分かりやすく申しました」
「分かりやすすぎるわ」
春枝は、まだ少し震えています。
「姫様。私、贈り物が怖くなりました」
「怖いわよ」
「ただ綺麗なものを贈るだけではないのですね」
「ええ」
私は頷きました。
「贈り物には、相手を見る目が出ます」
小少将が言いました。
「品物の格、季節、色、素材、文、香。全部が言葉なのですね」
「そう」
有子が筆を置きます。
「そして返礼は、その言葉への返歌のようなもの」
「まさに」
贈答は、物による会話です。受け取った品に込められた意味を読み、その意味へ返す。ただ高価にすればよいわけではない。ただ美しければよいわけでもない。相手の意図を読み、こちらの立場を示し、関係を調整する。
高度です。たいへん高度。だからこそ、記録と基準が必要です。
その日の夕方、少納言の君から文が届きました。短い文です。
『淡き香に袋を添へらるるとは、藤壺の御方は、風まで折り目正しくなさるのですね』
私は笑いました。やはり気づいています。風まで折り目正しく。
うまい。
つまり、
――軽い香を、あなたはきちんと包んで格上げしたのですね。
ということです。私は返事を書きました。
『風は止められませぬが、袖に留むる道はあり候ふ』
風は止められないが、袖に留める方法はある。少納言の君には通じるでしょう。赤染衛門が読んで、静かに頷きました。
「よろしゅうございます」
「刺さる?」
「少し」
「少しならいい」
「清少納言様がご覧になれば、笑われるでしょう」
「怒る?」
「半分は」
また半分。もはや定番です。
その夜、藤壺では贈答についての心得をまとめることになりました。題は、贈答を受け返す覚
赤染衛門が筆を取り、私は項目を挙げていきます。
一、贈り物は物ではなく、関係の言葉である。
二、表向きの礼と、実際の意図を分けて見る。
三、品の格、素材、季節、香、紙、文面を確認する。
四、軽んじられた時ほど、怒りで返さない。
五、高価な返礼は、必ずしも勝ちではない。
六、同格で返すか、格を上げるか、距離を置くかを判断する。
七、返礼は、こちらの品位を示すだけでなく、相手の品位も整えることができる。
八、相手を公に恥じさせすぎる返礼は、後の争いを増やす。
九、分かる者には意味が分かり、分からない者には上品に見える返礼を最上とする。
十、下げられた格は、自ら上げて返す。
赤染衛門が最後の一文を書き終え、少し笑いました。
「下げられた格は、自ら上げて返す」
「よいでしょう」
「はい。たいへん藤壺らしゅうございます」
常盤がぼそりと言いました。
「倍返しですね」
私は手に持っていた扇を落としそうになりました。
「常盤」
「はい」
「どこでその言葉を」
「姫様が以前、小さく」
「忘れて」
「忘れられませぬ」
またです。私の前世語が、常盤に拾われすぎています。赤染衛門がこちらを見ました。
「姫様。倍返しとは」
「忘れて」
「気になります」
「忘れて」
常盤は少し不満そうでした。
「今回など、まさに高度な倍返しにございますのに」
「言わない」
でも、内心では少しだけ思っています。確かに、倍返しです。ただし、高価な品で殴る倍返しではありません。相手の低い意図を、上品な形で包み直して返す倍返し。
相手は怒れない。文句も言えない。でも、分かる人には分かる。これが一番強い。
数日後、贈り主本人が藤壺へ挨拶に来ました。表向きは、返礼への御礼です。彼女は丁寧に頭を下げました。
「このたびは、結構なお返しを賜りまして」
「こちらこそ、清らかな香をありがとう」
私は微笑みました。
「淡く、春の残りのようで、たいそうよい香でした」
相手の顔が、少しだけ固まりました。
淡く。
つまり軽い。でも、清らか。責めてはいません。逃げ道はあります。
「添えてくださった袋も、いと美しく……私の香には過ぎたるものかと」
彼女はそう言いました。
よし。
自分で言いました。私の香には過ぎたるもの。つまり、自分の贈り物が少し軽かったと認めた形です。
私は静かに首を振りました。
「香は、収めるものによって残り方が変わります。よい香でしたので、長く残していただきたく」
相手は、黙りました。怒れないでしょう。こちらは褒めています。ただし、品位を上げています。彼女は、やがて深く頭を下げました。
「姫様の御心遣い、学ばせていただきました」
「こちらこそ」
会話はそこで終わりました。短い。でも十分です。彼女が去った後、女房たちはしばらく無言でした。春枝が小さく言いました。
「姫様……今、相手の方が、自分から香が袋に及ばぬと」
「言ったわね」
常盤が震えた声で言いました。
「喧嘩を売られて、相手の顔を立て、最後に相手自身に格の差を言わせた……」
「言い方」
「怖いです」
菅原の君が、物語係らしく呟きました。
「これは物語なら、刀を抜かずに相手の膝をつかせる場面です」
「膝はついていないわ」
「心が」
「やめて」
私は少し疲れました。贈答戦は、精神力を使います。怒って怒鳴る方が、たぶん簡単です。でも、それでは宮中では勝てない。品位を保ちつつ、意味を返す。
ただし、忘れてはいけません。いつも相手の顔を立てればよいわけではありません。 相手が本当に悪意を重ねるなら、線を引く必要があります。
今回、相手は一度下げてきただけです。だから引き上げて返した。もし二度、三度と同じことをするなら、その時は別です。
贈答品見立て表には、赤染衛門が後で項目を一つ足しました。
同じ軽視が繰り返される場合、返礼ではなく距離を置く。
さすがです。品位とは、何でも許すことではありません。
丁寧に線を引くことです。
〜 出典 〜
『源氏物語』贈答文化
みちのくに紙の厚肥えたるに、匂ひばかりは深らしめたまへり。いとよう書きおほせたり。歌も、からころも君が心のつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ…
〜 舞台背景 〜
『源氏物語』末摘花の巻から、姫君から和歌と衣箱が届けられるシーンですが、ググると解説ブログが大量に出てくるので、界隈では有名な話のようです。私は知りませんでしたけどw
とあるブログでは、このシーンの文法的な難易度も「簡単/特に問題無し」とされてたので試しに読んで見ても面白いかもです。




