二十三 「田舎者」呼ばわりされたので、地方ネットワークを作る
地方出身の女房が、都育ちの女房から「田舎びている」と馬鹿にされる。彰子は彼女から地方の産物・風習・噂の流れを聞き取り、地方情報網を整備する。米・紙・染料・薬草など、都が地方に依存している現実を示し、「都だけで完結する文化などありません」と言う。田舎マウントを経済地理で返され、都女房たちは沈黙。地方出身者が彰子方の強みになる。
都は、勘違いしやすい場所です。
人が多い。物が集まる。情報が集まる。流行が生まれる。噂が速い。権力も、金も、歌も、恋も、だいたい都を中心に回っているように見えます。だから、都にいる人は思ってしまうのです。
――ここが世界の中心だ、と。
前世でもありました。東京にいれば、何でもある。最新の店も、流行の服も、話題の展覧会も、大企業の本社も、テレビ局も、出版社もある。
地方から来た人の言葉を聞いて、少し笑う人がいます。地元の話を「へえ、そんなところにもあるんだ」と上から言う人がいます。方言を真似して、親しげなつもりで傷つける人もいました。
でも、その都会の暮らしが、どこに支えられているかを忘れてはいけません。米。魚。木材。紙。染料。薬草。塩。布。人。地方から集まるものがあって、初めて都は都でいられます。
それなのに、都の人間は時々、地方を下に見ます。実に、愚かです。
そして平安の都も、例外ではありません。むしろ、もっと露骨です。都びている。田舎びている。言葉が荒い。衣の趣味が古い。作法が少し違う。歌の引用が都風ではない。
それだけで笑われます。都は、他人の違いを笑うのが上手い場所です。
でも、藤壺では、その笑いをそのまま通すつもりはありません。
その日、泣きそうな顔で藤壺の端に座っていたのは、伊予の君でした。伊予国に縁のある女房です。
父は地方官として任地を巡り、彼女自身も幼いころ都を離れて過ごした時期があると聞いていました。
年は若く、素朴なところがあります。歌はまだ洗練されていない。衣合わせも都の流行から少し遅れる。言葉の端に、時々、都の女房たちとは違う響きが混じります。
けれど、目はよく動く。物を見る時、都育ちの女房とは違うところを見る人です。たとえば米の炊き上がりを見て、
「今年の西の方は雨が多かったのでしょうか」
と言ったり。紙の質を見て、
「これは水のよい土地で漉いたものでは」
と言ったり。薬草の香りを嗅いで、
「山の陰で採れたものに似ております」
と言ったり。私は前から気になっていました。この子は、都の外を知っている。それは大きな価値です。しかし、その価値を、周囲はまだ分かっていませんでした。
「姫様……」
伊予の君は、袖を握りしめていました。赤染衛門が静かにそばへ座っています。
「どうしたの」
私が尋ねると、彼女は唇を噛みました。
「私、やはり都には合わぬのでしょうか」
来ました。
またです。
菅原の君が「物語好き」を笑われた時と、似ています。好きなものではなく、自分の背景を笑われた時の顔です。
「誰かに何か言われた?」
伊予の君は、しばらく黙りました。すると常盤が、横から低く言いました。
「姫様。廊で聞きました」
「言って」
「都育ちの女房たちが、伊予の君を『田舎びている』と。『藤壺では紙箱だけでなく、田舎の土まで集めるのかしら』と」
部屋の空気が冷えました。春枝が、紙箱の前でむっとします。小少将は袖を静かに握りました。菅原の君は、明らかに怒っています。有子の筆が止まりました。赤染衛門は、ゆっくり息を吐きます。
「それは、ひどい言葉にございます」
「はい」
伊予の君は、うつむいたまま言いました。
「私が都のことに疎いのは本当でございます。衣の合わせも、歌の返しも、皆様のようにはできませぬ。ですから……」
「だから笑ってよいことにはならない」
私は言いました。伊予の君が顔を上げます。
「姫様」
「それに、あなたが知っていることを、都育ちの女房たちは知らない」
「私が……?」
「ええ」
私は扇を置きました。
「伊予の君。あなたが知っている地方の話を、聞かせて」
伊予の君は、戸惑いました。
「地方の話、でございますか」
「産物。風習。道。船。紙。米。染料。薬草。噂の流れ。何でもいい」
