重さを盗む手
招かれるまま邸の門をくぐった時点で、得物は預けろと言われた。断る理由もなかった――というより、断れる話などとうに無かった。
鯉口を切る音が、また一つ増えた。ハルは数えるのをやめた。増える方が早い。
得物は門で預けさせられている。腰は軽い。だが、軽いからこそ使える手が一つだけ、まだ残っていた。
「随分と念入りな出迎えだな」ハルは軋むような声で吐き捨てた。庭の暗がりから滲み出てきた影が、松明の輪の際でぴたりと止まる。囲みは、もう八割方閉じていた。
「言っただろう、ハル」アルダスは硝子窓の内側から、微笑んだまま見送るだけだった。「選べるのは場所くらいのものだと」
「殺すつもりかよ、これ」ミラが低く言った。声の芯は硬いが、震えてはいない。
「さあな」ハルは短く答えた。「だが殺す気なら、もっと静かにやるもんだ。……見世物にする気なんだよ、こいつは」
答える暇はなかった。最も近い一人が踏み込み、ハルの襟首を掴もうと腕を伸ばす。がら空きだ――そう思わせておいて、実際に空いていたのはハルの右手の方だった。
伸びてきた腕を躱しざま、ハルの手のひらが男の腰、鞘に納まったままの剣に触れる。それだけで十分だった。
「――重くなれ」
刹那、鞘の中の鉄がまるで岩の塊に変わったかのように沈む。帯びていた男の腰ごと引きずられ、体勢が丸ごと崩れた。膝から崩れ落ちる音と、驚愕の呻きが同時に上がる。
「二人がかりで来なかったのが運の尽きだな」ハルは低く笑ったが、笑みの分だけ右手に焼けるような痺れが走った。長くは保たない。次で終わりだ。
ミラは崩れた男の脇に転がっていた短剣を素早く拾い上げ、迫るもう一人の膝裏を薙いだ。悲鳴と共に崩れる敵を踏み越え、囲みの薄い側へ体をねじ込む。
さらに二人、左右から回り込むように迫った。一人がミラの肩口を狙って腕を伸ばし、もう一人がハルの退路を塞ぐように回り込む。ハルは振り向きざま、伸びてきた腕に利き手ではない左手を叩きつけて軌道を逸らした。重さは操れない。ただの力任せだ。それでも一歩、時間さえ稼げれば十分だった。ミラが体をひねりながら拾った短剣を投げつけ、背後の男の膝を狙う。呻き声が上がり、その隙にようやく囲みの一角が崩れた。
「こっちだ、ハル!」
呼応してハルは自分の胸に触れた。「軽くなれ」――一瞬、体が羽のように浮く感覚。垣根の低い一角を跳び越え、庭木の陰へ転がり込む。追う声が上がったが、すぐに止んだ。誰かが、追うなと制した気配がある。
外壁の潜り戸まで転がるように駆け、開け放たれたままの通用口を抜けた瞬間、二人はようやく足を止めた。肩で息をしながら、ハルは感覚のほとんど無い右手を見下ろす。
「……大丈夫かよ、お前」
「大丈夫なわけあるかよ、こんなの」ミラは強がるように笑おうとして、途中でやめた。「けど、動けてる。今のところは」
不意に、通用口の脇の暗がりから声がした。
「お見事です」
灰色の使者だった。丁寧な物腰は変わらない。今夜もまた、剣も荷物も提げず、素手のままだった。
「殺すためではありません」使者は淡々と続けた。「当主は、初めからそのおつもりでした。……ハル殿の手を、この目で確かめておきたかっただけです」
「――は?」
「よくお分かりになったでしょう、当主にも。あれほどの手を、雑用の道具のままにしておく気はない、と」使者は一礼した。「本気で狙われるのは、これからです。……なお、これはヴェイン家一家だけで済む話ではないだろうと、申し添えておきます。出張所の書付に記されていた名は、ヴェイン家だけではございません。まだ表に出ていない名が、他にも幾つか連なっております。……いずれ、ハル殿ご自身の目で確かめることになるでしょう」
「……道具扱いされてたってわけかよ、あたしらは」ミラが吐き捨てた。声には笑いのかけらもなかった。「命懸けで庭に突っ立たされて、それが見世物だの品定めだの――ふざけんな」
「……大丈夫かよ、お前」ハルは痺れの残る右手を握りしめたまま、素っ気なく声をかけた。柄にもないと分かっていたが、黙っている方が据わりが悪かった。
「大丈夫なわけあるか、こんなもん」ミラは肩をすくめてみせたが、その声にはまだ怒りの棘が残っていた。「……そっちこそ、その痺れた手、まだ使いもんになるのかよ」
「使えなきゃ困る」ハルは感覚のない指を意地でも一度握って開いてみせた。「ここで終わるつもりはねえからな」
言うだけ言って、使者は闇の奥へ静かに消えた。
――道具、か。ハルは痺れきった右手を握りしめたまま、腹の底で低く笑った。皮肉にすらならない、乾いた笑いだった。散々値踏みされた挙句、次は飼い殺しにされろというのか。冗談じゃねえ。そう思う傍から、追ってくる足音のない静寂に、かえって背筋が冷えるのを感じてもいた。




