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掴み屋ハル ―手のひらひとつの、生存戦線―  作者: SG


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第73話「初対面ではない」

物置に駆け込むと、行灯の下でオルグはまだ天秤の石をじっと見つめていた。ハルとミラが入ってきたことにも、しばらく気づかないふうだった。


「――ああ、兄ちゃんか」ようやく顔を上げる。「随分と早いのう。何かあったんじゃな」


ハルは左手で懐から徽章の欠片を取り出し、机の上、石の隣に置いた。動かない右手では取り出せない。もう慣れた動作だった。


「リードの徽章だ。生きてるかもしれねえ」


オルグの目が細くなった。「本当か」


「監視者が見つけた」ミラが言った。「ヴェインが荷を隠してた蔵に、コルドーの息のかかった連中が見張りに立ってる。まだ息のある捕虜がいるって噂だ」


オルグは黄ばんだ目で欠片を見つめ、やがて長く息を吐いた。「……そうか。まだ、いなかったことにはされちゃおらんのじゃな」


「けど、妙なんだよ」ミラが眉を寄せた。「見張りの連中、コルドーの命令にしちゃ怯えすぎてるって。誰かを閉じ込めてるっていうより、誰かから守ってるみてえな顔してるって、監視者は言ってた」


「それに――」ミラは声を落とした。「監視者は、リードがコルドーを追ってたのは上からの命令だけじゃねえ、何か個人的な借りでもあるみたいな口ぶりだったってさ。理事の不正を暴くだけにしちゃ、妙に食らいついてた、って」


オルグの杯を持つ手が、微かに震え出した。


(じいさん、また……)ハルは胸の内で毒づいた。柄にもなく、その手の震えから目が離せなかった。


「じいさん」ハルは低く聞いた。「コルドーの名、聞くたびそんな顔しやがるな。……知ってんのか」


オルグは杯を置いた。長い沈黙が落ちる。


「……儂とコルドーは、初対面ではない」


ミラが息を呑んだ。「――は? 初対面じゃないって、どういうことだよ」


オルグは杯の縁を指でなぞりながら、言葉を選ぶように話し始めた。


「大異変の前――ずっと前、まだ儂が迷宮に潜っておった頃の話じゃ。……その頃、コルドーはまだギルドの下働きに過ぎん、ただの記録係じゃった」


「記録係が、今は理事だってのか」ハルは低く言った。


「上に食い込むのが早い男でな」オルグは苦い顔をした。「儂らが持ち帰る素材より、儂らが潜った"跡"の方に興味を持つ変わり者じゃった。……特に、迷宮の底で何を見たか、そればかり聞いて回っておった」


「じいさん」ミラが静かに聞いた。「その連れとは、長い付き合いだったのかよ」


オルグは答える代わりに、小さく頷いた。それだけで、十分だった。


「儂の連れも、あの男に何度も声をかけられておったわい。あの遺跡の話を、根掘り葉掘り」


ハルの喉が詰まった。「――その連れが、天秤の欠片を持ち帰って、二度と目を覚まさなかったっていう、あの……」


オルグは頷かなかった。ただ、目を伏せた。


「あの日の前の晩、儂の連れはコルドーと二人で長く話し込んでおった。何を話したかは、儂も知らん。……知ろうとせんかった」


声が、少し掠れていた。ハルは、その一言に混じった後悔の重さを聞き取った。


オルグの目が、ふと、だらりと垂れたハルの右手に落ちた。


「……兄ちゃん」オルグの声が、急に低くなった。「その手も、いつかコルドーに目をつけられる。あの男は、測れんもんを測る力に、昔から目がないんじゃ」


ハルは思わず、動かない右手を見下ろした。


「……知るかよ」ハルは低く吐いた。柄にもなく、声が硬くなっていた。「測られる側に回ってやる義理はねえ」


「じいさん」ミラが言った。「その連れ、名前くらい聞かせてくれよ」


オルグは首を振った。「今は言えん。……儂の口から言えるのは、ここまでじゃ」


「じゃあ、あの遺跡と天秤の石は――」ハルが言いかけたところで、オルグは杯を呷り、目を逸らした。


「今夜のところは、それだけじゃ。……行くなら、行け。儂は、ここで待っとる」


(――このまま行っちまっていいのかよ)ハルは胸の内で舌打ちした。柄にもなく、老人の丸めた背中から目が離せなかった。連れを死なせた後悔と、コルドーへの古い恐れと、両方を一晩で吐き出させておいて、礼の一つも言わずに背を向けるのは筋が違う気がした。


「……じいさん」ハルは低く言った。「言いにくいこと、無理に喋らせて悪かったな。……礼を言うのは筋違いかもしれねえが、言っとくよ」


「儂の連れの分まで、ありがとよ」ミラもそっと付け加え、老人の丸まった肩に手を置いた。「――一人でここに残って、大丈夫かよ」


オルグは束の間、驚いたように二人を見上げた。それから、皺だらけの顔をくしゃりと崩し、笑ったような、泣いたような、判然としない声を漏らした。


「……儂のことは気にせんでいい。年寄りの繰り言に付き合わせた詫びは、こっちが言うべきじゃろうよ」老人は杯を軽く持ち上げた。「行け。儂は、ここで待っとる。……それが、一番性に合っとる」


老人はそれ以上、何も語らなかった。だが、机の上の天秤の石を見つめる目の奥には、まだ何かを隠している者の光が、確かに残っていた。


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