置いていく理屈
化け物の唸り声が遠ざかったのを確かめてから、ハルはようやく詰めていた息を吐いた。
崩れた瓦礫の陰に転がり込み、三人はしばらく声も出せずにいた。動いているのは、荒い呼吸の音だけだ。
「……ミラ」
呼びかけても返事は鈍い。肩口を押さえたミラの指の間から、黒っぽい血がじわりと滲んでいる。顔は青白く、脂汗が浮いていた。
「平気。かすり傷……ってのは、噓だな、これ」
強がって笑おうとした声が、途中で掠れて消える。立とうとした膝が、あっさり崩れた。
「無理すんな」
ハルは右手を握った。感触がない。指の股まで焼けるような痺れが居座って、まともに開くことすらできない。掴んで、軽くして、担いで運ぶ――いつもの手順が、今はどれも使い物にならなかった。
「……おい」
黙って座り込んでいたガロが、ようやく口を開いた。声には、さっき仲間を置いて逃げた気まずさなど欠片もない。
「悪いが、その女は置いていくぞ」
「はあ?」
「担いで歩けば速度は落ちる。また奴が来たらどうする気だ。俺は今まで何人もの若造を送り出してきたが、動けねえ奴を庇って全員くたばる現場も嫌ってほど見てきたんだよ」
理屈だけは一丁前だった。ガロの目は、ちらちらと通路の奥――逃げる方向にばかり向いている。
「あんたな……」
腹の底から灼けるような怒りがせり上がる。だが怒鳴りつけたところで、こいつの腰が据わるわけじゃない。ハルは奥歯を嚙んで、それを飲み込んだ。
「知るかよ」
ハルはミラの無事な方の腕を自分の肩に回した。折れかけた右手を使わず、生身の背中と足だけでその重みを引き受ける。ずしりとした重さが肩に食い込み、痺れた腕にまで鈍い痛みが響いた。
「置いていくくらいなら、俺が担ぐ」
「……坊や」
ミラが掠れた声で笑おうとして、失敗した。「らしくない台詞、吐くじゃないの」
「うるせえ、黙って摑まってろ」
ガロは舌打ちひとつでそれ以上何も言わず、渋々といった様子で先に立って歩き出す。せめてもの良心か、それとも自分だけ先に行くことへの後ろめたさか、ハルには判断がつかなかった。
来た道を戻ればいい。それだけの話のはずだった。
だが、松明代わりの発光石を掲げたガロが、通路の先で足を止めた。
「……おい、噓だろ」
覗き込んだ先――入ってきたはずの道の向こうに、いくつもの濁った目が、闇の中でぎらついていた。一つや二つではない。壁の亀裂という亀裂から、蠢く気配がにじみ出している。
まるで、この一帯そのものが、化け物の縄張りだとでも言うように。
ハルはミラを支えたまま、乾いた声を絞り出した。
「上等だ……どこから帰れってんだよ、これ」




