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転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜  作者: 条文小説


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2/8

一 石の中宮と呼ばれた日

挿絵(By みてみん)


 彰子が一条天皇のもとへ入内するが、宮中の空気はすでに定子サロン中心で固まっている。清少納言をはじめとする女房たちは、定子の機知と華やかさを盾に、無口な彰子を「石の中宮」と陰で笑う。転生者である彰子は、泣くでも怒るでもなく、まず現状分析を開始する。

 入内から、数日が過ぎた頃。あてがわれた藤壺ふじつぼ飛香舎ひぎょうしゃ)は、恐ろしいほどに冷え切っていました。


 原因は分かっています。帝の足が遠い。主である私が何者でもないから、この場に仕える女房たちもまた、暗い顔で沈黙するしかない。そんなある日。


「――石よね」


 御簾の向こうから、鈴を転がすような声が聞こえました。いえ、聞こえたというより、聞こえるように言われた、という方が正しいでしょう。


 ぴたり、と藤壺の空気が止まります。ええ、確かに、直接名指しはしていません。けれど、そこにいる誰もが「誰のことを言っているのか」を理解できる絶妙な音量と間合いです。


「石?」


「ええ。あちらの新しい女御様。お若くていらっしゃるのは結構ですけれど、まあ、何を申し上げても、ほとんどお返事もなくて」


「あら。奥ゆかしいのではなくて?」


「奥ゆかしい…ねえ。ものは言いようですこと」


 くすくす、と笑いが漏れます。薄い絹を隔てた向こう側。華やかな衣擦れ。香の匂い。扇で口元を隠しながら、人の評判を削って楽しむ、みやびな刃物職人たち。


 登華殿――中宮・定子様に仕える女房たちです。美しく、機知に富み、宮中の中心にいる彼女たちの言葉は、鋭い刃となって十二歳の小さな身体を貫きます。


 そして、笑われているのは、もちろん私。


 藤原彰子。左大臣・藤原道長の娘にして、つい先日、一条天皇のもとへ入内したばかりの少女。年はまだ、幼いと言われても仕方のないほど。


 けれど、中身は違います。そう。私は転生者です。よりにもよって、平安時代の宮中に。しかも、藤原彰子に。……うん。設定が重い。


 普通なら、泣くところでしょう。よりによって、平安時代。医療は不安。夜は暗い。虫は多い。身分社会は理不尽。女の人生は家と男と政治に絡め取られる。


 でも、もっと問題なのはそこではありません。私が放り込まれたのは、ただの平安時代ではなく、女房文学最盛期の宮中なのです。


 宮中に君臨しているのは、中宮・藤原定子様。帝に深く愛され、華やかで、機知に富み、清少納言という最強インフルエンサーを擁する、完成されたサロンの女主人。


 対して私は、父・藤原道長の政治力で入内した、まだ何の実績もない若い姫。世間の目はこうです。


 ――定子様は美しく、聡明で、みやび


 ――彰子様は若いだけ。


 ――道長様の権力で押し込まれた、無口な姫。


 そして今日、ついに私は、非公式キャッチコピーを頂戴したわけです。


 石の中宮。


(…うわあ、ブランディング最悪)


 石。固い、冷たい。喋らない。面白くない。床に転がっていても誰も気づかない。


 でも、悪口としてはなかなかの完成度です。短く、覚えやすく、広がりやすい。現代なら、間違いなく社内チャットでスタンプ化されています。


 私は御簾の内側で、膝の上に置いた手をそっと握りました。泣く?怒る?言い返す?


 いいえ。


 それは悪手です。ここで泣けば、「お可哀想な姫」になる。怒れば、「やはり幼い」と言われる。言い返せば、清少納言を筆頭とする言葉の猛者たちの土俵に引きずり込まれる。


(…無理。即興和歌とみやびな毒舌で、あの界隈に勝てるわけがない)


 私は前世で学んでいます。得意分野で殴ってくる相手に、同じ武器で応じてはいけない。エクセル職人に関数勝負を挑むな。営業エースと雑談力で戦うな。社内政治の怪物に根回しなしで正論をぶつけるな。


 勝てる場所を選び。勝てない場所では戦わない。そして相手が勝ったと思っている土俵ごと、こちらの都合のよい形に作り替える。それが、社会人の生存戦略です。


「姫様……」


 そばに控えていた女房が、不安げに私を見ました。


 赤染衛門あかぞめえもん


 才気があり、気配りもでき、宮中の空気を読む力に長けた女房です。前世の感覚で言えば、現場を一番よく知っているベテラン主任。しかも、たぶん胃薬が必要なタイプ。彼女は御簾の向こうを気にしながら、小声で言いました。


