知らずに担いだ荷
硬貨の重さも、腹の足しにもならない額だった。ギルド出張所を出た後も、ミラの顔色は戻らなかった。
「裏帳簿の利率だけならまだ、偶然だって笑い飛ばせたんだけどな」
歩きながら、ミラが低く呟いた。いつもの軽さを装おうとして、うまくいっていない。
ライグの店に近づいた時、ハルは先に気配で気づいた。荒れた木戸の陰に、フードを目深に被った人影が立っている。
「――待っていた」
低く抑えた声に、聞き覚えがあった。路地裏で二度、ハルに声をかけてきた相手だ。
「懲りねえな、あんたも」ハルは身構えたまま吐き捨てた。「今度は何の用だ」
「今日は、少し話す」フードの奥から声が続いた。「こちらの素性を、少しだけ」
ミラが息を詰めるのが分かった。
「昔――貴族に近い場所にいた。名は言わない。だが、あの紋がどこの家のものか、こちらには分かる」
店の奥から軋む足音がして、ライグが顔を出した。目の下の隈はまだ濃いままだったが、その視線はフードの人物に固定されていた。逃げようとはしない。逃げられないのだ、とハルは悟った。
「――ライグ、こいつと知り合いだったのかよ」
「知り合いってほどのもんじゃねえ」ライグの声は掠れていた。「向こうが勝手に、俺の店を仲介先に選んだだけだ」
フードの人物は答えず、話をそのまま進めた。
「灰塚深部の荷――お前たちが運んだあれは、迷宮の内側で育つ、ある種の結晶だ。壁の脈動と同じ質を持つ。表には流通できない類のものだと言えば、分かるか」
「禁忌品ってやつか」ハルの声が低くなった。
「その呼び方でいい」フードの奥で、僅かに声の温度が下がった。「本来、迷宮から持ち出すこと自体が禁じられている代物だ。だが、貴族の一部と――ギルド上層部の一部が、それを横流しして金に換えている」
「……待てよ」ミラの声が掠れた。「あたしらが運んだのは、そのブツそのものだったってのか」
「そうだ」フードの人物は淡々と言った。「知らずに、な」
「――もう一つ、教えておく」フードの人物は僅かに間を置いた。「お前たちが背負わされている借金、あの利率を決めているのも、荷を横流ししている連中と同じ筋だ。偶然ではない」
ミラの喉から掠れた声が漏れた。「――偶然、じゃなかったってわけかよ」その声は、隠しようもなく震えていた。
沈黙が落ちた。壊れた木戸の隙間から、夕暮れの風が土間に散った硬貨をかすかに揺らした。
「知らねえで運ばされて、知らねえで片棒担がされたってわけかよ」ハルは奥歯を噛んだ。「上等だ。とんだ貧乏くじじゃねえか」
「貧乏くじで済めばいい方だ」フードの人物の声が、初めて僅かに硬さを帯びた。「その結晶に触れた者が、迷宮の脈動に呼応するという報告もある。灰塚の壁が脈打っていたことを、掴み屋――お前は知っているはずだ」
ハルの背筋が冷えた。灰塚の奥で感じたあの脈動――壁も、地面も、一度だけ脈打った。あれと同じ質のものを、自分たちは知らずに腕に抱えて運んでいたということか。
「……つまり」ミラの声が震えた。「あたしらが担がされてた荷は、ただの盗品どころじゃなくて――迷宮そのものと、何か繋がってるってことかよ」
フードの人物は、それには直接答えなかった。
「横流しの片棒を担いだ者として、お前たちはもう線の内側にいる」抑えた声が続いた。「知らなかったでは済まされない側に、な」
ライグの喉仏が上下に動いた。額に浮いた汗が一筋、土間に落ちる。
「――知らねえよ。知らねえし、知りたくもねえ、そんなことは」
呟くように繰り返しながら、爪先がじりじりと戸口の外へ向いていく。次の瞬間、弾かれたように踏み出しかけた足を、ハルの左手が肩を掴んで引き戻した。
「逃げてどうする。あんたの店はもう、名前が割れてんだろうが」
ライグは何も言い返せず、震える手で自分の帳簿を握りしめた。
言い終えると、フードの人物は身を翻し、荒れた戸口の暗がりへ溶けるように消えていった。呼び止める間もなかった。
戸口の向こう、崩れた塀の際で何かが動いた気がした。目を凝らしても、夕闇に紛れて形を結ばない。ただの野良犬か、風か――そう思おうとしたが、背筋の粟立ちは消えなかった。誰かに見られている。フードの人物とは、別の誰かに。
土間に残された三人の間に、重い沈黙だけが漂った。ライグは震える手で自分の帳簿を握りしめたまま、何も言わなかった。
ミラが小さく、息を呑む音を立てた。その声がまだ震えているのに気づいて、ハルは何か言おうとして――うまい軽口が出てこなかった。結局、短く言った。
「……大丈夫か」
「大丈夫なわけ、ないだろ」ミラは笑おうとして失敗したような顔をしたが、すぐに肩をすくめてみせた。「――でも、こんくらいで参ってたら、掴み屋なんてやってられないっての」
強がりだと分かっていて、ハルはそれ以上何も聞かなかった。