赤染衛門が、また少しだけ遠い目をしました。
「姫様」
「何?」
「また聞き取りが始まるのですね」
「ええ」
「田舎者呼ばわりへの返答が、聞き取りでございますか」
「もちろん」
笑いを、情報に変える。藤壺のいつものやり方です。まず、伊予の君には、自分が知っている土地のことを話してもらいました。春枝が紙を用意し、有子が記録します。伊予の君は最初、遠慮がちでした。
「このようなこと、御前で申し上げてもよいのでしょうか」
「もちろん」
「都の方には、つまらぬ話かと」
「つまるかどうかは、聞いてから決めます」
そう言うと、彼女は少しずつ話し始めました。
「伊予の方では、紙に向く水の流れがございます。都で好まれる白さとは違いますが、丈夫で、湿気に強いものも」
春枝の目が輝きました。
「湿気に強い紙?」
「はい。海に近い土地では湿り気が多うございますので、使い方が違います」
「詳しく聞かせてくださいませ」
春枝が前のめりです。紙の話になると強い。伊予の君は少し驚きながらも続けます。
「米は、土地によって粒の感じが違います。山に近いところでは、水の冷たさで育ちが遅れることもございますが、味はしっかりすると聞きます」
少将の乳母が頷きました。
「粥に向く米も、土地で違いましょうね」
「はい。病の方には、柔らかく煮やすい米がよいと」
薬草の話も出ました。
「山の陰に生える草で、熱を冷ますとされるものがございます。都では名を違えて呼ぶかもしれませぬ」
赤染衛門が、すぐに記録を確認します。
「薬草は、名が違うと混乱します。形や採れる時期も記しましょう」
「はい」
染料の話では、小少将が興味を示しました。
「地方では、都で流行していない色もございますか」
「ございます。都では野暮と言われるかもしれませぬが、海近くでは光が強く、少し濃い色の方が映えることも」
「光で色が変わる……」
小少将は考え込みました。
「それは面白いです。都の御殿の薄暗さだけで色を決めるのではなく、土地の光も考えるべきなのですね」
よい。都の美意識が絶対ではないと気づき始めています。さらに伊予の君は、地方で噂がどう流れるかも話しました。
「都の噂は早うございますが、地方では道や船に乗って少し遅れて届きます。その代わり、一度広がると長く残ります」
常盤が反応しました。
「遅いが長く残る」
「はい。旅の者、商人、僧、国司の供の者、船頭。そうした人々が話を運びます」
「なるほど」
常盤の目が完全に情報担当のものになっています。
「どの道を通る噂が早いか、分かりますか」
「ある程度は」
「後で詳しく」
「はい……」
伊予の君は、少し戸惑いながらも、初めて自分の知識が求められていることを感じているようでした。聞き取りが終わる頃には、紙が何枚も埋まっていました。赤染衛門が、それを見て静かに言いました。
「姫様。これは、かなり有用にございます」
「でしょう」
「地方の産物、流通、噂の経路。都の女房が知りにくいことばかりです」
伊予の君は、信じられないという顔をしました。
「私の話が、有用……」
「とても」
私は答えました。
「都だけを見ていては、分からないことです」
春枝も頷きました。
「湿気に強い紙のお話、ぜひ詳しく知りとうございます」
小少将も言います。
「土地の光と色の話は、装束の見方にも関わります」
常盤は、にやりとしました。
「噂の道は、たいへん重要です」
「常盤、悪用しない」
「心得ております」
少し怪しい。でも、役には立ちます。私は伊予の君に言いました。
「あなたには、地方聞き取り係をお願いしたい」
伊予の君は目を丸くしました。
「私が、係に?」
「ええ。地方に縁のある女房、商人から話を聞く者、任地から戻った家の者。そうした人から、産物、天候、道、価格、噂を聞き取る」
「価格……?」
「米や紙、染料、薬草が足りるかどうか。都に入るものが滞っていないか。値が上がりそうか」
赤染衛門が、少し目を細めました。
「姫様、それは御殿の運営にも関わりますね」
「そう」
藤壺では紙を使う。香を使う。衣を整える。薬も必要。米も当然必要。それらは、都の中で突然湧くわけではありません。どこかの土地で作られ、運ばれ、都へ届く。その流れを知ることは、御殿の安定につながります。
