第5話 / 冷たい海で
重くも軽くもない音が一定間隔で刻まれる。冬の冷たい海の中で、絶え間なく、命を繋ぐために脳に届き続ける。
光がまだ届く深度に敵の姿はない。日中は魚が多く泳ぎ回り、極稀にサメを見ることもある。ここだけ見れば、瀬戸内海は平和に見えるだろう。
そう、観測者が活動する日中までは―――
※
姉である女は妹に言った。「数ノットの速度差が生死を分ける」と。それは水中で生きる彼女たちにとって、最も適する言葉だった。
そんな姉は、今となっては日頃からベッド上で寝たきりの状態になっており、一日の内、五時間動けたらまだ良い方だと鎮守府の名医は言った。
実際、姉はあまり活動できていないし、どこへ行くにしても付き添いが必須条件だ。そうでもないと、容体が悪化した時に対応ができないからだ。
これらを踏まえた上で、姉は常に不自由な生活をしていると考えざるを得ない。
そんなことを考えているのは、瀬戸内海の海に潜る潜水艦の少女だ。つい先日、この海域周辺で撃沈されたデラグ級戦艦の残骸を回収するべく、水中探知機で海底の状況を確認している。
簡単に言うなら、広範囲に超音波を発し、それを跳ね返しているようなものだ。地形の詳細は、艤装を通じて脳に伝達される。
しかし、彼女が探索を開始してから一時間弱が経過するも、ラグナ級戦艦の残骸は見つかる気配がない。夜間防衛の神龍が相手をするレルベ級潜水艦の残骸なら反応があるのだが、それ以外の反応がない。
だが、これは分かりきっていたことだ。瀬戸内海という限定された範囲だが、海の中から沈んだ人一人の大きさのものを見つけることは非常に困難だ。それに加え、下手をすればサメに襲われる危険性だってある。
少女は水中にいることを忘れ、深くため息をつく。気力的な限界からか、無茶振りをした鎮守府の主を一発ぶん殴ってやりたいも考え始める。だが、規律違反で姉に怒られることが分かっているので、その想像を振り払う。
代わりに、鎮守府に戻ってからのことを考え始める。個人保存用の冷蔵庫に、干し芋が詰められた真空パックがあることを思い出し、それを食べようと考える。妹たちに食べられていないことを祈って。
そんなことを考えていると、突如として無線が反応を示した。こんな時に無線を送ってくる者は限られている。つまり、おおよその見立ては立つわけだ。
『こちら潮龍。要件を求む』
『こちら潜龍。至急、伝えたいことがある』
無線の送り主は、数いる姉の一人である潜龍だった。
案の定そうだと思っていた潮龍は、撤退の指示が降りたのだろうと思いつつも、話を聞くことにした。
『潜龍姉さん、どうかされましたか?』
『指定海域から若干外れた場所でラグナ級戦艦の主砲と思われるものを発見。至急、指定座標に集合せよ』
『……は?』
予想外の言葉に、潮龍は思わず言葉を零す。いや、よくよく考えればそうだ。海流もあるしで残骸が流されていてもおかしくない。
小一時間探していた労力は何だったのかと思いつつも、潮龍は姉の元へと向かうことにした。
※
潜龍がいたのは、さらに深度の深い場所だった。光は届いており、周囲はまだ碧で染まっている。
その場に合流したのは、潮龍ともう一人の少女だった。二人と同じ水着寄りの軍服を着ているため、彼女たちの姉妹であることが分かる。
潮龍ともう一人少女は、潜龍が手に持っているものに目を向けた。その手の中にあるのは、おそらくデラグ級戦艦のものと思われる連装砲だ。
しかし、この場ではそれであると断定できない。彼女たちはデラグ級戦艦と戦闘をしたことがないため、艤装がどのようなものなのかを把握できていない。そのため、デラグ級戦艦と戦った者から証言を得る必要があった。
無論、彼女たちは喋らずともそれを理解した。潜龍が頷き、二人はそれに合わせるようにして頷く。そして、鎮守府に戻るため、彼女たちは浮上を開始した。
しかし、浮上し始めてすぐだった。彼女たちは、背後に異様な気配を感じ取った。電波探知機の電源を切っているため、それが何かは分からない。ただ、嫌な予感がした。
