十五 「若さ」マウントを、未来価値で返す
彰子の年若さを嘲る女房たちが、「まだ人形遊びのお年頃」と囁く。彰子は傷ついたふりをせず、「若いということは、伸びしろがあるということ」と受け流す。さらに年長女房たちに役割を与え、教育係・儀礼係・記録係として尊重することで、若さへの嫉妬を協力関係に変える。
若い、という言葉は便利です。
褒め言葉になります。若々しい。瑞々しい。初々しい。これからが楽しみ。未来がある。聞こえがよい。
でも、同じ言葉は刃にもなります。若いから分からない。若いから未熟。若いから軽い。若いから頼りない。若いから、どうせ父親の言いなり。
つまり、若さとは、周囲の都合でいくらでも意味を変えられる札です。前世でもそうでした。新入社員には「若いんだから挑戦しなさい」と言う。意見を出すと「若いから現実が分かっていない」と言う。体力仕事は「若いから大丈夫」と回す。決定権は「まだ若いから」と渡さない。失敗すれば「だから若い子は」と言う。万能の免罪符。そして万能の抑圧札。
平安宮中でも、それは同じでした。いえ、むしろもっと露骨です。私は、若くして入内しました。父上、藤原道長の権力。家の期待。政治の都合。帝の御心。定子様という大きな存在。そうしたものの間に置かれた、年若い中宮。
周囲から見れば、私はとても扱いやすい札に見えたのでしょう。幼い。静か。地味。華やかではない。定子様には遠く及ばない。道長に据えられた石。石の中宮。
その名には、冷たさだけでなく、若さへの侮りも混じっていました。
――まだ何も知らない娘。
――飾っておけばよい姫。
――父の力でそこにいるだけの人形。
私は、それを完全に気にしないほど大人ではありません。正直、傷つきます。でも、傷ついた顔を見せれば、向こうは喜ぶ。ならば、別の意味に変えるしかありません。
若い。ええ、若いです。なら、それは未熟の証ではなく、伸びしろの証にしましょう。
噂が届いたのは、扇の絵解きの会から数日後のことでした。
その日、藤壺では有子が扇の絵の記録を写し、春枝が紙箱の湿気を見て、小少将が女房たちの春から初夏への装束移行を相談していました。
澄子は来客の動線を確認し、常盤は廊の噂を拾いに行っています。赤染衛門は、相変わらず私のそばで全体を見ていました。
そこへ、常盤が戻ってきました。顔が、少し怒っています。
「姫様」
「何か聞いたのね」
「はい」
「言って」
常盤は少しためらいました。最近、彼女は噂をそのまま持ってくるのではなく、言うべきかどうか一拍置くようになりました。成長です。ただし、今回は言う必要がある顔でした。
「登華殿に近い女房たちが、廊で申しておりました」
「何と?」
常盤は唇を引き結びました。
「藤壺の姫様は、近頃いろいろと御殿を整えておいでだが、まだ人形遊びのお年頃。紙箱も装束表も、姫君のままごとのようなもの、と」
部屋の空気が止まりました。春枝の顔が、さっと赤くなります。小少将は目を伏せました。有子の筆が止まる。澄子も静かに眉を寄せました。赤染衛門が、低い声で言いました。
「……悪質にございますね」
「ええ」
私は扇を見つめました。人形遊び。ままごと。なるほど。これは効きます。
紙箱。装束表。女房採用。猫対応心得。夢の記録。私たちが積み上げてきたものを、全部「子どもの遊び」に落とす言葉です。しかも、ただ私を侮るだけではありません。
春枝の紙管理も。小少将の装束調整も。澄子の観察も。有子の筆写も。常盤の聞き取りも。赤染衛門の調整も。全部、若い中宮のお遊びにされる。女房たちが怒るのも当然です。
「姫様、言い返しましょう」
常盤が言いました。
「人形遊びなどと、あまりに」
「待って」
私は制しました。
「これは、直接怒ると負ける言葉よ」
「なぜでございますか」
「怒れば、『まあ、まだ子どもだからむきになるのね』と言われる」
常盤は悔しそうに黙りました。
「泣けば、『お可哀想に、やはり幼い』。無視すれば、『反論できない』。大人ぶって難しいことを言えば、『背伸びしている』」
「では、どうすれば」
「意味を変えます」
私は言いました。
「若いことは事実です」
女房たちがこちらを見ます。
