ヴェインより上
灰塚から戻ったその足で、ハルとミラはライグを捜しに行った。
日はすでに傾いていたが、まだ暮れきってはいない。行きは半日がかりだった道のりも、勝手知ったる帰り道は迷いようがない分、半分ほどの時で済んだ――迷宮からの生還が、これほど早く済んだことに、ハルは内心少し驚いてすらいた。
錆びたノミを懐に押し込んだまま、二人は裏路地を急いだ。右手は相変わらず震えるだけでうまく力が入らず、左手でノミの柄を握りしめている。ヴェイン家の紋章――剣の鞘、屋敷の門、そして今度は迷宮の底に埋もれていた採掘道具。この事実を知っている人間は、まだ少ない方がいい。
「あれ以来、ずっと店を閉めてる」ミラが顔をしかめながら言った。「今日も閉まってたら、さすがに洒落になんねえぞ」
だが情報屋の店に着いてみると、板戸には外から錠が下ろされ、隙間から漏れる灯りすらなかった。埃っぽい静けさが、以前とは明らかに違う。ノックしても、中で何かが動く気配すらしない。
「……もぬけの殻かよ」ミラが舌打ちする。
裏手に回ろうとしたところで、路地の隅にしゃがみ込んでいる人影に気づいた。安酒の瓶を抱えたオルグだった。
「じいさん、こんなとこで油売ってる場合か」ハルは声をかけた。
「儂も、あいつを捜しに来たんじゃよ」オルグは瓶を傾けながら、しゃがれた声で言った。「店はとうに畳んだらしいわい。……三丁先の、干上がった水路沿いの物置に潜り込んどるそうじゃ。近づく時は、足音を殺すことじゃな」
「なんで知ってんだよ、じいさん」ミラが目を眇める。
「儂の耳は、まだ腐っとらんでな」オルグはそれ以上語らず、瓶をあおった。
ハルは礼の代わりに、素っ気なく老人の肩を叩いた。「……悪いな、じいさん。また嫌なとこ嗅ぎ回らせちまったか」
「なに、暇潰しじゃ」オルグは手を振った。「行け。長居は禁物じゃぞ」
三丁ほど先、干上がった水路に沿った古い物置の戸は、外から見る限り朽ち果てて誰も使っていないように見えた。だが隙間から漏れる灯りに、ハルは気づいた。
「ライグ、いるのは分かってんぞ」ハルが戸に手をかけて言うと、中でびくりと何かが動く気配がした。
しばらくして、細く開いた戸の隙間から、やつれた顔が覗いた。目の下には濃い隈があり、無精髭も伸び放題だった。
「……お前らか」ライグは安堵とも警戒ともつかない息を吐いて、戸を大きく開けた。「入れ。長居はするなよ」
薄暗い物置の中には、店から運び出したらしい荷物が雑然と積まれていた。腰を据える気はないのか、逃げる算段でもしていたのか、とハルは思ったが、口には出さなかった。
「悪かったな」ライグが先に切り出した。伝法な口調はそのままだったが、いつもの軽さは抜けていた。「宿の場所、私兵に漏らしたのは俺だ。……今更謝って済む話じゃねえのは分かってる」
「済む済まねえの話をしに来たんじゃねえよ」ハルは懐からノミを取り出し、積み荷の上に置いた。「これ、見覚えあるか」
ライグは覗き込んだ瞬間、喉の奥で息を詰まらせた。「……灰塚から出てきたのか、それ」
「灰塚の奥、結晶の胎とかいう気味の悪い代物を守ってた化け物の下からだ」ミラが淡々と続けた。「ヴェイン家は、随分前からあそこに潜って何か掘り出してたらしいってことだけは分かった」
ライグは木箱に崩れるように座り込んだ。両手で顔を覆い、しばらく何も言わなかった。
「……お前ら、まだ知らねえだろうけどな」ようやく絞り出した声は、震えていた。「俺だって好きで宿の場所を売ったわけじゃねえ。……脅されたんだよ。お前らのことを吐かなきゃ、俺の伝手も命も終わりだって、そう言われてな」
「知らねえし、知りたくもねえって、前は言ってたよな」ハルは静かに言った。責める口調ではなかった。
「言ったさ。でもな」ライグは顔を上げた。目に、これまで見たことのない怯えがあった。「書付が出て、ヴェイン家の名が表に出た。……それで終わりだと思ってた。だがな、俺の伝手筋で妙な噂を聞いた」
一拍置いて、声がさらに低くなる。
「ヴェインより上がいる」
その一言に、物置の空気が凍りついた。
ハルは思わずミラへ目をやった。ミラも同じ拍子でこちらを見ていた。言葉にするまでもない。「またかよ」という重さだけが、束の間、二人の間を行き来した。ミラの指先が、無意識に腰の小刀の柄へと動きかけている。
「……上、だと?」ミラが眉を寄せる。「あの当主より上ってことかよ。ギルドの誰かか、それとも――」
「知らねえ! 俺も名までは……」ライグが言いかけたその時、表で何かが倒れる物音がした。
ライグの顔から一瞬で血の気が引いた。喋りかけた口を、そのまま固く噤む。指先が小刻みに震えていた。




