有事
非常事態を告げる警告灯が絶え間なく光り続ける。
天井から吊るされたモニターに広がる赤い電子の海には“Emergency”の文字が点滅している。
敵―――【吸血鬼】が出現した。
応接室にいる誰もが唖然とする。
特に、氷花たち空軍は目を丸くし、僅かに身構えている。だが、その姿は表情と対比するかのように力が入っていないようだ。
無論、俺も似たようなものだ。
冷静を装ってはいるが、内心はかなり焦りを感じている。それは、この鎮守府に所属する者全員の信用を得ていないためだ。
“無能な指揮官に兵士は従わない”という言葉は、今の俺のために用意されたのではないかと考えてしまう。
分かり切ったことだが、この状況で俺の指示に従者のなど存在しないだろう。
俺が着任してまだ一日も経過していない。執務仕事もまだこなしていなければ、全体の名前や顔の把握もできていない。
そんな指揮官に誰が従うだろうか。おそらく、ここは京華に任せた方が得策と言えよう―――
「上官、指示を求めます」
突如、予想打にしない言葉が聞こえた。
声の主は氷花。彼女ははっきりと、俺に指示を求めてきた。
「待て、俺はまだ着任して一日も経っていない。ここは京華の指示に……」
「いえ、氷花の言うとおりです。私たち鎮守府に属する者は、どのような考えを抱こうと既に元帥の指揮下に入っています」
これを言ったのは、水月だった。会議中、俺と対面者の様子を伺っていた彼女は、ついにその口を開いた。
また、彼女の言うことは最もで、分かり切った現実だった。
だが、やはり先に述べた懸念点はある。そのため、言質を取っておく必要がある。
「水月、それは本気で言っているのか?」
「はい、私たちは元帥の指示に従います」
「それは、全員がそうと言い切れるのか?」
「……確証はありません。ですが、京華さんが既に管理者交代の話を伝達していますので、幾分かは円滑にいくかと」
「……そうか」
やはり、俺のことを信用していない者は一定数存在する。
無論、わかっていたのだが、有事を考えると状況は最悪だ。本来、ここは京華に任せるべきなのだろう。
しかし、だ。本当にここで芋を引いてしまっても良いのだろうか。
退路は存在するが、それを使用するのなら、俺は信用を手放すことになる。それこそ、幕引きになる。
そうなるくらいならば……
「……京華、どれくらいで空軍は飛べるようになる?」
「二〇分ください。それで何とかしてみせます」
「わかった。なら行け」
京華は黙って頷く。そして、再び“霧煙門”を開くと、その中に飛び込んでいった。
それと同時に、氷花たちは動き出していた。五人の内二人は応接室を飛び出し、二人は装備している無線でどこかへ連絡を取っている。
一方、氷花は壁に取り付けられた無線機を操作していた。周波数を合わせているようだが、どこに繋がるのかは不明だ。
まあ、十中八九陸海軍に連絡を取ろうとしているのだろう。
俺も俺で、作戦会議を始めるべく眼前の机の卓上を中央から切り分けるようにスライドさせる。
そこには、青い電子青い電子の海を映し出すモニターが存在する。液晶パネルには白の線で世界地図が描かれている。
しかし、そこに一点のみ、赤く点滅する箇所が存在する。吸血鬼の出現地点だ。
「テキサス州市街地郊外……アメリカか」
反射的に、眉間に力を込めてしまった。
吸血鬼の出現は想定していたことだが、出現した場所が想定外……いや、できれば出現してほしくなかった場所だ。
正直なところ、テキサス州には良い思い出がない。いや、そもそもとしてアメリカという国に良い思い出がない。
吸血鬼が出現しているのだから、流石に現地の人々は馬鹿な真似はしないだろう……おそらく。はっきり言って信用できない。
が、それでもなお俺は指示を出さなければならない。契約違反だけは、絶対にあってはならない。
『……ちら……こちら晩月。応答願います』
『こちら龍造。至急、応答願います』
そんなことを考えていると、陸海軍代表者の声が聞こえた。発生源は、氷花が起動させた無線からだった。
「こちら氷花。これより作戦会議を始めます。上官のお言葉を聞き逃さないようお願いします」
氷花は無線に向かってそう言うと、俺に視線を向けてきた。会議を開始しろと、光を孕んだシアンの瞳が訴えかけていた。
無論、ここまで来て引き下がるなどあり得ない。俺は氷花から渡された無線機を持つ。
「緊急会議を開始する。アメリカ合衆国テキサス州に出現した吸血鬼の殲滅についての―――」
◆
会議は円滑に進んだ。
情報によれば、出現したのはトーチカ型の上位吸血鬼らしく、高台を拠点として軽戦車級の吸血鬼が街を破壊し回っているらしい。
そのため、陸軍は防御中心の攻撃部隊とトーチカ破壊のための自走砲部隊を結成する。
海軍は空軍の出撃まで、時間を稼ぐ裏方に回ることとなった。空母機動部隊を海上に展開し、艦上戦闘機による制空権の奪取と維持を試みる。
海軍航空隊は度重なる出撃により、練度の高いエース個体が複数機存在しているらしい。それらを信じるしかないだろう。
空軍は、京華の装備修理が終わるまで出撃できない。
しかし、陸上攻撃機や戦略爆撃機は常に前線に駆り出されていたとのことで、整備は既に済んでいるようだ。
そのため、現在稼働可能な護衛の二人とともにトーチカ周辺の破壊を任務とし、出撃することになった。
だが、やはり無茶はさせられない。そのため、敵の迎撃機や防空陣地が存在する場合、即刻安全圏への退避を命じた。