「地方のことを知る女房は、藤壺の強みになります」
私は言いました。伊予の君の目に、じわりと涙が浮かびました。
「私、田舎びていると……」
「田舎を知っている、ということです」
「それは、恥ではないのですか」
「恥ではありません」
私ははっきり言いました。
「都だけで完結する文化などありません」
部屋が静まりました。
「都の歌も、地方から来る紙に書かれます。都の衣も、地方の糸や染料に支えられます。都の宴も、地方の米や魚や塩がなければ開けません」
伊予の君だけでなく、他の女房たちも真剣に聞いています。
「都は美しい。けれど、都だけで生きているわけではない」
私は続けました。
「それを忘れて地方を笑うのは、自分の足元を笑うことです」
赤染衛門が、静かに頷きました。
「足元を笑う……」
「ええ。都の美は、地方の土の上に立っています」
数日後、問題の都育ちの女房たちが藤壺へやって来ました。表向きは、ただの訪問。もちろん前回の言葉への謝罪ではありません。
けれど常盤によれば、彼女たちは伊予の君が藤壺で新しい役目を得たと聞き、様子を見に来たらしい。つまり、また偵察です。⋯宮中は偵察が多すぎます。
その中に、伊予の君を「田舎びている」と笑った女房もいました。名は、近江の内侍。都育ちで、流行に敏く、言葉も軽い。
悪人というほどではありません。ただ、都の基準だけで人を測る癖があります。彼女は、伊予の君を見ると少しだけ笑いました。
「まあ、伊予の君。近頃は藤壺にて、たいそう重んじられているとか」
伊予の君は緊張しています。私は先に口を開きました。
「ええ。伊予の君には、地方の産物や道の話を聞いています」
「地方の……」
近江の内侍は、少し困ったように笑いました。
「姫様は、また珍しきことを。都の御殿に、田舎の話を?」
来ました。
わざとです。
私は微笑みました。
「田舎の話ではなく、都を支える話です」
近江の内侍の笑みが止まりました。
「都を?」
「ええ。近江の内侍、あなたの今日の紙は、どこで漉かれたものか知っていますか」
「紙、でございますか」
「その衣の染料は?」
「それは……」
「今朝食べた米は?」
近江の内侍は黙りました。周囲の女房たちも、少しざわつきます。
「都にいると、物は初めから都にあるように見えます。でも違います。誰かが地方で作り、運び、売り、整えて、ようやく私たちの手に届きます」
私は続けました。
「都の女房が歌を書く紙も、宴で焚く香も、衣を染める色も、病の時に飲む薬も、地方なしには成り立ちません」
近江の内侍は、扇を握りしめています。
「もちろん、都の作法や洗練は大切です」
私は言いました。
「けれど、それだけで文化ができるわけではありません。文化は、土と水と道と人の手でできています」
伊予の君が、静かに私を見ていました。
「ですから、藤壺では地方を知る人を重んじます」
私は近江の内侍へ視線を戻しました。
「田舎びていると笑うより、その土地から都へ何が来ているかを知る方が、ずっと役に立ちます」
部屋が静まりました。これは、田舎マウントへの返答です。相手が都の洗練を振りかざすなら、こちらは経済地理で返す。前世語ですが、まさにそれです。
近江の内侍は、しばらく黙っていました。そして、少しだけ頭を下げました。
「姫様の仰せ、確かに。考えが浅うございました」
完全に心からかどうかは分かりません。でも、場の空気は変わりました。少なくとも、ここ藤壺で伊予の君を笑うことはできなくなりました。
その後、伊予の君は地方聞き取り係として働き始めました。最初は小さな情報からです。
西国から来た紙の湿気への強さ。北の方の米の出来。ある山地で採れる薬草の時期。海沿いで作られる塩の質。染料に使う草木の流行。旅の僧が持ってくる地方の噂。国司の家から届く都への不満。
常盤と協力して、噂の経路を地図のように整理します。もちろん、本物の地図はまだ粗い。でも、「どこから来た情報か」「何日かかったか」「誰を通ったか」を記録するだけで、ずいぶん見え方が変わります。
「姫様」
常盤がある日、報告しました。
「東国からの噂は遅いですが、武の家に関わる話は意外と早く届きます」
「なぜ?」