「私は若い。経験も足りない。知らないことも多い。できないことも多い」
「姫様……」
春枝が不安そうな声を出しました。
「でも」
私は続けました。
「若いということは、これから伸びる時間があるということでもある」
部屋が静まりました。
「未熟とは、伸びしろです」
赤染衛門が、少し目を開きました。
「伸びしろ」
「ええ。今完成していないことは、恥ではない。完成していないまま完成したふりをすることが恥です」
この前の扇の絵解きの話にも通じます。知らないことを認める。そして学ぶ。若いことも同じです。未熟を認める。そして育つ。
「ですが、姫様」
小少将が慎重に言いました。
「宮中では、若さはどうしても軽んじられます」
「だから、私一人で背伸びしない」
「一人で?」
「ええ」
私は女房たちを見回しました。
「若い中心には、年長の支えが必要です」
赤染衛門が、何かを察したようにこちらを見ました。
「姫様、もしや」
「年長女房たちに、正式な役割を持ってもらいます」
これまで藤壺では、春枝、小少将、澄子、有子、常盤など、それぞれの才を活かしてきました。けれど、年長女房たちの中には、まだ居場所を探している人がいます。若い中宮の周囲で、若い女房たちが役割を得ていく。それを面白く思わない人もいるでしょう。表には出さなくても、心の中では、
――私たちの経験はどうなるのか。
――若い者ばかりが新しい役を得るのか。
――この御殿は、姫様のお気に入りで回るのか。
と思っているかもしれません。若さへの嘲りの裏には、年長者の不安もある。ならば、その不安を敵に回さず、役割に変える。
「藤壺は、私を育てる御殿になります」
私は言いました。
「そして同時に、女房たちも育つ御殿にする」
赤染衛門が、ゆっくり頷きました。
「若さを、育成の理由に変えるのですね」
「ええ」
「また、ずいぶんと……姫様らしゅうございます」
「褒めている?」
「半分以上は」
珍しく半分を超えました。翌日、私は年長の女房たちを集めました。赤染衛門はもちろん、小少将よりさらに年上の大輔の君、内侍経験のある弁の君、儀礼に詳しい三河の君、昔から宮中の作法を見てきた少将の乳母など。皆、それぞれに経験があります。
ただし、最近の藤壺では、少し影が薄くなっていました。春枝の紙管理。小少将の装束表。澄子の観察。有子の筆写。常盤の噂記録。新しい役割が目立つ一方で、古い経験は「何となく頼るもの」として扱われがちだったのです。
これはよくありません。経験は、名前を与えないと見えにくいのです。私は彼女たちを前に、頭を下げました。
「今日は、お願いがあります」
年長女房たちが、少し驚いた顔をしました。中宮が女房に頭を下げる。深々とではありません。でも、明確に「頼む」姿勢を見せました。
「私は若いです」
ざわり、と空気が動きました。自分から言うとは思っていなかったのでしょう。
「知らないことも多く、経験も足りません。宮中の古い作法、儀礼の細かい順、他の御殿との間合い、年長の方々が見てきたことを、私はまだ十分に知りません」
女房たちは黙っています。
「ですから、教えてください」
赤染衛門が、静かに私を見ていました。
「藤壺では、年長の女房をただ控えに置くのではなく、役割を持っていただきます」
私は、春枝に用意させた紙を広げました。また表です。赤染衛門が少しだけ遠い目をしましたが、今日は何も言いません。
「まず、大輔の君」
「はい」
「あなたには、教育係をお願いします。新しく入った女房たちへ、宮中での基本の振る舞い、言葉遣い、他の御殿との距離の取り方を教えてほしい」
大輔の君は、目を見開きました。
「私が、教育を?」
「ええ。歌や筆の才だけでなく、失礼をしないための身体の動かし方は、経験ある方でなければ教えられません」
大輔の君の表情が、少しずつ変わります。
驚きから、緊張へ。そして、誇りへ。
「承知いたしました」
「弁の君」
「はい」
「あなたには、儀礼係を。節会や御幸、贈答の際の手順を事前に確認し、抜けがないよう整えてください」
「恐れ多くも」
「あなたは、過去の御前を多く見ています。藤壺には、その記憶が必要です」