彼女たちは事が起こる前に、それぞれが別々の方向へ散る。そして、回避行動を取りながら背後を確認した。
すると、先ほどまでいた場所を魚雷が通り抜けていった。それらは気泡を残し、青い海の中へ消えていった。
ここで確定した。そして、三人は敵の存在を視認する。
その目が捉えたのは、五隻の敵潜水艦の姿だ。その魚雷発射管は、こちらを睨んでいるのが確認できる。
潮龍ともう一人の少女は、共に双剣を引き抜いた。そして、両手で残骸を抱える姉に向け、無線を送る。
『潜龍姉さん、ここは私たちが引き受けます。鹵獲品、しっかりとあの子の元に届けてください』
『私からも、お願いします』
可愛い妹からの言葉。そして、それを殺すかもしれない敵の存在。
潜龍は一瞬戸惑いを見せたが、黙って頷き、残骸を抱えながらその場を離れた。
改めて、数的不利な状況に陥った。無論、二人に負けるつもりなど微塵もない。ただ、処理効率が落ちるという理由だけだ。
『貌龍、二隻ほど仕留めてちょうだい。残りは私が殺る』
『了解しました。姉さんの望むままに』
貌龍と呼ばれた少女は、姉の指示を聞いて動き出した。迷わず敵潜水艦のへ突撃する。そして、目にも留まらぬ速さの双剣の横薙ぎで、一隻を仕留めた。
水の抵抗がある中、陸上と同じ速度で双剣を振り、敵潜水艦の頸動脈を的確に斬り裂く速度は、何度見ても目を見張らざるを得ない。
脅威を感じた敵潜水艦は、接近戦を仕掛けてきた貌龍から距離を取るべく後ろに下がる。
しかし、貌龍はそれを許さない。間髪入れずに魚雷発射管から魚雷を撃ち出した。
超至近距離から放たれる魚雷は、一隻の敵潜水艦を仕留めた。流れるように繋がる異なる攻撃は、敵潜水艦の注意を引いている。
しかし、敵潜水艦は忘れている。敵は一人だけではないことを。
逃走経路を確認するため背後を振り返った一隻が、刹那の間に頸動脈を斬り裂かれた。血の匂いが水中に広がり、敵潜水艦は仲間の死と死神の存在に気づく。
このまま死ぬだけでは意味がないと、敵潜水艦はせめて一矢報いるため、腰に下げているサーベルを引き抜いた。そして、二人で潮龍の首を斬り落とそうとする。
そう思った時、二人の視界は反転した。潮龍顔が逆さまに見える。まるで世界が反転したようだ。
しかし、二人は気づいた。僅かに映った自らの体を見て、首を斬り落とされたのだと。
元より自覚していた練度不足が仇となった。己の実力不足を恨み、敵潜水艦は永遠の潜航を開始した。
※
鎮守府では、おおよそ変化することのない生活が続く。たとえ変化があったとしても、よほど大きなことではない限り自然と生活の一部に組み込まれることが多い。
しかし、当たり前だと思ってはいけないことが存在するのもまた事実だ。
療養室には咳き込む少女の声が響く。少女の肌の色はいたって普通で、特に病気を患っているようには見えない。
しかし、それは外見上の話。その体は見えない脅威に蝕まれ続けている。それが深刻化し、今となっては一日五時間活動できたら良い方だと、医者の妹に言われるくらいだ。
少女が口を押さえていた手を離すと、そこには血が付着していた。口の中も、自然と血の味がした。
すると、隣に立つ妹が姉の手についた血を拭き、水入りの紙コップを差し出した。
「口をゆすいで、その水はそれに戻してください」
「ええ、ありがとう」
少女は妹に礼を言うと、水を口に含み、口の中の血を洗い落とす。それをコップに戻し、妹の手に渡す。
「体調は大丈夫ですか?」
「ええ、今のところはね」
姉な言葉に、妹は「そうですか」とだけ答え。コップを近くの机の上に置く。
すると、彼女は白衣の内側から検査キットのようなものを取り出し、机の上に並べ始めた。そして、姉から受け取った水の検査を開始する。
沈黙が生まれる。元より妹の方がそういう性格なこともあるが、決して楽な話をできる空気ではない。
しかし、姉の方は違った。こういう時だからこそ、気楽に自分のことを話してほしいと思う。なによりも、常日頃から妹の心が疲弊しているのを見抜いているからだ。
「氷龍、無理はしなくていいのよ。たまには自分のことを優先しても」