「お耳に入ってしまいましたか」


「ええ」


「申し訳ございません。あの者たち、わざと……」


「聞こえるように言ったのでしょうね」


 私が淡々と答えると、赤染衛門はかえって傷ついた顔をしました。


「なんと失礼な。まだ御入内なされたばかりの姫様に……。言い返しましょう。あのような者ども、こちらの女房たちで――」


「やめなさい」


 私は静かに止めました。赤染衛門が息を呑みます。


「ですが、このままでは、姫様が本当に……」


「石だと思われる?」


「……はい」


 私は少しだけ笑いました。自分でも、驚くほど冷たい笑みでした。


「なら、ちょうどよいわ」


「ちょうど、よい?」


「石はね、衛門。すぐには動かないの。だから相手は油断する。蹴っても、罵っても、返事がないと思う。けれど――」


 私は御簾の向こう、笑い声のした方へ視線を向けました。


「石にも種類があります」


 ただの石ころ。墓石。礎石。宝石。そして、刃を研ぐ砥石。


「向こうが私を石と呼ぶなら、こちらはその呼び名を使えばいい」


「使う……?」


「ええ。悪口は、否定すると相手のものになる。受け取って、意味を変えれば、こちらのものになります」


 赤染衛門は、まったく理解できないという顔をしました。無理もありません。平安宮中に、ブランドリポジショニングなんて概念はありませんから。


 でも、現代社会ではよくあることです。「地味」を「堅実」に。「無口」を「思慮深い」に。「融通が利かない」を「信頼できる」に。「怖い」を「仕事が正確」に。言葉の価値は、文脈で変わります。


 だったら「石の中宮」も変えられます。泣いて黙る石ではなく、場を支える礎石。光を溜める宝石に。ま、最終的にはダイヤモンドカッターくらいにはなりたいわね。


 そんなことを考えていると、廊の方から慌ただしい足音が近づいてきました。女房の一人が、やや興奮した声で告げます。


「姫様! 左大臣様より、御文と御品が届いております!」


 来ました。父・藤原道長。この時代の権力モンスター。娘を帝の后にし、外戚として栄華の頂点を目指す男。そして、娘が馬鹿にされていると聞くや否や、物量で解決しようとするタイプの父。


 運ばれてきた品々を見て、私は思わず目を細めました。美しい唐櫃。目にも鮮やかな織物。珍しい菓子。香。薄様の紙。螺鈿の調度。


 豪華。とても豪華。現代価格に換算したら、たぶん考えたくない額です。添えられた文には、父らしい太い筆跡でこうありました。


『心細く思うことなかれ。足りぬものあらば、何なりと申せ。見劣りせぬよう、さらに調度を整えさせよう』


 私はしばらく、その文を見つめました。そして、心の中で深くため息をつきました。


(お父様。ズレてる)


 違うのです。問題は、調度の豪華さではありません。もちろん、物資は大事です。紙も香も衣も調度も、宮廷では強力な資源です。そこは感謝します。大いに感謝します。前世の私なら経費申請で三回は弾かれるような品々です。


 でも、今の私に必要なのは、単なる高級品ではありません。必要なのは、この御殿にいる女房たちが、自分たちの所属を誇れる理由です。定子様のサロンには、それがあります。


(これでは勝てない。いくら金を積んでも、ただの成金御殿になる)


 私は父からの贈り物を見回しました。薄様の紙。香。菓子。織物。調度。これらを、単なる見せびらかしに使えば負ける。でも、使い方を変えれば、武器になる。


 「紙」は「記録と文書管理」に。「香」は「記憶と空間演出」に。「菓子」は「人を集める口実」に。「織物」は「女房たちの統一感ある装束」に。「調度」は「この御殿のブランド設計」に。


 父の「財力」を、「文化資本」へ変換する。それが最初の仕事です。


「衛門」


「はい」


「この紙を、ただの贈答用に使っては駄目。種類ごとに分けて。恋文用、公的な文用、下書き用、記録用。余った端紙も捨てずに」


「は……?」


「香は強さと残り方を確認して。誰が来た時にどの香を焚くか、場面ごとに決めます。菓子は全部出さないで。一度に出すと印象が散るから、日を分けて。織物は女房ごとに好き勝手着せないで、季節の色目に合わせて全体を整えます」