「馬を使う者が多いからかと。伊予の君の話では、道によって噂の速さが違うそうです」
「なるほど」
伊予の君も続けます。
「船で来る話は、天候に左右されます。ただし、港に着くと一気に広がります」
「港は情報の溜まり場ね」
「はい」
藤壺の情報網が、都の廊だけではなく、地方へ伸び始めています。これは大きい。深入りしすぎるのは危険ですが、まずは御殿運営と女房たちの知識として使います。
やがて、藤壺には地方出身や地方に縁のある女房たちが、少しずつ集まるようになりました。自分の土地の話をしても笑われない。それどころか聞き取られ、記録され、役に立つ。その評判が広がったのでしょう。
「姫様、私の母方は越前に縁がございます」
「筑紫の方の紙を見たことが」
「陸奥より来た馬の話なら」
「讃岐では、風の強い日に染め物を干す時に……」
さまざまな話が集まります。都育ちの女房たちも、最初は戸惑っていました。でも、地方の情報が実際に役に立つことが分かると、少しずつ態度が変わりました。
ある日、近江の内侍が伊予の君へ尋ねているのを見ました。
「伊予の君。この紙、湿気に強いものかしら」
伊予の君は、少し驚きながらも答えます。
「触った感じでは、強そうにございます。ただ、端の繊維が少し粗いので、細かな歌より控え向きかと」
「なるほど。ありがとう」
ありがとう。その一言に、伊予の君は一瞬泣きそうな顔になりました。私は見ないふりをしました。こういう時、見すぎると本人が照れます。
夜、私は赤染衛門と新しい心得をまとめました。題は、地方を聞く心得。内容はこうです。
一、都の作法を尊びつつ、都だけを世界と思わない。
二、地方出身を笑ってはならない。
三、地方の産物、道、天候、風習、噂は御殿を支える情報である。
四、米、紙、染料、薬草、塩、布など、都が何に依存しているかを見る。
五、地方の言葉や作法の違いは、無知ではなく背景として扱う。
六、情報は、どの土地から、誰を通り、何日かかって届いたかを記録する。
七、地方を知る者に役割を与え、その知識を都の雅に接続する。
八、都の美は、地方の土の上に立つ。
赤染衛門が最後の一文を書き終え、静かに頷きました。
「姫様。これは、よい心得にございます」
「ありがとう」
「ただ、また御殿の仕事が増えましたね」
「増えたわね」
「紙箱も増えますね」
「春枝が喜ぶわ」
「ほどほどにいたしましょう」
その通りです。
情報は集めすぎると管理できません。地方情報網も、やりすぎれば御殿の手に余る。まずは、藤壺に関わる物資と人、噂の流れに絞る。それを赤染衛門と確認しました。
石の中宮の御殿には、今日また新しい道が伸びました。都の廊だけではない。山へ、海へ、港へ、田へ、紙漉きの水辺へ、染料の草地へ。
細く、遠く、しかし確かにつながる道。その道を知る伊予の君は、もう「田舎びた女房」ではありません。藤壺の地方聞き取り係です。都の外を知る目。そして、都の雅を足元から支える人。
庭の梅は、都の土だけで咲くわけではありません。
遠くから来た水と、人の手と、見えない道に支えられて咲くのです。
〜 出典 〜
『土佐日記』旅と地方感覚
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平四年〈じょうへい よねん〉)の師走の二十日あまり一日の、戌の時に門出す…
〜 舞台背景 〜
『土佐日記』(とさにっき、「とさのにき」とも)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。日本文学史上、おそらく初めての日記文学である。紀行文に近い要素をもっており、その後の仮名による表現、特に女流文学の発達に大きな影響を与えている。『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』などの作品にも影響を及ぼした可能性は高い。57首の和歌を含む内容は様々だが、中心となるのは土佐国で亡くなった愛娘を思う心情、そして行程の遅れによる帰京をはやる思いである。諧謔表現(ジョーク、駄洒落などといったユーモア)を多く用いていることも特筆される。出典:wikipedia




