十四 扇の絵解きで公開処刑されかける
扇に描かれた絵を見て即興で故事を語る遊びが行われる。定子方は彰子が古典知識に疎いと見て、難解な絵柄を選ぶ。彰子は知らない故事を無理に語らず、絵の構図・視線誘導・余白の使い方を分析し、「この絵師は物語より感情を描いています」と解釈する。
知らないことは、怖い。
これは、平安宮中に限った話ではありません。前世でもそうでした。会議中に突然、聞いたことのない専門用語が飛び出す。他の人たちは全員分かっている顔をしている。自分だけ分からない。でも、ここで「それは何ですか」と聞いたら、無知だと思われるかもしれない。そういう時、人はどうするか。
頷きます。
とりあえず頷く。そして、何となく分かっている顔をする。ひどい時には、分かっていないのに発言までしてしまう。
――なるほど、そこはアジャイルに……。
――要するに、シナジーですね。
危険です。たいへん危険です。知ったかぶりは、最初の一歩は軽い。けれど、一度踏み出すと戻れません。
分かったふりをした以上、次も分かったふりをしなければならない。話が深くなるほど、内心は冷や汗です。そしてどこかで、足元が崩れる。宮中でも同じです。
いえ、むしろ宮中の方が怖い。
なぜなら、この時代の「知らない」は、単なる知識不足では済まないからです。古歌を知らない。物語を知らない。漢籍を知らない。故事を知らない。絵に込められた意味を知らない。
それは、そのまま教養の不足と見なされます。そして中宮が教養不足と見られれば、本人だけでなく御殿全体が笑われる。石の中宮。若いだけの中宮。道長の権力で据えられただけの姫。そういう評価に戻される。
だから、知らないことは怖い。でも。知らないことより、もっと怖いものがあります。それは、知らないのに知っているふりをすることです。その遊びは、帝のお声がかりで始まりました。
扇の絵解き。
美しく描かれた扇を見て、その絵が何の故事や物語を表しているのかを語る遊びです。絵を見て、古い物語を思い出す。絵に添えるべき歌を詠む。誰かがその解釈を褒める。さらに別の者が、別の故事を重ねる。
雅です。たいへん雅です。そして、たいへん危険です。なぜなら、これは暗記と連想の競技だからです。
『伊勢物語』のような歌物語、古歌、漢籍、説話、物語の場面。そうしたものを知っていれば知っているほど有利。知らなければ、ただ美しい絵を見て黙るしかありません。
私は正直に言って、嫌な予感がしていました。
この手の遊びは、清少納言方が強い。彼女たちは、絵を見た瞬間に物語を引き、歌を引き、軽やかに場を沸かせるでしょう。
藤壺も、最近は紙、歌、衣、噂、夢、猫と、ずいぶん場を整えてきました。でも、古典知識量で正面から戦えば、まだ弱い。私自身も、前世の知識はあるものの、平安宮中で即座に使える形ではありません。
有名どころは覚えています。でも、細部が危うい。うろ覚えほど怖いものはない。赤染衛門が、事前に私へ言いました。
「姫様。扇の絵解きは、登華殿の御方々が得意となさる遊びにございます」
「でしょうね」
「清少納言様ご本人はお越しでないにせよ、少納言の君、丹波の君など、故事に明るい方がそろっております」
「こちらは?」
「小少将は装束には強うございますが、故事の即応はやや。春枝は紙を見ます。有子は筆写はよいですが、絵解きは経験が浅い。澄子は観察は鋭いですが、物語の引き出しは多くございませぬ」
「つまり、不利ね」
「はい」
赤染衛門は、珍しくはっきり言いました。
「姫様ご自身が試される可能性もございます」
「でしょうね」
「ご無理はなさいませぬよう」
「ええ」
「ただし、黙りすぎても」
「笑われる」
「はい」
詰んでいます。
答えられなければ教養不足。間違えれば公開処刑。知ったかぶれば後で死ぬ。こういう時の最善手は何か。知らないものは知らないと言う。ただし、そこで終わらせない。別の評価軸を立てる。
最近、そればかりしている気がします。
即興和歌を辞退して批評会にした。紙の美しさではなく流通で返した。衣の派手さではなく集団演出にした。唐物の希少性ではなく依存リスクを見た。猫の雅ではなく習性を見た。
なら、今回も同じです。