弁の君は、深く頭を下げました。
「三河の君」
「はい」
「あなたには、記録の確認係をお願いします。有子が写した記録に、作法上の誤りや言葉の不足がないか見てほしい」
三河の君は、少し驚きました。
「記録は若い方々のお役目かと」
「若い手は速い。ですが、経験ある目が必要です」
その言葉に、三河の君の目が少し潤みました。
「少将の乳母」
「はい」
「あなたには、相談役を。若い女房が失敗や不安を抱えた時、私や赤染衛門に届く前に、まず話を聞いてほしい」
「私でよろしゅうございますか」
「あなたは、人の気持ちを急がせない。藤壺にはそれが必要です」
少将の乳母は、静かに頭を下げました。部屋の空気が変わっていました。年長女房たちは、ただ「古い人」ではありません。教育係。儀礼係。記録確認係。相談役。名前がついたことで、彼女たちの経験が役割になりました。
その後、若い女房たちも呼びました。春枝、小少将、澄子、有子、常盤。皆、少し緊張した顔です。私は全員に言いました。
「藤壺では、年長の女房たちを師とします」
若い女房たちは頭を下げます。
「ただし、師は若い者を潰すためにいるのではありません。育てるためにいます」
次に、年長女房たちを見ました。
「若い者は未熟です。失礼もあるでしょう。知らないことも多い。ですが、未熟を笑えば、成長は止まります」
双方が静かに聞いています。
「若い者は、年長者を古いと侮らない。年長者は、若い者を幼いと切り捨てない」
これは、言うだけなら簡単です。でも、実際には難しい。年齢差には、誇りと不安と嫉妬が絡みます。若い側は、古いやり方を面倒に感じる。年長側は、新しいやり方に自分の価値を脅かされる。そこを放っておくと、派閥になります。
「ですから、役割を分けます」
私は紙を示しました。教育係は、大輔の君。儀礼係は、弁の君。記録確認係は、三河の君。相談役は、少将の乳母。紙管理は春枝。装束調整は小少将。観察補佐は澄子。筆写は有子。情報流れは常盤。全体調整は赤染衛門。そして、最終判断は私。
表にしてみると、なかなかの組織図です。雅ではありません。でも、美しい。少なくとも私には。
「姫様」
赤染衛門が、少し困ったように笑いました。
「この表、後世の者が見れば、中宮御所というより役所の配置図に見えましょう」
「役所は強いわ」
「またそれでございますか」
「でも今回は、教育機関でもある」
「ますます雅から遠ざかります」
「育つ雅もあるでしょう」
赤染衛門は、少し黙りました。そして、柔らかく頷きました。
「それは、あるかもしれませぬ」
新しい役割分担は、思った以上に効きました。まず、新入り女房の動きがよくなりました。大輔の君は、厳しいけれど丁寧でした。
「御簾の近くで立ち止まる時は、袖の扱いに気をつけなさい」
「他の御殿の女房と話す時、すぐに藤壺の内の話を出してはなりません」
「笑う時は、声の高さを落としなさい。楽しげと軽率は違います」
若い女房たちは、最初こそ萎縮しました。しかし、大輔の君は失敗を笑いません。その場で直す。なぜそうするかを説明する。結果、皆が少しずつ安心して学ぶようになりました。
弁の君の儀礼係も頼もしい。帝の御幸前には、必要な品、座の位置、贈答の手順を事前に確認します。私の急な思いつきで場が崩れそうになると、静かに止めます。
「姫様、それは明後日の御幸ではなく、次の内々の会でなさる方がよろしゅうございます」
「なぜ?」
「主上の御前で初めて試すには、少し不確かでございます」
「なるほど、助かります」
三河の君は、有子の記録を見て、古い言い回しや儀礼上の表現を直します。有子は最初、少し緊張していましたが、やがて三河の君に質問するようになりました。
「この場合、『賜る』と『給ふ』はどちらが」
「相手によります」
「なるほど」
二人の間に、よい師弟関係が生まれました。少将の乳母は、若い女房たちの相談役として静かに働きました。春枝が紙箱の責任に疲れていた時も、彼女が先に気づきました。
「春枝殿は、紙を守るあまり、自分の手を休めておりませぬ」
