第79話「量り返す手」
石畳がまた脈打った。三度目のそれは、もう足の裏だけでなく、腹の底まで直接殴りつけてくるようだった。壇の上、掲げられた欠片が放つ光が、群衆の頭上に紫がかった影を落としている。
近くにいた白髪の老人が、不意に膝から崩れ落ちた。何かに押し潰されたような呻き声を漏らし、地面に手をついたまま立ち上がれない。その傍らで、幼い子供が甲高い泣き声を上げた。誰も彼らを助けに動けない。石畳そのものが、そこにいるだけの人間の重さを勝手に量り、選り分けにかかっている。
(――量られてるのは、あの二人だけじゃねえ)ハルは奥歯を噛んだ。この街にいる誰もが、今この瞬間、コルドーの秤に乗せられている。
コルドーはその光を背に、ゆっくりとハルへ視線を落とした。声を張らず、それでも広場の隅々まで届く、いつもと同じ抑揚のない声だった。
「あなたにも、わかるはずです」コルドーは静かに笑んだ。「これは、正しいことです。誰が生き残るに値するか――それを、この街に正しく量り直させていただくだけです」
(――正しい、ときたか)ハルは胸の内で毒づいた。柄にもなく、開いたままの右手の指先が震えた。握れない。それでも、足は止まらなかった。
「ミラ」
「言われなくても」ミラはもう、ハルの垂れた右手に自分の手を重ねていた。「二人分でも一つの秤にはなる――そう言ったよな、あたし」
壇の周りは既に戦場だった。オルグが杖を振り回し、近づく者たちを老いた声で怒鳴りながら押し留めている。屋根の上では、監視者がコルドーの手勢の得物を次々と叩き落とし、コルドー自身には指一本触れさせないまま睨みを利かせていた。
「――そっちは触れさせねえ」荒っぽい声が降ってきた。
「――掴み屋」
聞き覚えのある、抑揚の薄い声が横合いから響いた。フードの人物だった。いつからそこにいたのか、誰も気づかなかった。
「その石を、出せ」フードの人物は静かに言った。「オルグの連れが見た遺跡と、同じ形をした欠片だ。測るための道具じゃないと、あの男は言った。……それは正しい。道具なんかじゃない。掴み屋、お前自身の手と、同じものだ」
懐の中、ハルは天秤の形をした小さな石を握った。握れない右手ではない。左手だ。石は冷たく、なのにどこか脈打つ壁と同じ熱を持っていた。
(じいさんの連れも、リードの師匠も――量られて、消えた。それだけのことだと、皆が言った)
ハルは思う。だが、それだけのことで終わらせるつもりはなかった。
「――俺の手は、雑用にしか使えねえ地味な力だって、散々言われてきたよ」ハルは低く言った。声は誰に向けたものでもなかった。「掴み屋、掴み屋、掴み屋。……悪いが、その名前で終わる気はねえ」
ミラの手を通して、痺れた右腕の奥に力が流れ込む。二人分の重さが、一つの秤に乗る。ハルは左手の石を、右手ごと欠片に押し当てた。
コルドーの笑みが、初めてわずかに揺れた。
「――それは」
「量ってやるよ、あんたの企てをな」
欠片の脈動が、ハルとミラの重ねた手の中で軋んだ。街全体の重さが、一度にのしかかってくる。指の骨が軋み、視界が白く飛びかけた。
――ぐらり、と手の中の均衡が傾いだ。押し返してくる。欠片の奥、コルドーの意志そのものが最後の力で膨れ上がり、二人分の秤を弾き飛ばそうとしていた。ミラの指先が、汗で滑って浮きかける。
「――離すな!」ハルは歯を食いしばって叫んだ。
「離すかよ、こんなとこで!」ミラが噛みつくように言い返し、垂れたハルの右手を両手で握り込んだ。指の感触は返らない。それでも、繋がる重さだけは確かにそこにあった。
それでも手は離さなかった。軽くするでも、重くするでもない。量る。欠片の脈動そのものの正体を、二人分の秤に乗せて測り切る。押し返す力に、二人分の重さを丸ごと乗せて押し切った。
石畳の脈動が、ぐらりと大きく波打ち――そして、萎むように静まっていった。
欠片の光が、街の色を映すただの結晶の輝きに戻っていく。膝をついていた老人が、詰めていた息を吐くように大きく肩を上下させた。子供の泣き声が、まだ震えながらも止んでいく。群衆のざわめきが、恐怖から戸惑いへと変わっていく。
群衆の向こうから、覚えのある足音が近づいてきた。熱でまだ足元の怪しいリードが、ライグに肩を借りながら壇の下まで歩いてきていた。
「リード!」ハルは思わず声を上げた。
「寝てろって言ったのに」ミラも呆れ半分に言ったが、その声には安堵が滲んでいた。
「まだ死ぬわけにはいかない。この目で見届けるまではな」リードは掠れた声で、それでも薄く笑った。二の腕の痣は、もう広がっていなかった。
オルグは、震える指で杖を握り直しながら、崩れていく光をただ見つめていた。
「……儂の連れも、こんな光を見たんじゃろうな」老人は掠れた声で言った。「あん時は、誰も止められなんだ。……今は、止められる奴がおる」
「じいさん」ハルは低く言った。……声が、思いのほか掠れた。「その連れの分まで、量り返してやったぜ」
コルドーは、崩れていく自分の企てを、最後まで見つめていた。逃げようとはしなかった。手勢に指示を出すこともしなかった。ただ、静かに立ち尽くしたまま、壇の上でその結末を受け止めていた。
「――終わりました」コルドーは誰に言うともなく呟いた。「……いえ、まだでしょうね」
その声にはもう、いつもの余裕はなかった。だが、抵抗する気力すら見せず、コルドーはその場に立ち尽くしたまま、ゆっくりと目を閉じた。