故事暗記では勝てない。なら、絵そのものを見る。物語を当てるのではなく、絵師が何を描いたかを読む。ただし、うまくいく保証はありません。
当日、帝の御前には美しい扇がいくつも並べられました。
金銀を散らしたもの。山水を描いたもの。女車を描いたもの。水辺の男を描いたもの。橋の上で袖を返す女。月下に立つ牛車。霞む山の端。秋草の中に落ちる文。
どれも見事です。扇という小さな面の中に、物語の一瞬が封じ込められている。女房たちは、それを見て歓声を上げました。まず、登華殿方が見せます。少納言の君が、一つの扇を取りました。そこには、川辺に立つ男と、遠ざかる女車が描かれています。彼女は、すぐに語り始めました。
「これは、かの男、逢ふ瀬の後に名残を惜しみ、川の流れに心を寄せたる趣にございましょう。水は隔てであり、また心の通ひ路でもございます。思ふ人の車は遠ざかれど、袖の色だけが岸に残るようで」
うまい。
歌物語めいた語りです。
絵の中の具体的な故事を示しつつ、情景を膨らませる。帝も頷いています。丹波の君は、別の扇を取りました。月の下、男が女のもとへ忍んでいく場面。
「これは、夜離れを嘆く女のもとへ、つひに訪れ来たる男かと。月は待つ者には長く、来る者には短うございます」
周囲が、ほうと息を漏らしました。
これも上手い。
言葉が軽く、場に合っている。藤壺の女房たちは、少し硬くなっています。こちらもいくつか答えました。
小少将は、装束から季節を読み、悪くない解釈をしました。有子は、絵に添えられた小さな文字を美しく読みました。澄子は、橋の上の人物の視線から、別れの場面ではないかと述べました。どれも悪くありません。
でも、登華殿方の華やかさには及ばない。少納言の君の目が、やがて私へ向きました。
来る。
そう思いました。
案の定、彼女は一つの扇を手に取りました。それまでの扇より、少し地味です。しかし、絵柄は妙に難しい。
霞のかかった野。細い道。道の端に立つ女。遠くに小さな庵。空には雁のような鳥。手前には、折れた枝と、落ちた扇。人物は一人。しかし視線は、絵の外へ向いているように見えます。少納言の君が、微笑みました。
「藤壺の姫様にも、ぜひこちらを」
部屋の空気が変わりました。赤染衛門の気配が、わずかに強張ります。これは、おそらく難問です。何らかの物語や故事の一場面なのでしょう。でも、私は知らない。少なくとも、即座には分かりません。少納言の君は続けました。
「この絵、いかなる物語を思わせましょう。姫様の御心には、何と映りますか」
笑顔です。
しかし、その笑顔の下には、明確な意図があります。
――さあ、知っていますか?
――知らなければ、石の中宮。
――知っているふりをすれば、こちらが正します。
公開処刑の舞台が整いました。女房たちの視線が、私に集まります。帝も、興味深そうに扇を見ています。
ここで、私は選ばなければなりません。知ったかぶるか。黙るか。別の道を作るか。私は扇を受け取りました。
近くで見ると、ますます不思議な絵です。女の衣は華やかすぎない。袖の色は、やや褪せた薄紫。道は細く、画面の奥へ続いている。庵は遠い。鳥は空の上部に小さく描かれている。手前の落ちた扇は、妙に大きい。私は、ゆっくり息を吸いました。
「申し訳ございません」
まず、そう言いました。部屋が静まりました。
「この絵が、どの故事をそのまま描いたものか、私は確かには存じません」
赤染衛門の気配が、さらに強張りました。女房たちの何人かが、息を呑む。少納言の君の目に、かすかな勝利の色が浮かびました。しかし、私は続けました。
「ですから、物語を当てることはいたしません」
少納言の君が、わずかに首を傾げました。
「では、姫様は」
「絵を見ます」
私は扇を少し掲げました。
「知らないことを知っているふりで飾るのは、絵にも物語にも失礼ですから」
部屋の空気が、少し変わりました。帝が、こちらを見ました。私は扇の絵に視線を戻します。
「この絵で、まず目に入るのは女ではなく、手前の落ちた扇です」
女房たちが扇を見ます。
「人物は奥にいる。けれど、落ちた扇は手前に大きく描かれている。つまり、絵師は女の顔より、女が落としたものを見せようとしている」
少納言の君の表情が、少し真面目になりました。