とまあ、こんな感じで布石は揃った。これならば、空軍が本格始動するまで耐えることができるだろう。
……だが、やはり不安な箇所はある。こいつらなら基本、怪異や神以外に負けるとは微塵も考えていないが、万が一ということがあり得る。
となれば、最後の布石を置かなければならない。
「上官、我々の作戦は以上になります。指示さえ頂ければ、私たちはいつでも―――」
「待て、一つだけ加えさせてくれ」
俺の言葉で、その場の空気が変化する。
元より張り詰めていた空気が、さらに張り詰めたものへと。
その中で、俺は言わなければならない。こいつらをどん底に叩き落とす可能性のある言葉を。
「……今回は、俺も戦場に赴く」
たった一言。それだけで何かが変わる。
それは、必ずしもよい方向に転がるとは限らない。
例えば、今回のように。
『何を言っているんですか指揮官!?』
『私たちが提督の指揮下にあるとは言え、それにを黙って見過ごすことはできません!』
晩月と龍造の声が聞こえる。
無線越しだというのに、それらはすぐ隣に本人がいると錯覚するほどの力を宿していた。
無論、これには氷花も同様のことを訴える。
「上官、死に急がないでください。上官が死ねば、それこそ私たちはおしまいです!」
氷花の言うことは最もだ。晩月も龍造も、何も間違ったことは言っていない。
普通、最高司令官の立場につく者が前線へ赴くことなど、前代未聞の事態だ。それは、明確な死を隣にすることにる。
また、部下とは上官という階級上の存在を守らなければならない。そのため、上官を守るという義務が戦闘中、部下の行動を締め付ける。
無論、これは俺も理解している。だが、俺とて何も考えずに前線に出ようなどと思わない。
「問題ない。お前たちに守ってもらおうと思っていないし、死ぬつもりもない」
「なら、どうして……」
「この目で見る必要がある。現在の人類とやらを」
その言葉に、氷花らはさらに唖然とする。晩月と龍造はわからないが、氷花は足を半歩引いていた。それほど、衝撃が大きいのだろう。
何度も繰り返すが、こうなって当然だ。だからこそ示す。俺が前線に出ても無傷でいられる根拠を。
指を鳴らす。すると、俺の周りを霧煙門が包み込む。一瞬のうちに、氷花たちから俺の姿は見えなくなる。
それは霧が晴れたとて変わらない。氷花たちが見る俺の姿は、現代の指揮官としてふさわしくないだろう。
だが、それでいい。これが俺にとっての最善策なのだから。
霧が晴れた瞬間、案の定、氷花は驚愕の表情を浮かべていた。
無理もない。なぜなら今の俺は……
「上官、何ですか、その鎧は……?」
「こいつの名は龍鱗全身鎧。俺が現役だった頃、前線で幾度となく俺の命を救ってくれた。世界に一つしかない特注品と言うのが正しいだろう」
俺は、全身に鎧を身にまとっていた。セルリアンブルー主体の鎧。胸部には金メッキで、龍造家を示す四芒星が描かれている。
鎧と言えば、中世ヨーロッパのものを多く思い浮かべるだろう。鉄で保護された人間は、剣の一撃を軽々と防ぐ。
しかし、欠点も多い。動きづらいことはもちろんのこと、視野が狭まる上に敵味方の識別がつきにくい。攻撃した相手が味方だったなんて事例もあるそうだ。
それに……
「鎧では銃弾を防げません。ましてや、敵は戦車砲を使用しています。あまりにも無謀です」
そう、鎧は初速二〇〇メートルで発射される鉛玉を防ぐことはできない。これは、現実において実証されている。
だが、氷花は一つ忘れているようだ。俺の存在した時代を。
「氷花、俺が何代目かは覚えているよな?」
「一三代目です」
「その頃の敵の主力武器と言えば?」
「MGN32自動小銃です……が……!?」
「そういうことだ。この鎧は銃弾ごときでは貫通されない。人類の生み出したAPFSDSすら防ぐ。まあ、衝撃は計算外だがな」
そう、はっきり伝える。
すると、氷花は力なくふらふらと後ろに二、三歩下がり、その場に倒れかける。
その直前、残っていた空軍所属の二人がギリギリのところで氷花を受け止めた。そこまで衝撃的なことだっただろうか。
「っ……。もう、わかりました。お願いですから、私たちに守らせるような真似はしないでくださいね」
『まあ、氷花がそう言うのなら』
『私も異論はありません』
氷花の投げやりの一言で、無線越しの二人は納得したようだ。申し訳ないと思うと同時に、ありがたいとも思う。
彼女たちの言葉に応えられるよう、戦場で立ち回らなければならない。
「俺からは以上だ。何もなければ会議を終了し、武装完了の上で出撃区画に集合するものとする」
『私は問題ありません』
『こちらも同じく』
「同じく」
三人とも、同じ以降を示した。
ならば、一刻も早く出撃するべきだ。
「では、以上で会議を終了し……」
「少しお待ちください」
突如、会議終了を止める声が聞こえた。
それは、この会議で何も話さなかった水月のものだった。
その声は今までにない真剣なものである。
「何かあったのか?」
「許可をいただきたいのですが……いえ、やっぱりこれはやめておいたほうが……」
「まあ、言うだけ言ってみろ。状況によりけりだが」
「……では、お言葉に甘えて。実は―――」
思わず、目を見開いてしまった。
それは、氷花たちも同じだった。
だが、理解できた。
同時に緊張も走った。
しかし、それで良いと思った。
「……わかった。それで問題ない」
「はい、ありがとうございます」
何の躊躇いもいらない。
それと同時に、俺たちは動き出した。
牙をむき出しにして待ち構える戦場へ赴くために。




