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掴み屋ハル ―手のひらひとつの、生存戦線―  作者: SG


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ようやく、直接話せる

光が収まる気配はなかった。


夜空を裂く紫がかった柱を背に、街はすでに崩れ始めていた。誰かの叫び声、割れた瓦の落ちる音、逃げ惑う足音――ハルとミラが人波を割ってギルド出張所の前に着いた頃には、通りはもう半分がひっくり返った市場のようになっていた。


「――こっちも、いつもと違うな」ミラが荷車の残骸を避けながら言った。


出張所の前には、いつもの間延びした受付の空気はなかった。職員が机の帳簿を抱えて右往左往し、扉の前では見覚えのない衛兵が数人、槍を構えたまま何をどう構えればいいのか分からない顔で立っていた。


「――兄ちゃん! 嬢ちゃんも!」


声に振り向くと、人だかりの隙間からオルグが杖を突きながら現れた。息が上がっている。年寄りの足で、よくここまで駆けてきたものだった。


「じいさんまで出てくるとは思わなかったよ」ミラが言いながら、その息の乱れ方に目を細めた。「――そんな足で走るない、じいさん。転んで頭でも打ったらどうすんだよ」


オルグは答えなかった。代わりに、灰塚のある方角――夜空に立ち続ける光の柱を見上げた。その顔から、一瞬で酔いも軽口も消えた。


「……あれか」オルグの声が低く沈んだ。「あの色、あの脈打ち方……」


(じじい、そんな面するほどのことかよ)ハルは胸の内でひとつ毒づいた。柄にもなく、その怯えた横顔から目が離せなかった。


「知ってんのか」ハルは言った。押し殺した声だった。「灰塚の主と同じ色だ。……何隠してんだよ、そんな顔しやがって」


オルグはハルを見て、それから口を開いたが、出てきたのは言葉にならない吐息だけだった。喉の奥で何かを噛み殺すように、老人は目を逸らした。


「……儂に言えるのは、ろくなもんじゃないってことだけじゃ」


それ以上は言わなかった。核心には触れず言葉を濁す、いつもの癖だった。だが今日ばかりは、その沈黙が普段より重かった。


「……なあ」ミラがふと声を落とした。「リードは。あの人、どうなってんだよ」


オルグは首を振っただけだった。「儂には分からん。……姿を見た者もおらんわい」


答えにならない答えだった。ハルは奥歯を噛んだ。行方の知れない監査官のことを考える余裕は、今この瞬間にはなかったが、頭の隅にその名が引っかかったまま消えなかった。


その時だった。


騒ぎの真ん中を、誰も彼もが慌てて逃げていく中、ただ一人だけ足音が違う人影があった。慌てず、乱れず、瓦礫を避けるでもなく踏むでもない歩調で、まっすぐこちらへ向かって来た。


灰がかった外套を纏い、歳の頃も定かでない男だった。仕立てに重みはあるが、それはリードの背筋を伸ばした簡素な佇まいとは違う、もっと厚みのある――値踏みする側の人間が纏う質の生地だった。


(リードじゃねえ)


ハルはすぐにそう気づいた。歩き方も、纏う気配も、まるきり別物だ。


出張所の職員たちが、その姿を見るなり凍りついたように動きを止めた。槍を構えていた衛兵の一人が、慌てて槍を下げて頭を垂れた。もう一人は槍を取り落としかけ、慌てて拾い直した。


「あれは……」オルグが呟いた。声に、初めて聞く種類の緊張が混じっていた。


ミラの手が、無言で腰の小刀の柄に触れた。ハルの右手――痺れの抜けきらないその手のひらに、鈍い疼きが走った。まるで、迫るものの重さを先に量ろうとするみたいに。


男は騒ぎのどこにも属していないような足取りで、まっすぐハルの前まで来て止まった。灰塚の光を背にしても、その顔には焦りも動揺もなかった。ただ、値踏みするような静かな視線だけがあった。


「――誰だよ、あんた」ハルは低く聞いた。


男は名乗らなかった。代わりに、初めて――ハル自身も驚くほど自然に、静かにその名を口にした。


「掴み屋のハル、ですね。ようやく、直接お話しできます」


声は、灰塚の轟きにも街の喧騒にも紛れず、やけにはっきり耳に届いた。抑揚のない、崩れない敬語だった。


男は踵を返さなかった。それどころか半歩だけ距離を詰め、背後の衛兵たちへ目もくれずに片手を上げた。それだけで、槍を構え直しかけていた衛兵たちが、また凍りついたように動きを止めた。


「下がっていて構いません。少し、この方とお話があるだけです」


命令の言葉ではなかった。だが、それに逆らう者はこの場に一人もいなかった。


「――少し、お時間をいただけますか」男はハルへ視線を戻した。「掴み屋としてではなく、あなた個人に伺いたいことがあります」


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