「女の視線は、こちらへ向いていません。庵でも、鳥でも、落ちた扇でもない。絵の外、見えない何かを見ています」
私は指で、絵の中の余白をなぞるように示しました。
「道は細く、奥へ続いている。でも女は歩いていない。立ち止まっている。庵は遠い。帰る場所か、行くべき場所かは分からない」
帝が、扇に身を寄せました。
「雁のような鳥は、空に小さく置かれている。渡るもの、去るもの、季節の移りを示しているのでしょう。けれど、鳥は小さい。主題ではない」
私は少し間を置きました。
「この絵師は、おそらく物語の有名な場面そのものより、取り残された感情を描こうとしています」
部屋が静まりました。
「取り残された感情」
帝が、静かに繰り返しました。
「はい」
私は頷きました。
「誰かが去った後かもしれない。行くべき道を選べない時かもしれない。文を落としたのではなく、扇を落としたのは、言葉にする前の乱れを示しているように見えます」
私は扇を見つめました。
「女は泣いていません。袖で顔を隠してもいません。けれど、落ちた扇と、外へ向いた視線と、広く取られた余白が、心の置き場のなさを語っています」
誰も何も言いません。私は、少しだけ声を柔らかくしました。
「もし物語の名を当てる遊びなら、私は負けです。でも、この絵を味わうなら、これは『何の場面か』より、『何が残されたか』を見る絵ではないでしょうか」
しばらく沈黙が続きました。公開処刑の場になるはずだった空気は、別のものに変わっていました。少納言の君は、扇の絵をじっと見ています。おそらく、彼女はこの絵の元ネタを知っているのでしょう。だからこそ、私が物語名を言えなかった時点で勝てると思ったはずです。
でも、私はそこを降りました。そして、絵の構図、視線、余白を読んだ。正解かどうかは分かりません。でも、見方としては成立している。帝が、やがて静かに言いました。
「面白い」
その一言で、場が動きました。 帝は扇を手に取り、改めて眺めます。
「私は、まずこの女が誰かを考えた。何の物語かと」
「それが自然かと」
「だが、そなたの言う通り、扇が目立つな」
帝は手前の扇を指しました。
「落としたものが、残った心か」
「そのようにも見えます」
「なるほど」
帝は少し笑いました。
「物語を知る者は、物語に引かれる。知らぬ者は、絵を見る。どちらも悪くない」
ありがたい。
帝がそう言ったことで、評価軸が変わりました。これは「当てられなかった中宮」ではなく、「別の鑑賞をした中宮」になった。少納言の君も、それを察したのでしょう。彼女は扇を見て、軽く頭を下げました。
「姫様の御覧じ方、思いも寄りませなんだ」
「物語を知らなかっただけです」
「それをそのまま仰せになるところが、姫様らしゅうございます」
「知ったかぶる方が怖いので」
少納言の君が、扇の陰で笑いました。
「宮中では、知らぬことも知っているように装うのが作法かと思っておりました」
「それは作法ではなく、罠です」
赤染衛門が横で小さく息を呑みました。少納言の君の目が、少し輝きます。
「罠」
「ええ。知らないことを知ったかぶるのが、一番恥です」
部屋が静まりました。少し言いすぎたかもしれません。しかし、これは本音です。
「知らないと言えば、そこで学べます。けれど知っているふりをすれば、学ぶ機会を失い、誤りを重ねる」
私は、前世の会議室を思い出しました。誰も分かっていないのに、誰も質問しない会議。専門用語だけが飛び交い、最後に意味の分からない方針が決まる。そして現場が苦しむ。知らないと言えない組織は、いずれ壊れます。
「この御殿では」
私は言いました。
「知らぬことを恥とはしません。知らぬまま装うことを恥とします」
春枝が、はっとした顔をしました。澄子も静かに頷いています。有子は筆を取り、今の言葉を書き留めようとしていました。
赤染衛門は、少し困ったように、けれど満足げに見えます。帝は扇を閉じました。
「よい」
その声は、静かでした。
「物語を覚えることも大切だ。だが、覚えていることだけを競えば、覚えた者が覚えていない者を笑う場になる」
「はい」
「絵を見る目も、また必要だな」
「恐れ入ります」
帝は少納言の君を見ました。
「そなたなら、この絵の物語をどう解く」
