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掴み屋ハル ―手のひらひとつの、生存戦線―  作者: SG


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迷宮が目を覚ます

路地を出てからも、フードの人物の言葉が耳の奥にこびりついて離れなかった。


――コルドーが探しているのは、掴み屋、お前の手じゃない。灰塚――迷宮そのものだ。


「……三つの話が一本の線、か」ミラが歩きながら呟いた。「聞けば聞くほど、頭がこんがらがるだけだよ」


「考えるだけ無駄だ。今はリードだ」ハルは垂れたままの右手をちらりと見て、それから前を向いた。「決めたことだろうが」


「分かってるよ」ミラは短く答えたが、その声にはまだ迷いの色が残っていた。


地面が揺れたのは、その時だった。


足の裏から突き上げるような重い震動が来て、二人は同時に立ち止まった。地震にしては揺れ方がおかしかった。一度、二度、心臓の鼓動のように間を置いて繰り返した。


「――今の」ミラの顔から、笑みが完全に消えていた。


「地鳴りなんて生易しいもんじゃねえ」ハルは奥歯を噛んだ。震動の出所は、街の外れ――灰塚のある方角からだった。


通りの人々もざわつき始めていた。露店の壺が転がり、犬が一斉に吠え出した。誰かが「地震だ」と叫び、誰かが「違う、あっちだ」と灰塚の方角を指差した。


怒鳴り声が輪を広げ、露店の男が客を突き飛ばすようにして走り出す。逃げ惑う人波に押されて、ミラの体が大きくよろけた。ハルは咄嗟に――握れない右手ではなく、まだ動く左手でその肩を掴んで支えた。


「っ……悪い」ミラが息を吐いた。


「突っ立ってんじゃねえ、こっちに寄れ」ハルは短く言って、人波の流れから一歩ミラを引き寄せた。


「灰塚の方は放っておいてもいいのかよ、って聞いたのはあたしだけどよ」ミラが掠れた声で言った。「まさか、こんな形で答えが来るとは思わなかったな」


ハルは答えなかった。答えられなかった。リードを追うか、灰塚を追うか――選ぶ余地はあるとフードの人物は言った。だが今、その二択自体が意味をなくそうとしていた。


(――リードを助けに行く暇なんざ、じきに無くなるかもしれねえ)


ハルは胸の内で毒づいた。この光が続く限り、迷宮の方が先に牙を剥く。それだけは、嫌になるほどはっきりしていた。


震動が三度目に来た時、街の喧騒の向こうから、悲鳴じみた声が上がった。人々の視線が、一斉に空へと吸い寄せられていった。


同時に、足元の石畳がびりびりと震え、隣の建物の庇から漆喰の欠片がぱらぱらと剥がれ落ちてきた。ハルはミラの襟を引いて後ろへ下がらせ、自分も崩れかけた庇の真下から飛び退いた。頭上を掠めた欠片が、二人が立っていたはずの場所で砕け散る。


「――近いんだよ、いちいち!」ミラが吐き捨てるように言ったが、その声はもう軽口の域を出ていなかった。


ハルもつられて顔を上げ、そのまま息を止めた。


灰塚のある方角の夜空に、光が滲み出していた。最初はわずかな明るみだったそれは、見る間に太さを増し、地面から突き刺さるように――いや、噴き上がるように空へと立ち昇っていった。色は、赤でも白でもなかった。濁った紫がかった、見覚えのある発光の色だった。


「あれ……」ミラの声が震えていた。「あの色、まさか」


「――灰塚の主だ」ハルは吐き出すように言った。喉が渇いて、続きの言葉が出てこなかった。あの継ぎ接ぎの体を覆っていた紋様。掴んでも掴んでも重さが返ってこなかった、あの化け物の光と、寸分違わず同じ色だった。


「主の残骸だけの話じゃなかったのかよ、これ」ミラが呻くように言った。軽口を叩く余裕は、もうその声のどこにもなかった。


光の柱は萎むどころか、脈打つように強さを増しながら夜空を裂き続けていた。街中の人間が足を止め、遠くの光を見上げていた。喧騒はいつしか静まり、ただ光を見つめる無数の視線だけが夜を埋めていた。


ハルは動かない右手を握ろうとして、また握れないことに気づいた。それでも足が竦んで動かない。灰塚が、まるで巨大な生き物のように、街に向かって存在を叫んでいるかのようだった。


「……迷宮そのものだ、って、あいつは言ってたな」ハルは掠れた声で呟いた。


「掴み屋の手じゃなく、迷宮そのものが狙われてる――ってことは」ミラが息を呑んだ。「あれは、狙われて目を覚ましたってことかよ」


答える者は誰もいなかった。


ただ、灰塚の主の紋様と同じ色をした光だけが、夜空を焼くように噴き上がり続けていた。ハルとミラは、何もできないままそれを見上げていた。


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