脈打つ壁
重い足音は、しばらく進んだ先で唐突に途絶えた。
追ってはこない。だが安心はできない、というのがハルたちの一致した見立てだった。奥へ真っ直ぐ突っ込むのは自殺行為だ。三人は迂回するように、崩れた遺構の隙間を縫って別の通路へ逃げ込んだ。
「……このまま手ぶらで帰る気か」
ガロが吐き捨てるように言った。腰の採取袋は、情けないほど軽い。今日はまだろくな獲物にも当たっていない。このまま稼ぎなしで地上に戻れば、宿代どころか明日の飯にも詰まる。
「贅沢言うなよ。生きて帰れりゃ御の字だろうが」
軽口を返しながらも、ハルの腹の底では同じ焦りが疼いていた。手の痺れはとうに引いている。だが空手で帰るなら、あの痺れさえ無駄働きだ。
「……ちょっと待って」
先頭を進んでいたミラが足を止めたのは、その通路の壁際だった。松明代わりの発光石を掲げ、壁面に顔を近づけている。
「これ、見てよ」
ハルも覗き込んだ。壁の表面に、瘤のような盛り上がりがいくつも並んでいる。石とも肉ともつかない、灰色がかった質感。奇妙なのは、その盛り上がりの根元にひび割れが走り、まるで内側から押し広げられたような跡があることだった。
「……瓦礫が押し出されてる、みたいな」
ミラの声には、からかいの色がなかった。
ガロも一瞬、足を止めて眉をひそめた。長年迷宮を渡り歩いてきた勘が、何かに引っかかったらしい。だがそれも束の間、すぐに鼻を鳴らして自分を納得させるように吐き捨てた。
「……風化して崩れただけだろうが。迷宮なんざどこもこんなもんだ」
実際、迷宮の壁が崩れかけているのは珍しい光景ではない。だが――ハルは無意識に、その盛り上がりの一つに触れていた。
利き手ではない。左手だ。何の力も乗らない、ただの指先。
それでも、伝わってくるものがあった。
冷たい石の感触の下に、かすかな――本当にかすかな、脈のようなものがある気がした。
「気のせいだ」
言い聞かせるように呟いた自分の声が、やけに小さく聞こえた。
「おい、掴み屋。油売ってねえで進むぞ。手ぶらで干上がるのはお前も御免だろうが」
ガロがすでに数歩先を歩き出している。壁の異常などとうに頭から追い出した足取りだった。
「気のせいだろ、こんなもん」
言葉とは裏腹に、ハルは手を離すのが一拍遅れた。
石だ。ただの石のはずだ。だが掌に残った感触は、何かに似ている――生き物の肌に、指先で触れたときの感触に。
「なあ」
ミラも同じものを感じ取ったのか、声を落として隣に並んだ。からかいの気配はとうに消えていた。
「ハルも、変だと思うだろ」
答える代わりに、ハルは足元に視線を落とした。踏みしめた瓦礫の下、地面そのものが、たしかに――
どく、と一度だけ、脈打った。
「っ――!」
思わず飛び退いたのはミラだった。とっさに短剣の柄に手をかけ、ハルも反射的に腰を落として身構える。だが、それきり何も起こらない。静まり返った通路に、三人分の荒い息だけが響いていた。
普段なら真っ先に軽口を叩くガロさえも、口を閉ざしたまま、しばらく壁から目を離せずにいた。