少納言の君は、一瞬だけ私を見ました。そして、にこりと笑いました。
「恐れながら、先ほどまで用意していた解き方が、少し狭く思えてまいりました」
うまい。
さすがです。自分が負けたとは言わず、場の変化に乗る。
「物語の名は、後ほどゆるりと。今は、姫様の仰せのように、落ちた扇を見とうございます」
帝は満足げに頷きました。これで、場は完全に「暗記勝負」から「鑑賞の会」へ移りました。その後の扇の絵解きは、ずいぶん面白いものになりました。もちろん、故事を知っている人は語ります。けれど、それだけではなくなった。小少将は、女の衣の色から季節と身分を読みました。
「この薄い朽葉は、秋の終わりではなく、あえて沈んだ心を示しているのでは」
有子は、絵に添えられた文字の配置を見ました。
「歌が上部ではなく、あえて端に寄せられております。読む者の目を、人物より先に空へ逃がすためかと」
澄子は、人物同士の距離を読みました。
「近くに描かれているのに、視線が合っておりませぬ。これは離れている二人ではなく、近くにいても心が届かぬ二人かと」
春枝は、扇の紙そのものを見ました。
「この紙は、絵の余白をよく残すために、少し白さを抑えております。白すぎれば、人物が負けます」
春枝らしい。紙から絵を見る。帝はそれを聞いて、実に楽しそうでした。
「藤壺の女房は、それぞれ違うところを見るな」
「役割が違いますので」
私が答えると、帝は笑いました。
「なるほど。紙を見る者、色を見る者、距離を見る者、文字を見る者。物語を見る者もいれば、知らずに絵を見る者もいる」
少納言の君が、扇を軽く振りました。
「藤壺の御会は、知らぬことまで道具にしてしまわれますね」
「知らないことは、入口になります」
「入口?」
「ええ。知っている人には見えないものが、知らない人には見えることもあります」
これは本当です。専門家は強い。でも、専門知識があるからこそ、見え方が固定されることもある。初心者の問いが、場を変えることもある。もちろん、無知を誇ってはいけません。学ぶことは必要です。でも、知らない自分を恥じすぎて口を閉じる必要はない。
「では、姫様」
少納言の君が、少し意地悪く尋ねました。
「物語を知らぬままでよいと?」
「いいえ」
私は即答しました。
「今日、知らなかった物語は後で学びます」
少納言の君の笑みが深くなりました。
「そのお答え、たいへん姫様らしい」
「知らないことを認めるのと、学ばないことは別です」
「なるほど」
彼女は頭を下げました。
「では後ほど、その絵の物語をお知らせいたしましょう」
「お願いします」
素直に頼みました。少納言の君は、一瞬だけ驚いた顔をして、それから笑いました。
「姫様は、本当に知ったかぶりをなさらぬのですね」
「疲れるので」
「疲れる」
「ええ」
知ったかぶりは、精神的な負債です。後で利息がついて返ってきます。できるだけ負わない方がいい。会が終わった後、藤壺の女房たちは、いつもより少し興奮していました。
「姫様、見事でございました」
「知らぬとおっしゃった時は、どうなることかと」
「私、心の臓が止まるかと」
春枝など、まだ紙を握りしめています。赤染衛門は、深くため息をつきました。
「姫様。あの場で『存じません』と仰せになった時、私は本気で倒れるかと思いました」
「ごめんなさい」
「ですが、その後の御解きは……たいへん面白うございました」
「ありがとう」
「ただ、今後は少し古典の予習を増やしましょう」
「そうね」
私は素直に頷きました。逃げ切ったからといって、勉強しなくてよいわけではありません。知らないことを認めるのは大事。でも、知らないまま居座るのは違う。
私は扇の絵を思い出しました。あれが何の物語だったのか。後で少納言の君から聞くことになるでしょう。そして私は、それを学ぶ。次に同じような絵を見た時、物語としても、絵としても見られるように。それが成長です。
澄子が、静かに言いました。
「姫様。私は今日、少し安心しました」
「安心?」
「はい。知らないと言ってもよいのだと」
彼女は目を伏せました。
「私は家柄も高くなく、物語の蓄えも多くございませぬ。けれど、観察したことなら申し上げられるかもしれないと」