「ひ、姫様?」


 赤染衛門が、完全に固まりました。周囲の女房たちも同じです。無理もありません。先ほどまで「石」と呼ばれていた姫が、急に御殿運営マニュアルを吐き出し始めたのです。でも、私は止まりません。


「それから、今日この場にいた女房の名前を控えて」


「名前、でございますか?」


「ええ。誰が、何を聞いて、どう反応したか。怒った者、怯えた者、笑った者、沈黙した者。全部覚えておきたいの」


 赤染衛門の顔に、ほんの少し警戒が浮かびました。


「……お咎めになりますか?」


「いいえ」


 私は首を振りました。


「人を見るためです」


 「怒る者」は、「忠誠心がある」。「怯える者」は、「場の空気にさとい」。「笑う者」は、「空気を読んでいるか、あるいは軽薄」。「沈黙する者」は、「考えているか、何も感じていないか」。


 この御殿には、まだ組織がありません。いるのは、父の権威で集められた女房たち。彼女たちは私の味方のようでいて、まだ私を信じているわけではない。ならば、一人ずつ見る必要があります。


 誰が筆に強いか。誰が噂に敏いか。誰が嘘をつくか。誰が弱い者を笑うか。誰が、傷ついた人のそばに立てるか。定子サロンが天才インフルエンサーの個人芸で輝くなら、こちらは違う。こちらは、組織で勝つ。


「姫様……」


 赤染衛門が、恐る恐る尋ねました。


「もしや、あの者たちへ、すぐに返歌をなさるおつもりは……」


「しません」


「では、抗議を?」


「しません」


「では……」


「観察します」


 私がそう言うと、赤染衛門はぽかんと口を開けました。私は膝の上で扇を開き、ゆっくりと口元を隠します。御簾の向こうでは、まだ微かな笑い声が続いていました。石。石の中宮。ええ、結構。その名前、いただきましょう。ただし、意味はこちらで変えます。


(定子様。清少納言。あなた方のサロンは確かに強い。華やかで、鋭くて、帝の心を掴んでいる)


 それは認めます。でも、華やかさは永遠ではありません。機知は消費されます。個人芸は、その人がいなくなれば終わります。ならば私は、消費されないものを作る。記録。教育。仕組み。人が育つ場。そして、女たちがただ男に選ばれるためではなく、自分の才で立てる場所を。


 私はゆっくりと息を吸いました。香の匂いが、少しだけ強く感じられます。御簾の内側で、赤染衛門がまだ不安そうに私を見ていました。


「衛門」


「はい、姫様」


「まずは、この御殿の中で一番筆の速い者を呼んで。あと、物覚えのよい者、口の堅い者、色合わせに強い者も」


「何を、なさるのですか?」


 私は扇の陰で、ほんの少しだけ笑いました。


「石垣を作るの」


「石垣……?」


「一つの石では蹴られるだけ。でも、積み上げれば城になるでしょう?」


 赤染衛門は、しばらく私を見つめていました。やがて、彼女の表情が変わります。不安から、困惑へ。困惑から、わずかな期待へ。そして彼女は、深く頭を下げました。


「……承知いたしました。すぐに」


 その背中を見送りながら、私は御簾の向こうに視線を戻しました。まだ、あちらは笑っています。いいでしょう。今は笑っていればいい。石は、黙って積み上がる。音もなく、形を変える。気づいた時には、もう越えられない壁になっている。そして、壁の上から見下ろすのは、案外気分がいいものですよ。


 ――さあ、始めましょうか。

〜 出典史料 〜

『栄花物語』定子との並立状況


 御方かた藤壺ふぢつぼにおはしますに、御しつらひもたますこみがきたるは、ひかりのどかなるやうにも有り、これは照り耀かかやきて、女房にようばうもせうぜうのひとの御前のかたまゐりつかうまつるべきやうも見えず。いといみじうあるまじうさまことなるまでしつらはせたまへり。御木丁・御屏風びやうぶおそひまでみなまきゑ・らでんをせさせたまへり…


〜 舞台背景 〜

 今話も引続き「耀かかや藤壺ふぢつぼ」の翻訳です。ファンの多い箇所なので、膨大な記事がネットに転がってますが、平安文学は男性?の学者たちの解説よりも、素人の女性ヲタクのブログだったりnote記事の方が断然面白いです。

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