姉の方は妹の名を呼び、積極的休暇を促す言葉をかける。
その言葉に、妹の方、氷龍は握っていた試験管を試験管ラックに立て、振り返って姉と顔を合わせる。
「自分のことならば、既に優先していますよ。海龍姉さんが苦しまず生活できるようにするのが、今の私にとって優先するべきことです」
氷龍から返ってきた言葉。それは、姉である海龍の病気を治し、苦しまずに生活させたいという純粋な願いだった。
海龍は、胸の奥を締め付けられるような痛みを覚えた。同時に、ここまで良くしてくれる妹に申し訳ないと思った。
「氷龍、その……」
海龍が何か言いかけた。しかし、それと同時に大きな音が響く。何かを叩きつけたような、そんな音だ。
音のする方を見ると、全開にされた扉とそこに立つ白衣を着た少女が見える。その少女は息を荒げながら、膝に手を付けて体を支えている。
「諌龍、そんなに慌ててどうしたの? まさか、また火薬が爆発して怪我をしたとかではないわよね?」
氷龍は少女を諌龍と呼んだ。呼び方からして、氷龍の妹に当たる存在のようだ。
氷龍の問いに、諌龍は息を荒げたまま首を横に振る。
それと同時に、諌龍は海龍の元に駆け寄り、その華奢な手を両手で掴んだ。
「どうかしたの? 喧嘩でもしちゃったのかしら?」
「……ったんです」
海龍の問いに、諌龍は小さく掠れた声で何か言う。無論、海龍はこれを聞き取れていないため、妹の言葉をはっきりさせる必要がある。
「ごめんなさい、もう一度言ってくれないかしら」
「やっと手に入ったんです!! 自動装填装置が!!」
諌龍は元気よく、興奮気味の声で答える。海龍を見つめる瞳は、水を得た魚のように輝いている。
一方、海龍と氷龍は何の話なのかを把握できず困惑するだけで、頭と理解力がついていっていない。
「えっと、それはどういう?」
「潜龍がラグナ級戦艦の残骸を回収してきてくれたんですが、その残骸に自動装填装置が付属していたんです」
早口言葉と捉えるほどの口調。海龍も、氷龍もすべてを聞き取れていない。
とりあえず、諌龍にとって何か良いものが見つかったのだということだけは分かった。
諌龍の話は続いた。海龍はそれをすべて聞き取ることはできず、おおよその内容を遮断しながら頭の中で整理をつけている。
氷龍は最初こそ真剣に聞いていたが、話が長くなるにつれてだんだんと面倒くさくなり、やがて海龍の血液を調べる作業に戻ってしまった。
「―――ということで、自動装填装置があると後々便利になるんですよ……って、氷龍姉さん、聞いてますか?」
諌龍は全てを話し終えた。それと同時に、話を聞いていなかった氷龍の肩を叩く。
「ええ、あなたが変態科学者だってことは分かった」
「変態とは失礼な! これでも提督から冥夜技術の継承者として認識されてるんですよ!」
氷龍は諌龍の話を軽く受け流し、手元の検査キットの作業を続ける。話を無視された諌龍は不服そうにするも、氷龍を邪魔してはいけないと腕を組んで感情を抑える。
一方、海龍は諌龍の話した内容の整理を終えていた。とりあえず、艦隊の強化が見込めるとの結論で良いのだろう。
しかし、その自動装填装置は元は敵のものだ。それに加え、主砲口径もそこそこ大きいもの。転用できたとて、重巡洋艦あたりになるだろう。
だが、海龍にとってそんなことはどうでも良かった。普段から研修室に籠っている諌龍が、わざわざ療養室まで足を運んでくれたことが純粋に嬉しかった。
理由がどうであれ、その気持ちが変わることはなかった。
「海龍姉さん、どうかしましたか? 笑みなんか浮かべて」
諌龍が言う。そこで、海龍はいつの間にか笑みを浮かべていたことに気づく。
「いいえ、何でもないわ」
海龍はそう言い、穏やかな表情を諌龍に向けた。
諌龍は何かあるなと確信しつつも、海龍がそう言うのであればとそれ以上言及することはなかった。
重くも穏やかな時間。ゆっくりと過ぎ、その場の三人の心に深く染み込む。これを幸せ以外の言葉で表現できることを、長女はまだ知らない。
見えない影は、彼女のすぐそばまで迫ってきていた。