「それで良いのです」
私は言いました。
「知識のある人は知識で見る。観察する人は観察で見る。紙を見る人は紙で見る。色を見る人は色で見る。全部合わせれば、一人より遠くまで見えます」
有子が、筆を止めて微笑みました。
「藤壺らしゅうございますね」
「ええ」
個人の万能さではなく、複数の視点。それが、藤壺の強みになりつつあります。その夜、赤染衛門が新しい心得をまとめました。題は、少し迷いました。
「知らぬこと心得」
「姫様、それは少々身も蓋もございません」
「絵解き覚」
「普通すぎます」
「知ったかぶり禁止令」
「令にしないでくださいませ」
結局、赤染衛門が雅に整えました。絵と言の葉を鑑みる覚。内容は、以下の通りです。
一、知らぬ故事を知るふりで語らない。
二、知らぬことは恥ではない。知らぬまま装うことを恥とする。
三、物語を当てることと、絵を味わうことは別である。
四、絵を見る時は、人物だけでなく、視線、余白、置かれた物、色、紙を見る。
五、知識ある者を尊ぶ。ただし、知識なき者の問いも軽んじない。
六、知らなかった物語は、後で必ず学ぶ。
七、場の評価軸が一つに偏った時は、別の見方を置く。
赤染衛門は、六つ目を書きながら私を見ました。
「姫様。これは、必ずでございますよ」
「分かっているわ」
「後で、今日の絵の物語を学びましょう」
「はい」
「姫様が素直ですと、少し不安になります」
「ひどい」
でも、今日は素直に学ぶ日です。少納言の君が仕掛けてきた難問は、確かに危なかった。でも、おかげで藤壺はまた一つ、新しい見方を得ました。暗記ではなく鑑賞。正解ではなく視点。知識ではなく、知識を得る姿勢。もちろん、知識は要ります。無知を飾る気はありません。
ただ、知らない瞬間に人を笑う場では、誰も学べません。笑われるのが怖くて黙る。黙るから、いつまでも知らない。知らないから、さらに笑われる。その輪を切るには、誰かが最初に「知らない」と言わなければならない。今日は、それを私がしただけです。
少納言の君が、後でこっそり教えてくれたところによると、あの絵は確かにある歌物語の一場面を踏まえたものだったようです。聞けば、なるほどと思うところもありました。女が立つ位置。庵。雁。落ちた扇。知っていれば、もっと深く読めたでしょう。少し悔しい。
でも、悔しいと思えるなら、まだ学べます。
私は扇を閉じました。扇の絵解きで公開処刑されかけました。結果。処刑台を、鑑賞席に変えました。かなりぎりぎりでした。
知識で勝てない時、知ったかぶりをしない。負けを認めて、別の見方を出す。そして後で学ぶ。これが今日の勝ち筋です。
石の中宮は、何でも知っている天才ではありません。でも、知らないことを知らないと言える場なら作れる。そして、知らない人が黙らずにすむ場なら育てられる。
いつか藤壺には、膨大な物語を読み、人の心を深くえぐる筆を持つ女が来ます。その人は、きっと多くを知っているでしょう。でも同時に、知らないことを笑われる場では、筆を閉ざしてしまうかもしれない。
だから、今のうちに作っておくのです。知らないと言える御殿。学べる御殿。答えを当てるだけでなく、見方を増やす御殿。
扇の小さな面に描かれた余白のように。
〜 出典 〜
『伊勢物語』歌物語絵
『ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは』
(昔にも聞いたことがない。竜田川が水面に紅葉が浮いてあざやかな紅色に水を絞り染めにしているとは。)百人一首(在原業平)
この歌は屏風に描かれた紅葉の絵(二条后の春宮の御息所が主催した歌合の屏風)を見て詠まれた「屏風歌」。
〜 舞台背景 〜
投稿のためネタ探しするまで、昔の人はあちこちいろんなところ行ってるんだなぁ⋯って思ってたんですけど、実際は宮中で屏風見て歌ってただけなんですねw
それと、本話と関係ありませんが、在原業平が、愛知県知立市(昔、私が住んでいたところ)で美しく咲く燕子花を見て“かきつばた”という五文字を句の先頭において、詠まれた歌『唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ』。私暗唱できます。自慢ですw




