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掴み屋ハル ―手のひらひとつの、生存戦線―  作者: SG


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硬いパンと同じ呼び名

朝一番に叩き起こされたのは、宿の薄い扉を殴りつける音だった。


「開けろ! 借金取りだ、居留守使ってんじゃねえぞ!」


ハルは寝台から跳ね起きた。左手の甲に巻いた布切れがまだ疼く。灰塚の主の爪を素手で受け止めた時にできた擦り傷だ。右手はとどめの重量一撃を放った後の痺れがようやく引いて、どうにか握れるようになっている。それだけでも儲けもんだ、と胸の内で毒づきながら扉に手をかけた。


「うるせえな、朝っぱらから」


扉を開けると、恰幅のいい男が腕を組んで立っていた。宿の下請けだか金貸しの手下だか知らないが、こういう手合いの顔つきはどこでも同じだ。値踏みするような目。


「明日までに耳を揃えとけ、って話は聞いてるだろうな」


「聞いてるよ。耳が腐るほど聞かされてる」


「口が減らねえな。灰塚の主とかいうのを狩ったんだろう、お前」男は鼻を鳴らした。「大した稼ぎになったんじゃねえのか」


「なったらこんな宿にいねえよ」


隣から顔を出したミラが、腕組みをしたまま横目で男を見上げた。


「悪いけど、うちの取り分は化け物の内臓とギルドの値切りに全部持ってかれたのよ。あんた、ギルドに文句言いに行きなよ。数字にならないもんは値段もつかないんだって」


「屁理屈こねてんじゃねえ」


「屁理屈じゃなくて現実だっての」ミラは肩をすくめた。「――ま、明日までに何とかするよ。だからその面、今日はもう引っ込めな」


男はしばらく二人を睨みつけていたが、やがて舌打ち一つを残して階段を降りていった。足音が遠ざかるのを聞き届けてから、ハルは大きく息を吐いて扉に背中を預けた。


「……何とかする、なんて言っちまって大丈夫かよ」


「言わなきゃあの図体、しばらく居座る気だったろ」ミラは肩をすくめ、寝台の下から硬くなりかけたパンの塊を引っ張り出した。「さ、こっちの方が大事。腹減った」


半分に割ったパンを差し出され、ハルは黙って受け取った。硬い。だが今の自分たちにとっては、これでも贅沢な部類だ。


「……灰塚の主、狩った稼ぎのはずが借金取りに脅される種にしかなってねえの、笑えねえな」ハルはパンを齧りながら呟いた。


「笑えないから笑うんだよ、こういうのは」ミラは窓の外を見やった。人通りの少ない裏路地に、朝の薄い光が差し込んでいる。「ハルと組んでからこっち、ろくなことがねえ。化け物に振り回されて、噂に振り回されて、今度は借金取りだもんね」


「悪かったな、貧乏神連れて歩いて」


「誰が貧乏神だっての」ミラはパンの欠片を投げつける真似をして、結局しなかった。「――でもさ」


声のトーンが、少しだけ落ちた。いつもの軽さが薄れる、あの瞬間だった。


「あたしだって好きで掴み屋やってんじゃねえよ。飯のためだって、ずっとそう言ってきた。……けど、それだけでもねえんだよな、たぶん」


ハルはパンを噛む手を止めた。ミラがこういう顔をする時は、大抵、軽口の下に本音を隠している時だ。


「掴み屋なんて、誰も名前も覚えねえ雑用係の呼び名だろ。あたしもハルも、それでずっと括られてきた」ミラは自分の手のひらを見下ろした。「けど、ハルが灰塚の主を叩き伏せたって話、街の隅っこでちょっとずつ形を変えて広まってきてる。あれ、聞いてて悪い気しなかった」


「上等な話じゃねえよ、実際は」ハルは自嘲混じりに吐き捨てた。「手一本壊れかけて、二束三文で買い叩かれただけだ」


「それでもだよ」ミラはまっすぐハルを見た。「ハルが上がってくたびに、あたしらを『掴み屋風情』で片付けられなくなる。……その意味くらい、わかってんだろ」


外で誰かが荷車を引く音が遠く響いた。狭い部屋の中、朝の光の埃がゆっくりと舞っている。


「あたしも、ハルと同じ『掴み屋』だ」ミラは静かに言った。からかいも軽口もない、素の声だった。「だから最後まで付き合うよ。借金だろうが、得体の知れねえ観察者だろうが、貴族の触れちゃいけねえ筋だろうがな」


ハルは口を開きかけて、うまい言葉が出てこず、結局硬いパンをもう一口齧った。


「……知るかよ」ぼそりと吐き捨てるように言った後、少し間を置いて付け足した。「――だが、まあ。悪い相棒じゃねえよ、ミラは」


不器用な言い方だったが、ミラは笑わなかった。ただ小さく頷いて、残りのパンを口に押し込んだ。


窓の外では、朝の光の中に、まだ返済期限という影がゆっくりと迫っていた。


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