第50話「結晶の胎が見せた街」
オルグが黙り込んだ翌朝、ハルとミラは灰塚へ向かっていた。
「儂はもう潜らんが」――昨夜、あれだけ言った後にオルグが付け加えた一言が、まだ耳に残っていた。「見なきゃ分からんこともある。潜るなら、瓦礫の境まではまた付き合ってやるわい」
境の岩場で別れる間際、オルグは震える右手にちらりと目をやっただけで、余計なことは言わなかった。
「――兄ちゃん、嬢ちゃん。今日ばかりは、儂の忠告なんぞより自分の目を信じるんじゃな」
「随分、投げやりじゃねえか、じいさん」
「投げやりなんぞじゃないわい。儂が言葉を重ねたところで、あの光の意味は変わらんでな」
それだけ言うと、オルグは瓦礫の縁に腰を下ろし、あとは動かなかった。ハルはその背に一度だけ「――待ってろよ」と素っ気なく言い残し、ミラと共に灰塚へ足を踏み入れた。
深部の広間は、来るたびに勝手知ったる道になっていた。それが良いことなのかどうか、ハルには分からなかった。
奥の一角、あの脈打つ光の塊が並ぶ場所に着いた瞬間、異変はもう始まっていた。
「……なあ、これ」ミラの声が低く強張った。「昨日より、増えてねえか」
膜に包まれた塊は、以前見た時よりも数を増し、光の明滅も明らかに速くなっていた。まるで何かを急いで伝えようとするように、点滅の間隔が縮まっていく。
「……お前も、その面じゃ大概だな」ハルは横目でミラの強張った顔を見て、素っ気なく声をかけた。「無理して軽口叩かなくていいぞ、こんな時くらい」
「うるさいな、余計なお世話だっつの」ミラは口では突っぱねたが、それで少しだけ肩の力が抜けたようだった。
「オルグの言った通りだ」ハルは呟いた。「大異変の前から脈打ってた、ってあれ――こいつのことかもしれねえ」
「じいさんの話を裏付けてどうすんだよ、こんな不気味な光が」ミラは軽口のつもりだったのか、語尾が震えていた。「……おい、そっちに近づく気かよ」
「知りてえんだよ、こっちも」
ハルは痺れの残る右手を見下ろした。震えるだけで、まともに拳も握れない手だ。それでも、この手でしか確かめようがないことがあった。
「――おい、ハル」ミラが低く呼んだ。「無理すんな。またやられんぞ」
「……そっちこそ、逃げる準備だけはしとけよ」
強がりでも何でもなく、素直にそう返して、ハルは膝をつき、右の手のひらをそっと塊の表面に押し当てた。
秤の手が発動するかどうかも分からなかった。生き物でも道具でもない、それが何なのかすら分からないものを相手に、この力が届くのか。
だが触れた瞬間、掴んだ、という感覚があった。
同時に、頭の奥で何かが弾けた。
塊の内側で明滅していた紋様が、ばらばらに崩れ、渦を巻き、まるで並べ替えられるように形を変えていく。灰塚の主の体表にあったものと同じ紋。壁の亀裂の奥で脈打っていたものと同じ紋。それが今、意味のある形へと組み上がっていく――ハルにはそう感じられた。
手を離そうとした。だが指が、塊の表面に貼り付いたように動かなかった。震えるだけだったはずの痺れが、急速に焼け付くような熱へと変わっていくのが分かる。まるでこの手ごと、向こう側へ引きずり込もうとするかのように。
「……ハル?」
ミラの声が、やけに遠くから聞こえた。
視界の端が白く滲み、次の瞬間、ハルの脳裏に流れ込んできたのは、迷宮の景色ではなかった。
塔が並び、通りが延び、見たこともない形の建物が立ち並ぶ、古い――途方もなく古い、街の景色だった。
「……おい、ハル! 手を離せ、聞こえてんのか!」
肩を掴んで揺さぶられている感触すら、今のハルには薄い膜越しのように遠かった。手のひらから伝う熱だけが、はっきりと現実として焼きついてくる。離せ、と頭のどこかでは分かっているのに、指はますます強く塊へ食い込んでいくようだった。
ミラの叫びが遠く響く中、街の景色は歪み、崩れ、また新しい形へと組み変わり始めていた。