私にそう報告してくれたのです。 春枝には休みを入れ、澄子を一時補佐につけました。もし相談役がいなければ、春枝は倒れるまで頑張ったかもしれません。年長者の目は、やはり必要です。
数日後、噂が変わりました。常盤が報告します。
「姫様。人形遊びの噂ですが、少し弱まっております」
「どう変わった?」
「藤壺では若い姫様を、年長の女房たちが囲んで育てている、と」
「それは、それで幼い感じがするわね」
「ですが、以前より悪意は薄うございます」
「他には?」
「若い中宮を中心に、女房たちが役割を得ているとも。『あちらはままごとではなく、若い御方を育てる御殿らしい』と」
よし。完全な勝利ではありません。でも、噂の意味は変わりました。
「若い」が「未熟で笑う対象」から、「育つ対象、周囲が支える中心」へ。未来価値。前世の投資用語を使えば、そういうことです。現在の完成度ではなく、成長可能性を見る。
もちろん、人を株のように扱うつもりはありません。でも、考え方としては近い。今、未完成であることは弱みです。でも、伸びる仕組みがあれば、それは価値になります。
「姫様」
常盤が少し笑いました。
「登華殿方は、『若さを笑ったら、教育制度にされた』と申しておりました」
「教育制度」
「はい」
赤染衛門が、横で肩を震わせました。
「衛門、笑っている?」
「いえ、少しだけ」
「笑っているわね」
「申し訳ございません。あまりに姫様らしく」
確かに。若さマウントを教育制度に変える。我ながら、藤壺らしい。
夜。私は一人、役割表を見ていました。紙に並ぶ名前。赤染衛門。春枝。小少将。澄子。有子。常盤。大輔の君。弁の君。三河の君。少将の乳母。それぞれの役目。そして、中央に私。
ただし、中央と言っても、頂点ではありません。むしろ、支えられる中心です。これまで私は、御殿を整える側だと思っていました。紙を整え、歌を育て、衣を合わせ、噂を鎮め、夢を読み、猫の寝床まで用意する。けれど、今日分かりました。
私自身も、整えられる対象なのです。若い中宮。未熟な中心。それを恥じるのではなく、育てる。ただし、商品としてではありません。誰かに見せるための美しい人形ではなく、成長する組織の中心として。
父上の権力に飾られるのではない。帝の寵だけを待つのでもない。定子様の光と比べて萎れるのでもない。清少納言の毒舌に削られるだけでもない。
私は、育つ。そして、私が育つ場で、女房たちも育つ。それが藤壺の答えです。赤染衛門が、そっと声をかけました。
「姫様」
「何?」
「今日の心得を、まとめますか」
「ええ」
「題は?」
私は少し考えました。
「若さ対応覚」
「姫様」
「では、若き御方を育つる覚」
「少し雅になりました」
「内容は?」
赤染衛門が筆を取りました。私はゆっくり言いました。
一、若さを隠さない。
二、若さを未熟のみと見なさない。
三、未熟は、伸びしろである。
四、年長者の経験に役割を与える。
五、若い者は年長者を古いと侮らない。
六、年長者は若い者を幼いと潰さない。
七、中心が若い時ほど、周囲の役割を明確にする。
八、育つ場は、育てる者も育つ場である。
赤染衛門が最後まで書き、少し微笑みました。
「よき心得にございます」
「そう?」
「はい。姫様が若くてよかったと思えるほどには」
私は驚いて、赤染衛門を見ました。
「衛門、それはかなり褒めている?」
「全部、褒めております」
珍しい。私は少し照れました。そして、静かに笑いました。外では、夜風が庭の葉を揺らしていました。
人形遊び?
結構です。人形は育ちません。でも、人は育ちます。御殿も育ちます。女房たちも、私も。
私は役割表を文箱にしまいました。これは、私を飾るための表ではありません。私を、そして藤壺を育てるための表です。
人形遊びではありません。これは、未来を扱う仕事です。
〜 出典 〜
『栄花物語』彰子の若年入内
この御方、藤壺に坐すに、御しつらひも、玉も少し磨きたるは、光のどかなるやうにもあり。これは照り輝きて、女房もせうぜうの人は、御前の方に参り仕うまつるべきやうも見えず⋯
〜 舞台背景 〜
ネタ探しでググってると、キーになる作品、何度も読む章段ってのがあります。そういうのはやっぱ名作なんでしょうね。




